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2009年11月 8日 (日)

長寿万歳

「奇跡体験!アンビリーバボー」というTV番組で、元日本兵たちが経験したシベリア抑留生活とその後の感動的な出来事を再現ドラマで見ました。

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第二次世界大戦末期に満州に侵攻してきたソ連軍に捕虜として連行された日本兵が、極寒のシベリアで満足な食事や休養も与えられずに苛烈な労働に従事させられた。
捕虜に与えられるべき食糧は、ソ連兵に横取りされ、一日二回の食事はパサパサの黒パンと実がほとんど入っていない塩味のスープ。

気温が零下40度以下にならなければ作業中止にはならず、厳しい寒さと飢えで多くの抑留者が日本の土を踏むことなく命を落とし、凍土の下に埋められた。

千人ほどの元日本兵が収容されていたある収容所での出来事。
ある日、あまりの寒さと風の強さに栄養失調の体を動かすことが出来なくなった時、かつて日本軍の小隊長であったある班の若きリーダーが「みんなを休ませてやってくれ」とソ連兵に懇願した。
当然のことながら彼らは聞く耳持たず、必死の思いでソ連兵に抗議を試みた小隊長はそのままどこかに連れ去られてしまい、その後彼の姿を二度と見ることはなかった。

数年後、生き残った抑留者たちは帰国を果たしたが、その中の小保茂さんという人が、男気あふれる行動で自分たちを守ってくれた小隊長の消息をずっと気にかけていた。

小保さんからこの話を聞いた知人の大山学さんは、高齢で足が悪い小保さんに代わって国会図書館、靖国神社、厚生労働省など、また抑留者問題に取り組んでいる国会議員を訪ね、さらにはインターネットや地方新聞で問いかけた末、ついに小隊長の消息をつきとめた。小隊長は健在だったのだ。
小保さんも、そしてテレビを見ている視聴者も、おそらくシベリアで亡くなったか、万が一帰国していたとしても、高齢でこの世にはいないだろうと予想していたが、小隊長は90歳を越えて九州の地で生きていた。

そして、二人は感動の再会を果たした。
体と精神を極限まで傷めつけたであろう過酷な経験をしたにも関わらず、二人は元気な姿でお互いの無事を確認し合った。

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遺恨の死。潔い死。呆気ない死。

せめて一目会って感謝の言葉を伝えたかった、何故死んだ、という無念の思い。

恍惚の中に浮遊し、長らえる命。

老いてなお、現役に留まろうとする凄まじいエネルギー。

90歳を越えて「生きてて良かった!」「よくぞ生きていてくださった!」と感動する瞬間。
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高齢者の終末期のありようは、それぞれに意味が深く、後に続く者にありとあらゆる示唆を与えてくれる、人間社会が単に効率の良さだけで成り立つものでないことを教えてくれる、そのように思います。
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コメント

私の父がシベリアから帰って来たから、私は生まれたのです。
母の20代半ばから30代にかけての9年間は戦争に翻弄され、生死不確かな夫を待ちながらの日々であったことを、自分がその年頃の頃は、よく思い浮かべたものでした。

母は90年も生きているから、そのうちの1割ぐらいの月日とも言えるけれど、その強烈な体験を、いつもいつも語りながらの一生です。

投稿: 街中の案山子 | 2009年11月 9日 (月) 17時14分

8年前に亡くなった私の父もシベリアの抑留者でした。
父は帰ってきてから結婚しました。

父は食の細い人間だったので生き延びれたと母から聞かされました。大食漢の兵士のほうがバタバタと倒れて逝ったそうです。
生前、国から抑留者に「金杯」が贈られてきました。それを受け取った父は血圧測定器でも贈ってくれたほうが良かったと言っていました。

厳寒の地で耐え忍び、私へと繋いでくれた尊い命を大切に生きなければと思います。

投稿: そよ風 | 2009年11月 9日 (月) 18時39分

rovitaさんのブログですが
そよ風さんへ

そうですか。あなたのお父様も。
だから、私はシベリア抑留のニュースや書き物には、つい目が行く癖があります。
福井県の舞鶴市に記念館があり、資料の展示がなされています。シベリア抑留者の引き上げ船の乗船名簿も陳列されていますよ。
ラーゲリのジオラマや暮らしぶりも表現されています。
どちらにお住まいか分かりませんが、機会があれば尋ねて見られるのもいかがですか。


