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2010年10月18日 (月)

人情味あふれる地域社会

ちかごろ世の中に起こる出来事を受けて、「殺伐とした社会になった」、「昔はもっと人々は人情にあふれていた」、「昔の日本人は優しかった。日本人はどうしてこんなに冷たくなったのか」などと盛んに言われるようになった。
「商店街は人のぬくもりに満ちていて、駄菓子屋のおじさんおばさんは子どもたちをまるで親のように叱ったり褒めたりして接していた。あの地域共同体を取り戻さなければいけない」などと力説する社会学者などもいて、それはまあ、一面でそういう風にも見ることができるとは思う。

しかし、私は昭和の子供であったから、いろいろなことを体で覚えているから言うのだが、昔の日本人って果たしてそんなに優しかっただろうか。人の優しさなら、今のほうがずっと上だと思うのだ。

子どもの頃、商店街におつかいに行かされるのが好きではなかった。夕方の買い物どきの商店はどこも主婦たちが群がり、われ先に「あれ頂戴これ頂戴」と店員に大声をかけて物を買っていく。体も小さい、声も小さい子どもは後回しになり、店員が気づいてくれるまでドキドキおたおたと待つしかない。いくつかの店で買い物を済ませてやっと家に帰れば「遅かった」と叱られる。

駄菓子屋のおじいさんは子どもたちの名前など覚える気もなく、万引きに目を光らせていたり、菓子の当たりくじが続けて出ると機嫌が悪くなったりしていた。

紙芝居だって、駄菓子(見料)を買わない子どもはシッシッと追い払われた。

大人も子供も自らの利益を守るのに必死で、互いにある意味狡猾さを発揮していた。子供だからと警戒を緩めていては生活が立ち行かなくなるだろうし、子供たちは自由に使えるお金をあまり持っていなかったから、けっこうずるがしこく立ち回った。

少し大きくなってから郵便局やその他の役所などに用足しに行くようになってからも、局員や職員の態度はつっけんどんだったし、ときに非常に意地が悪かった。

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そのうちスーパーマーケットが台頭してくると、買い物が楽になった。店員に「お願い」しなくても、入用のものをかごに入れてレジに行けばいいだけになった。

役所の人々も昔と違って格段に丁寧で親切になった。結構なことである。

要するに、「人が優しかったかどうか」が問題なのではなく、厳しい環境を生き抜くために大人も子供もたくましさ(狡猾さと言ってもいいかもしれない)を身につけざるを得なかったのではないだろうか。

その「厳しい環境」こそが絶好の「育ての親」だったため、後になって、「自分を育ててくれた人情味あふれる地域社会」という風に記憶を転換させていったのではないだろうか。

さらに、外の環境が厳しいからこそ、それに対抗して自分たちの利益を守るべく、血縁で結ばれた家族という共同体の絆が強固だったとも言える。

たしかに昔の日本人の「素朴さ」なるものはあったに違いない。しかしそれはすべてが「善」であったり「優しさ」を意味するものではなかったように思う。

件の社会学者は、もしかしたら駄菓子屋体験がないのではないか。
頭に描いた幻想を「昔の現実」と勘違いしているかもしれない。

私の記憶違い、あるいは私の体験が特殊だった可能性もあるので、断言はできないが、昔の人は恐かったよ。

でも、どうだろうか。私の世代でなく、もっと後、例えば今の40代50代の人たちの子供の頃は地域社会は善意のおじさんおばさんで満ち溢れていたのだろうか。ぜひ知りたいものだ。

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コメント

10代を昭和で過ごした40代の私がきましたよ(苦笑)

どうだろうなぁ…確かに八百屋のおじちゃんや駄菓子屋のおばちゃんには面が割れていたけど、それは同級生の両親だったからという縁もあるし。

でもまぁ、今の子供に比べると私らの子供時代はやんちゃだったのかもしれませんね。だからこそ『抑止力』として大人の方も「粗暴」だったりして(笑)

