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2009年12月30日 (水)

皆様良いお年を

作家の渡辺淳一が、週刊新潮連載エッセイ「あとの祭り」で、内閣府の世論調査の質問の仕方を批判している。

先日、内閣府で発表した、世論調査の結果が話題になっている。
「結婚しても必ずしも子どもをもつ必要はないか」との質問に、「賛成」と「どちらかといえば賛成」を合わせて、調査開始以来最高の42.8%に達した、というのである。】

「しかし、子どもはモノではない、必要か必要でないかで持つものではない、男女が愛し合って自然の成り行きで誕生するものである」として、渡辺氏は「この『必要はないか』という問いかけ自体愚かである」と書く。「愚問に流されるな」と仰るのである。

でも、私は愚問だとは思わない。
だって、これは、この国の生活レベルや安全を守るために、国民がより多くの子どもの誕生をどれだけ重要視しているかの意識調査なのではないだろうか。
つまり、自分たちが子どもを産まなければ国の衰退につながるということであり、結局、それは自分たち自身の生活に跳ね返ってくるという社会の構造にどれだけ国民が自覚的であるかという調査だと思うのである。

国の存亡に関わるからこそ、政府は「必要か必要でないか」を聞いているのであり、それは正しい質問の仕方だと私は思う。

政治や経済を論ずる評論家からは、渡辺氏のような情緒に偏った意見は出てこないだろう。

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ところで、子育てへのサポートを謳った「子ども手当て」だが、とてつもない大金をつぎ込む割に、残念ながらあまり効果は出ないのではないかと私は思う。

もちろん、この金を当てにして子どもを産む人もいるだろうし、家計が助かると喜ぶ人もいるだろう。
でも、出生率は微かに上がるぐらいのことはあるかもしれないが、出産ラッシュにつながるとは思えないし、余裕ができてお金を使うようになるとも思えない。
将来の不安から溜め込むだけになってしまうのではないだろうか。果たして生活支援とか景気対策としての効果を発揮するだろうか。
だいいち、財政が心配だ。

生活サポートにあまりお金をつぎ込むより、失業や就職難で働けない人が大量に生まれていることが問題なのだから、雇用を生み出すことが最重要じゃないかと私などは思うのだが。

子どもを増やすことも大事、子育て支援も大事だが、それ以前に、今目の前にある雇用問題を優先的になんとかしたほうがいいのではないかと思う。

お金をバラまいて景気を良くしようとするんじゃなくて、雇用を増やして税収につなげたり、自分で稼いだ金でものを買う喜びを持たせたりするほうが先なんじゃないだろうか。

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昨日、テレビ朝日で池上彰氏解説の「学べるニュース スペシャル」を見た。
テレビタレントたちが発する素朴な質問に池上氏がわかりやすく説明するという番組だ。
最後のほうで、「先進国でデフレ危機に陥っているのは日本だけ」という話になった時、お笑い芸人の土田 晃之が「じゃあ、日本人みんなでお正月に100万円使いましょう、ということにすればデフレは解消されるんですか」と言うと、池上氏は「その通りです。お正月だけじゃなく、貯めこまずお金を使うようにすればデフレは改善されます」と答え、なぜ余裕のある人もお金を遣わないかというと、「それは日本人の気質」ではないかと言った。
つまり、日本では金持ちに対する「ずるい」という感情が強く、お金を使いにくい空気があるというのである。
豪邸に住んで、いいものを着ていいものを食べている人たちに向けられる視線の冷たさが金持ちを萎縮させている、ということだ。
同じことを評論家竹村健一氏も「だいたいやねえ、日本人ちゅうのはやねえ」と昔から盛んに言っていた。

外国では金持ちの生活ぶりを見て「羨ましい。自分も頑張ってああなりたい」と欲望を膨らませるのだが、日本では妬みや不公平感から金持ちを自分たちのほうに引きずり下ろそうとする。みんながみんなそうではないが概してそういう傾向の違いがあるということのようだ。

