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2009年8月25日 (火)

頓痴気

いつも夕方聞いているラジオ番組「荒川強啓デイキャッチ」で、社会学者宮台真司氏が、竹中平蔵氏の経済政策を「あさはかでトンチキだ」とけなしていた。

「もう経済成長によって豊かさを保ち、幸福感を得るという時代はこれから先ありません」と、このような言葉で始めたので、経済成長がなくても幸福感を得られる社会をめざすことが宮台氏の考える経済政策の大前提なのだろう。

 

「日本は豊かなのに幸せじゃない。人は経済的に豊かだから幸福になるとか、貧しいから不幸になるのではない。
 新しい社会の構築が必要だ。
 竹中平蔵みたいな単純で浅はかな経済モデルは間違っている。」
と宮台氏は言う。

 

私は宮台さんの本を読んだことがないが、よくラジオでの発言を聞いているので、言いたいことはだいたいわかる。

最近の著書「日本の難点」を読んだ人のブログを読んでみても、まあ、だいたいこういうことだろう、と思うし、彼の思い描くこれからの社会像は理想的だ。人は経済的豊かさだけで幸福にはならない、というところなんか私個人としては大賛成だ。

ちなみに、勝手に引用させていただくが、こちらのかたの要約と感想が私にはわかりやすかった。 →楽山舎通信   

 

宮台さんの主張は、「小さな政府と個々の人間の自己責任」ではなく、「小さな政府と大きな社会」つまり、ちょっとつまづいたくらいで個人が絶望しないような大きな社会の再構築をやるべきだ、ということらしい。

これはまったくその通りだと思うのだが、それでは、家族や地域社会の包容力が機能していた昔に戻ればいいかというと、そうではなく、たとえ家族が崩壊していても、その受け皿となって個人を救える社会を構築すればいい、というのである。

たしかに良い考えではあるが、では、どうすれば社会が宮台さん言うところの「包摂性」を持つようになるかというと、これが難しい。言うは易しである。

 

宮台さんとしては、自分のような学者がこういう考えを力説して、賛同者を増やしていこうという考えであろうが、賛同者が増えたとして、さて、具体的に何をするのか。

まずそういった評論レベルから政治レベルに持っていかなければならないのではないかと私は思う。

そして、「経済的に停滞していても人が絶望しない社会」と「挫折も絶望もあるが成長し続ける社会」のどちらを日本人は選ぶのか選択を迫るレベルまで持っていかないと社会は動かないだろうと思う。

日本の政治は民主主義による戦いだから、賛同を得て勝たなくてはならない。勝つか負けるかである。

 

それとも、そんなことしなくても、賛同者が増えれば自然に社会はそのように変化していくのだろうか。そこのところがわからないのだが、本を読めば書いてあるのかな。でも難しそうだから読むのめんどくさいしな。誰か一言で解説してくれないかな。

 

宮台さんのブログに行って見たらこんな記述があった。

■総選挙の課題は「任せる政治から引き受ける政治へ」。
財政破綻と道徳的退廃をもたらす「大きな国家」をやめるかわりに「大きな社会」つまり包摂的で相互扶助的な社会を実現する。
我々ができることは我々がやり、それが無理な時に行政を呼び出すという形を、最終的にはめざす。「補完性の原則」といいます。
■これを実現するには、第一に自分たちの情報を行政に出させる情報公開と、第二にこれら情報を元に我々が自分たちを操縦する能力が必要です。
政府はこの能力をサポートする役割に徹するべきですが、
この「社会をサポートする国家」という感覚は、民主党でも、同年代にNPOのアクティビストがいる若い世代の議員にしかない。
民主党の世代交替がないと難しいかもしれません。(談)

 

ところで、日本にとって財政健全化や経済成長戦略は必要不可欠である。

財政破綻や景気の停滞をこのままにしておいては、どんな提唱であろうと「社会の再構築」さえ不可能だ。

とにかくお金だ。節約し、且つ稼がなければならない。

 

