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2010年10月 1日 (金)

もう遅いのか

「尖閣列島は我が国固有の領土である」「中国と日本の間に領土問題は存在しない」

菅総理はじめ、国を代表する大臣たちはそう繰り返すばかりだ。

最も大事なことは、「なぜ尖閣は日本のものなのか」という根拠をはっきりと述べることである。

それは、中国に向けて、世界に向けて、何より日本国民に向けて説明されるべきなのである。

根拠も述べず、「日本の領土なんだから日本の領土なんだ」と繰り返すだけでは駄々っ子のようで説得力などない。

根拠を説明するという基礎的なことを、政府はやっていない。

それを、昨日の予算委員会で公明党議員に指摘され、菅総理だったか前原外相だったか、「わかりました。これからやります」みたいな態度だった。

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他国に理不尽な扱いを受けて、なぜ日本は毅然とした態度がとれないのか。

それは日本が65年のあいだにすっかりそういう体質になってしまったからである。

国会で自民党は政府与党を「毅然とした対応をしろ」と責めていたが、あれは野党だからできるのである。自民党も今なら威勢の良いことを言える。

民主党も、小泉政権の時に、魚釣島に上陸した中国の活動家を逮捕せずすぐに強制送還したのを、「事なかれ主義だ、及び腰だ」と言って非難した。

与党になった途端、「毅然たる態度」は消え去って、相手国の顔色ばかり伺うようになるのである。

いったい何故、当然の言い分を面と向かって相手国に言わなくなるのか。

それは、「怖いから」、これに尽きる。

日本は外交が下手だとかなんとか評論家たちが口々に言うのだが、何故下手なのかを考えると、「外国と揉め事を起こしたくない。こっちが折れれば済むことだ」という考えが基本にあるからだと思う。

勇気を出して、理を主張してみたところで、そのあとに何が来るか。

恫喝されたらどうするのか。日本の欲しがってるものを売ってやらないぞとか、軍艦を出すぞとか言われたらどうするのか、その時にどうしたらいいかわからないから言わないのである。事なかれ主義である。

どうしてそういう国になってしまったのか。どうして強く主張することができない国になってしまったのか。

それは政治家を責めるより、もはや国民自身の責任であると私は思う。

逃げ腰、弱腰、及び腰、これが日本人の骨の髄まで染み付いた習性だ。

それは政府がどうの、政治家がどうのという問題ではない。我々日本人自身が自らをそのように作り上げてきたのである。

長い間、そこに危機感を持ち、日本人の覚醒を訴え続けてきたまともな人々は、平和主義者たちに「過激なタカ派」と罵られ、数の上で負けてきた。

警告は常に抑えつけられてきた。

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尖閣列島の今回の騒動は一時的には収束するかもしれない。国際社会も中国の強引さに批判的だ。

しかし、解決したわけではない。これからも中国は領有権を主張し続けるし、ついには本格的な奪取に着手するかもしれない。

尖閣以外にも、北方領土も、竹島問題も抱えている。

国際社会に訴えることも大事だが、基本的に日本が自力で解決しなければならないことなのである。

日本に同情的な国々だって自国の利益を第一に考えるのだから、正義で動くとは限らない。国際世論が常に日本にとって有利という保障はない。
国際世論だけをあてにして日本の自主的な防衛戦略がないのでは、国家として成り立たない。

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さて、日本が基本的に自力で解決するのだ、と決心はしてみたものの、具体的に想像してみると・・・・今さら、自衛隊を強化したり憲法改正したりしたところでダメなんじゃないかと思う。

自衛隊を尖閣に配備するなんてことできるんだろうか。もしそれを強行したとして、中国が黙って見ているだろうか。

それでも強引にやるのか。戦闘も覚悟でやるのか。

すべて遅すぎたと思う。

仮に日本人が覚醒したとしても、今度は「なめられるな!」「強硬策で行け!」というような正反対の世論が支配してしまい、またもやまともな国家戦略がかすんでしまうのだろう。

まともな国家戦略を「過激だ。そんなに戦争がしたいのか」と言って押さえつけてきた国民の責任である。

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