めんどくさい女
男の人って、元々そういう性質を持っているのか、ちまちまと節約するのが不得意です。
不況の折柄、お小遣いをやりくりする、というようなことはやらざるを得なくて、昼食代、飲み代、その他種々の購入などは自制に努めているかもしれませんが、家の中のこまごまとした事柄、例えば電気水道ガスなどについては割合大雑把です。
もっとも、本当に困っている人は、そういうことにも細かく気を遣っているかもしれません。
しかし、そういう男たちも少し生活に余裕が出てくると、おそらく細かい節約はしなくなるでしょう。
ところが、女性というのはだいたいにおいて、余裕があろうがなかろうが細かい節約をするものです。
久田恵さんのエッセイです。→【家族がいてもいなくても】 「出しっぱなしにめまいが」
うんうん、同感。「私一人だったらもっと効率よく節約できるのに」。細かく節約に努めて、浮いたお金でどーんと楽しむほうが利巧。妻はそう考えます。
「男が私の足を引っ張るのよ。男ってどうしてこういうことがわからないのかしら」
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妻たちの不満は、夫が小さな節約に協力してくれないことだけではありません。
夫と旅行しても全然面白くない、と言って、妻は気の置けない女友達と出かけるほうを好む傾向があります。
一緒に出かけても夫はぜんぜん空気が読めなくて、こちらが気を遣うばかりで全然楽しくない、と妻たちは言います。
同感同感。
例えば、以前「大人の社会科見学」に娘も交えて3人で行った時のことなんですが、最後の東京タワー見学が終わってツアー解散し、タワーの外の道路に出るなり、夫は手を挙げてタクシーをとめてしまいました。「これで渋谷まで出たほうが早いんだよ」とせっかちに自分だけで決めてしまうのです。
夜の7時を過ぎていましたのでライトアップされた東京タワーが夜空に美しく映え、「あれをバックにして写真撮りたかったのに」と娘は小声で不満を私に洩らしました。
なんか、余韻を楽しむってことをしないというのか、夫と出かけるとこんなことになるのはしょっちゅうで、私はもうある程度慣れましたけど、娘は憤慨します。
夫は自分勝手だ。空気が読めない。会話ができない。趣味もなくてつまらない。趣味があっても自分だけのもので一緒に楽しめない。
夫は妻の気持ちをわかってくれない。
よくわかる。
わかるけど、それじゃあ、夫が心を入れ替え、妻の望みどおりに気を遣うようになり、「これでいいだろうか。これで妻は満足するだろうか」と、常に妻の顔色を窺うように行動してくれれば妻は満足するのだろうか、と言えば、そんなことはないのではないかと思います。
「ああもう、そんなに卑屈になることじゃなくってぇ、要するに少し気を遣ってくれればいいのよ。それぐらいできるでしょ」、妻はそう思うでしょう。
でも、たぶん、それもこれも、「女だからこそ」の発想なのです。
「もう少し気を遣って」というのは、「私のように(女のように)なってくれ」、と要求することに他ならないのではないでしょうか。
「女のメンタリティを持ってくれ」というのは、考えてみるとなんと傲慢な要求でしょう。
要するに、みんなが女になれば世の中はうまくいく、そのような主張に思えるのです。
しかしその傲慢さは、今となっては「傲慢」でもなんでもなく、この男女共同参画社会では、後戻りできないほどに当たり前の現象になってしまい、男性特有のメンタリティを堅持することがだんだんと難しくなってきています。
男だけのものだった遊びの領域に女もずかずか入り込むようになってからは、男のルールで、というわけにもいかなくなり、「男の文化」も廃れてまいります。
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昔、「金曜日の妻たちへ」という大ヒットテレビドラマがありました。
女子校時代からの4人の仲良しグループがそれぞれの家庭を持ったあとも近所に住み、週末にメンバーの家に集まっては飲んだり喋ったり「家族ぐるみのつきあい」を楽しむ、という設定でした。
欧米的というのでしょうか、こんなライフスタイルを私も「なんて素敵なんでしょう」と思ったものです。
みんなで集えば共通の話題で盛り上がり、女性だけが台所で奮闘ということもなく、立ち働くのは男女平等。男女同権。
しかし、男は本心ではこういう付き合いがとてもめんどくさいのではないか。もちろん、そういうのを楽しむ人もいるでしょうが、「妻が喜ぶなら」と、実はちょっと無理をして付き合っている夫も多いのではないかと思います。
この頃、「めんどくさい女」に疲れる男が多いという話を聞きます。
「めんどくさい女」というのは、「自分で何もしないで人に頼ってばかりの世話のやける女」ではなく、その反対で、活動的で趣味も多く、それを男にも付き合わせる女のことだそうです。
つまり、「私と同じようにやりなさいよ」というめんどくさい女。
節約に心がけてとか、もっと気を遣ってとか、一緒に趣味を楽しみましょうとか、地域活動やりましょうとか、そういった奨励の数々は家庭のためにも社会のためにも男性自身のためにもなることではあるのですが、そして、しばらく男はその注文通りやってきたのですが、ここにきて、疲れがどっと出てきたんじゃないでしょうかねえ。
