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2009年9月18日 (金)

おばあさんはコタツでみかんを食べる

街中の案山子さんにコメントをいただいて、神戸女学院大学教授内田樹さんのブログを知り、いくつか記事を読んでみました。

内田さんの記事に人間の本質と矛盾がわかりやすく表れていると思いますので、ちょっと書いてみます。

「日本の人口は、国土と資源に比して多すぎる」とか、「少子化で何が悪い」とか、「経済成長はなくてもいい」とか、「家の中でコタツに入ってみかんを食べる幸せさえあればいいじゃないか」、というお考えだと思います。
文章は長いですが、要するにそういう至極単純なことだと思います。

私もそう思います。そんな文章を以前からいくつも書きました。

それは好ましい社会のあり方を示唆していますし、多くの人が思っていることでもあります。でも、「だからこうすればいいのだ」という解決法を実践することができません。

解決法とは、革命的に日本人の意識を転換させることです。

ずっと前「国家の構成員としての自覚」という記事を書きました。冗長なので、お読みにならなくてもいいのですが、こういう文章があります。

≪しかし、「国家の品格」でも書いたように、世界中で価値観が変わってきているのに、日本だけ「武士道で行こう!」なんて張り切ったところで空回りするだけです。 昔のような社会規範を取り戻すなんてことがいったいできるものか。 子供も大人も、楽しく、ラクなことにどっぷり浸かりすぎてしまったのに、今さらそれらをやめることなんてできるはずがないのです。

革命的なことをやらない限り、いくら「国家の品格を取り戻そう!」と一部の人々が大声で叫んだところで、大人たちは株に狂奔することをやめないだろうし、小学生は化粧して渋谷をうろつくことをやめるわけがないのです。

教育を根本からくつがえすくらいの覚悟がなければそんなことは無理無理。小泉さんほどの独裁者が出現して、有無を言わせず教育の建て直しを実行に移せなければ無理無理。 ____中略___しかし、もし、ほんとに、日本人が、昔のような子育てをしたいなら(昔に戻りたいなら)、色々な面で「覚悟」しなきゃいけないことがたくさんあります。 子どもに「大人の言うことを聞きなさい」という子育てをしたいなら、おとなの側だってぐうたらじゃいけないし、昔の人が我慢したようなことを、同じように我慢しなきゃいけなくもなります。→「ヨイトマケの唄」
___中略___「昔は良かった」なんて昭和30年代を懐かしむ団塊世代もいれば、戦前戦中の日本人の凛々しさを称えるご老人もおられることでしょう。 でもね、どう考えたって、今のほうが良いに決まってるのです。今の豊かさ便利さを手ばなすことなんかできっこない。 豊かで楽しいまま、「毅然として」「凛々しく」なんてできますか、あなた。 ≫

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これは、「品格」について書いたものなのですが、「身の丈に合った生活」のような言葉に置き換えても同じです。

内田先生が、いくら「少子化ではなく増子化なんだ」「この日本国のサイズなりの生活があるはずなんだ」と何度も何度も繰り返して仰ろうが、生活水準を下げたくない日本人が、それに同調するはずがないのです。

だから、国家財政が自然に破綻を迎える時まで「経済成長」や「新たな市場開拓」をもくろむしかなく、従って、「働き手をもっと産まなくては」「グローバリズムに乗らなくては」と叫び続けるしかないのです。

学者や評論家は実効性のある現実的な対策を提案する必要はなく、「思想」を論じ続け、何十年か何百年か後で、その思想の「真っ当さ」がわかってもらえればそれでいいのだと思います。

でも、生活レベルを保ちたい、もっと豊かになりたい、それが日本人の願いであるならば、政治はその願いに沿うべく、政策を練ることしかできません。

内田さんの最新記事「デモクラシーのコスト」 の意味はそういうことだと思います。

私は日本人の意識を変えるには教育しかないと思っているのですが、内田さんもそのような記事を書いておられます。→  「教育のもたらす利益について」 

≪教育は私人たちに「自己利益」をもたらすから制度化されたのではない。
そのことを改めて確認しなければならない。
そうではなくて、教育は人々を「社会化」するために作られた制度である。≫

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どうして人々を「社会化」しなければならないか。
それは共同体としての秩序を守り、生存を維持し、もっと言えば、幸せを得るためでしょう。

