体罰
可児市の「いじめ」事件について思う。
悪魔の子どもたち。
人間の心を持っていないのなら、そう呼ばれても仕方がない。
一人の女子中学生を5人で囲んで裸にし、写真に撮って携帯メールで他者に送信するという冷酷非道を行った子どもたち。しかもその加害者たちは同じ女子中学生という異常さ。
ネット検索すると、『これは「いじめ」などという生易しいものでなく明らかに犯罪だ、加害者に同じ事をしてやれ』、という意見が数多く見られる。
そうだ。何をためらっている。やってやればいい。同じ痛みを味わわなければ彼らはわからないのだから。
世間のこういう怒りの嵐が起こると、早速、「感情的になるな。噴き上がるな」と、冷静なオトナである精神科医や教育者や社会学者のセンセイがたが駆けつけ「社会がどうの、子どもたちの心がどうの」と数々の理論を展開して子どもたちにエクスキューズを与える。
これは「社会の病理」なのだろうか。一面でそういうことが言えるかもしれない。
しかし、いつの時代も残虐な人間というのはいただろうし、人を痛めつけて楽しむ性向を持つ人間もいたことだろう。
大昔からそういう人間はいたし、これからもいなくなることはないだろう。
こういう人間をどう扱うか。
近代刑法による裁きのなかった時代、彼らに課せられるのは、自分が犯したのと同等の体罰であったり、コミュニティからの追放であったりしたのだろう。それが12・3歳の子どもにも適用されたかどうかは知らないが。
社会の秩序維持にとって、どういう方法が効果的であるのか、今の時代に生きる私たちにはわからなくなっているのではないだろうか。
「社会の秩序維持」という前提さえ、あるいは間違っているのかもしれないではないか。
イスラム世界の「百叩きの刑」より、寛容な心で犯人の言い分を聞いてやり、理屈を説き、百万遍の説教をすることのほうが効果的であり人間的だ、と誰に断言できるだろうか。
しかし、「鞭打ちの刑」や「目には目を」や「仇討ち」法案が国会を通ることはない。
この愚かで残酷な中学生たちには、おそらく「カウンセリング」などと称して至れり尽くせりの更正メニューが施されることだろう。
私は教育の場での体罰には反対の立場なのだが、このいじめ事件は「体罰」相当だと思った。
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コメント
私もそう思います。体罰が良いこととは思いませんが、子の件は、被害者にとって、一生忘れることができない傷を残してしまう残酷なことだと思います。
なので、加害者にも是非同じ体験をさせて、自分自身の心と体でどんなひどいことをしたのか体験してみることが、加害者のその後の更正にもつながると思います。
投稿: 塔子 | 2010年7月 1日 (木) 15時57分
私もそう思う。今までいじめを苦に自殺した子達の大半が死人に口無しの状態で加害者から遺族に謝られたりされた事もなく、マットレスにはさまれ死亡した事件などは加害者が無罪を主張、証拠不十分から無罪。挙げ句に無罪の釈明会見も開かれた。結局、亡くなった男子生徒は誰にマットレスにはさまれたのか…犯人はわかずじまいだ。数年前に同じ可児市の自殺事件の後は、学校側がいじめの事実を認めたのに、加害者五人からの謝罪は無し。ご両親が民事訴訟をおこされた。すると、加害者側のうち二人は弁護士をたて、いじめはなかったと発表で真っ向から戦う。ただ…大切な我が子に「ごめんなさい」の一言が欲しいだけなのに…。被害にあった親子達は一生報われない。今回は写真という証拠まである、逃げ道は無くし、大人同様に断罪すべき。メールをもらって回した奴等…きっと「悪気はなかった、いじめたつもりはなかった」と卑怯な奴等にも罰則すべき。
もし、もし、法的にどうも出来ないとゆうのなら…誰か裁いてほしい。かれらを。可児市の自殺された彼女を部活の一貫という大義名分を出していじめ続けた五人の彼女達にも…。でも、心のどこかで私はしんじている。彼女達のした事にたいする報いはきっと彼女達にふりかかるということを。した事に対する責任をとらない限り、まだ10代の彼女達の明るいはずの未来にずっと長くのしかかる事を親子で理解すべきだと。
目には目を歯には歯を…
した事を理解出来ないのなら、体感してでも感じるべきだ。いじめは…犯罪だ。
投稿: ごんちゃママ | 2010年7月 3日 (土) 10時53分
★塔子さん、
初めまして。
>被害者にとって、一生忘れることができない傷を残してしまう残酷なことだと思います。<
はい。これは「乗り越えて成長する」といった類の悲劇ではないと思います。でも、それを言っちゃうと被害者は救われないので、ひたすら「忘れなさい」と言うしかありませんね。
だけれども、加害者にも同等の痛みを感じさせることで、被害者の傷はかなり癒されるのではないかと想像します。
でなければ当事者同士の「けじめ」として考えられるものが何もないですよね。
加害者の「更正」とか、「厳罰による抑止」などの社会全体としての対策はまた別の問題ではないかと私は思うのです。
