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2010年9月28日 (火)

若さが変革を可能にする

民主党、よくやった、というべきか。
憲法9条を盲信してきた結果がこれだ、ということを今回の尖閣諸島問題によって日本人は学習した。
領海侵犯の中国人を逮捕拘留するという、自民党でもやらなかった強硬策によって、中国の理不尽さがあらわになったのだ。

護憲派の人々が今回のことをどうコメントするのか知りたくて、TBS「サンデーモーニング」をちょっと見てみたところ、カメラマン浅井慎平、法政大学教授田中優子らの「9条死守平和主義者」たちが、ナショナリズムの危険性について語っていた。
「中国と日本のナショナリズムが加熱しぶつかり合うと、こういうことになる」と言わんばかりで、あたかも日本にも非があるような言い方に、今回のような問題が起きた時に左翼知識人というのはこういう詭弁で切り抜けるのかと思った。9条信奉というのはまさに宗教だ。

しかし、この事件が起こって本当に良かった。
起こらなかったことからは学習できないからだ。

もし、こういうことを見越して日本が憲法9条を改正し、軍備を整え、日米安保体制を強化し、米軍との合同演習など尖閣列島海域で定期的に行い、国境の守りを万全にしておけば、中国は手を出してこなかっただろう。
そのかわり、9条信者たちは、「安保反対」「9条を取り戻せ」「東シナ海を平和の海に」とかなんとかのスローガンを掲げて、「日本の軍国主義化」を糾弾し続けていたことと思う。

「起こったこと」から人は学ぶのだ。

長い間、何が日本を弱腰にさせていたのか、それを理解することで、今までの政府の苦労がよくわかる。
憲法9条は日本を守ってくれないどころか、つけこまれる原因になっている。

漁船の船長を拘留期限前に帰してしまったことを当初は「弱腰」と思ったものの、その後の中国の態度がエスカレートしていくさまを見ると、逮捕拘留だけで充分インパクトがあったと思える。船長を帰そうが帰すまいが同じことだっただろう。

このたびのことは、どういう国家体制であれば毅然とした態度をとれるのか、日本人が考える機会を与えてくれたまことに意義のある騒動である。

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2010年9月21日 (火)

領土なんかいらない

尖閣諸島は日本の領土である。
これに反日左翼の連中も異論を唱えないので、証拠がはっきりしていて間違いのないことなのだろう。

【明治18(1885)年以来、無人島であった尖閣諸島を実地調査し、清国(支那)を含むどの国にも所属していないことを確認した上で、明治28(1895)年1月14日の閣議で沖縄県への編入を決定、正式に「日本の領土」とした。】

これが歴史的事実である。だから尖閣諸島は日本のものだという主張は誰が聞いても納得のいくものだと思う。

ところが、1970年頃に、国連の調査により尖閣諸島に豊富な地下資源が埋蔵されていることがわかった途端、にわかに中国が領有権を主張し始めた。
あさましいというほかはない。

しかし中国と衝突するととても面倒なことになるので、日本は「尖閣は日本固有の領土である」と面と向かって毅然と中国に言うことを避けてきた。もう何十年もの間、そうしてきた。

今回の漁船領海侵犯問題でも、船長は拘束したものの、そのことを中国にガンガン責められて、結局は起訴もしないでお帰りいただくのではないか。
「民主党、しっかりしろ! 毅然とした態度ではっきり中国に物を言え!」とせっつくのも気の毒である。
民主党でなくても、自民党政権の時代だって毅然と物を言うなんてことできなかったのだから。
日本自体、毅然とできない国なのである。

こういう事件が起きた今こそ、勘違いをしている中国人民に歴史的経緯をきちんと説明する絶好のチャンスだとは思うものの、中国政府そのものが聞く耳を持たないのでは、話が進まない。

なにしろ向こうはこっちの話も聞かず、文化交流をストップするぞとか、商取引をやめるぞとか、軍艦を出すぞとか、どんどん実力行使で攻めてくるのである。

こわいよねえ。

アメリカは「領土問題には中立」という立場を保っているし、政権交代以来、民主党は明らかに「アメリカ出て行け」という態度である。傷ついた日米安保では、それに頼ろうとすれば「そんな虫の良い話があるか」ということになってしまう。