こういうことが晩婚化非婚化の原因の一つでもあるような気がします。
注文の多い女と一緒に暮らすくらいならいっそのこと一人のほうが気楽、なんて。
だけれども、流れを元に戻すことなどできません。
女が我慢して、男のやりたいようにさせるなんて、そんな非民主的なことできますものか。
社会の要求に抗いきれず滅びていく文化なんて珍しくありません。
男の文化だって滅びていくんです。女の介在を許さぬ男の世界、光り輝いていたあの数々の男の文化だって。
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もちろん、不況や世界的資源の枯渇などを考えれば、男も女もなく節約に励まなければならないし、家庭や社会の調和のためには男にも細やかな気遣いが求められます。仕事も遊びも男女共同参画社会。
だけど、男がみんな女性にならってそれらを忠実に実行するようになると、男というもの、根底から変わっていくんじゃないでしょうかねえ。すでに変化は始まっているとは思いますが。
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「こんなに涼しいのになんでエアコンつけるのよ」「ティッシュを一度にシュッシュッ何枚も出さないで」「そんな無駄なもの買って。もったいないでしょ」「なんで人の話聞かないの」「テレビばっかり見てないで」「もっとご近所づきあいしないと」「そんなにせかせか歩かなくたって。急ぐ旅じゃあるまいし」「そっちじゃなくてこっち」「あれじゃなくてこれ」「ああしなさいこうしなさい」
要望や指図を羅列すればこんな口うるさい女房によって、男はうんざりするか、女性化するか、思い通りの男に変貌するのか。
いやいや、口うるさいのは妻の専売特許で、大昔から男たちはそれを容認し、それでもなお一家の稼ぎ頭として一応は君臨していたに違いない。
「ま、男はしっかり稼いできてくれりゃあそれでいいんじゃない」。
知的かつ進歩的な女性諸君が聞いたら卒倒しそうな思想で、数々の文句を洗い流す。それも案外悪くないか。いや、もしかしたら幸せの真髄かも。こういうの「昔風の妻」っていうんだろうかねえ。
そんなこんなで夫婦やっとります。
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コメント
う~ん、この話、男と女、夫と妻を入れ替えても成立する話ではないでしょうか。
特に「女が我慢して、男のやりたいようにさせる」ことが非民主的であるのと同様、「男が我慢して、女のやりたいようにさせる」ことだって非民主的なのでは?
投稿: かせっち | 2009年10月10日 (土) 19時32分
robitaさんが言われることも、ごもっとも。
かせっちさんの言われることも、ごもっとも。
大きな流れはあるかもしれませんが、
全部が全部そうなることはない、と勝手に思っています。
「片方だけが我が儘を言いっぱなし」
なんてことはなく、
「ほどほど」
でバランスとっていくのではないでしょうか?
投稿: さじった | 2009年10月10日 (土) 21時21分
夫のお給料が銀行振り込みになって、その通帳を妻が管理しているケース、ですよね。robitaさん。
きっと専業主婦家庭では多勢なのでしょう。
汗水流し、ストレスを溜めたりもしながらの対価であるお給料をすっかり妻に任せて、アレコレ言われる日本の多勢の夫氏って、優しいですよねー。
投稿: 街中の案山子 | 2009年10月11日 (日) 09時21分
★かせっちさん、
仰る通りで、私は「男は辛い」を表現したつもりなんですけどね。今まで書いてきたように。
>女が我慢して、男のやりたいようにさせるなんて、そんな非民主的なことできますものか<
↑
これは、知的で進歩的な女性の言を代弁したものでありまして・・・
投稿: robita | 2009年10月12日 (月) 09時12分
★さじったさん、
『「ほどほど」でバランスをとる』のは、大抵の場合良いことではあるのですが、事柄によっては、はなはだしく安定性を損なうものだと私は思ってるんですよ。
だから、「民主主義はもうやめろ」なんて言う人が出てくるんです。長くなるので説明はしませんが。
しかしやっぱり、人間社会はさじったさんの仰るように「大きな流れはあるかもしれませんが、全部が全部そうなることはない。ほどほどでバランスをとる」というところに落ち着くしかないのだと思います。みんなが幸せになるのは難しい。
投稿: robita | 2009年10月12日 (月) 09時16分
★街中の案山子さん、
>夫のお給料が銀行振り込みになって、その通帳を妻が管理しているケース、ですよね<
共働き家庭って、光熱費など夫婦別立てになってるんですか。まさか。
女って専業主婦とか共働きにかかわらず、男に比べて細かい節約したがるし口うるさいんじゃないかと思ってたんですけど。
私は稼いでくれる主人に感謝の念を忘れず、三歩下がって夫を立て、従って子供たちも幼い頃から父を家長と仰いできました。できた妻ざんしょ?