竹中さんは、日本人の価値観の転換に責任を持つ人だったのだろうか。
そういうことではなく、経済成長や財政再建のための道筋をつけることが、経済担当の政治家としての竹中さんのやるべきことだったのではないのだろうか。

「貧しくとも心の豊かさを大事にし、人を絶望から救う大きな社会の構築」は、とても大事なことだけど、それは日本人の価値観を変える作業から始めないといけない。

そういう経済モデルを提示しないからといって、あさはかだとかトンチキだとか言って政治家を批判するのはかなり的がはずれていると思うのだが。

 

独裁国家ならば、支配者が価値観を押し付けることができるが、民主主義国家では国民の価値観が国を形成しているのではないのだろうか。
現に国民はみんな「お金がほしい」と言っているのである。「さらにいい暮らしを目指したい」と言っているのである。老人は若者の未来などおかまいなしに自分たちの取り分を主張するのである。

例をあげれば、こういうことだってある。
「猫も杓子も大学に行く必要はない。勉強の苦手な者だって大学に行かずに生きる道はいくらでもある」といくら評論家が力説しようと、親は子供の尻を叩いて塾に通わせるのをやめない。

 

これまで何度も書いてきたが、人間と言うのは成長せずにはおれない生き物なんだろうと思う。 欲望は果てしないのである。 

「もう経済成長はなくてもいいだろう。それより今あるものを分け合って・・・」という考えもあるけれど、それはたぶん人間観を誤っている。

 

「このような社会が最良なのです」といくら誰かが号令をかけようが、人の欲望や自由意志はまずコントロールできない。法を犯さないぎりぎりのところまで勝手なことをしたがる。

 

道徳教育に力を入れるべきだ、と宮台さんは言いたいのだろうか。 あの宮台さんがまさか。

 

 

財政再建のためには構造改革も必要、経済成長も必要だ。それをするのが政治家の仕事ではないか。

それとも、宮台さんの言う「小さな政府と大きな社会」のほうへ持っていくべく強引に何らかの枠組みを作って、そこに人間をあてはめればいいということなのか。実験的人工国家を作ろうという試みの提唱なのだろうか。社会主義革命を夢見た若者みたいだな。

理想的な社会にいくまでに、日本人、ネをあげると思うし、経済はもっとひどいことになるのではないか。

 

いずれにしても、それをするには、その国家像を具体的にわかりやすく国民に説明した上で選挙で勝たねばならない。

とにかくこの悪い財政状態を何とかしなければならない。そのためには不良債権処理が必要、霞ヶ関構造改革が必要、グローバルな世界で生き残る戦略が必要。小泉内閣はそれをやろうとした。それだけのことだと私は理解しているのだが。

「包摂性のある社会の構築」というのはまた別の話なのではないか。

もし宮台さんがどうしても誰かをトンチキと呼びたいのならば、それは小泉さんや竹中さんではなく、国民を、であるべきなのだと思う。価値観を選ぶのは国民なのだ。

 

経済と社会の関係なんて私にはわからないから、一度、宮台さんと竹中さんの討論でも聞きたいものだ。

 

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コメント

ブータンでしたっけ 幸福度世界一の国。
日本は 経済的豊かさでは幸福にならない ことに 気がついた、ということをもっとたくさんの人が認識できれば。なんとなく・・・じゃないかな と思っている人は多いはず。

昔の社会スタイルには戻るには女性の抵抗があると思います。「また 女が犠牲になるのか」と。 羽ばたいて自己実現してみたものの、そこに真の幸福はあったのか・・・「自分のためだけに生きてみる 人は これに飛びつき そして すぐ飽きるのだ」と 三島由紀夫が何かで言ってましたっけ。

投稿: でこサングン | 2009年8月26日 (水) 14時45分

経済成長だけが幸福ではない、という考えは、とても魅力的だし、最近の「江戸ブーム」とかの背景になっていると思います。てっとり早くいえば、日本人は疲れているんでしょうね。

