« 独裁は見守れない | トップページ | 巣作り »

2010年1月19日 (火)

そこそこの生活

近頃の若者、特に男子に見られると思うのだが、「多くを望まない。そこそこの生活ができればいい」という傾向が強まっているようだ。

私はこういう気持ちがよくわかる。多くを望まず、そこそこの生活をしてきたし、年を取るに従ってさらに物欲のなさは加速している。それでも充分「幸せ」を感じることができる。

蛇口からお湯が出る生活さえできれば文句は言わない。

で、その「そこそこの生活」なのだが、国民が「そこそこの生活」を得るためには、どうしたって国としての「富」が必要だ、ということは私でもわかる。お湯を供給するためにはエネルギーが必要だし、エネルギー獲得のためにはお金が必要だ。

「そこそこの生活」を獲得するためだといって「そこそこの働き方」をしていては、結局「そこそこの生活」は得られないんだろうなあ、と思う。国内総生産の一端も担っていない専業主婦が言うのもなんだけど。

そしてまた、「物欲がない」というのも、経済のためには甚だ困ったことであるようだ。

国の繁栄に興味がなく「優しい彼と貧しくても思いやりあふれる家庭が築ければそれでいいの」とささやかな幸せを願うお嬢さんの夢も、国が衰退すれば、それがもたらす困難に直撃されるはずだ。

そこそこの幸せな生活のためには、みんながそこそこの働き方をしていればいいというわけでなく、例えば香山リカさんが「がむしゃらすぎる」と批判しているらしい勝間和代さんのようなエネルギー全開で働いてくれる人もぜひいてくれなければ困る。

みんながおっとりゆったり香山調になってしまっては国は沈む。(でしょ?) 香山先生は勝間女史を批判してはいけないのである。

勝間さんのように効率よく働く人は社会に必要だ。

勝間さん的な人も香山さん的な人もちゃんと評価されて生きられる社会が健全なのだと思う。

もちろん、受け取る果実はそれぞれの働きによる。
.

現状、男はあまり覇気がないようだが、女は充分元気だ。女子の元気を男子にも少し分け与えたいものだ。

スウィート・ホームを夢見る女性のためにも、願わくは男子の奮起を。
.

   奮起の原動力のヒントは「女の力」にあり、かも・・・ →人気ブログランキング

.
            
      

|

« 独裁は見守れない | トップページ | 巣作り »

コメント

あけましておめでとうございます!
時間差のお正月を持ってきてみました(笑)

僕は周りの人たちと違って将来は大金持ちになりたいですね。反感を買ってしまいますが正直なところ、経済がめちゃくちゃになろうとも自分さえ金持ちだったらそれでいいです。アメリカの某銀行員と同じような考えです。だからがんばっています。
でも、これが経済をめちゃくちゃにした原因です。
これを抑えるために政府が規制を厳しくします。しかし、そうすれば我々のやる気が失せます。でも、規制が甘ければめちゃくちゃになります。
厳しくもなく、甘くもない規制が必要です。
その調度よい規制を作るのが難しそうです。
社会は日々刻々と変化していきますから、それに合わせるのは大変そう・・・。

投稿: koichi | 2010年1月20日 (水) 15時24分

「そこそこ」とは・・・十分ではないけれど一応満足という感じでしょうか。
人は何をもって満足とするのか?

それぞれの価値観にもよるでしょうが、父のようにシベリア抑留のこっぴどい体験をした人は、自分の家で生活出来るだけでもう満足だったのかもしれない。冬にはこたつもある。
ある老婦人が新聞に投稿していた。大変な時代だと言っても戦後のことを思えばまだまだ幸せだと・・・。

香山さんはどうしても精神科的立場からものを言うんでしょうね。
自分の精神状態がおかしくしくなってしまうほど働くな、無理は禁物と・・・。

現代は意欲をもって働くためにも少々の頑張りでも心が折れないようにするためにも職場でのメンタル面のフォローが必要不可欠かもしれません。

昔の人はまだ辛抱強かったかもしれませんね。何はともあれ早い景気回復を望みます。
なんかまとまりのない文章になってしまいました。

 