外食をほとんどしない私も、高級なお店でランチを楽しむ主婦たちを「良いご身分だねえ」などと昔は思っていたものだが、そんなケチくさい視線は国を衰退させるだけだ。

庶民にお金をバラまいてもあまり使わない可能性が高いので、金持ちにお金を使わせる環境整備について考えたほうが早いかもしれない。金持ち優遇だ!なんていう社会主義的根性は、とりあえず胸にしまうのがいい。

こんな時に、「もう経済成長はしなくていい」とか「経済成長がなくても幸せを感じる社会の構築を」とか力説する学者先生がたは、国力というものをいったいどう考えておられるのだろうか。

景気には「人の気持ち」が大きく関わる。
それを考えれば何もかも政治のせいにはできないはずだ。

国民が今持つべき感情は、嫉妬ではなく、寛容の心であり、何でもやってみようという挑戦の心であると思う。

そして政府としては、雇用につながる経済成長戦略と金持ちに金を使わせる作戦、この二つを重点的にやればよかったんじゃないでしょうか。
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2009年12月28日 (月)

学習できたかね?

おもろいやんけ、宮嶋茂樹。

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やっぱり気が触れとったんか…しかも1人や2人やない。わが選良約140人を含む約600人の民主党員がゾロゾロ「北京詣で」しとんのである。チャーター便に巨大リムジン…まさか公費やないやろな。防衛費まで仕分けして、オノレらが公費で行けるわけないからのお。まるで「演歌歌手と行く何とかツアー」やないか? 特典は「コキントウ様」との握手会か。分かっとんの? 相手はわが国の海底資源を盗み、尖閣諸島を奪い取ろうとしている敵の首魁(しゅかい)やで。靖国参拝から教科書の内容までケチつけ、わが国に内政干渉しよるクセに、オノレらは反日教育にありもしない南京大虐殺を国際社会にブチ上げ、わが国の抗議なんか「内政干渉」と聞く耳持ってないムチャクチャな共産党一党独裁国家やで。そんな人と、よう恥ずかしげもなく、行列作って握手しよるなあ。

わが国の首相が国際社会に高らかにうたい上げた通り、「核兵器廃絶」を訴えたんやろな。日本に照準合わせた中距離核ミサイル一発でも廃絶を約束させたんやろうな。CO2 25%削減の最大の“足引っ張り”の中国に大幅削減を約束させたんやろう? まあムリか…これもわれらが選んだ選良や。日米関係より日中関係をわれらが選択したんや。自民党より社民党や国民新党を政権取るにふさわしいとわれらが決めたんや。
 
小沢一郎(幹事長)が「あないな傲慢(ごうまん)な男やったとは知りませんでした」では今さら通らんで。畏(おそ)れ多くも、天皇陛下を“アゴで使える”と国際社会に知らしめてもうた。中国の副主席の方が、皇室より大事なのである。その見返りが「コキントウ」と握手してもらうことやったんやな。その次は尖閣の領有権、いや沖縄本島まで差し上げて、さらには象徴天皇制まで廃止するか…。沖縄が中国領になったら米軍基地がなくなって県民は大喜びや。その代わり人民解放軍の基地になるけどな。あっそうか、これからは中国人に守ってもらうんやな。  →http://sankei.jp.msn.com/politics/situation/091224/stt0912240734000-n1.htm
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「政治理念そっちのけで政局と権力闘争に没頭するあまり、自分でも何が何だかわからなくなっている小沢さん」と、週刊誌に書いてあった。
一方で、美しい理想を語って人々を感動させれば政治はうまくいくと信じていたらしい鳩山さん。

そんな二人だとはじめからわかってたよ、という声があちこちから聞こえてきそうだ。

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2009年12月23日 (水)

