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2010年3月20日 (土)

つぶやいているだけでなく

テレビでいろいろな政治情報番組を見ますが、子ども手当て、高校無償化、夫婦別姓など、民主党が力を入れる政策に賛成する論調の番組を見たことがありません。コメンテーターも司会者もこぞって反対を唱えます。
テレビに限らず、新聞もラジオもネットもあらゆるメディアが同様の意見を発信します。

それらの政策を愚策と考えている人のほうが多いにもかかわらず、なぜその愚策が国会で決定されてしまうのでしょうか。

これは由々しき事態です。

民主党の支持率がまだ40%近くあるからといって、このような愚策を通す理由になるでしょうか。

民主党を支持する人の中には、「かといって自民党はもっと悪いから」程度の考えの人も多いことでしょう。

しかし、いま大事なことは民主党のごり押しを許すことでなく、どうすれば賢明な議員による「本当のこと」が浮上するか、ということだと思います。

首相はまさに夢見るお坊ちゃんで本当に頼りないけれど、民主党には良い政治家がたくさんいます。自民党にもいます。

やるべきことは政界再編しかないと思います。

政界再編を起こすには民主党の支持率を下げるしかないのではないでしょうか。

武力蜂起するわけにいかないのだから、我々国民で支持率を下げてやるしかありません。

念願の政権を取った、国会の数的勢力は圧倒的だ、国民の支持をある程度得ている、・・・そんな時に「政策に反対!」「政界再編だ!」と叫んで党を割って出る人はいないでしょう。

あれらの政策はヘンだとは思うが、反対を表明するわけにいかない、党を出るに出られない、やむをえず流されている議員が民主党に結構いるのではないでしょうか。

政権交代以来、私は政界再編を願って「民主党こけろ、つまづけ」と念じてきたわけですが、カネの問題が起きても政権は倒れない。どんなに批判されても鳩山さんのノーテンキさはどういうわけか磐石で、今までカネの問題で倒れた数々の政権を思うと、不思議でなりません。

どんな批判の嵐も耐えて日本のために頑張るんだ、という必死の覚悟でそうしているならわかりますが、民主党の政治は日本を救うものとは到底思えません。

由々しき事態です。

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ところで、「国を救う」とはどういうことでしょうか。

まず何をおいても、「国家財政を破綻させてはならない」「経済成長をしなければならない」、これが国家経営の基本でしょう。

「品格」などという美しい言葉はそのあとに来るものです。

読売テレビの解説委員辛坊治郎氏が、「『経済成長よりも大切なことがある(つまり金銭的豊かさより心の豊かさ)』、みたいなことを言い始めた頃から日本人はだめになった」と言っていました。

より高い報酬を目指して頑張ろう、という人間が少なくなれば、経済成長は鈍化し、国益を損ねる。考えてみれば当然のことです。

「経済成長はもういいじゃないか。それより、日本人の品格を取り戻せ」と主張なさる一部の保守思想のかたがたや左翼的思想のかたがたはみなさんお金に困っておられないのです。

困っていない人はノーテンキに美しいことが言えるのです。鳩山由紀夫さんがその代表格です。

よろしいか。経済成長は不可欠なのです。これは私が経済を知っているから言うのでなく、60年以上生きてきて人間の本質を知っているから言うのです。

国はどうすれば経済が活性化するか、それを考えて実行すればいいのです。活性化すれば福祉にも潤沢にお金が廻るようになる。民主党のやっていることは順序が逆ではありませんか。

このところ小沢おろしが活発になってきたようですが、小沢さんを辞めさせても何も変わらないと思います。次の参議院選挙で民主党が勝ったらどうなりましょうか。トンデモ左翼政権が温存されるだけではないのでしょうか。

国民が、本当に日本を甦らせたいと本当に思っているなら、ひとりひとりのできる「簡単なこと」を実行すればいいだけです。私はそう思うけど。

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2010年3月 9日 (火)

勘違いの「自立」

今年のNHK大河ドラマは面白い。「龍馬伝」である。

今回のは今までのものと全然違って、現実味が感じられるというのか、感情移入がしやすい。

第一、カメラワークが違う。映画のようである。

演出もうまい。これまでの大河ドラマに見られるような、やたら愛とか情とかを大げさに表現するシーンがない。ホームドラマじゃないんだから、大型時代劇でそういうのはやめてほしい、とかねがね思っていた。