投稿: そよ風 | 2010年1月20日 (水) 20時53分

★koichiさん、

今年もよろしくお願いいたします。

>僕は周りの人たちと違って将来は大金持ちになりたいですね<

頼もしいじゃないですか。励んでください。

>でも、これが経済をめちゃくちゃにした原因です。<

一人ひとりが節度をわきまえるのが一番望ましいのでしょうが、「欲望はここまで」とストップをかけられないのが人間の悲しい性で、そうなるとやはり「規制」になってしまいますね。規制をかけすぎるとダイナミズムを失うし・・・。
こう考えてくると、基本に道徳教育あり、かなあ。

不景気の時こそチャンスだそうですので、koichiさん、頑張ってくださいね。

投稿: robita | 2010年1月21日 (木) 15時52分

★そよ風さん、

「そこそこ」って、考えてみると、けっこうレベル高いかもしれませんね。
「まあ満足」というより、「食べていければいい」に近いニュアンスで私は使ってしまいましたが、「そこそこ」より妥当な言葉、他にありませんか。

>大変な時代だと言っても戦後のことを思えばまだまだ幸せだと・・・。<

苦労した経験のある人は「今の生活苦なんて生活苦のうちに入らない」と言いますね。

>香山さんはどうしても精神科的立場からものを言うんでしょうね。
自分の精神状態がおかしくしくなってしまうほど働くな、無理は禁物と・・・。<

頑張りすぎで精神を病んでしまった人を日々診ているからでしょうが、だからといって、働き者の勝間さんを責めるのはおかしいと思います。

>何はともあれ早い景気回復を望みます。<

そうですね。景気さえ良くなれば、問題の大部分は解決するでしょうから。

投稿: robita | 2010年1月21日 (木) 15時54分

>>近頃の若者、特に男子に見られると思うのだが、「多くを望まない。そこそこの生活ができればいい」という傾向が強まっているようだ。

私もそうです。多くは望んでいません。ただ、ショッカーの打倒に命を燃やしています。同じような考えでこのブログに時々コメントする人もいますが、どうもあちらはその特定を誤るんですよね。

それはともかくとして、男性が元気なく女性が意気盛んというよりも、今は男性的なものが評価されない時勢なのではないでしょうか?顧客へのホスピタリティーだのスマイルだのカタカナ語が氾濫していますが、こうなると伝統的な男性らしさは脇へ追いやられます。

アメリカの大統領選挙さえ、テキサスのカウボーイベトナムの英雄よりもはるかに女性的(あるいは中性的)な人物が世界のメディアに歓呼されるほどです。

ただ、女性的なきめ細やかさが高く評価されること自体は悪いことではありません。願わくば女性が中性化しない、そして「草食系」などという意味不明な男性が増殖しないこと(実際の草食動物は被捕食者のため、肉食動物より繁殖に熱心です)。

投稿: Shah亜歴 | 2010年1月24日 (日) 13時07分

★Shah亜歴さん、
 
昨夜も丁度フジTV「ジャーナる!」という番組で「食べていければいい。欲しいものはあまりない」という若者たちの語りを紹介していました。
欲しいもののトップはユニクロの服、車も海外旅行もお金もいらない、食べていければ充分、ですって。

結局豊かさの故なんでしょうかねえ。
コメンテーターの竹田圭吾さんは、「バブル的な消費でなく、地に足のついたライフスタイルの価値を若者たちが認識し始めた証拠で、悪いことではないんじゃないでしょうか」というようなことを言ってました。
それでみんなが幸せを感じて生きていけるならいいと私も思うのですが、本記事の主旨にやはり戻ってしまいますよね。
なにより、若者が興奮しない、攻撃的にならない、欲望を持たない、野心を持たない、という状態が人類にとって果たしていいのかどうかもおおいに疑問です。若者が満たされちゃあだめでしょう。
海外旅行に行きたくない、という理由が「外国にはウォシュレットがないから」なんていうのを聞くと、なんじゃそれ、と思っちゃいます。
家にこもるより、外に出て異文化に触れてみるのは決して無駄にはならないと思うんですけどねえ。