けれども、現実として。国が貧しくなると、何が起こるか?も知っておかなければいけないと思うんですよ。どんな貧しい国でも、一部の金持ちはそれなりに幸福に暮らしています。けれども、本当に貧しい人たちは、それこそ身売りしたり、臓器売買の対象になったり。悲しいけれど、それが事実です。
豊かな国の人たちは、貧しくても、ホームレスで暮らす自由がありますけれど、最貧国では、それすらできません。

漫画家の西原理恵子さんが、勉強するのはお金を稼げるようになるためだ、と明快に言っています。好きな絵を描いて生きるのが幸福だとしたら、エロ雑誌だろうが週刊実話だろうが、ばんばん売り込みにいかなきゃいけない。彼女は、それをやったから、漫画家として生活する幸福を手に入れたとおっしゃっています。竹中さんの功罪はあるにしても、これからも日本が「他人をトンチキ呼ばわりして生きていく自由」を確保するため稼がなきゃならんのは事実でしょうね。

私は、宮台さんの発言を、ただ楽しんで笑って、明日には忘れてしまうと思います。彼だって、援助交際を評価しながら、自分はとっとと20歳も年下のお嬢さん(どう見ても援助交際経験など無さそうな)と結婚したわけで、なぁに、そんなもんでしょ(笑)

「カネだけが幸福じゃない」議論も、美しい一つの建前と考えておけばいいだけ、だと思いますなあ。

投稿: single40 | 2009年8月26日 (水) 18時25分

★でこサングンさん、

ブータンはグローバル化の波に洗われ始め、「慈悲深い独裁」に終止符を打ち、選挙制度を始めたんですよね。それでも世界潮流に巻き込まれないほどコントロールされているということですか。
若者世代を中心に西欧文化への憧れは広まりつつある、というのをテレビで見たことがあるのですが。

>「自分のためだけに生きてみる 人は これに飛びつき そして すぐ飽きるのだ」と 三島由紀夫が何かで言ってましたっけ。<

そうですか。至言と言いましょうか・・・。

宮台教授の言うのは、「昔の生活スタイルに戻る」というのではないようです。
しかし、「地域社会の温かさ」を意味しているようでもあり、そうであるなら、やはりバリバリ仕事をしてGDPを上げるというのではなく、個人が孤立しない地域社会構築にみんなで力を入れようということだと思うのです。
仰るように、「また 女が犠牲になるのか」ということにもなりかねませんし、また、そういうことでなく、男も女も平等に家族や地域に関わるのだ、ということならわかるのですが、経済発展がなければ平等に仕事も果実も分け合うしかないし、それが未来を見据えた理想社会なんですかねえ。SF小説的にも思えるのですが、人類はやはりそれに向かうべきという「凡人にはわからない進歩的思想」なのでしょうか。

投稿: robita | 2009年8月27日 (木) 10時49分

★single40さん、

>けれども、現実として。国が貧しくなると、何が起こるか?も知っておかなければいけないと思うんですよ。<

そうですね。
経済発展はなくてもいい、というのは貧しくなる、という意味ですよね。

宮台さんは、もっと社会を効率的機能的に働かせるべきだ、との考えなんでしょうが、それは結局、お金はなくても温かみのある社会を、という意味になると思います。

でも私は、人はもうそんな風にはならないと思うんですよね。
優しさは大事だけれど、経済成長をあきらめる道を日本人は選ばないと思います。

そうは言っても、これから先、少子化が進むのであれば、ますます財政は厳しくなるでしょうし、経済成長も止まり、否応なく日本は貧乏小国に落ちぶれてしまうかもしれません。
そうなればほんとに否応なく「貧しくても家族や地域が助け合う温かい社会」が実現するかもしれませんね。
そういう社会というのは、政策によってではなく挫折によって育つものなんじゃないでしょうかねえ。敗戦後のように。
まあ、世界情勢が全然違いますから、今の時代では一度落ちぶれると二度と復活できなくなるかもしれませんけど。

>私は、宮台さんの発言を、ただ楽しんで笑って、明日には忘れてしまうと思います。彼だって、援助交際を評価しながら、自分はとっとと20歳も年下のお嬢さん(どう見ても援助交際経験など無さそうな)と結婚したわけで、なぁに、そんなもんでしょ(笑)<