家族のために汗と涙を流しながら懸命に働いてくれる夫にねぎらいの気持ちすらなく不満ばかりぶつける妻って最悪じゃないですか。
そういう妻、専業主婦に多いんですか。
案山子さんの仰る通りだとしたら、専業主婦が良く思われないのも納得がいきます。
そこで、愚かな専業主婦に告ぐーっ。
あなた方が専業主婦でいられるのもご主人の頑張りのおかげと心得、常に感謝の気持ちを忘れず、たまには「あなた、いつもご苦労さま」なる言葉を発し、肩など揉んでさしあげなさい。
さすれば、男たるもの全身に力がみなぎり、さらなる奮起が期待できましょう。
投稿: robita | 2009年10月12日 (月) 09時22分
そんな感じにジメジメとうるさい妻なんで、僕は年内には離婚しようと思ってます。
もう我慢できません。
投稿: こへ | 2009年10月13日 (火) 09時30分
生活はそれぞれの生き方の条件でありその共用部分以外は干渉できないと思います。共用部分ではお互いに役割を果たせばいいのです。共用部分以外は名前のない自分になり自由になりましょう
投稿: おきナワ子 | 2009年10月13日 (火) 11時03分
★こへさん、
はじめまして。
一番いいのは文句言わせないほど稼ぐことなんですが、それができないとなると、やっぱり「話し合い」ですかね。
国同士の紛争だって「話し合い」で解決できると言う人もいるくらいですから、夫婦間の問題なんかなおさら「話し合い」でなんとかなるのでは。
でも、女が口うるさいのも、男が自分勝手なのも古今東西変わらないし、昔からお互いにそれでなんとかやってきたんですよね。
なんとかできなくなって離婚が増えたのは、女の自立ってことで・・・・、ありきたりの結論ですね(笑)
投稿: robita | 2009年10月13日 (火) 16時54分
★おきナワ子さん、
はじめまして。
>共用部分ではお互いに役割を果たせばいいのです<
言うは易しで、その合意ができないからきっとみなさん悩んでおられるんでしょう。
結婚が長くなると話し合いも合意も、戦争なんかよりもっと難しくなるんでしょうかねえ。
投稿: robita | 2009年10月13日 (火) 16時55分
こんにちは。
これは時代の流れなのでしょうか、それとも男と女の普遍の原理なのでしょうか。
男の短所はひっくり返せば長所なはずで、それが受け入れられなくなった。女も同様、だとすると、やはりここは時代の流れでしょうか。
昔の女性が慎ましやかで、今の女性がそうでないというのは、私には検証できないことなのでなんとも言えませんが。
結局思うのは、相手に対する思いやりの欠如なのかなという事です。男と女どっちが悪いではなくて相手を思いやる気持ちがお互いに育っていない、ということではないかと。
ありのままを受け入れて今の幸福に感謝する、というのはちょっと宗教的な思想で、今の日本人にそぐわない感じがしませんか。こんな事言ったら「ごまかされるなっ」って声が聞こえてくるようです。
でも結局幸せなんて気の持ちようだと思うのですよね。
幼い頃からいい学校いい会社とせきたてられて育てば、より良い相手、より豊かな暮らし、その先にしか幸せはないように感じてしまっても仕方ないかも。そういう感情の中にいると、相手にも求める事ばかりになっていってしまう。
結果を出さねばならないという使命感は、結婚生活にも影響を及ぼす気がします。
話は変わりますが、私の育つ環境の中にいた3組の夫婦、多種多様で、ひとくくりにできる部分なんてありませんでした。
伯母は夫が職場で結婚指輪を外していたことに激怒し、庭に指輪を投げ捨て、見つかるまで帰ってくるなと言い放つほど気の強い人でしたし、叔母は面倒くさがりで、家の中はいつもひっちゃかめっちゃか。お金はあればあるだけ使ってしまうので、夫が財布の紐を握っていました。
わが母は、姑の陰湿ないびりに耐え忍び、夫の要求をすべてかなえるべく完璧な嫁たろうとしていましたが、娘の私に毎日愚痴をこぼし、家庭の中でも本心をさらしてはいけないと教えてくれました。
やっぱり、男が、女がって話はナンセンスだって思っちゃいます。生理学的に、って部分は確かにあると思いますが、今昔の男性に見られる性格的な特徴が、育った環境から形作られていないとは言い切れないと思いませんか。