生存しさえすればいい、幸せでなくてもいい、という人はまずいないわけで、幸せになればなったで、より上の「幸せ」を人は追い求めます。

そして追い求めて疲れた時、「幸せとはなにか」という人生最大のテーマがいつものように現れ、人は「お金がなくても幸せになれるのではないか」といつものように思い始めます。

で、どうしろというのでしょうか。

資本主義社会の当然の成り行きだとか、やはり社会主義政策がいいのだとか、そんなことを言いながら、歴史を繰り返すしかないのでしょうか。

内田さんは「サイズに合った社会システムを」と言い、藤原正彦さんは「武士道を取り入れて誇り高く生きよう」と言い、佐伯啓思さんは「自由と民主主義をやめろ。グローバリズム反対」と叫びます。

しかし、悲しいかな、すべては「民意」です。

民意は変わるものでしょうか。

学者さんたちがこういうことを言い続け、それに同調する人たちが増えれば人間の意識は変わりますかね。

これらの学者さんたちはとても人気があって、著書も随分と売れているでしょうに、人の意識は一向に変わる気配もなく、相変わらず「お金が足りない」と言い続けます。私もできたらお金はほしい。森の中に住むおばあさんになっても年金はもらいたい。

「うん、良い考えだ」とは思っても、自分だけは得をしたいという「総論賛成各論反対」が人間の本質だからです。

その本質、変わるものですか。

いくら言論の旗手たちが「意識を変えろ」と叫んでも変わらないんだったら、宗教とか秘密結社とか立ち上げて密かに地下運動を広げるしかない、と思いついても、そんないかがわしいものは広まるわけがないのです。

そう、いかがわしい。

個々の人間の欲望制御は美徳ではありますが、自由と民主主義が至上の価値である社会では集団的欲望制御はいかがわしいものでありますから、個々の美学を称えて自然な流れができるのを期待するしかありません。

内田さんんも「私たちはすでに無意識的にそう判断して、それに添うように行動し始めている」と書いています。

それが具体的にどのような形で現れているのかが書いてありませんが、内田さんの言う「成熟しない大人」とは、「いくつになっても不自然な若さを保ちたがったり恋愛をしたがる年配者」や「いつまでも自立しないニートたち」も含まれるんでしょうか。

均質化され、区別のなくなった大人と子供、男と女、それぞれの年代や性がそれぞれにふさわしい役割や欲望を持つようになれば、環境負荷が軽減される、ということなのでしょうか。

それはわかるような気がしますが、内田さんの言うように自然に流れが変わってきているのでしょうか。それはどんなところに表れているのでしょうか。

長くなってしまいましたが、時間のかかる意識改革はさておき、このたび「革命的政権」が誕生したことでもありますし、あまり悲観的にならずに、子供がほしい人が産みやすいよう、少子化対策もしてほしいし、世界にまだまだ市場があるうちは、なんとか進出を果たして国としてお金儲けもしてほしいものです。

「集団内部に、それぞれ生態学的地位と社会的行動を異にする多様な種を作り出す」にはどうしたらいいかについては、しかるのちに、じっくり考えることにいたしましょう。

「増子化」
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2009年9月16日 (水)

何より命が大事

野党が与党に変わるとなると、気楽だった立場から一転、激しい批判を浴びながら政権運営をやっていくことになります。

新聞やテレビは連日、民主党政権に対する不安や不満を報道しますし、週刊誌の広告などでも、連立の党首たちに対する意地悪な見出しを目にします。

まあそれは与党だから仕方がないことで、自民党は今までそうやって批判をされながら政治をやっていたわけです。

産経新聞の≪【新・民主党解剖】第1部 海図なき船出(1)無視できぬ「小沢」≫という記事を読んで、面白いなあ、と思いました。

小沢さんとの二重権力構造に興味はないので全部は読まなかったんですが、笑ったのは最後の数行です。

≪少子化・男女共同参画担当相などに起用される社民党の福島瑞穂党首は同日午後、「土井ママ」と呼ぶ土井たか子元衆院議長から電話を受けた。

 福島氏「体を張って頑張ります」

 土井氏「体なんか張ったらダメよ。体を大事にして頑張って」

 鳩山連立政権の実像と方向性が、徐々に明らかになってきた。≫

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「体のほうが大事。政治に命なんか賭けちゃダメ」ってことですね。