家の修理などで工務店や大工さんを家に迎えることがあります。年配の人は高確率でタメ口ですが(笑)、若い人は見た目はやんちゃでも腰が低くて言葉づかいも丁寧な人がほとんどです。これも世代の差でしょうかね。

投稿: かせっち | 2010年10月18日 (月) 19時43分

★かせっちさん、

>それは同級生の両親だったからという縁もあるし<

そうですね。
私の小学生の頃は同級生に商店の子供がたくさんいました。親たちもどこの子だというのはだいたいわかっていました。
お米屋さん酒屋さんクリーニング屋さんなどは子供はいなかったけれど、御用聞き・配達があったので世間話の中で家庭の事情なども結構話題になっていたと思います。
だから物の売り買いの形態が変わったというだけで、昔と今の人情の有無という問題じゃないと思います。
むしろ、コミュニティが小さく密度が濃かったという点で、噂話に晒されたり、トラブルが起きやすかったりというマイナス面にも悩まされていたわけで、結局、面倒くさくても関係が濃いほうがいいか、地域に関わらないで自由に気楽に生活するほうがいいかという「選択」の問題になります。
で、現代の都市生活者は後者を選んでいるわけでして。

>だからこそ『抑止力』として大人の方も「粗暴」だったりして(笑)<

そう、「荒削り」だったんですよ。

>これも世代の差でしょうかね<

豊かになって、言葉遣いや物腰が洗練されてきたんだと思います。
「今の若い者は」とか年配の人は言うけれど、それは一面的な見方で、かせっちさんの仰るように、若い世代は全般的に穏やかで親切ですよね。
社会問題になるような奇異な事件も多発しますが、それこそが都市生活の弊害なのでしょうし、大部分は常識的な人々なのですから。
むしろ、若い人がおとなしすぎて穏やかすぎて、それが問題だと言われるくらいですからね。

投稿: robita | 2010年10月20日 (水) 09時36分

robitaさん、
 お誘いにより、参上しました。
 昭和20年生まれの小生ですが、住んでいたのは三重県の真ん中あたりの漁村、ただし、海軍将校住宅をそのままの形で借りた賃貸住宅(木造、平屋)街で、20戸ほどの住民は、元来は地元の住民ではない公務員が多く住んでいました。他には、歯医者が1軒、医師が1軒、公務員の人々の中には、4人ほどは大学教授・・・ただし、地元漁師も1軒。
 すなわち、地元の旧来の住民とは少し違う、公務員が多い住宅街、しかし小生の場合は、父親の出身地でもあり、父親は公務員だけど、地元に畑も持つ、まあ小さな公務員住宅街の中でも、性格が曖昧な部類というか。

 そういう小さな世界で育ったので、やはり普通の田舎の環境とは異なり、小学生の段階までは、かなり先進的というか、インテリが多い地域だったので、戦後の貧しい時期なのに、野外映画会、屋内映画会、夏休みは運動場で大人の指導の下ラジオ体操、町内運動会、などなど、今から考えると不思議なほど文化的な営みが住民の間の町内会で行われていました。
 だから、意外と民主主義的で、和気藹々の部分もあった。だけど、医者とか、学者など、インテリ部分は徐々に、早々と転居先を見つけて出ていき、後からの住民は地元の非インテリ系が増えてきて、だんだん文化的雰囲気も失われていったのです。
 いずれにせよ、食糧も不十分で大変な時代でしたが、周囲の住民が文化的で、親切で、意外と居心地が良かったのに、やがて昭和30年頃になると、我が町からは(町全体として、小生の居住区以外からも)インテリ系の人々が消えていき、漁村の荒々しい気風が戻り、学校では虐めに遭うし、面白くないことも増えました。

 ともかく、小生の体験は、特殊すぎます。昔の人間の方が優しかったのかどうか、小生の体験からは、うまく結論が出せない。だけど、祝日には、皆が日の丸の旗を立て、泥棒もいない、規律はしっかりした社会で、戦前、戦中もそうであったように、食糧難にもかかわらず、意外に明るい社会でした。何しろ、老人がほとんどいなかった、皆が若かった。テレビはなく、ラジオに皆が聞き入っていた時代でもあった。我が家は、父親が毎晩ラジオで浪曲を聴くので、寝るまで浪曲を聴かされていた!