さて、どうしたものか。

まあ、経済でつながっている中国を怒らせないのが日本の当面の国益であるならば、とりあえずは怒らせないようにするのがいいのかもしれない。
民主党政権がこの事件をどう収めようとしているのか知らないが、きっと中国を怒らせないような対応をするのだろう。
情けないけど仕方ない。力で脅しにかかる暴力団には勝てないのである。

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ただし、しなければならない大事なことがある。
それは日本人の教育である。

民間から新しく総務大臣になった片山善博氏がNHK番組で「もっと領土に対する意識を国民に涵養するような施策が必要だ」と主張したそうである。 → http://news.goo.ne.jp/article/sankei/politics/snk20100921116.html

同感だ。

日本の領土はこうなっている、ということをせめて日本人だけでも知っておいたほうが良い。 古い記事だが →「日本ってほんとに長いんだ」 

中国に抗議する以前の問題として、日本人自身が自分の国の広さも領土獲得の歴史もわかっていないのではお話にならない。

しかし、このことを言う閣僚は片山さん一人だけで、「時間が解決する」というお気楽な考えの政府高官もいる、と記事にある。

時間が解決するはずがなく、このままではいずれ尖閣諸島は中国に取られてしまうと私は思うけど、それでもいいや、と政治家も国民も思っているのだろうか。

日本人とはなんと無欲な国民だろう。
それが政府の危機感のなさとなって反映されているだけのことなのか。

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実は私も本音を言えば別に取られても構わない。

だって質素倹約を心がけて、色々なことを我慢すればなんとか余生を生きていけるもの。

領土に関心のないおおかたの日本人もきっとそういう覚悟があるんだろうと思うよ。

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海洋資源もシーレーンも全部中国にくれてやりましょう。
そして日本人は欲を出さず、
貧しく美しく生きていきましょう。   
周辺諸国と喧嘩をしないためには黙って耐えるのが一番。
日本さえ我慢すれば周辺諸国もご機嫌が良いのですから。
そしてひっそりと滅びていきましょう

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   日本人は本当にそう思っているのでしょうか?
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2010年9月 5日 (日)

しあわせ

もう30年以上前になるでしょうか。生涯独身を通した上坂冬子さんの、あるテレビ番組での発言が印象に残っています。

上坂さんは別に独身主義者というわけではなく、普通に結婚願望はあったようで、20代半ばでお見合いをした時のことを次のように語っていました。

「身上書を読んだ時点で、学歴も職業(弁護士)も申し分ないし、ご家族もしっかりしてらっしゃるようなので、私はほとんど『このかた』と決めていました。
大いに期待して会いに行ったんだけど、そのかたのお顔がね(と、手を顔の両側に添えて)、こんなだったの」

とても顔の幅が広いとかエラが張ってるとかそういうお顔だったのだと思います。

「ほんとに優秀で誠実で穏やかな良いかただったんですけど、私はどうしても受け入れることができなくて。自分でお断りに行きました。『あなたのお人柄がどうこうではなくて、男の人として・・・』って、できるだけ失礼のないような言い方でお断りしました。
相手の方はやはりとても良いかたで、わかりました、と快く納得してくださいました。
でも、後から考えるとどうしてあんないい人断っちゃったのかって・・・・。若かったのね・・・。そのかたは今、立派な弁護士としてご活躍中です・・・」

上坂さんはそう言いながら、苦笑いというか、恥ずかしそうな笑みを浮かべ、私は好感を持ちました。

同じ「強い女」でもフェミニストと呼ばれる進歩的知的女性たちと決定的にちがうのは、こういう可愛げのあるところなんだろうなあ、と今にして思います。

さて、女性たちは結婚相手を選ぶにあたって「同じ価値観を持つ人」「同じ話題で楽しく話せる人」「妻の話を聞いてくれる人」といったことを条件にあげます。

もちろんそれは大事なことで、同じ価値観で楽しく話せて妻の言うことをよく聞いてくれる人のほうが、そうでない人より心地よいに決まっています。

民主主義を学んだ団塊世代の男女が、考え方や趣味や興味を共有し、「友だち感覚」で「友だちファミリー」を作り、以後その民主主義による家族形態は代々受け継がれることになりました。