2年前、倒れる直前までなんとか続けようと頑張った安倍さんへの「死ぬまでやれ」と言わんばかりの野党やマスコミの攻撃を思い出してしまいました。 →    http://robita-48.cocolog-nifty.com/blog/2007/09/post_ebc6.html 
お気の毒に、倒れなかったばかりに、「途中で放り出した」といまだに言われ続けておられます。

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2009年9月14日 (月)

森のおばあさん

ノンフィクションライターの久田恵さんが産経新聞にエッセイを連載していて、私はいつも楽しみにしているのですが、先日こういうのがありました。

≪今年の夏、ちょっとした冒険を試みた。ある小さな山荘で、女一人の夜を過ごしたのだ。周りには、いくつかの別荘もあるのだけれど、なぜか、その時期は誰も訪れる人もなく、むろん、テレビなし、新聞なし。世間とは隔絶したまったき静寂の中で、この私、来し方行く末などを思って過ごしてみた。
なぜ、そうしたか。実は、60代になって夫と二人で田舎暮らしを始めた友人がいる。夫が留守の折など、山の家で彼女は一人で過ごしている、と言う。
そこはかなりの山中である。都会暮らしに慣れた奥様育ち(?)の彼女が、よくそんなところに思い切って家を建てたなあ、と思い、「ねえ、夜なんか、一人でいると怖くない?」と聞いたら、「それが全然なの。すてきよ」とあっけらかんとしている。ふ~む、そういうものか。私も、それがどういうことか経験してみたいと思っていた。それによっては、今後の人生に、「脱都会」の新たな選択肢も加わるな、と。以前から森の中に住むおばあさんになりたい、というイメージを抱いている私である。この際、その可能性を追求してみようかしら、と。そして、初めて森の中での「女一人の夜」を迎えたのだった。
昼間から霧に包まれていた山荘は、日が落ちて気が付くと月明かりも星明かりもなく、たちまち闇に包まれた。外へ出ると、そこは、もう自分の足元さえ見えない「真の闇」。おお、真っ暗!それは、黒いビロードのようなしっとりとやわらかな闇だった。けれど、怖くはなかった。むしろ、感動だった。その闇の中を一歩、二歩と踏み出すたびにわくわくした。まったき闇が自分を包み込み、すべてのものから自分を守ってくれている安らぎさえ覚えた。
そして思った。自分はいろんなことをして長く生きてきた気がしていたけれど、人間という動物として、こんなシンプルな、基本的な、自然の夜の闇さえ人生で一度も体験せずにきた女だったのか、と。都会で生きるということは、しみじみ浅薄なことと思った。思えばランプ以外に明かりのなかったころ、人々に魑魅魍魎の跋扈する想像豊かな世界を生み出させたのは、この夜の闇だったのではなかったか。というわけで、この夏、一人で生きる練習の項目に私は、堂々、「闇夜に一人」の体験を加えることにした。お試しあれ。≫

実は私も昔から森の中に住むおばあさんに憧れてはいるのですが、防犯や医療やその他生活上の不安を考えると現実的ではありません。
しかしこの頃思うのです。
たとえ病気になって人知れず死んだとして、それのどこが不幸なのか?
人里はなれた田舎の一軒家に強盗など押し入るだろうか?
電気、水道という最低限のインフラさえ整っていれば、おばあさんは森の中で暮らしていけるのではないか。

ここで大抵の人は「人のいない寂しさに耐えられないだろう」と言うでしょう。
でも、一人でも寂しくない人はいるものです。
たまに人に会いたくなることもあるでしょうが、その時は街に出て行けばいい。

さらに、「退屈に耐えられないだろう」とも言われるでしょう。
でも、決して退屈しない人もいるものです。
身の回りのどんなことにも興味を持ち、驚き、楽しむ性分でありさえすればいい。

そんなことを思っていた時、某Y.ikeさんのところで、こんな記事を読みました。→ http://blog.goo.ne.jp/higaishablog/e/d1c1951513e0fd2fdcdf77a50f68be2c

「退屈病」は、今の時代ならではのものではないとは思いますが、人の生活がかくも豊かになり、寿命が長くなった現代では、その病はちょっと重症化しているかなと思います。

しかし、“change”に熱狂する人、それを見つめる冷静な人、と二つに分けて考えるものでもありますまい。

腐敗が進めば新鮮さを求めるのは社会の必定であり必要です。

改革の切望は退屈さゆえ、だけでもありません。

神谷さんはエミリ・ブロンテを例に挙げ、
「むしろ精神の世界が豊かで、そこでの活動が烈しいひとほど、外界での生活に大きな変化を求める欲求が乏しいとさえいえるかも知れない」と書きました。
これはいつの時代も変わらない真理だと思います。

