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2010年8月26日 (木)

反体制なのだ左翼なのだ

私は学者ではなく、日本の近代史についてよくわからないけど、痛感するのは、こういうことを前置きに言わざるを得ないこの国の歴史教育のお粗末さだ。

なぜ「自分の国の近代史を知らない」などと言わなくちゃいけないのだ。

ちゃんと教えてほしかった。

日本の歴史をちゃんと教えてもらわなかったみなさん、お読みいただきたい。日本国民なら最低限の国の事情は知らないといけない。税金払ってるんだから。

  →産経新聞「正論」藤岡信勝 

百歩譲って、日本側からの都合の良い見方に過ぎない、とか、自己弁護に傾きすぎる、と感じたとしても、これでもかとばかりに長年にわたって謝り続けることがいったい得策なのかどうか、国際政治の常識に鑑みて考えたい。

少なくとも、日本の韓国併合は、欧米の植民地支配とはかなり性質の異なったものであったらしい。

もし藤岡氏の書いていることが嘘ならば、誰かが根拠をきちんと示して反論してほしい。

検索してみたけれど、きちんとした反論はないようだ。単なる冷笑や罵倒は見受けられるが、冷笑や罵倒だけでは全然説得力がない。

仙石由人官房長官主導の謝罪はいったいどういう政治的戦略に基づくものなのか。それは国益となるのか。
国益に結びつく戦略でなく、単なるおばちゃん的お愛想だとしたらあまりにひどい。

single40さんは反体制を謳う。→「支離滅裂とはこのこと」

私も言わせてもらおう、「私は、今や反体制派である。ああ、気持ちがいい(笑)」

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2010年8月24日 (火)

君が代が嫌い

野党時代に、故ミッキー安川のラジオ番組に出演した時、君が代を歌うことを拒否した菅首相が、それを国会で質問されると、激昂して否定した、といいます。
「私はそんなこと言ってない!」「嘘だ、嘘だ!」「証拠を出してください!」、そんな風に声を荒げたそうです。

何をそんなに狼狽して否定するのでしょうか。
「君が代」が嫌いで、新しい国歌を作るべき、という信念を持っているならそれを貫けばいいでしょうに。

君が代が嫌いだと総理大臣をやめなければならないのでしょうか。
そうでないなら、堂々と「君が代は国歌として認めない。国旗国歌法は変えるべきだ」と言えばいいじゃありませんか。

この問題は実に面白い。
「国家とは何か」を、否応なくわれわれ国民全員につきつけてくれます。

これは「左翼」という反国家思想を持った連中が政権を取った時に起こる珍現象であり、本当の革命を起こす肝っ玉のない人の姿がわかりやすい形で現れていると思います。私はそう思うのですがどうでしょうか。

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2010年8月12日 (木)

おばちゃん外交

何か相手の喜ぶことをすれば外交はうまくいくんだろうと思ったのかどうか、菅首相は韓国との決着済みの問題に対し、わざわざ蒸し返すような形で心からのお詫びと反省を表明した。

私ども、巷の普通のおばちゃんなどは、お世辞を言ったり相手の喜ぶものをあげたり、へりくだってでも周りの人々と余計な摩擦を起こさないようにしたりする。
だから、日本国として外国とうまくやるためにも、相手の嫌がることをしないとか、喜ぶことをしてあげればそれで平和が保てて結構なことじゃないか、と思うこともある。

でも、私など普通のおばちゃんには計り知れないことだが、聞くところによると、外交とは自国に利益をもたらすための熾烈な駆け引きであり、生き抜くために、また誇りを保つために、相手が嫌がろうが(むしろ相手の嫌がることをチラつかせながら)腹を据えて真剣に取り組むものであるらしい。

それは国民の生命財産をまもるという重責をに担っているからで、どこの国もやっていることらしい。

菅さんや仙石さんのやり方で、日本が損をしないのなら別にかまわない。

でもそこいらのおばちゃんのような発想で外交をやって果たして大丈夫なんだろうか。

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2010年8月 9日 (月)

貯蓄税

先日、朝のワイドショー「スーパーモーニング」で、ディレクターの玉川徹氏が解説する「貯蓄税」というものに非常に興味を持った。

クレディ・スイス証券チーフエコノミスト、白川浩道氏が提唱し、そのインタビューを交えながらの解説である。

使われずに金融機関に眠っている日本人の莫大な金融資産に税金を課して動かそうというのである。
1000万円以上の預貯金に例えば2%の課税をするというものだ。

課税されるくらいなら使ってしまおうという消費意欲を刺激し、企業は儲かり、社員の給料は増え、消費が増える。税収も増える。

貯金より株でも買おうか、ということになれば株価も上がる。税収も増える。

先週、そのコーナーで貯蓄税の提案をしたら、反響が大きく、意見がたくさん寄せられたそうだ。しかし、そのうち賛成がわずか15%で、80%以上が反対や疑問を投げかけるものだったという。