私も若い頃はご他聞にもれず、そういうのがこれからの人間が持つべき価値観だと理解していたため、家族に対する夫の姿勢にずいぶん疑問を持ったものです。

同い年で、時代を共有しているというだけで、共通の体験話が接着剤となり、見合い恋愛して結婚しましたが、共に生活してみると、なんとまあ話のわからない人だろう、話題が乏しくつまらない人だろう、と思うことが多々ありました。

しかし、私も少しずつ成長していく中で、家族というものの持つ意味をだんだん理解するようになりました。

夫婦が気の合った友だちのように話題を共有し、趣味を共有することは、家族を守るためにそんなに重要なことだろうか。

もちろん、人の価値観はいろいろですから、そういうことを一番大事にする夫婦関係を否定するつもりは全くありません。

同じことに関心を持って共に趣味を楽しむ夫婦の姿は素晴らしい。夫婦の絆はそういうことでよりいっそう強まると思います。

しかし、最初からピッタリ合っていなくても、年月をかけて共に楽しめるものを見つけていく過程もまた大事なのではないかと思うのです。

第一、夫を「話題が乏しくてつまらない男」などと決め付けた私は、家族を養う生活力もないつまらない人間で、夫の足元にも及ばないのです。

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また、男性は女性とはメンタリティがずいぶん違うので、女性の気持ちもわかってほしい、私と同じように考えてほしい、とあまり強く要求するのも酷な気がします。

夫のあまりのわからなさに腹を立てる気持ちもよくわかりますが、基本的に悪人でないなら、なんとかなるものです。

そんな風に結婚し家族を作っていった時代だから、昔はみんな「お互いの価値観がどうの共通の話題がどうの」という話がなくても、「稼ぎ」「家のつりあい」「好感が持てるかどうか」、そんなことで納得してみんなすんなり見合い結婚していたのでしょう。

まあしかし、もうそんな時代でないのは事実なのだし、それらの条件だけで結婚するなんて「不純」なことはしたくないのだから仕方がありません。

上坂冬子さんが断ったお相手の方のように好感が持てないほどお顔の幅が広ければ、やはり躊躇してしまう娘さんの気持ちもよくわかります。

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だけれども、「夫に対する憎悪」というのが恋愛結婚だから起こらないとか、見合い結婚だから夫婦の危機を乗り越えられない、などということはまったくない、と私は思います。

むしろ恋愛感情だけに依りすがって結ばれたカップルの破綻は少なくありません。

古い新聞のコラムの切り抜きで、作家の林真理子さんのこんなエッセイを見つけました。

【___略___ このコラムに宛てて、たくさんのお手紙をいただく。___略___たいていの手紙は夫と夫の家族に対する恨みに満ちている。それによると多くの女性たちは、夫から家事や育児を「押し付けられ」、「強要され」、毎日失意と苦悩の中で暮らしているのだそうだ。
夫の母親や兄弟たちも非常に性格が悪く、意地悪で女たちの気持ちを逆撫でしている日々だという。
こういうことはすべて「社会制度のゆがみ」や「男性社会の強固さ」が生んだことだそうで、私はまだやっているのかと腹立たしくさえなる。夫婦仲が悪かったり不幸なことが、どうして社会制度のせいなのだろうか。その男を選んだのは自分ではないか。誰が押しつけたのでもない。自分が愛して選択した男に、これほどの憎悪はまったくどうしたことであろうか。
___略___社会をよりよく変えようとすることを、もちろん否定はしない。しかし自分のオトシマエは自分でつける。このあたり前のことが出来ない女性たちが、これからどんな世の中を創り出せるというのだろうか。
___略___私もこの連載でいろいろなことを勉強させていただいたが、自分の幸福は自分で努力してつくり上げる、という言葉を今さらながら噛みしめている。自分の人生の主役は私なのだ。これから先も私は頑張って決して私を不幸にはさせない。】

林さんらしいキビシーイお言葉ですが、グウの音も出ません。

ちょっと前、「心の知能指数」(EQ)という言葉がはやりました。はやったというより今もそれは重要な意味を持つものだと思いますが、私は「どうしたら自分が幸せになれるか考える能力」と解釈しています。

林真理子さんはきっとEQの高い人だと思います。
その能力の中には「自己実現」だけでなく、さまざまなことに対する忍耐や調整力が最も多く含まれているのではないかと思います。
忍耐は不幸だ、ではなく、幸せな未来への土台となるものだということをご存知なのでしょう。

