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2009年9月16日 (水)

何より命が大事

野党が与党に変わるとなると、気楽だった立場から一転、激しい批判を浴びながら政権運営をやっていくことになります。

新聞やテレビは連日、民主党政権に対する不安や不満を報道しますし、週刊誌の広告などでも、連立の党首たちに対する意地悪な見出しを目にします。

まあそれは与党だから仕方がないことで、自民党は今までそうやって批判をされながら政治をやっていたわけです。

 

産経新聞の≪【新・民主党解剖】第1部 海図なき船出(1)無視できぬ「小沢」≫という記事を読んで、面白いなあ、と思いました。

小沢さんとの二重権力構造に興味はないので全部は読まなかったんですが、笑ったのは最後の数行です。

≪少子化・男女共同参画担当相などに起用される社民党の福島瑞穂党首は同日午後、「土井ママ」と呼ぶ土井たか子元衆院議長から電話を受けた。

 福島氏「体を張って頑張ります」

 土井氏「体なんか張ったらダメよ。体を大事にして頑張って」

 鳩山連立政権の実像と方向性が、徐々に明らかになってきた。≫

 

 

「体のほうが大事。政治に命なんか賭けちゃダメ」ってことですね。

2年前、倒れる直前までなんとか続けようと頑張った安倍さんへの「死ぬまでやれ」と言わんばかりの野党やマスコミの攻撃を思い出してしまいました。 →    http://robita-48.cocolog-nifty.com/blog/2007/09/post_ebc6.html 
お気の毒に、倒れなかったばかりに、「途中で放り出した」といまだに言われ続けておられます。


     福島さんは首相じゃないから気楽でしょうけど →人気ブログランキング 

 

 

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コメント

2年前の記事を拝見し、改めてその通りだ(った)なあと感服しました。

日記方式のブログの最大の利点は、クリック1つで「過去の現在」に飛べることかも知れませんね。

投稿: 某Y.ike | 2009年9月17日 (木) 01時01分

福島さんの話としてどこか(多分朝日)で読んだエピソード一つ。
お嬢さんが高校(?)卒業した頃
「娘に、『これで私も子育てを卒業した』と言ったら、娘が、『入学もしなかったくせに』といわれてしまった(笑)」と。
頑張り屋の福島さんは、仕事優先だったのでしょうね。
でも、お嬢さんの返答の冴えを話題にして、聡明さ自慢なのか知ら?(笑)。
頑張らなくてもいいから、といっても頑張ってしまうタイプでしょうね。

投稿: 街中の案山子 | 2009年9月17日 (木) 07時40分

★某.ikeさん、

>クリック1つで「過去の現在」に飛べる<

ほんとにそうですね。
ブログ名とキーワードを入れれば、どこに書いてあったか忘れた文章も出てきます。
それで、現在起こっていることと照らし合わせることも容易なわけです。

投稿: robita | 2009年9月17日 (木) 11時10分

★街中の案山子さん、

福島さんの良いところは、こういうことをあっけらかんと自分から言っちゃうところなんですよね。
前に話題にした「ハウスクリーニングを頼む前に家をお掃除しなくちゃならないほどうちは汚い」というのもそうですし。
というか、こういったことは仕事をする母として主婦としてちっとも恥ずかしいことではない、という信念がおありになるのでしょう。

>頑張らなくてもいいから、といっても頑張ってしまうタイプでしょうね。<

そう思います。
仕事に全力を尽くす人だから、今度の少子化担当も期待していいのではないかと思います。
きっと、女性が子供を産みやすい環境を整えることに全力を尽くしてくださると信じます。

投稿: robita | 2009年9月17日 (木) 11時15分

横道ですが。
「少子化」が出てきたので。
先日出会ったブログ記事に「増子化対策」とありました。
子供を増やすための対策?としての言い回しかと思ったのですが、違いました。
現在は、子供が増え過ぎたので、産まれなくなってきているのだという発想です。
年をとっても子供、という人がいっぱいで、人類の知恵として、バランスをとろうとしているのでは、ということ。
「内田樹の研究室」というブログの最近の記事です。
ちなみに、内田氏は神戸女学院の教授で、多くの出版物もある先生です。
この記事によると、日本の少子化改善は、そう簡単には改善されないのでは、と思われます。