埋み火

天皇陛下が人と対面される時のお姿はとても美しく、日本国民として誇らしく思う。
特に多くの外国の要人の方々は陛下よりずっと背が高いのだが、見上げるでもなく、上目使い気味にもならず、また、ご高齢の陛下のお背中の丸みのせいかどうか尊大な感じにもならず、実に自然な態度で向かい合われる。
堂々たる威圧感がある、というのとも違う、生まれながらに具わった気品というのだろうか、やはり常人とはかけはなれた雰囲気を纏っておられる。
皇太子時代には、この方が天皇という地位にうまく収まられるだろうかと、不敬にも私は思っていたのだが、やはり成るべくして成るのが天皇というものかもしれない。

私心を抑え、国民統合の象徴という役割に徹するということは、きっと、自己の精神を丁寧に磨き上げるような作業にちがいない。
言うまでもなく陛下は私たちと同じ生身の人間であられるから、悲しみや怒りその他の感情を持ち、様々なことに心悩まされる経験をお持ちになるのは当然である。
しかし、長い時間をかけてそれらの経験や感情を修復したり磨き上げたりの作業を、禁欲的にこつこつと積み重ねてこられたからこそ、あのような貴人の風格というものが完成されるのだろう。

天皇が国民の安寧を祈り、国民がその天皇の真摯な姿に打たれ敬愛の念を抱く。その相乗作用こそが日本人の精神というものを作り上げてきたのではなかろうか。天皇は我々の思いの善き部分の集合体と考えるのがいいかもしれない。
わざわざそんな意味づけをする必要もないほど、日本人は無意識のうちに天皇の存在意義をそんな風に時代とともにたしかなものに育て上げてきたのだと思う。

中には「いや、私はそんな存在意義など認めない。天皇は京都に帰って農業でもやってればいいのだ」などとのたまう方々もおられるだろう。
その方々は自分を育んでくれた日本社会そのものの特殊性に気づいていないだけだと思う。
私だって若い頃は何も気づいていなかった。年を重ねるうちに、こういうことがわかるようになってきたのだ。
これは思想でもなんでもない。いわば「育ち」である。

仏教もヒンドゥー教もインド哲学も何も知らないが、私は天皇と国民との関係は、ブラフマンとアートマンの関係にちょっと似ているのではないかと思う。
(この世のことを自覚する個々人の意識「アートマン」の集合体がブラフマンという宇宙真理を作り上げている、ということらしい。違うだろうか。何かまうものか。「それは違う」などと言えるほどこの哲学を理解し、凡人にわかるように説明できる人などそんなにいないはずだ。
なんせ、「自分という存在の摩訶不思議」を真から摩訶不思議だと思っている人間自体、稀有な存在のようだから。)

だとしたら、皇室という万世一系の中心線を持つ我々日本人はなんと幸福な国民だろう。
天皇がおわしますからこそ、我々は安心して、クリスマスにクリスチャンになり、仏教徒になって寺の除夜の鐘を聴き、新しい年に神社にお参りして良き年を祈願するのである。
宗教争いに明け暮れ傷つけ合う信仰心厚い人々のなんとお気の毒なことか!

先日、神奈川県の「こどもの国」に天皇ご一家がお出かけになった。
残念ながら愛子様お一人だけ風邪気味でお休みとのことだったが、エコ電車に乗ってにこにこされている天皇家の皆様のご様子に、この暗い世相の中、埋み火のような頼もしい温かさを感じ取った。

埋み火は、消えることのない、また決して絶やしてはならない希望であり情熱なのである。
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2009年12月11日 (金)

先導者は男か女か総理大臣か

山崎豊子原作のTVドラマ「不毛地帯」には、主人公壱岐正を巡る3人の女性が出てきます。
先日、彼女らを演じる3人の女優を一人ずつゲストに招いて語り合う番組を見ました。語り合うといっても、女芸人光浦靖子の論評が軸となっていましたが。