「草食系男子」というのは単なるイメージでしょうが、繁殖力まで衰退しては、これは「優しい」「穏やか」という好ましい性質とは別の大問題ということになります。

人間ってほんとに勝手なもので、「優しい男性が好き」と言っていた女性たちが、いざそういう男ばかりになると、男っぽい戦国武将に憧れる「歴女ブーム」を巻き起こしたり、「自立した女性」「対等な関係の女性」を歓迎していた男性たちが、たじろぐほどの女性が増えると「昔風の女性に癒されたい」などと思い始める(口に出さなくても内心そう思っている)。
人間ってそういうものでしょうけど。

投稿: robita | 2010年1月25日 (月) 11時06分

robitaさん、ご無沙汰しております。


>若者が興奮しない、攻撃的にならない、欲望を持たない、野心を持たない

これって、社会が求める若者の姿、なのではないのかなって感じます。子供は育てたように育つって言われます。社会がそのような子供を良しとして育てている結果なのではないのかと。教育の現場でも、はみ出すものは悪とばっさり行くのが当然、って思ってる人多い気がするのは私の偏見でしょうか。

私なんかも、子供を育てるのに、男の子だから、女の子だから、と意識して育てることがありません。でも性差はあって当然なのだから、育てるときにも何か意識して区別すべきところがあるのかもしれないと思いますが、個々の性格に合わせるのに精一杯で、そこまで考えて子育てできてません。

育児を見て学ぶ機会の少なくなった現代において、数多くある情報の中からよりよいものを選び出すのは至難の業で、あたふたしている間に子供はちゃっちゃか育ってしまう。
2人の子育て程度では、普遍的な育児のいろはを習得する前に終わっちゃう気がします。

そこで、ついつい「良い子」を作るのに躍起になってしまう事って多くないかなあと。枠の中にすんなり納まるやりやすい子にするために皆心血を注いでいるように思います。

子供が逞しく育つ環境はどんどん失われていくのに、それを補うどころか、逆行するような幼児教育がまかり通っています。
子供の育ちに関する認識を改めない限り、この風潮はなくならないのではないかと。

成り上がってやる!みたいな覇気のある若者にするにはどうすればいいのでしょうねえ。
少し前を振り返ってみて、自分が若かった頃は、色々やりたい気持もエネルギーもあったのに、発散しないまま不完全燃焼でおわちゃったなあって実感があります。

それがどこに起因するのかと考えると、「他人の目」が何より怖かったのだと思い当たりました。人に白い目でみられる事だけは嫌だった。そんなことになるくらいならば、自分の気持なんて簡単に殺す事ができた。

何故そんなに人の目が気になったのかと言えば、自分のことをまったく信じられなかったからです。自分の自分に対する評価よりも他人が自分にする評価の方が絶対的に正しいと無意識に信じていました。自分の意思ほど信用できないものはなかった。

そして、失敗してはならないという強迫観念。
失敗したら奈落のそこに落ちるような恐怖を漠然と抱いていた気がします。奈落の底なんてものは存在しないのはわかりきってるのに馬鹿だなあって今なら思えますが。

ところで、そこそこの働き方でも沈まない仕組みというのはできないのでしょうかねえ。食うに困らなければいい、というのは本当に正直な気持ちなのですが。


投稿: haru | 2010年1月25日 (月) 16時52分

★haruさん、

お久しぶりです。

>社会がそのような子供を良しとして育てている結果なのではないのかと。<

まさにそういうことだと思います。
「草食系傾向」については親の責任というような問題ではないと思います。

40年前に全共闘運動がありました。私はあれを「革命ごっこ」と思っていましたし、大声でがなりたてて暴力を振るうだけの実の成らない行動だと思っていました。
多くの大人もその破壊的行為を苦々しく見ていただろうし、学生運動の評価というものはその後も惨憺たるものだったと思います。騒ぎを起こした学生たちは運動に参加したことを隠して社会に出ましたし、名を馳せた運動家は小さくなって生きていかなければなりませんでした。
しかし、今になって「今の若者は元気がない。学生運動の頃のような熱を出せ」なんて言い出す年配者もいます。

成人式に暴れる若者はどうでしょうか。ああいうのも「元気があっていい」と認めてあげてもいいのでしょうか。理念が全くなくただ子供が暴れているというだけのものなので、学生運動とはちがうのでしょうか。