投稿: 街中の案山子 | 2009年9月17日 (木) 12時43分

★街中の案山子さん、

「増子化」の記事、行って読んできました。

≪人間たちがほんとうに「親族を形成したくない」と思い始めたら、それはもう人間集団である条件を失っている。
何かうごめいているものがそこにいたとしても、それもう人間ではない。
だから、今起きているのは、「親族を形成したくない」という集団解体めざす流れではなく、「子供の数を減らす」ことが集団の維持にとって必要だという判断に基づいた行動である。
私はそう理解している。
親族形成が「したい」という人はするし、「したくない」という人はしない。
一見すると、それぞれの人の自由意思の結果のようであるけれど、親族形成が類的宿命である以上、それに逆らう行動をとることには、個人の意思を超えた強い規制力が働いていると考えなければならない。
≫(内田樹の研究室「増子化」より抜粋)

年寄りが増え続ける(長寿社会)のであれば、子供のほうを増えないようにする規制が必要だということで、結婚しない、子供を産まない、というのは人口調節機能が働いているのではないかと考えたこともあります。

で、続きを記事にします。

投稿: robita | 2009年9月18日 (金) 15時18分

不親切な紹介だったのに、沢山の記事をお読みになられた様子、紹介者としては、嬉しいです。
ここ何年来、時々おじゃまして読んできました。

私は、気まぐれな時間しかブログに割いていないので、いつも走り書き文章ばかりですが、robitaさんのじっくり本腰文章には、感心します。

「少子化」記事ですが、今の日本、むしろ年をとった子供が増えているので、新たに生まれる子供が、おのずと調整される局面なのだという、意味もありませんでしたっけ?

経済的豊かさは、人を一人前に育て上げるのに時間がかかるようになり、大人になりきらない人たちが、かつてに比べ数多くいることも、種としてのヒトの性質なのではないでしょうか。だから貧しいときがよかった、ではなく、私たちは、今の社会で、子供を一人前に育てていく技能を獲得していくより方法はないのでしょうけれどもね。

投稿: 街中の案山子 | 2009年9月20日 (日) 11時30分

★街中の案山子さん、

私は同じようなことを何度も書いてきたので、内田さんのような記事を読むとすぐに文章が浮かんできます。
頭に浮かんだ文章をだらだらと羅列しているだけなのですが、じっくり本腰を入れて推敲を重ねれば、もっと簡潔ですっきりとした文章に仕上げられるのかなと思うのですが。

>「少子化」記事ですが、今の日本、むしろ年をとった子供が増えているので、新たに生まれる子供が、おのずと調整される局面なのだという、意味もありませんでしたっけ?<

はい、そうですね。次のような記述があります。記事本文に「増子化」のリンクがないので貼り付けます。http://blog.tatsuru.com/2009/09/13_1040.php"

≪資本主義というのは、その本性からして、すべての労働者とすべての消費者の均質化・標準化を要求する。≫
≪みんなそっくりの個体が地上を覆い尽くすのがグローバル資本主義の理想郷である。≫

内田さんは、「男女差、年齢差がなくなり、人間が均一化された」、「それがグローバル資本主義のなれの果てである」と仰っているのだと思います。
で、「年齢差」については次のような論旨になるわけです。

≪「外側は中高年だが、頭の中は子供」を今さら「大人」にするにはコストがかかりすぎる。
だから、生物学的な意味での子供を減らすことにして、出生数を抑制したのである。
子供の数が減ったのは、子供の数が増えすぎたからである。≫