特に夫婦の間でこれはすごく重要かなと思います。

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民主党の党首選の騒動を受けて、テレビ局が街頭で菅さん小沢さんについてのアンケート調査を行っていました。

女性対象の質問で「結婚するとしたらどちらがいいですか」というのがありました。

圧倒的に菅さんを選ぶ人が多く、コメンテーターの森永卓郎さんが「ハンサムだからですよぉ」と発言していました。(たしかに菅さんは若い頃かなりの男前でした)

しかし未婚の女性ならともかく、人生経験を積んできたであろう年配の女性までもがこぞって菅さんを選ぶ気持ちがわからないなあ、と思っていたところ、「修羅場をくぐった女性ほど小沢さんを選ぶ傾向にあるようですよ」と司会の男性が言ったので納得。
日本女性はまだまだ苦労が足りないのか、それともわかっちゃいるけどヴィジュアルだけは譲れない何らかの理由があるのか。あるいは、どっちも同じぐらい嫌だけど、どちらかを選ばなければならないのなら好みの顔のほうがいいじゃない、という程度のことなのか。

私はお二人がどういう人物なのか詳しくは知らないからどっちとも言えないけれど、大口をたたくばかりで結局は小物だった菅さんに全然魅力は感じないし、小沢さんの顔は嫌いじゃない。

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2010年9月 2日 (木)

アカデミー

NHKドラマ「坂の上の雲」で、秋山好古が弟の真之に「自分の考えも持たないうちに新聞なんか読むな」と破り捨てるシーンがありました。
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35年前、産経新聞に連載されていた保守派論客による評論文が、現在「昭和正論座」として再掲連載されています。
それらの論考を「うんうん、なるほど。そうよねえ」と共感しながら読みます。
35年前に読んでいたら自分はもっと早く大人になっていただろうに、とは思うものの、青い時期を経て大人になるのが人間の成長として順当でしょうから、あまり早く悟るのもそれほど良いことなのかどうかはわかりません。

多くの書物には「読み時」があると思います。
私が若い時分に読んだ本といえばSF小説ぐらいしかないのですが、人間観、世界観の形成上、少なからぬ影響を与えられたように思います。
中年過ぎてからいくらあれらを読んでもあの頃と同じ感動は得られないだろうし、人間形成や思想形成にそれほどの影響があるとは思えません。

また、世界観の形成とは別に、SF小説で描写されるへんてこりんな世界を受け止めることができるのは若者特有のみずみずしい感性ゆえだろうと思います。年を取ってからではわけがわからないのではないでしょうか。
未熟な人生にスパイスのように利いたその風味を今でも懐かしく思い出すにつけ、あの年齢にこそ意味があったのかなと思えてきます。

青春小説への共感や感動も、悩み苦しみの真っ只中にたたずむ若者ならではのものです。
世界的ベストセラー「ノルウェイの森」も年を取ってから読んだからでしょうか。その意味も良さもさっぱりわかりませんでした。(若い時に読んでもわからなかったかもしれませんが)

若い時は小説、演劇、映画などの作品にできるだけたくさん触れるのがいいと思います。
評論の類にあまり傾き過ぎないほうがいいのかもしれません。つまり理論でかためた「頭でっかち」になるより感性を磨くのがいいでしょう。

もちろん子供のうちからできるだけ多くのことを学んだほうが有利だとは思いますが、優先されるべきは実地訓練であり、感受性を刺激することであり、理屈は後まわしでかまわないと思います。

しかしながら、若い時期に「知の巨人」に出会い、「知の興奮」を覚える体験も、これまた格別な財産となります。

境い目はきっと高校生と大学生の間にあるのでしょう。

猫も杓子も大学をめざす今の時代、その境い目が判然としなくなったこともあるでしょうが、最高学府の学生としての特別な「知の体験」は、ほとんどの大学であまり期待できなくなっているのではないでしょうか。

大学というところに行っていない私には昔の状況もよくわかりませんが。

先日、ハーバード大学のマイケル・サンデル教授(「これからの『正義』の話をしよう」)が東京大学で講演をし、白熱した議論に学生たちは「知の興奮」を体験した、という新聞記事を読んで、「大学」という場で湧き上がる知的ダイナミズムを私も少しばかり感じさせてもらいました。

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