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2010年3月 9日 (火)

勘違いの「自立」

今年のNHK大河ドラマは面白い。「龍馬伝」である。

今回のは今までのものと全然違って、現実味が感じられるというのか、感情移入がしやすい。

第一、カメラワークが違う。映画のようである。

演出もうまい。これまでの大河ドラマに見られるような、やたら愛とか情とかを大げさに表現するシーンがない。ホームドラマじゃないんだから、大型時代劇でそういうのはやめてほしい、とかねがね思っていた。

「龍馬伝」でも、家族とか男女の愛情の豊かさが感じられる場面はあるにはあるが、これまでの大河ドラマのようなわざとらしさがない。(前回の、結婚の約束をしていた平井加尾と引き離されるシーンで、龍馬が上士の屋敷の門前で、門番や屋敷勤めの侍たちに押さえ込まれ、女の名を叫びながら暴れまくる演出はちょっといただけないと思った。あの暴れようでは斬って捨てられてもおかしくないのではないか。違和感を覚えた)

また、女優陣の時代劇らしい薄化粧もリアリティを増す。素顔に近い広末涼子、寺島しのぶ、松原智恵子、倍賞美津子、奥貫薫らが美しい。演じる者としての覚悟そのものが美しい。

貧しくともきちんとした温かい家庭を築く坂本家。たとえ身分は低くても武士として一家の長としての矜持を守り、子供たちに立派な人間になるための生き方を教え導く律儀な父親の姿は感動的だ。

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一方、最近読んだ山本一力の「あかね空」に描かれるのも家族の姿だ。
享保年間の江戸の町で豆腐を商う三世代の家族の物語である。

こちらは家族といえどもそうそう心温まる話ばかりではなく、苦労人である職人気質の父親の情け容赦ない仕打ち、長男を溺愛する母親、それに対する他の子供たちの嫉妬、長男の堕落、多かれ少なかれどこにでもある辛さを抱えた家族の姿が描かれる。

「愛」なんてものが甘ったるく描かれる場面はほとんどない。

そんな中でも、子供たちは悩み、考え、行動を起こして成長していく。
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よく「愛情に満ちた温かい家族」が理想として語られる。
特に、子供への残酷な仕打ちが大きな社会問題になる昨今は「親として子供に深い愛情で接すべき」と人々は口々に言う。

しかし、思い出すのである。

昔の親は愛情深かった、というけれど、私の子供の頃、今の時代の人が想像するような温かい家庭って、普通にあったわけではなかったと思う。

「子供に対する愛情」というのはもちろんどの親も持っていただろうが、少なくとも、表面的に「やさしく微笑みかける」とか「抱きしめる」とか、そんな気持ちの悪いことは誰もしなかった。

持っていたのは、子供を一人前にする、という責任感だっただろうと思う。

今の時代、親と子の関係がうまくいかないからと、「お母さん、子供をを抱きしめてあげてください」とか「慈愛の眼差しで子供を包んであげてください」などと評論家たちが言う。

つまり、ことさらそういう技を使わなければ親子の愛の確認がとれなくなってしまったのだ。そういう時代になってしまった。

仕方がない。親が忙しくて子供と向き合えなければ、子供がグレてしまう世の中なのだから。

しかし、昔の親も忙しく、専業主婦でももっと忙しくていちいち子供を抱きしめてなんかやらなかった。

そのかわり、命令や強制や躾けは親がやっていた。今のように学校任せにしたり政治の責任にしていなかったはずだ。親は子供を一人前に育て上げる目的があるからこそ強制もしたし命令もした。子供に人権などなかった。

親は基本、怖い存在であったが、どうしてか子供はグレなかった。例えば、昔の記事に書いたことがあるのだが、社会全体がそうだったからとしか言いようがない。  

私はその記事で紹介した北野武の語った卵焼きのエピソードをとても気に入っている。

親は嫌われたっていい、親子間の争いがあったっていい、親が死んだ後でわかってくれればいい、親の仕事は子供を一人前にすること。・・・きっとそれは当たり前のことだったのだ。

しかし、今の社会でそんな態度が通用するだろうか。子供がおかしくなるだけだ。

時代は変わった。
大昔から社会情勢や人間の価値観は変わり続けるものだから、「嘆かわしい。昔は良かった」などと嘆くのもなんだか意味がないような気がしてくる。

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変わらないし変わってはならないのは共同体としての家族の絆だと思う。

土佐の坂本家も深川の豆腐屋一家も、どちらも良い家族だ。家族は出発点であり、精神の基盤であり、一体感を感じるための器である。

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家族の一体感は子育てにはなくてはならないものだが、それをちゃんと保てるのならば、今民主党が熱心に推し進めている夫婦別姓制度も成立させてもかまわないと思う。

ただし、それを選択する家族はほとんどいないのではないかと思う。理由は子供がきっと嫌がるから。

「いや、子供の考えなんか無視したっていいのだ。親の言うとおりにしていればいいのだ。親だから強制してもいいのだ」という昔風の考え方でごり押しするのなら、それもいいだろう。

子供がグレるかもしれないけどね。

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コメント

家庭は社会の1単位と教わりました。

家庭の有り様が国の有り様に繋がって行くのかもしれません。

龍馬伝、家族揃って観ています。歴史が苦手な私でもはまっています。夫と昔は国をこうしたい動かしたいという熱い人間がいっぱいいたんだねと話しています。
現代も龍馬みたいな逸材の人物が現れないかな~と思ってしまいます。人間性もすごく魅力的だったようですね。

甥は社会科の教師をしていますが、大の龍馬ファンで中学時代から龍馬のお人形を飾って手を合わせていました。

NHKでよく龍馬伝の撮影の裏側みたいなのを放送していますが、出来ればそういうのはあまりやって欲しくないです。
ていうか、観なければいいのでしょうが・・・。
完成されたものだけ観ていたい感じです。

投稿: そよ風 | 2010年3月14日 (日) 20時23分

★そよ風さん、

>家庭は社会の1単位と教わりました。
家庭の有り様が国の有り様に繋がって行くのかもしれません<

家族という形態が人間社会の基盤としてベストとは言い切れない、という説もあるのかもしれませんが、家族とは人類がついに到達した安寧のための手法であると私は思っているんです。だから、どんなに時がたとうがその重要性だけは変わらないんじゃないかと思います。

>現代も龍馬みたいな逸材の人物が現れないかな~と思ってしまいます<

今、色々な分野で(政治も含めて)活躍している若い世代の中にも、100年後ぐらいには、龍馬のように熱い人物として描かれる人が結構たくさんいるかもしれませんね。
資料や映像がいやというほど残される時代としては、「伝説」にはなりにくいでしょうが。

「龍馬伝」はたしかに面白いけれど、やっぱり細かいところが気になる私としては、広末涼子のぶりっ子アヒル口はもういい加減にやめたらどうかと彼女の演技を見るたびに思います。クセなんでしょうけど時代劇にそぐわない。現代の女子高生のようです。
顔の雰囲気はとても時代劇に合っているのに惜しいです。アドバイスする人はいないのでしょうかね。

投稿: robita | 2010年3月15日 (月) 10時44分

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