「龍馬伝」でも、家族とか男女の愛情の豊かさが感じられる場面はあるにはあるが、これまでの大河ドラマのようなわざとらしさがない。(前回の、結婚の約束をしていた平井加尾と引き離されるシーンで、龍馬が上士の屋敷の門前で、門番や屋敷勤めの侍たちに押さえ込まれ、女の名を叫びながら暴れまくる演出はちょっといただけないと思った。あの暴れようでは斬って捨てられてもおかしくないのではないか。違和感を覚えた)

また、女優陣の時代劇らしい薄化粧もリアリティを増す。素顔に近い広末涼子、寺島しのぶ、松原智恵子、倍賞美津子、奥貫薫らが美しい。演じる者としての覚悟そのものが美しい。

貧しくともきちんとした温かい家庭を築く坂本家。たとえ身分は低くても武士として一家の長としての矜持を守り、子供たちに立派な人間になるための生き方を教え導く律儀な父親の姿は感動的だ。

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一方、最近読んだ山本一力の「あかね空」に描かれるのも家族の姿だ。
享保年間の江戸の町で豆腐を商う三世代の家族の物語である。

こちらは家族といえどもそうそう心温まる話ばかりではなく、苦労人である職人気質の父親の情け容赦ない仕打ち、長男を溺愛する母親、それに対する他の子供たちの嫉妬、長男の堕落、多かれ少なかれどこにでもある辛さを抱えた家族の姿が描かれる。

「愛」なんてものが甘ったるく描かれる場面はほとんどない。

そんな中でも、子供たちは悩み、考え、行動を起こして成長していく。
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よく「愛情に満ちた温かい家族」が理想として語られる。
特に、子供への残酷な仕打ちが大きな社会問題になる昨今は「親として子供に深い愛情で接すべき」と人々は口々に言う。

しかし、思い出すのである。

昔の親は愛情深かった、というけれど、私の子供の頃、今の時代の人が想像するような温かい家庭って、普通にあったわけではなかったと思う。

「子供に対する愛情」というのはもちろんどの親も持っていただろうが、少なくとも、表面的に「やさしく微笑みかける」とか「抱きしめる」とか、そんな気持ちの悪いことは誰もしなかった。

持っていたのは、子供を一人前にする、という責任感だっただろうと思う。

今の時代、親と子の関係がうまくいかないからと、「お母さん、子供をを抱きしめてあげてください」とか「慈愛の眼差しで子供を包んであげてください」などと評論家たちが言う。

つまり、ことさらそういう技を使わなければ親子の愛の確認がとれなくなってしまったのだ。そういう時代になってしまった。

仕方がない。親が忙しくて子供と向き合えなければ、子供がグレてしまう世の中なのだから。

しかし、昔の親も忙しく、専業主婦でももっと忙しくていちいち子供を抱きしめてなんかやらなかった。

そのかわり、命令や強制や躾けは親がやっていた。今のように学校任せにしたり政治の責任にしていなかったはずだ。親は子供を一人前に育て上げる目的があるからこそ強制もしたし命令もした。子供に人権などなかった。

親は基本、怖い存在であったが、どうしてか子供はグレなかった。例えば、昔の記事に書いたことがあるのだが、社会全体がそうだったからとしか言いようがない。  

私はその記事で紹介した北野武の語った卵焼きのエピソードをとても気に入っている。

親は嫌われたっていい、親子間の争いがあったっていい、親が死んだ後でわかってくれればいい、親の仕事は子供を一人前にすること。・・・きっとそれは当たり前のことだったのだ。

しかし、今の社会でそんな態度が通用するだろうか。子供がおかしくなるだけだ。

時代は変わった。
大昔から社会情勢や人間の価値観は変わり続けるものだから、「嘆かわしい。昔は良かった」などと嘆くのもなんだか意味がないような気がしてくる。

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変わらないし変わってはならないのは共同体としての家族の絆だと思う。

土佐の坂本家も深川の豆腐屋一家も、どちらも良い家族だ。家族は出発点であり、精神の基盤であり、一体感を感じるための器である。

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家族の一体感は子育てにはなくてはならないものだが、それをちゃんと保てるのならば、今民主党が熱心に推し進めている夫婦別姓制度も成立させてもかまわないと思う。

ただし、それを選択する家族はほとんどいないのではないかと思う。理由は子供がきっと嫌がるから。

「いや、子供の考えなんか無視したっていいのだ。親の言うとおりにしていればいいのだ。親だから強制してもいいのだ」という昔風の考え方でごり押しするのなら、それもいいだろう。

子供がグレるかもしれないけどね。

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