投稿: 街中の案山子 | 2009年11月10日 (火) 07時55分

★街中の案山子さん、

>母の20代半ばから30代にかけての9年間は戦争に翻弄され、生死不確かな夫を待ちながらの日々であった<

まさに「不毛地帯」の壱岐の妻と同じですね。
私の父も出征しましたが、病気になり、ずっと陸軍病院に入院していたそうです。
戦争が終わって、2番目からの子供3人が生まれました。

投稿: robita | 2009年11月10日 (火) 10時34分

★そよ風さん、

>8年前に亡くなった私の父もシベリアの抑留者でした。<

そうでしたか。
ここでお二人もいらっしゃるということから、それだけ大勢の日本兵がソ連に囚われていたということだと思います。

>厳寒の地で耐え忍び、私へと繋いでくれた尊い命を大切に生きなければと思います。<

命の尊さの実感というものは、今の時代の子供たちには口でいくら言ってもわからないものかもしれません。
感動的なドキュメンタリーってすごく影響力が強いと思うんですけどね。

投稿: robita | 2009年11月10日 (火) 10時38分

当時のソ連はスターリンが政権の座にあったので、シベリアでは数百万tも言われる人々が強制収用所送りになりました。そこで死んだ人も数知れません。日本人捕虜だけがつらい思いをしたわけではないわけです。

今のロシアでは、この暴虐なスターリンが英雄として祭り上げられ、そうした大衆の感情をプーチンが利用しているのはTB文中の通り。まさに髪とヒゲがあるかないかだけの違いです。

人が希望を見出すのは自らの仕事ばかりではありません。時には指導者にも希望を見出します。「偉大な指導者」の元にある国民として誇りを持つことは両刃の刃です。

彼の国で独裁者がこれほど称えられるようだと、再び日本人の「シベリア捕虜」も出るのでしょうか?れd貴紙は繰り返すとも言います。

投稿: Shah亜歴 | 2009年11月10日 (火) 12時20分

★Shah亜歴さん、

>日本人捕虜だけがつらい思いをしたわけではないわけです。<

ラーゲリの悲惨な状況を描いた文章を読んだことがあります。読むだけで身を切られるような思いがしたものです。
ロシアの人たちがスターリンの大粛清のことを忘れてしまったとは思えませんし、再び日本人がシベリア送りになる事態になるとも思えませんが、ナショナリズムの高まりとともに過去の独裁者を称えるような風潮は傍から見てると奇異なものですね。
「インターナショナル」は大好きです。

投稿: robita | 2009年11月10日 (火) 13時01分

ウチの母の場合を、壱岐正の奥さんとは同じといわれると、異を唱えると思います。
軍人や公務員の家庭、大企業の会社員の家庭(?)も、月給に当たるものが支給されのでしょうが、夫が出征する=無収入、という場合の悲惨さは格別だったのです。乳飲み子と姑を抱えて。

投稿: 街中の案山子 | 2009年11月10日 (火) 15時38分

robitaさんのブログですが
街中の案山子さんへ

私は小沢一郎お膝元の県に住んでおります。(苦笑)
ドラフトで西部に決まった菊池雄星の住む県でもあります。

県内唯一の花巻空港から名古屋への便が廃止されてしまいまして福井は非常に遠いです。
でも、機会があったらぜひその記念館を訪れてみたいです。

投稿: そよ風 | 2009年11月10日 (火) 17時31分

★街中の案山子さん、

>ウチの母の場合を、壱岐正の奥さんとは同じといわれると、異を唱えると思います<

「生死不確かな夫を待ちながらの日々」ということで、「同じ」と単純に表現してしまったのですが、たしかに、特別の待遇を受けていた軍人の家族とは違いますよね。
壱岐の妻役の和久井映見の「夫の生死も定かでない中、子供を育てながら待つ並々ならぬ苦労」の演技についほだされてしまいました。
迂闊なことを書いてしまい、申し訳ありません。

投稿: robita | 2009年11月11日 (水) 09時37分

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受信: 2009年11月10日 (火) 12時04分

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