・天海祐希演ずるクラブホステス紅子は意思表示がはっきりしていてわかりやすく好感が持てる。
・和久井映見演ずる壱岐の妻佳子は仕事に没頭する夫に不満一つ言わず家族の平安を保とうとする芯の強い控えめな専業主婦。壱岐が仕事上で心置きなく力を発揮できるのも辛抱強い妻の内助の功あってこそ、といっても過言ではない。
光浦はこれぞ女性の理想の型、女性の鑑と絶賛するも、一つだけ難点を挙げる。「佳子が『私にとっては家族が全てなんです』って言ってたでしょ。あれはダメよ。あんなこと言うと男は引いちゃうよ」
佳子役の和久井は「申し訳ございません」と、しとやかに謝る。あはは。

面白かったのは、小雪演ずる秋津千里についての論評。
この千里という女性は壱岐の軍人時代の上官の娘で、二人は始めて会った時からお互いに惹かれあっています。
千里は表面的には美しく物静かでしとやか、という男性にとってものすごく魅力的な雰囲気を醸し出してはいるのですが、光浦の分析によると、おとなしそうに見えて実はしたたかな戦略家。

巧みに壱岐を誘い出して、偶然会ったふうを装う。
陶芸の技を発揮して花瓶を製作し、壱岐にプレゼントする。そのドでかい花瓶を壱岐の家に置かせて自分の存在をアピールしようとする。
「ここの夕日は素晴らしいんですのよ。でもそれを見ていてはご帰宅が遅くなってしまいますわね」などと誘いをかけ、壱岐がそれに乗ってこないと見るや、「・・・私・・・結婚しようと思っています」などと思わせぶりなことを言う。
プロポーズを受けていた他の男性と婚約し、いよいよ壱岐との最後の別れの際に、わざわざ自分の滞在するホテルの名を口にする。

・・・・とまあ、こんな風になんとか壱岐をものにしようと策謀の限りをつくす千里。

私もこの千里という女性になんとなくいやなものを感じていたのですが、光浦の細かい分析には爆笑してしまいました。

陽気で活発な女性がそういうことをしても不快でないどころか可愛いらしささえ感じますが、「私は控えめな女性でございます」みたいな顔をしながら心の中であれこれ戦術を考えるって何かいやらしい。

しかも、佳子が交通事故であっけなく死んでしまうと、さっそく婚約を解消してしまうのです。

来週の予告編によると、壱岐と千里は結ばれるらしい。

あーやだやだ。
「都合よく佳子が死んでくれてよかったね」みたいなお膳立てによって恋愛が成就するって、とても醜悪。

そんなの全然美しくない。美しいものでなければ恋愛ってする意味があるのでしょうか、なんて乙女チックなことは言わないようにしようとは思いますが、少なくとも周りの犠牲を土台にして本当に幸せな恋愛感情って湧くものかどうか疑問に思います。そんなのは愛ではなくて単なる愛欲でしょうよ。

・・・・・・まあ、しかし、活発だろうが、控えめだろうが、女性のほうが戦略戦術を練らなければカップルが成立しにくい世の中になってしまいましたねえ。
というか、もしかしたら、大昔から女性のほうが策略に長けていたのかもしれません。
これからはもっともっと女性からの積極的なアプローチが求められるでしょう。
ただし、千里のように既婚者に近づいてはなりません。それは秩序を乱し、悲劇をもたらし、幸せな社会構築のためになりません。(まあ、話のタネに多少はあってもいいけど)

男はとにかく仕事を頑張ること。その姿に女性は魅力を感じるのですから。
壱岐だって仕事ができるからあんなにもてるのです。

そのためには景気が良くならないと・・・・、結局はここに行き着きますか。
政府が「日本は再び立ち上がり成長するぞ」という具体的な成長戦略を強く打ち出せば株価も上がり、景気も上向いてくる、という順序ならば、やっぱりこれは指導力の問題なんですかね。

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