社会に迷惑をかける、という点で同じこととも言えますが、よくわかりません。

いずれにしても「青春の通過儀礼」ということではないのでしょうか。今、その爆発するような通過儀礼はなくなり、若者たちは爆発するべき時に内にこもるようになりました。

それぞれの家庭での子育てレベルで考えてみますと、「元気の良い子ども」というのは、親がいくら躾で押さえつけようとしてもおさまらないものだと思います。

例えば、うちの次男は小学校一年くらいまではやんちゃで悪いこともいっぱいしましたしケンカもしました。でも私は押さえつけることはしませんでした。友達をいじめるというようなことはなかったからです。
でも、大きくなるにつれて、自然に大人しくなって、いまや立派な「草食男子」です。「食べていければいい」と言います。安いものしか買わず、旅行もしない。したがって大金は不要です。
私はそのこと自体を別に情けないなんて全然思いません。だって昔からそういう欲のない男性なんて一定数いたでしょうし、みんながみんな野望を持っていたわけでもないと思います。私が草食なのできっと遺伝でしょう。

今の時代、「若者(男)の欲のなさ」が社会問題になるのは、そういう若者ばかりになって「食べていけるだけでいい」となると、国の衰退につながるからだと思います。  

どうしてこういうことになったかということについては、原因はいろいろ考えられると思います。

・日本が豊かになって頑張る必要がなくなった、つまり「老化」した。
・優秀な女性が生き生きと活躍するようになって、もともと女性より弱い男性がますます縮こまるようになった。
・長年の学校教育の結果。

この「学校教育」も実に多くの問題を抱えていますので、安易にコメントできませんが。

要するに、家庭教育のレベルなどではなくて、haruさんの仰るように社会の動向の問題だと思います。

>そこそこの働き方でも沈まない仕組みというのはできないのでしょうかねえ<

私はよくわからないのですが、「仕組み」というのか、意欲のある人がどんどん活躍して儲けられる社会になればいいんですよね。
そして、草食の人に「意欲を持て!」といくら尻を叩いても効果はないと思うので、そういう人が真面目に働いて食べていけるだけの報酬がもらえる社会になればいいんですよね。

それにはやっぱり景気回復しかないのかなあ。

ところで、四国にお引越しなさったんですね。
温暖な気候でのんびりできそうですね。


投稿: robita | 2010年1月26日 (火) 11時52分

極限まで自分を追い込んだところで、得られるものは少々なので、ならば草食系でいいじゃないか?というのは、私には至極「合理的」な回答のように思えるんです。だから、草食系男子はもっともだと思えるんですねえ。

ところで、私自身は、多重債務者から上場企業役員という身分になり、そのあげくに外資系ファンドに食われ、再びスタートアップをやっています。おとなしくすりゃいいんですが、山っ気が抜けない。はたから見ると肉食そのものなんですが、本人はかなり草食系で、いまだに結婚すらできない有様(泣)
勝間さんをあがめる気持ちはない(そんなうまくいくもんか)ですけど、香山さんのように達観できません(しがみつかない人生なんて、どこが面白いの?)
やりたいことがあって、そうなると人は執着しますから、それがいけないと言われても仕方がない。つまり、草食だの肉食だの、それは「外野」だと思うんですね。そんなヒマはありませんって、当人には(苦笑)
好きなことをして、そこそこの生活ができたら、それは充分「勝者」なんでしょう。自分を殺しても「そこそこ」ができないから、それは他人を恨まなくてはいけなくなる。同じ「できない」ならば、他人や政府のせいにするのはすっぱりと諦めて、好きなことをした方がいい。それなりの覚悟と実力は必要ですけど。それを「草食系」というなら、それはそれで仕方ないと思うんです。
低成長という基本的了解が共通項としてあって、それでも「好き」を優先してそれを受け入れるなら、それは「積極的草食」だろうと思うんですよ。。。などと、私にしては珍しく「低成長受け入れ」な主張になってしまいました(苦笑)

投稿: single40 | 2010年1月26日 (火) 23時33分

★single40さん、

働きアリ2割8割の法則が人間にも当てはまるとするならば、大部分の人間は、頑張って働く人のおこぼれに与って食べている意欲の希薄な人間、ということになりますが、どうも「草食系」というのはそういうことではないかもしれません。

勝間さんの言う「誰でも頑張って働けば幸せをつかめる」という論と、「若者全般に女や金に対する欲望がなくなった」という風潮は別の問題として考える必要があります。 因みにコメント欄に例として出した息子は女に興味はあると思いますから真性草食ではないかもしれません(笑)