そういう人は「寂しさ」とか「退屈」を感じないでしょう。

曽野綾子さんのエッセイ「荒野の娯楽としても戦争」の中にこんな文章があります。

≪タリバンの生活も特殊な幹部が住む場所は別として、電気も、水道もない。泥で固めた小屋、洞穴の家、テントなどに住み、泥にまみれ埃の中で暮らしている。日が暮れたら寝る他はない生活だ。アルミサッシ、風呂、トイレ、テレビ、冷たいコーラ、新聞・雑誌、コーヒー店や映画館、マイカーや電車、リクリエーション、そうしたものの全くない荒野の暮らしをしているのである。
もし私たちがそうした生活に追い込まれたら、我々は何を楽しみに生きるか。答えは簡単だ。セックスと戦争以外に何の娯楽があるというのだ。恐らく彼らは、楽しみのためのサッカー・ボール一つ持っていない。ゲームもない。トランプもないだろう。そんなところへ、ロケット砲や戦車をもらったら、私でもおもしろくて決して手放しはしないだろう。≫

日本ではどんな田舎に行っても、電気や水道は整備されているし、都市部より多少不便ではあっても、何の楽しみもない荒野の暮らししかないということにはなりません。

なんと恵まれていることでしょうか。

だから、「退屈」への対処は容易であるはずなのです。

しかし、退屈を感じればこそ、人は新しいものを求め、お金を遣い、経済が活性化して、国が豊かになり、貧困者の救済もできるわけですから、人は隠遁生活などしないほうがよろしいですね。60になっても70になっても、ブティックであれこれ試着して着飾ることに興味を持ち続けることで、景気回復の一端を担うことになるのですから。(鳩山夫人のことではないですが)

森の中で一人でも平気、野垂れ死んでも平気、などという心境に至ることこそが現代の病理、と指摘されるかもしれません。

いや、しかし、昔からそんな風な生活を好んでいた人はいたはずで、あながち病理とも言えないかも・・・・・・、こう考えてくると、何が健全で何が不健全だかわからなくなってきますねえ。

幸せは自分の心が決める、ま、そんなとこに落ち着きましょうか。

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2009年9月10日 (木)

理想よりカネだ

鳩山さんが、朝日新聞主催の「朝日地球環境フォーラム2009」で、「地球温暖化防止対策として日本は2020年までに1990年比で25%削減をめざす」と明言しました。
「日本がこのような厳しい目標を掲げることで、温暖化対策において世界の先頭に立つべきだ」ということだそうです。

このことについて、各方面から驚きや反発が噴出しています。

これまで世界のどの国よりも削減に努力してきた日本が、こんなに高い目標をさらに掲げるとなると、日本では生産活動ができなくなり、それどころか、すべての家庭で、ハイブリッドカーやエコ家電に買い換えることを義務化でもしないと不可能なんだそうです。→ http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20090908-00000036-san-bus_all

この削減目標を太平洋戦争時の「インパール作戦」に例えている人もいます。

≪日本兵が我慢強く従順なのをいいことに、食糧や武器の補給を軽視したずさんな作戦により、4万人もの餓死者を出し歴史的敗北を喫した無謀なインパール作戦と同じではないか≫

しかし、一昨日のテレビ朝日「報道ステーション」に出た民主党の福山哲郎議員が、このように説明していました。
≪25%削減目標というのは、いま最も温暖化ガスを排出している中国や京都議定書を批准していないアメリカを巻き込むためのものです。それらの国々を参加させるという前提のもとでの数字です。
さらに、最先端を行く日本の省ネネ技術を世界に売り込むビジネスチャンスでもあります≫

温暖化ガス削減に向けての世界戦略ということなら、日本だけがバカを見るということもなさそうだし、ここはひとつ「鳩山は一体何をねぼけたことを言ってるんだ」などとヒステリックに騒ぎ立てないで、温暖化問題の国際会議に誰が行くのかわかりませんけど、堂々と考えを述べて世界をリードする日本代表の勇姿に大いに期待しようじゃありませんかみなさん。

