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2009年10月21日 (水)

妻をめとらば

内田樹さんの記事です。→「配偶者の条件」

なんたる屁理屈!と笑い飛ばすも、次の瞬間「そうだよねえ。正論だ」と納得するのです。

 

条件に合致する配偶者選びは間違っていて、収入が低くても、ブサイクでも、「たった一人の自分だけの人」を探すのが一番良いのだと、結局はそういうことになりますか。

 

「そういう人を探すのが一番難しいのよ」と、はるか昔、花嫁修業中におばさまがたに言われましたっけ。

 

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コメント

内田先生の記事、面白く読ませていただきました。
この屁理屈ですが、たしかに「自分が選ぶ」だけなら、それは成立しそうです。
しかしながら、現実はすべての人が「選ぶ」と同時に「選ばれる」立場でもありますので、いくら自分だけが「隠れた魅力に気づいて」も、相手も自分の魅力に気づいてくれなければいけないわけです。
そうしますと、滅多に他人に気づかれない魅力を双方が発見できる確率は天文学的に低く、より広く魅力に気づかれやすい人同士ほど、恋愛の成立する確率が上がります。これは双方に言えるので、その格差は等比級数ではなく幾何級数的になるはずです。
現在のように自由恋愛を前提とした配偶者選びであれば、この差はそのまま配偶者選択の機会の差といえます。
残念ながら、内田先生のおっしゃるような乱数によって等しく機会があるわけでなく、むしろ、魅力の発見率という要因を考慮に入れると、むしろ格差は非常に大きいといわねばなりません。。。

などということを真剣に考えているようでは、私の魅力に気づいてくれる女性が見つからないのもむべなるかな、、、ということですなあ(泣)

投稿: single40 | 2009年10月22日 (木) 17時35分

★single40さん、

>魅力の発見率という要因を考慮に入れると、むしろ格差は非常に大きいといわねばなりません<

だから、昔から「条件」をつけた「お見合い」という合理的な手段があったというのに・・・、結局は話は振り出しに戻ることに内田先生は気づいておられるのかおられないのか(笑)

>私の魅力に気づいてくれる女性が見つからないのもむべなるかな、、、ということですなあ(泣)<

いやいや、逆でしょう。

投稿: robita | 2009年10月23日 (金) 10時30分

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