「そこそこの生活」というのは、そよ風さんへのレスでも書いたように、けっこう幅のある言葉だと思います。「こじんまりとした幸せを味わえるだけのまあまあの収入」なのか「別に女も金もいらないから食べていけるだけの最低限の収入」なのかによって若者の風潮の分析は違ってきます。

記事の最後に『奮起の原動力のヒントは「女の力」にあり』としたのは、私の持論として、女の力がなければ男はダメになる、というのがあるからなんですが、それは今まで書いてきたことなので繰り返しません。
まあ私も草食なので人様のことはとやかく言えませんが(笑)

しかし、「未知のものに憧れを持つ気持ち」だけは子どもたちの心に育んでやりたいものです。
single40さんは良いお父さんになりそうなのになあ・・・、これ、前も言いましたっけ。
よし、春になったらなんとかしましょう。確約はできませんが(笑)

投稿: robita | 2010年1月27日 (水) 13時20分

robitaさん、

また真魚さんは昭和のことばかり言うと言われそうですが・・・。

いきなりでなんですが、『ニッポン無責任時代』の植木等はカツマーであったのか。いや、そうではなかったな、ということです。

つまり、個人個人がカツマーでなくたって、社会全体が右肩上がりで、どんどん成長していった、というのがあの時代だった、ということです。そして、ワタシが言いたいことは、こうでなくてはならんじゃあないですか、ということです。

植木等さんは、カツマーどころかスーダラ節です。無責任一代男なんです。スーダラなんですけど、植木さんはすごいストイックな人で、ストイックであることで、逆にスーダラができていたということに、植木さんの奥の深さがあるんですが。ああいう風に、その後の日本人はなってくれたらよかったなあと思います。

ここ、ちょっと強調しますが、「高度成長時代の植木等」も「平成低成長時代のカツマー」も、「やる」ということでは、どちらも「やる」んです。しかしながら、「やる」意味と過程が違います。カツマーは、個人の努力、克己精進で「やる」わけですが、植木さんは、「スイスイスーダララッタ~」で「やってしまう」んです。ココです、ココ。この違いはいったいなんなのか。結局、あの時代の日本には「明るい未来への希望」があったんだと思います。

一言で言ってしまえば、あの高度成長の時代は、個人がどうであろうと、なんであろうと、経済が日々、成長していっていた時代でした。それが、あの時代の「明るさ」を作っていたんだと思います。これに対して、今の時代は、勝間和代とか、robitaさんとか(笑)が、国を発展させるために個人は克己精進せよと言う、という違いなんだと思います。

そして、そうであるということ自体が、もうダメなんだと思います。いや、ダメといってはなんですが。少なくとも、植木等はカツマーではなく、スーダラ節で、シャキシャキと仕事をこなしていました。コレです、コレ。これが社会の活力であり、明るさなんだと思います。

もう一度繰り返しますが、個人がどうであろうと、なんであろうと、経済は右肩上がりに上がります、みなさんの所得は倍になります、そうした世の中になぜならないのですか、ということです。個人個人にカツマーになれと叱咤激励しなくてはならないのではなく、社会全体に明るい未来への希望があれば、人は自然と、やる人はやるようになります。つまり、問うべきことは、今の平成日本で、社会全体に明るい未来への希望を持つようになるにはどうしたらいいのか、ということなのだと思います。