多くは高齢者の、「コツコツと節約しながら一生懸命に貯めてきたものを税金で取られるなんて納得がいかない」というものだ。

しかし、今回、問題点が提起され、一つ一つの解説を聞くと、そういう不満をもらす高齢者の利益にもつながる、と納得することができる。

このまま不景気が続けば、国庫は減るばかり。
社会保障にかけるお金がなくなり、老後の不安は増大する。

お金がないので社会保障費を削りましょう、となると、今度は「老人は死ねというのか」と文句を言い始める。いったい何を望んでいるのか。

こんな「木を見て森を見ない」態度では、日本は本当につぶれる。

今、この国で品格や覚悟が求められるのは、若者というより、高齢者なのではないか。

お金を墓にまで持っていくことはできないのだから、ここらへんで発想を変えて、カネを抱え込まずに動かすことを考えたらどうか。

これは「富の再分配」という考え方でなく、詰まっているものを取り除いて流れを良くする、ということだと思うので、金持ちも「自分の持っているものを取られる」という狭量な考えは捨てて、国全体の利益、という視点でとらえてもらいたいものである。

「国のため」は「自分のため」なのである。

番組でも言っていたが、ああでもないこうでもない、どうしようどうしようと「議論ばかり続けて何もしない」とか、国の経済にはもう期待できない、と悲観論ばかり述べているのでは、何も動かないのだ。

「カネが流れ始めることが重要」なのであり、なにより「テストとしてやってみる」ことだ。

効果がないようであれば修正すればいいのだし、座して死を待つよりずっといい。社会実験だ。

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「貯蓄税」でなく「死に金税」と名づければ、人々も抵抗がなくなるのではないかという意見もあった。

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2010年8月 4日 (水)

「mother」

庭の一角に作った菜園でミニトマトや茄子を収穫する。
そんなにたくさんは採れないので、一緒に世話をしている隣家の妹と分け合いながら、朝食の皿の片隅にちょっと添えたり、味噌汁の具にするくらいだが、自分で育てたものはおいしい。

育てやすい野菜だから、最初に堆肥を施した程度で、あとは毎日の米の研ぎ汁を肥料としてやる程度のことしかやっていない。
炎天下での水遣りも草抜きもすぐ済む。

それでもゴーヤなどは葉が薄いからか、猛暑の中、水遣りが遅れるとすぐに萎れてくる。「悪かった悪かった」と謝りながら水をやる。

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大阪のマンションの一室に置き去りにされた二人の幼子は、水も食べ物も与えられず酷暑の室内に閉じ込められて死んでしまった。
ぐったりと横たわり、少し目覚めて泣き、泣き疲れては気を失い、そういうことを繰り返しながら意識がなくなっていったのだろう。

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この事件を受けて、ワイドショーでコメンテーターの大学教授白石真澄さんがこんなコメントをしていた。
「私も二人の子供を育てましたけれど、(育児が大変で)子どもを生ゴミと一緒に捨ててやりたいと思ったことが何回かありました。私はその頃30歳過ぎで若くはなかったけど、この女性はまだ遊びたい盛りの23歳ですから、そういう気持ちになって当然だと思います」

「働きながらの子育ては並大抵のものでなく、みんなノイローゼになるほどの苦しみを味わうのだから、子どもをわずらわしく思うことに罪の意識をあまり感じないでほしい」という、働く母親への励ましの意図があって少し大げさに言っただけかもしれないから、この発言だけでは白石さんがほんとに酷いお母さんだったかどうかはわからない。

けれども、虐待死事件が起こるたびに、多くの子育て経験者が「私も子供を絞め殺したい衝動に駆られた」とか「子どもを放って家を出ようかと思った」とか、そういう意見が、多くの母親から遠慮なく発せられるようになったことが、私にはとてつもなく恐ろしく感じられる。

たしかに子どもはめんどくさいと思う時がある。
寝不足が続いて眠たい時、夜中に何度も喘息の発作で起こされたり、アトピーのかゆみで寝つかれない子どもを抱っこして寝かしつけたり、そんなことが長く続いた我が家の子育ても大変といえば大変だった。
毎夜毎夜泣かれると「お願いだから寝かせて」などとこちらのほうが泣きたくもなったが、死んでほしいなどとは露ほども思わなかった。

私なんかよりずっと育児に苦労した母親のほうが多いと思うが、それでも、ほとんどの母親は捨てたいとか死んでほしいとか思わなかったはずだ。

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「子どもを捨ててしまいたい」とか「死んでほしい」とか、たとえそのように思ってしまう母親がいたとしても、それを口に出して言うべきではないし、ましてや「子育ては大変なのだからそう思うのもよくわかる」などという共感もすべきではない。なぜならそれは間違っているからだ。