それより、気になるのはニューヨーク・タイムズに掲載された「鳩山論文」です。

鳩山氏は友愛精神に基づく「東アジア共同体」を提唱しました。
それだけなら、オバマ大統領のプラハ演説と同様の将来への壮大な夢として、歓迎すべき構想だと思うのですが、問題は論文冒頭のアメリカ批判です。

「アメリカ批判(アメリカとの決別を予感させる)」と「アジア共同体構想」が一つの論文の中で同時に語られるということは、かなりの問題ではないのでしょうか。

鳩山さんは友愛精神を元に、EUのような共同体を想定しているのかもしれませんが、EUと東アジアは状況が異なる、ということが言われます。
これを発案した当時のヨーロッパでは経済的軍事的に同等の力を持つ複数の国があって、それらの協同利益の観点からの出発であったことや文化的類似などの条件がありました。

東アジア共同体の難しさについては検索すれば沢山出てきますが、一番上に出てきたものを貼り付けます → http://homepage3.nifty.com/ryuota/eastasia.html 

百歩譲って、「ヨーロッパ統合の構想を最初に提言したオーストリアのクーデンホーフ=カレルギー伯爵の着想だって、最初は夢のような話だった。その最初のアイデアが出された時からEUが実現するまでには長い道のりと困難があった。誰かが最初に踏み出さなければならない。」ということだとしましょう。

鳩山さんは論文の中で、クーデンホーフ=カレルギー伯爵の言葉を引用しています。
≪すべての偉大な歴史的出来事は、ユートピアとして始まり、現実として終わった。一つの考えがユートピアにとどまるか、現実となるかは、それを信じる人間の数と実行力にかかっている≫

立派な考え方であって、私も大いに賛成です。何ごとも勇気ある一歩から始まるのです。私も理想家だからわかります。

しかし、これから総理大臣となって、日本の豊かさと安全を守る立場にある人が、現実的戦略である日米同盟を軽視してまで発言するようなことなのでしょうか。

そういう理想は学者や市井の人々が持ち続け発言し続ければいいことで、もし鳩山さんがどうしてもそういう理想を語りたいのであれば、総理大臣になるのはやめて、学者として熱心に発言し続ければいいのではないでしょうか。

政治は国民の生活を豊かにするためのものであり、未来の理想社会のことなど、後回しにするしかないのです。

現実政治というのはそういうもので、一国のトップはそれを行う責任があるのではないでしょうか。

さて、野党になる自民党は、鳩山さんより現実的だと思いますが、敗戦の混乱の中、これからどのように党を立て直していこうと考えているのでしょうか。

自民党の再生のためには世代交代が必要だと力説する河野太郎議員は次のように語ります。
≪自民党とはこういう政党だという明確な理念を打ち出すことが肝心。それに合わない人は出て行ってもらう。
民主党がバラマキで、大きい政府、結果平等という考えの党なら、自民党は小さい政府で、経済成長をめざす。
それでまとまらなければ、自民党から出て新しい党をつくるべき。
自民党の再定義をまずすること。
それもなくして総裁を決めるのは意味がない。≫

現実的ですね。
頑張ってください。

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2009年9月 4日 (金)

若手に席を譲れ

今朝のテレ朝「スーパーモーニング」の選挙総括は、なかなか良かった。
自民党若手河野太郎氏が出演し、古い体質の高齢者が比例で復活して、有能な若手が落選していることに怒りをあらわにしていた。
「わしらはもう身を引くからと若手に議席を譲るべきではないのか」と。
同感である。

落選した佐藤ゆかり元議員へのインタビューでは、インタビュアーが「今回の得票率の高さから考えると小泉路線からの決別をアピールすれば佐藤さんは当選していたのではないか」と聞くと、「構造改革が間違っていたのではなく、国民のための政策を実現するために構造改革が必要なのです。当選するだけのために白を黒とは言えません」と言った。

番組は、「小泉構造改革がもたらした負の部分だけが強調され、有権者を一方向へ誘導したことはマスコミとしても反省しなければならない」と結んだ。

疲弊した社会に改革は必要、私はそう思っている。
小泉改革のどこが悪くてどこが良かったのか、改革はまだ途上だと思うが、一度冷静になって考えてみる必要はあると思う。

で、検索でこんなところを見つけた。 → http://news.goo.ne.jp/hatake/20090128/kiji2878.html

こういうのをじっくり読めば、雪崩をうった人々も少しは落ち着くのではないか。

「小泉構造改革は失敗だった」とする人のほうがずっと多いのだが、私は「成功だった」「どちらでもない」の意見に共感する。
「失敗だった」の意見は、感情的なものが多い。