そしてこれは、地球上の資源は今のまま人口が増え続けると枯渇が早くなるので、人口は増える必要がない、という前提のもとでの考えだと思います。

つまり、「日本はもっとコンパクトになるべきだし、子供の数も減らさなければならない」ということだと思います。

私としては、以前、「農役」という記事にも書いたのですが、学齢をもっと長くしてもいいのではないかと思っています。
今の人間は成長が遅いというのであれば、もっと長く学校にいればいいのではないかと思います。ゆっくり学べますよね。
問題はコストです。子供の教育にお金をかけるより、自分たちの生活をなんとかしてくれ、というのが民意だと思いますので、そういうことは実現しないでしょう。
あるいは、教育でなく、他に「大人になる」方法はあるでしょうが、難しいでしょうね。

投稿: robita | 2009年9月21日 (月) 10時48分

学齢をもっと長く、には賛成しかねます。
昨今、新聞に大学院の広告が目白押しです。
大学4年のあと、さらに学生として授業料を支払ってくれる消費者を手放したくない、そんな風にすら思えます。
そして、大学の先生ばかりがやたらに増えて、でも実態は、安上がりな非常勤講師で間に合わせたり・・・。
いつまでも大学に留まっていても、それは大人になることと別物だと思うのです。
もっと、吸収力の盛んなときに、専門的職場で、その分野の仕事に就くと、それなりのエキスパートになれるのではないでしょうか。昨今は大学院に行っているといっても、就職難だから?という推定が働いたりして、実際の世の中もその流れだと思いますが。

投稿: 街中の案山子 | 2009年9月22日 (火) 07時43分

★街中の案山子さん、

教育が商売になっている現状のまま学齢を長くするのはたしかに良くないと思いますが、人間の寿命が長くなり、なかなか成熟せず、充分なことを学ばないまま学業を終えるのが問題であるならば、そういうことも考えてもいいのではないかと思った次第です。受験用テクニックを短い期間に詰め込むのでなく、もっとゆっくり醸成するような教育ができないものかと思うのです。

>いつまでも大学に留まっていても、それは大人になることと別物だと思うのです。<

私が想定するのは小中高の段階でのことなのですが。

>もっと、吸収力の盛んなときに、専門的職場で、その分野の仕事に就くと、それなりのエキスパートになれるのではないでしょうか<

こういうことも、もちろん「大人になる方法」ではありますね。
丁稚奉公で鍛えた昔など、きっと早く大人になったでしょうね。

投稿: robita | 2009年9月22日 (火) 10時44分

自分の経験しか勝手が分からないので、一般論にしていいか分かりませんが、50年ほど前の日本の小学校、中学校で教わったこと、結構充実していたような記憶があります。
質素な中で、授業に工夫が凝らされ、充分教わったように思います。
学習塾が横行する以前の方が、学ばせることにポイントがあり、どれだけ習得したかが、試験、テストというニュアンスでした。昨今は、テストで高得点を取ることが、よく学んだ、ということになっているように思います。
だから、現状の教育環境にいる時間を長くしても、薄まるだけで、充実ではないと思うのです。
現場の先生事態が塾育ちになってしまって、高得点をとらせることが成果が出たこと、という平面的な計り方が横行しているように思えます。
で、対策は?
少人数教育、と先生に有能な人材を。
これに尽きます。
いかがでしょう。

投稿: 街中の案山子 | 2009年9月24日 (木) 07時41分

★街中の案山子さん、

>現状の教育環境にいる時間を長くしても、薄まるだけで、充実ではないと思うのです。<

そうかもしれませんねえ。

>50年ほど前の日本の小学校、中学校で教わったこと、結構充実していたような記憶があります。<

同感です。そんな一例を「ビオトープ」という記事で書いたことがあります。 
仰るように「少人数教育、と先生に有能な人材を」が大事だと思います。
でも、私たちの頃、一クラスに50人も60人もいて、何故「質素な中で、授業に工夫が凝らされ、充分教わる」ことが可能だったのでしょうか。
貧しい中でみんながそれぞれの本分に徹していた(余計な領域に手を伸ばす発想がなかった)、としか言いようがないですね。

投稿: robita | 2009年9月24日 (木) 09時46分

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