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2010年1月29日 (金)

巣作り

週刊誌をめくっていたら、吉村仁「強い者は生き残れない」という本の広告に目が留まった。

「一人勝ち」は自然の法則に反していた。
40億年の生物史を振返ると、生き残っているのは「強者」ではなかった。「環境は常に変動し続ける」という新しい観点から、「そこそこ」な生き残り戦略に注目する。

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読んでいないから詳しくはわからないが、ネットで検索して出てきた書評によると → http://www.shinchosha.co.jp/shinkan/nami/shoseki/603652.html  

【 自分の形質や遺伝子を持つ子孫を残すことのできる「強い者」が繁栄する、というのがダーウィンの説だったが、それは環境が変化しないことが前提であった。しかし生物にとっては、不確実な環境への対応こそが生きていく上で最も重要なことなのだ。】

【 社会も同じで、成長より存続であり、そのためには協調と利他が何より重要であり、利己では生き残れないのだ。】

という具合で、要するに「助け合い、共存する社会主義的社会のすすめ」ということらしい。

強い者が生き残るわけではない、というのは「盛者必衰の理」である。

「進化」という何億年のスパン、あるいは「歴史」という数十年から数百年のスパンでの、「強者の系列はいずれは衰退する」という見方である。

言うまでもないが、一人の人間の一生レベルで、これがあてはまるということではない。

それを考えると、近頃の若者の「そこそこ志向」は、もしかしたら人類存続のための底知れない力が働いているとも言える。
つまり、自分の一生は人類という種を滅ぼさないための捨石であるという無意識の意志さえ働いているのかもしれないではないか。

しかし当然のことながら、「そこそこ」であろうが「草食」であろうが、繁殖を怠れば滅亡は避けられない。

いつの時代も元気な女性が、男性の「そこそこ」までレベルを落とせば、あるいは、うまく操れば、繁殖は盛り上がるのだろうか。

いずれにしても景気が良くならなければ巣も作れない。

景気が先か繁殖が先か、それが問題だ。

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2010年1月19日 (火)

そこそこの生活

近頃の若者、特に男子に見られると思うのだが、「多くを望まない。そこそこの生活ができればいい」という傾向が強まっているようだ。

私はこういう気持ちがよくわかる。多くを望まず、そこそこの生活をしてきたし、年を取るに従ってさらに物欲のなさは加速している。それでも充分「幸せ」を感じることができる。

蛇口からお湯が出る生活さえできれば文句は言わない。

で、その「そこそこの生活」なのだが、国民が「そこそこの生活」を得るためには、どうしたって国としての「富」が必要だ、ということは私でもわかる。お湯を供給するためにはエネルギーが必要だし、エネルギー獲得のためにはお金が必要だ。

「そこそこの生活」を獲得するためだといって「そこそこの働き方」をしていては、結局「そこそこの生活」は得られないんだろうなあ、と思う。国内総生産の一端も担っていない専業主婦が言うのもなんだけど。

そしてまた、「物欲がない」というのも、経済のためには甚だ困ったことであるようだ。

国の繁栄に興味がなく「優しい彼と貧しくても思いやりあふれる家庭が築ければそれでいいの」とささやかな幸せを願うお嬢さんの夢も、国が衰退すれば、それがもたらす困難に直撃されるはずだ。

そこそこの幸せな生活のためには、みんながそこそこの働き方をしていればいいというわけでなく、例えば香山リカさんが「がむしゃらすぎる」と批判しているらしい勝間和代さんのようなエネルギー全開で働いてくれる人もぜひいてくれなければ困る。

みんながおっとりゆったり香山調になってしまっては国は沈む。(でしょ?) 香山先生は勝間女史を批判してはいけないのである。

勝間さんのように効率よく働く人は社会に必要だ。

勝間さん的な人も香山さん的な人もちゃんと評価されて生きられる社会が健全なのだと思う。

もちろん、受け取る果実はそれぞれの働きによる。
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現状、男はあまり覇気がないようだが、女は充分元気だ。女子の元気を男子にも少し分け与えたいものだ。

スウィート・ホームを夢見る女性のためにも、願わくは男子の奮起を。
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2010年1月18日 (月)

独裁は見守れない

産経新聞の【新聞に喝!】というコラムで、ブリティッシュ・コロンビア大学名誉教授の永谷敬三氏が「新政権にもっと敬意を」と書いている。 

国民は政権が変わったらしばらくの間はヒステリックにならず、成り行きを見守るべきだ、ということに、私は基本的には賛成する。

ただ、これを見守っていていいのか、なにも言わなければ取り返しのつかないことになりはしないか、ということもあるわけで、見守るというのは簡単なようでなかなかできにくい。

小沢さんの「カネ」の問題は、たしかに検察が不正を嗅ぎ取ったならば法治国家として白黒はっきりさせなければいけないことだが、要するに自民党的政治の残滓をひきずっている、というだけのことではないのか。
小沢さん自身、政治の裏金については「誰でもやっていることでそれは政治の潤滑油のようなものだ」と著書で書いているらしい。政治はそうやってうまく廻ってきて、国民も豊かになったんじゃないか、何が悪いんだと言いたいのだろう。

この問題の追求に国会審議の貴重な時間が奪われるのは国民にとっての損失だ。この問題については検察にまかせて、野党も国民もマスコミも見守ったらいいんじゃないかと思う。

与党を追求する問題は他に数多くある。

経済成長や雇用促進の具体策とか、普天間問題の取り組みのぶざまさとか、インド洋給油からアフガン支援へと移行することの効果と損失とか、日米同盟を今後どうするのかとか、マニフェストにない永住外国人参政権付与を急ぐわけとか・・・。

これらは、ただ見守っていればいいというような問題ではないと思う。これらをガンガン攻めてほしい。

今朝のテレ朝「スーパーモーニング」で、ジャーナリスト鳥越俊太郎氏が、やたらと小沢擁護に熱心だったのは、そういう気持ちからだと思いたい。
自民党政権時代は権力者のカネの問題を厳しく追求してきた(と思う)鳥越氏だが、ちょっと考え方が変わったのかもしれない。

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ただし、「不正に得た巨額の資金」を後ろ盾に与党民主党を独裁的に支配して国益を損なうような法案を平気で成立させようとする小沢一郎の存在こそが大問題なのである、という懸念が力となってこういうことになっているとしたら、マスコミが騒いで辞任に追い込むことにもおおいに意味がある。

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2010年1月 8日 (金)

空がきれいだ

世間ではよく「金持ちのぼんぼんだからだめなんだ」とか「苦労しなければ人間は成長しない」とか言う。

ならば、昨今の日本社会の窮状にあえぐ若者たちは、絶好の機会を与えられているのだろうか。

「そうではなくて今の貧困は酷すぎる。希望がないことが問題なのだ」、というなら、貧困には「その先に希望がある」、という保障が必ず必要なのだろうか。

保障があるなら苦労はしないと思うのだが。

希望は与えられるものであるべきか、自分自身の内なる力がそれを湧き上がらせるものなのか。

アフリカの最貧国じゃあるまいし、救いようのない絶望に、この日本が覆われているとでも?

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single40さんの記事「年頭所感」とそれにつけられたコメント群の元気のよろしいこと。  

人の気持ちというのはこうでなくては。

元日から続いている抜けるような青空は希望そのものだ。(すみません。太平洋側だけですが)

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