こうあるべきと育てられたり、女の子より大事に育てられる嫡男が勘違いして傲慢に育っているだけ、とかってことはないでしょうか。男は我儘でも社会が許してきたから矯正されなかっただけ、女が我儘だと許されない社会だっただけ。
だとすると社会の価値観が変わったから、で、なんだrobitaさんとおんなじこと言ってるじゃーん。
でもそれって本当に「あるべき姿」が崩れたの?と思うわけです。もしかしたら「あるべき姿」に近づいているのかも知れないじゃないですか。
ちょうど良い加減に落ち着くまでの過渡期なのかもしれません。進化なのか退化なのか、それは今の私たちにはわかり得ないことなのでしょうね。
それでもやっぱりお互いに感謝して暮らすというのが一番幸せに近いんじゃないかと思うわけで、双方の努力が必要なのです。
夫と同じくらい仕事をしなきゃ食べていけないのに、子供の面倒も家事も地域の事も何にもしない夫に語調が強くなるのは仕方ない事だし、それを攻めるのは可哀想だなあって思ってしまうのですが…
投稿: haru | 2009年10月17日 (土) 10時50分
★haruさん、
思いやりは人間としての基本であって、性差以前の問題ですよね。
人間関係で大事なのは思いやり、これには誰も異論は唱えないと思います。
その上での男女論なわけです。
男と女には、生態といいますか、性癖といいますか、明らかな違いがあるもので、その違いの面白さをこういう記事にしてみました。
だから別に「あるべき」論を書いているわけではないんです。
でも、「繁殖」のために、人類が進化させてきたこと、つまり、「種の保存に有利な『家族』を形成する」そのために「恋愛のメカニズムを発達させた」、というところから考えると、男女のさまざまな違いは起こるべくして起こった、と私は思っているのですけどね。
「思いやっている」とか「思いやりがない」というのも、多分に主観的なもので、思い込みや思い違いでさまざまな誤解や軋轢が生じるのは人間なら誰でも経験していることだと思います。
で、夫婦関係にも思いやりがもちろん必要なのですが、人間は普通の人ならそんなに冷酷非道ではないはずだと私は思っているので、語気を荒げる前に落ち着いて話し合うことで理解し合えるものではないのでしょうか。
昔と違って、今は誰でもいろいろな情報を手に入れることができます。女性も自由に「意見」を言うことができます。
異星人ほどに話が通じない、なんてことあるのでしょうか。(余談ですが、私の知るかぎり、女性にこのタイプが多いんですよね)
投稿: robita | 2009年10月19日 (月) 10時50分
「違いを違いとして認められるか」
ということでしょうか?(人間としても、男女としても)
今、私なり、周囲なり、仲間内なり、宗教的なり、地域的なり、肌の色なり、
相手が自分と違うことを許せないことが、多くなってきているような気がします。
投稿: さじった | 2009年10月19日 (月) 21時21分
★さじったさん、
>「違いを違いとして認められるか」
ということでしょうか?(人間としても、男女としても)<
そういうことですね。
それでもやっぱり電気ガス水道の無駄遣いは許せない!、というところでしょうか(笑)
>今、私なり、周囲なり、仲間内なり、宗教的なり、地域的なり、肌の色なり、
相手が自分と違うことを許せないことが、多くなってきているような気がします<
そうなんでしょうかねえ。
私の実感としては、昔と比べて人は寛容になってきているんじゃないかと思うんですけどね。グローバル化の一つのあらわれではないかとも思います。
世代の違いかもしれません。私はさじったさんよりもっと昔を経験していますから。
でも、今の時代、特に先進国で人々が感じる息苦しさというのはあるんでしょうね。
自分で自分の首を絞めているような気がします。
昔よりずっと豊かで自由なのに、なんででしょうね。
いろいろな学者先生がたがいろいろな分析してますけど、それらをいちいち読むのも忙しいし疲れるし。
高度な文明がもたらした結果なんでしょうか。
かといってアナログ生活もけっこう忙しいし。
まあ、気の持ちようかなとも思うんですけど。
投稿: robita | 2009年10月20日 (火) 10時11分