妬まず欲張らず
鳩山総理大臣の所信表明演説を聞きました。
とにかく長かった。議場でじっと座って聞いている人々にとっては難行苦行だったのではないでしょうか。
もう少しコンパクトにまとめられなかったものか。
あれもやりたいこれもやりたい、という意気込みゆえなのでしょうが、「冗長」の印象は免れないし、語られた二つのエピソードも感傷的で、首相の人柄を表すものだとは思いますが、弟の鳩山邦夫氏が評したように乙女チックでわざとらしい。私は全然心を動かされませんでした。
まあ、それはともかく、私は、みんなが幸せな友愛社会、大賛成です。
大賛成だけれども、それを実現するための長く辛い道のりを、鳩山演説に感激した人たちは本当に覚悟しているんでしょうか。
まず、地域社会や家庭の健全化や再構築が不可欠となりますが、これは政治でどうにかなるものではありません。
国民はまず、自らを律する気持ちを持たなければならない。
ある種のストイシズムが求められると考えます。
それはどういうことかというと;
ある程度の収入があれば(節約に努めながら慎ましく暮らせるだけの最低限の収入さえあれば)、幸せになれるもなれないも、全て自分の心が決めることだ、ということに他なりません。
みんなが思いやりの心で助け合い、支え合い、愛し合えば、お金などなくても幸せになれる。ぜいたくを言ってはいけない、欲望は抑えなければならない、という戒めであります。
もうそんなに欲ばるな。自分に少しでも余裕があれば、たとえ税金を多く取られても、それが貧しい人に分配されるのならば満足という度量の大きい人間になれ。という人道の勧めであります。
これはまことに正しい。共生のためには人間はこうでなくてはなりません。
鳩山さんは、「経済のしくみを変えるのだ」「人間のための経済に転換するのだ」と言っています。
「もうそんなに大きな経済成長がなくてもいい」ということ、つまり経済の量ではなく中身だと言っているのだと思います。
非常に正しい。
この方向に持っていくには、まず政治が着手しなければいけないこともありますし、同時に国民も心を入れ替えなければなりません。
政治は今すぐにでも新しい産業創出に取り掛からなければいけませんし、国民もうわついた生活に決別しなければなりません。
その新しい経済構造への変革には相当な覚悟が必要になると思われます。
国民は欲望を抑えることに耐えられるでしょうか。
しかもその過程で、日本だけ世界経済の中で沈んでしまう時期があるかもしれない。だって世界はとにもかくにも景気回復と経済成長を目指しているのだから。
法政大学の田中優子教授は江戸時代に思いを馳せ、このような記事を書かれます。 →≪【ちょっと江戸まで】法政大学教授・田中優子 今こそ「縮小の時代」を≫
首都大学の宮台真司教授なども「もう経済は成長しなくていい」と仰います。→「頓痴気」
私は61年生きてきましたから、人間の欲望は留まるところを知らないのを観察してきたつもりです。
人間は昔からずうっと欲望をふくらませながら発展してきました。
小泉・竹中のせいで世の中に欲望が満ち溢れたなんて言い方をする人がいますが、そういうことではないと思います。
たしかに、このたびの世界経済危機は、金融工学を駆使して複雑な金融商品を編み出した人々、それに乗って儲けようとした欲望の突出した人々による失敗だと思います。
でも、ほとんどの人はそのトバッチリを受けただけで、ごく普通の欲望を持っていただけだと思います。
人間はごく普通の欲望は誰でも持っているものだと思います。
資金があれば少しでも増やしたい。これだけの生活ができるようになったので更にこういうことを目指したい。また、自分が努力して得たお金や時間を見も知らない人に分け与えるのはいやだ。
普通の人が持っている欲望というのは、そういうごく普通の希望や所有欲だと思います。
そういう欲望というものは時の経過とともに膨らんでいくものなのです。
江戸時代の縮小経済の良さというのもわからないではないですが、今の時代にそれができない決定的な理由は、自由と民主主義なのではないでしょうか。
江戸時代には「分相応」という価値観がありました。厳然たる身分社会で、それぞれの分をわきまえていた。
今のように情報もなかった。
だから、与えられた環境に順応して生きていくしかなかったでしょうし、自分たちが縛られているという自覚すらなかったのではないでしょうか。
身分制度が社会のバランスをとっていたと思います。
しかし日本人が国際社会に漕ぎ出し、情報を得、西欧型民主主義を手に入れてから、欲望は加速し続けてきました。
さらに個人の自由が至高の価値だと信じられるようになった戦後は人々はさまざまな垣根を越えてさらに飛び回るようになりました。
個人主義には無論、良い面と悪い面があります。
江戸時代がのんびりしていて良かった、という憧れの気持ちは充分わかりますが、時代精神や人々の気持ちというものが決定的に違う。これだけは確かです。
私個人は、田中教授の言う「縮小社会には、それに合った技術や循環システムや仕事がある」ということ、つまり新しい産業とその雇用の創出には大賛成です。
鳩山首相も同じ考えでしょう。
しかし、そのために最も必要なのが「教育」であり、「自律心」と「痛みに耐える我慢強さ」なのですが、鳩山演説にはそれが一言もありませんでした。
思うのですが、日本の貧困率が高いといえども、やっぱり日本人は楽をしているのではないでしょうか。
困っているのかそうでもないのか、なんだか人としての姿勢がとてもちぐはぐな感じがするのです。
子供たちを見ればわかります。
テレビゲームや携帯電話に時間を浪費し、繁華街をうろつき、余った時間を塾で過ごして穴埋めする。
で、貧困家庭では塾に行かせるカネがない、などと言う。
なんかすごくヘンじゃないですか。
鳩山さんや田中教授や宮台教授は、「経済の成長でなく、生き方で幸福感を感じなければいけない」と力説なさいます。
そりゃあそうですよ。そう言うみなさんお金に困ってらっしゃらないし、鳩山さんの奥様なんかブランド品をいくらでも買えるし、いろいろな揉め事も易々とお金で解決できるし、余裕があるから「友愛」などという美しい言葉をノンキに連発できるんですよ・・・・・あ、いけない、金持ちへの妬みがつい出てしまった。こういう汚い心がいけないんですよね。こういう邪心を抑え込んで、分相応に、自分のやるべきことを粛々とやり、助け合いながらつましく暮らす、それが友愛社会なのでした。
そうです。理想は実現するためにあるんです。
日本人が、鳩山首相の言う価値観を共有し理想を実現するための方法はただひとつ、「教育」です。
鳩山独裁政治でぜひそれをやっていただきたい。独裁政権ならではの強権を発揮して。
所信表明演説だけで国民が心を入れ替えるとはとても思えませんから。
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江戸時代的価値観は日教組には受け入れられるんでしょうか →
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