≪議論のスタイルが「市場原理主義」対「反市場原理主義」という不可思議な論争になっている。「市場原理主義」というのは改革路線への反対派が持ち出した、政治色が強くて定義があいまいな「わら人形的攻撃対象」だ。≫(伊藤元重)

ところで、河野太郎氏の発言は自民党分裂を予感させる。河野さんは、どういう政治理念を持った人かはよく知らないが、「小さな政府」を目指しているらしい。

沢山の火種を抱える民主党が何らかの問題でつまづいた時、政界再編が起きるのではないか。
若手は勇気を持って行動してほしい。我々も支えるから。

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2009年9月 1日 (火)

自民党よ、男らしく

民主党が圧勝したのは、民主党を支持する人が増えたのでなく、自民党に愛想が尽きた国民が自民党を下野させるために行った投票行動の結果である、ということが言われる。

私は自民党の景気対策のどこが具体的に悪いのかよくわからないのだが、長期政権による疲弊は決して良い政治をもたらさないと思うので、世代交代や政界再編はぜひ必要だと思っている。

麻生内閣がさしたる失政はなかったにもかかわらず支持されなかったのはなぜだろうか。

「私は郵政民営化に賛成じゃなかった」などと、後付の言い訳をするところが私は嫌いだ。
反対ならば、亀井さんや綿貫さんや平沼さんのように反対を貫いて離党するという筋を通すべきだろうに、それをせず、あとから「賛成じゃなかった」などと言う男気のなさにはうんざりだ。

麻生内閣に人気がなかったのは、政策うんぬんより、首相個人の人柄ではないかと思う。

好き嫌いで政治を決めていいのか、と怒る人もいるだろうが、それは仕方がない。
「今の不況はひとえに小泉改革のせいだ」という考えが世の中を席巻しているようだが、相変わらず小泉さん個人の人気は高い。まあ、小泉改革を否定する人と小泉さんを好きな人は別なのかもしれないが。

好き嫌いの問題は別にして、自民党が何故こうもガタガタになってしまったかの理由は、ねじれ国会により何も決められなくなってしまったことにあり、何故ねじれることになってしまったのか(自民党が参議院で議席を減らしたこと)については、長年の間に積み重なったしがらみによりあらゆる面で改革ができないことに国民が失望したからだろう。

閉塞感を打破したい。自民党政治に飽き飽きした。とにかく霞ヶ関をぶっ壊してもらいたい。成熟した二大政党制にするための前段階だ。 民主党圧勝の背景にはそういった国民の思いがあるだろう。

さて、自民も民主も、国内経済対策に関しては大差ないと言われるが、多くの人が抱える民主党に対しての不安は、鳩山さんの反日左翼のような言い草であり、党内の左翼勢力に対してだろう。我が国存続の根幹を成す外交、防衛に対する民主党の姿勢に「いったい日本国民の生命財産を守ることををどう考えているのか」という不安を覚えるからだろう。

今朝の産経新聞【人界観望楼】に、外交評論家岡本行夫さんがこのように書いている。→ 「鳩山さん よく考えてください」  

民主党はどういう日米同盟像を描いているのか、米軍基地の縮小や撤退を主張するのであれば、日本独自の軍事戦略が必要であり(核武装を含む)、それもしないというなら、岡本氏が以前に表現したように「お前の顔をみたくない、と奥さんを家から追い出して、『病気になったら看病に来い』と命じるようなものです」という自分勝手な国を目指していることになる。

しかし、民主党にも、日米同盟の重要性を認識している議員はいるし、自民党という野党も誕生した。

自民党はどうか男らしい野党になって、賛成できることには積極的に協力し、国のためにならないと思えば、断固として反対を貫いてほしい。国民の理解を得るための丁寧な説明も必要だ。

そしてなにより大事なことは、国民がしっかりと与野党の議論を見つめて冷静な判断を下すことだ。

この日本という国の豊かさと平和はいったい何によって保たれているのか、そのおおまかな構図ぐらいは、いかに政治に関心がない人でも知っておくべきだと思うのである。

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