ああいう説を唱えるのは、なぜか、良い大学を出て、良いところに勤めて、高給を取って、良い思いをしている人たちであります(笑)

投稿: robita | 2009年8月27日 (木) 11時02分

robitaさん、

Financial Japanという雑誌の10月号に、宮台氏の「包摂性社会」についてのインタビューがありました。中々興味深い記事でした。

私の読むところ、彼は小泉構造改革自体に対しては「まず破壊する」という点から一定の評価を与えているようでした。

robitaさん仰せの通り、竹中氏は「日本人の価値観の転換に責任を持つ人」ではないし、「経済成長や財政再建のための道筋をつけることが、政治家としての竹中さんのやるべきことだった」からこそ、参院選に出て100万票もの支持を得た後、小泉氏退任と共に職を辞したのだろうと理解しています。

実際、現在竹中氏は宮台氏の挙げる「国家を操縦する方法」のうちの一つ、「NPOのような市民セクター」側からの活動を中心としています。

結論として、宮台氏は、竹中氏のことを個人的にキライなんじゃないかと 個人的な好き嫌い自体は否定しませんが、そのためにここまで綿密で頭ヨサソーな論理を組み立てて社会に発言し続ける宮台氏の性格の悪さ…私は、キライです。が、まあ、社会学者としては必要な資質なのでしょうか。

彼の言う「包摂性社会」「大きな社会」については、robitaさんの仰せのことと少し違うような印象を受けました。この雑誌の10月号には「ホリエモン流-虚業時代の幸福論」の記事もあり、なかなか読み応えがありました。まだ普通に書店にあるとおもいます、ご興味がありましたら是非 私も記事に出来たらなあとは思っています。

さあ、週末はいよいよ投票だ!!!


投稿: kaku | 2009年8月28日 (金) 11時54分

★kakuさん、

>彼の言う「包摂性社会」「大きな社会」については、robitaさんの仰せのことと少し違うような印象を受けました。<

「家族や地域が優しさを取り戻した社会」という意味で宮台さんは言っているのではないとは思うんですね。彼自身、「昔に戻るべきだというのは見当ちがい」と言っていますから。
本文の中ほどに青字でコピーした宮台さんの言葉は、大きな社会(家族がいなくても個人が見捨てられない社会)がきちんと機能するようなしくみ作りをせよ、ということだと思います。
あれだけ自信満々なのですから、きっと、宮台さんの頭の中にはそういうしくみ作りの具体的な青写真が出来上がっているのだと思います。
そのしくみは「愛」とか「優しさ」といった不確かなもので支えられるのでなく、きっと機械のように機能的効率的なしくみでなくてはならないでしょう。
で、「我々ができることは我々がやり、それが無理な時に行政を呼び出すという形を、最終的にはめざす」「情報を元に我々が自分たちを操縦する能力が必要です」「政府はこの能力をサポートする役割に徹するべきです」などと宮台さんは言っているのですが、こういうしくみって、既にあるんじゃないのかなあ、と思うんです。
それがうまくいっていないのは、結局、こういうしくみを効率的に機能させる原動力は「人の気持ち」だからなんじゃないかなと思います。
社会のほうにも優しさが必要であると同時に、個人のほうにも前向きの姿勢や素直さが求められる、まずそれがないことには、いくらしくみを整備しても同じことになってしまうのではないでしょうか。
やっぱり、人は機械ではないのであり、優しさや情熱が土台になければ作動しないと私は思うので。
そういう意味で私はどうしようもなく昔を懐古してるのかな。

>結論として、宮台氏は、竹中氏のことを個人的にキライなんじゃないかと<

この人わかりやすいんですよ。嫌悪感がモロ出ちゃうんです。
因みに私も宮台さんがキライなので、モロ出ちゃってますでしょ。

>さあ、週末はいよいよ投票だ!!!<

これほど楽しみな選挙も珍しいですね。

投稿: robita | 2009年8月28日 (金) 13時56分

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