これは、凶悪犯罪全般にあてはまると思います。
ごく単純に「落とし前つけてもらう」という考え方でいけないもんでしょうかねえ。
「落とし前つけろや」なんてやくざみたいで野蛮、と言われそうですが、ある意味この「野蛮さ」がなくなった人間社会の長年のもやもやの積み重ねが、今の息苦しさにつながっているのではないかとさえ思えてきます。
ま、かといって、実際に彼らを裸にして写真撮ったり鞭で叩いたりするわけにはいかないですから、文明社会というのは不自由なもんです。
投稿: robita | 2010年7月 4日 (日) 09時09分
★ごんちゃママさん、
初めまして。
ほんとに部外者から見ても腹立たしいいじめ事件が数限りなくありましたね。
報道されるだけでもこんなにあるのですから実際はどれほどの子どもたちが辛い思いをしているのかと思います。
いじめられる側にも原因がある、ということはたしかにあると思います。
例えば、意地悪だったりわがままだったりすれば、そんな子と付き合いたくない、と周りが思うのは自然なことで、でもそういう場合は、せいぜい「無視」という形であらわれる程度でしょう。
でも、何も悪いことをしていないのにただ自分たちの快感のために積極的に辱めるというのは悪魔の所業です。
>彼女達のした事にたいする報いはきっと彼女達にふりかかるということを<
そうですね。
「報い」の感覚が失われたのは、日本人が宗教心を忘れてしまったからでしょうかね。
悪いことをすれば「報い」がある。これこそが歯止めだと思います。
計算による社会制度の設計なんて、決して良心を育てないのに。
投稿: robita | 2010年7月 4日 (日) 09時14分
僕は教育の場での体罰には賛成です。子供っていうのは口では分からないんですよ。だから体罰で分からせればいいと思います。子供はなかなか理屈を理解しませんから。
ただし、これは教育的目的をもった体罰です。未熟な教師には出来ないことですが、成熟した教師なら体罰は許されるべきです。その成熟と未熟の線引きが問題ですが。
法律で一律に禁止されているのは、そういった教育目的の体罰を行えるような成熟した教師が減ったからなのかもしれないですね。
投稿: koichi | 2010年7月 9日 (金) 18時52分
★koichiさん、
私が言うのは「口で言ってわからないから、叩いてわからせる」ということとは違うのですが、ケースバイケースということになるでしょうか。
>子供はなかなか理屈を理解しませんから<
理解すると思います。
でもたまに悪意でいっぱいの子供も出現するわけで。
そういう子は体罰を加えてもわからないだろうから、この場合の体罰は「教育目的」ではなく、やっぱり「落とし前」になっちゃうんだろうなあ、と思います。被害者の心の回復のための。
投稿: robita | 2010年7月10日 (土) 11時20分
同感です。
適度な体罰こそが、より強くイケナイ事を実感・自覚するように思います。
カウンセラー更生なんて、いい子ブリッコを上手くコナセル演技派人間育成にしか思えないですね(笑)。
投稿: トトロ | 2010年7月13日 (火) 17時25分
★トトロさん、
>適度な体罰こそが、より強くイケナイ事を実感・自覚するように思います。<
うーん、これは子どもによっても違うし、個々のケースにもよると思います。
たしかに、子どもの頃に受けた体罰を振返って、「あのおかげで自分は目が覚めた」とか「あれで強くなれた。先生に感謝している」と言う人も少なくありませんよね。
痛みを知る、というのは大事なことだと思いますがどうなんでしょうねえ、うーん、女性にはわからないことかもしれません。
ただ、辱めを受けた人や、家族を惨殺された人の無念については、まったく別の問題としてどうしても何とかしてあげなくては、と考えざるを得ません。
投稿: robita | 2010年7月14日 (水) 09時49分
「目には目を」はハンムラビ法典ですが、誤解されやすいものですね。
これは「目を潰されたら、相手の目を潰すに留めよ」という、いわゆる「倍返し」といったエスカレートして行く報復を止めるための近代刑法にも通じる思想だったりします。
この手のいじめ事件に体罰を…というのには賛成。
鍋の熱さは本を読んでも判りません。手を近づけるか触れてみなければ。
子供の想像力の欠如はよく言われることですが(子供に限った話でもないですが)、体験していないことから想像の翼を拡げるのは、普通の人には出来かねません。
投稿: えまのん | 2010年8月31日 (火) 11時42分
★えまのんさん、
>これは「目を潰されたら、相手の目を潰すに留めよ」という、いわゆる「倍返し」といったエスカレートして行く報復を止めるための近代刑法にも通じる思想だったりします。<
なるほど。
でも、それならば、近代刑法はハムラビ法典には及ばないかもしれないな、と思ってしまいます。
投稿: robita | 2010年8月31日 (火) 15時09分