投稿: 真魚 | 2010年1月29日 (金) 21時53分

★真魚さん、

>ココです、ココ。この違いはいったいなんなのか。結局、あの時代の日本には「明るい未来への希望」があったんだと思います。<

ええ、そうですね。それが「高度成長期」というものだろうと思います。

>勝間和代とか、robitaさんとか(笑)が、国を発展させるために個人は克己精進せよと言う、という違いなんだと思います。<

いえいえ、とんでもない。私は植木等タイプだし、おおいに香山リカ的でもあります。
勝間さんのようにバリバリ働ける人がうらやましくて仕方がない。このような人が日本の経済成長を推進するのではありませんか。
ところが、香山さんときたら、「あなたのような働き方を真似した人が働きすぎて追い詰められて精神を病んでいるのです」などと勝間さんを責めているじゃありませんか。なんちゅう言いがかりやねん。
勝間さんの生き方を真似するもしないも個人の自由じゃありませんか。
私は日本国民がみんなカツマーになればいいなんて言ってるんじゃないです。
勝間さんのように「努力は楽しい」「勝ち負けはやりがいにつながる」「頑張れば実を結ぶ」、そう思う人は少なくないはずで、そういう人々がいなくなれば国が衰退するのは当然のことではありませんか。
私のように真面目ではあるけれど社会に出てバリバリ働けない人間だって少なくありません。そういう人はカツマーを批判するんじゃなくて、積極的に応援し、縁の下の力持ちになって支えることをすればいいと思うんです。

>経済は右肩上がりに上がります、みなさんの所得は倍になります、そうした世の中になぜならないのですか、ということです<

しようがないです。時代です。高度経済成長期じゃないですから。

>社会全体に明るい未来への希望を持つようになるにはどうしたらいいのか、ということなのだと思います。<

私は家庭の力だと思います。
もっと言えば女の力。

投稿: robita | 2010年2月 1日 (月) 10時23分

robitaさん

>>つまり、個人個人がカツマーでなくたって、社会全体が右肩上がりで、どんどん成長していった、というのがあの時代だった、ということです。そして、ワタシが言いたいことは、こうでなくてはならんじゃあないですか、ということです。

良いことを言ってくれるではないですか。戦国のアクション・ヒーロー織田信長が同様なことを言っていたそうです。戦に出かける途中に田畑の脇で昼寝をしている百姓に対して家臣が「何と無礼な」と怒ったところ、信長は「百姓が安心して昼寝ができるような治世を行なうのが余の務めだ」と応じたそうです。時代や体制が変わっても人と社会の営みには不変のものがあるのでしょうか?

ところで日本に活気を与える手始めに、私は科学的に間違いだらけの日本語の廃止を訴えます。

あの「草食系」という単語は実際の草食動物の生態とは全く違います。そもそも大きく強い草食動物には肉食動物顔負けに獰猛なものばかり。ゾウ、サイ、バッファロー、シマウマなどなど。

それに巨大な角や牙で男権ならぬ雄権を誇示するのはゾウや野牛ばかりか、大人しいと思われているシカまで。肉食動物は狩りの邪魔になるので、こんなに重々しく雄権を誇示するものはつけていません。ライオンのたてがみも角に比べれば仰々しくないもの。もちろん、狩りの邪魔にもなりません。

これとは逆に弱い草食動物は、わずかな物音に一々過剰反応します。そうしないと自然界では生き残れないので仕方ありません。

つまり、強かろうが弱かろうが野生の草食動物は間違っても温和でも優しくもありません。生存に必死です。だから「草食系」だの「肉食系」だの科学的に間違いだらけの日本語を皆で廃止してゆきましょう。奇妙な流行語で暗示される国民が増えると社会の活力が低下します。

それでもしつこく「草食系」などと言う御仁は闘牛場にでも放り込みましょう。牛の角で突きまくられ飛ばされまくられたら、もう正真正銘で間違いだらけのアクション・ヒーロー!

あ~、私も柳田理科雄になってきた。

投稿: Shah亜歴 | 2010年2月 6日 (土) 20時20分

★Shah亜歴さん、

>良いことを言ってくれるではないですか<

真魚さんのコメントなんですけど。

>信長は「百姓が安心して昼寝ができるような治世を行なうのが余の務めだ」と応じたそうです。時代や体制が変わっても人と社会の営みには不変のものがあるのでしょうか?<

そうですね。昼寝をしている人がいたり、バリバリ働いている人がいたり・・・。

>あの「草食系」という単語は実際の草食動物の生態とは全く違います<

単なるイメージですよね。
でも非科学的な表現は断固許さん、ということなら、これからなるべく使わないようにします

しかし、仰るように科学は日本の金儲けのために非常に重要な分野なので、日本全体に科学の大切さを広め科学好きの子どもをたくさん育てることが最重要課題だと思います。

投稿: robita | 2010年2月 8日 (月) 11時38分

コメントを書く



(ウェブ上には掲載しません)




トラックバック


この記事へのトラックバック一覧です: そこそこの生活:

« 独裁は見守れない | トップページ | 巣作り »