間違っていることを、「共感できる」「そう思って当然」などと擁護していいものか。

そう思ってしまうのは仕方がないとしても、それは母親の「秘め事」としておくべきだ。生ゴミで出してしまいたい、などと決して口にしてはならないと思う。

白石さんは、心の中でだけでもいいからすべての子どもに謝ってほしい。

現代社会は、母親への「ちゃんと育てるべき」というプレッシャーが強すぎる、などと言われるが、親としての最低限のこともせずに「ちゃんと育てろというプレッシャー」とはいったいどういうことか。

母子の関係は、他人同士の「あいつ、気に入らないから死んでほしい」という関係とは次元が違う。

けれども、その母子の関係が従来のものと大きく変わりつつあるのだろう。母性の喪失が恐ろしい速さで進んでいる、という表現の方が適切か。

先日、聞いていたTBSラジオ「大沢悠里のゆうゆうワイド」でも、子供を口汚く罵る若い母親の様子がリスナーから紹介されていた。単なる「昔のかあちゃん」的な勇ましい叱り方でなく、子どもの心を深く傷つけるようなえげつない言葉の連発だったという。
そう、そんな母親を見かけるのは今では日常茶飯事だ。

子供は、自分の人生にとって「厄介者」とみなされるようになった。

こういった虐待死事件や、その母親の心情を「当然」と擁護する風潮は、「子どもとは母親を苦しめる存在」として定着してしまうのではないか。恐るべき事態だ。

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昔は、周りの助けがあった。家庭生活や地域社会や親戚関係が共同体として機能していた時代には、何らかの形の支えが期待できた。

しかし、人々が共同体の結びつきのわずらわしさを排除した結果、その利点も失ってしまった。

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これからは、こういう事件は減ることはなく増え続けるだろうと思う。
昔のような共同体が復活するとは思えないし、それに変わる新しいシステムが速やかに構築されるとは思えないからだ。

すぐ隣に普通の人が普通の生活をしていながらこういう悲惨な事件が起きる。

行政や隣人の対応を怠慢だと責めるのは筋違いだと思う。
なぜなら、これは我々自身が選び取った現代の、特に都市生活の形態なのだから。

ラジオでは、大沢悠里が、「子供を産んだはいいけど育てられなくて苦しんでいる人が、子供を預けられる施設を作るべきではないか」と提案していた。
「赤ちゃんポストなどというものでなく、ちゃんと正体を明かして、こういう者ですが、こういう事情で子育てができなくなりました。しばらくのあいだ、預かっていただけませんか、と頼めるような駆け込み寺的な施設」

そういうものを作ってもなかなか利用しにくいことだろうとは思うが殺すくらいなら他人に預けてほしい。

子供を社会で育てるとはそういう手立てを考えることではないのか。

子ども手当てと称してお金を配ることではないと思う。

なぜなら、子供を邪魔者と感じるのは、貧困や無知が原因ではないからだ。白石真澄さんのような上級の女性でさえあのような心境に陥るということがそれを物語る。

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・・・と、ここまで書いて、果たして母性の喪失は間違っているのだろうか、と思い至る。

間違っているから元に戻さなければいけない、というようなことなんだろうか? 

これらの現象は単なる生物の進化で、文明の必然なんじゃないだろうか?

母性が退化した今の時代にたまたま生まれたから、前世代の価値観とのギャップに若い母親が苦しんでいるのであって、それを責めることこそ間違っているのではないか?

女はただ子どもを産めばいい。社会はそれを預かって育てる、という時が来ているのではないか?

SF小説で描かれたような世界が現実のものとなりつつあるだけであって、それを無理して是正しようとあがくのでなく、われわれが本当にすべきことは、進化した人類に合わせた社会を構築すべきなのではないか。

そのようにも思えてくる。

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それでも、我々は愛情の原点を母子愛に求めてしまうのである。

松雪泰子主演のテレビドラマ「mother」では、虐待を受ける少女を担任の女教師がやむにやまれず誘拐して救い出す、という筋書きだった。
彼女はたった一人でそれを計画し母子を装って逃げ回り、共に生活し心を通い合わせる過程で次第に母性に目覚めてゆく。

彼女を取り巻く多くの人々はそれを支えた。支えがなければ彼女はやはり子育てがいやになり、子どもを放り出したかもしれない。
たくさんの人たちがこの母子を救おうと奔走した、人の情愛を感じたドラマだった。

学校も行政も警察も動けなくて子どもが殺されてしまうのであれば、一般の国民が虐待されている子供たちを「誘拐」するしかないのだろうか。
大阪の幼児二人を誘拐しても、「誘拐」は親告罪だそうだから親が告訴しなければ、問われるのは「住居侵入」だけになるのかな。

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  駆け込み寺は良い提案だと思うのですが 人気ブログランキング

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