投稿: 室長 | 2010年10月21日 (木) 11時08分

★室長さん、

子供の頃のお住まいのコミュニティの様子、興味深く拝読しました。
戦後の日本ではまだ住宅事情や権利関係が混乱しており、みんながちぐはぐな住まい方をしていたと、親の話などからそう理解しています。
それでも、室長さんが経験されたように、なんとか秩序を取り戻そうと地域の力は働いていたんですね。
mugiさんに紹介していただいた室長さんの記事では、社会主義社会が酷いものだったにもかかわらず、それをやめて西側諸国と同じ経済体制になると「社会主義経済のほうが良かった」と昔を美化し懐かしむ風潮が生まれるものだ、ということをお書きになっていましたが、私のこの記事も「昔は良かった」は繰り返されるものではないのか、ということを書きました。
誰でも昔は懐かしいものですからね。
大人がどんなに苦労をしていようが、子供はそんなことおかまいなしにその場その場で楽しんでいたし、また、大人は大人で、昔の苦労体験を後になって懐かしく思い出します。
たしかに、昔は隣近所の関係が密で、共同作業も助け合いも今よりずっと盛んだったと思います。
そのかわりわずらわしいことも多々あったわけで、結局、どちらを選ぶのか、という話になると思います。

投稿: robita | 2010年10月22日 (金) 09時16分

私は自分の生い立ち、両親、その親である祖父母の話から総合すると、時代が下って、日本が豊かになるにつれて、人々は優しくなり、教育レベルも上がって礼儀正しくなっていると感じています。

社会の変容、従来の共同体の崩壊に対する不安・危機感が、「昔は良かった」と言わせているのだと思っています。

共同体というと、子供の躾、犯罪という話がよく出てきますが、このような本があるようです。
http://www.amazon.co.jp/%E6%88%A6%E5%89%8D%E3%81%AE%E5%B0%91%E5%B9%B4%E7%8A%AF%E7%BD%AA-%E7%AE%A1%E8%B3%80-%E6%B1%9F%E7%95%99%E9%83%8E/dp/4806713554/ref=sr_1_1?ie=UTF8&qid=1287719676&sr=8-1

投稿: ap_09 | 2010年10月22日 (金) 13時08分

★ap_09さん、

>日本が豊かになるにつれて、人々は優しくなり、教育レベルも上がって礼儀正しくなっていると感じています<

はい、私もそう思います。
時代の要請でもあります。
なにしろ、怒鳴りつけたりすれば新入社員はすぐ会社を辞めるそうですし、役所の態度が悪ければ市民は黙っちゃいないし、サービスの悪い店は客に見放されるわけですから。
かくして、人は優しくなり、鍛えられなくなり、軟弱にもなりますわ。

>このような本があるようです<

少年犯罪は昔のほうが多かったし凶悪だった、というのはよく言われますよね。
間違った思い込みというのはたくさんあるようです。古い記事ですが→ http://robita-48.cocolog-nifty.com/blog/2004/08/post_ec0c.html
すべてを疑え、ということです。

投稿: robita | 2010年10月23日 (土) 10時09分

robita様

過去ブログ興味深く拝見いたしました。

>かくして、人は優しくなり、鍛えられなくなり、軟弱にもなりますわ。
なるほど、そういう世相なのでしょうね。

一方、弱い犬ほどよく吠えるということもありますが・・・

mugiさんは、よほど私がお嫌いで、いろいろおっしゃっているようですが、私のことをどうお思いになるかは、ブログ主さんの良識によるご判断にお任せします。

投稿: ap_09 | 2010年10月25日 (月) 09時07分

★ap_09さん、

>一方、弱い犬ほどよく吠えるということもありますが・・・<

「一方」。そうなんです。物事は色々な側面があるんです。
いちばん大事なことは、人間の本質を知る、ということだと思います。それを知って解決になるかどうかはわかりませんが、少しオトナになれると思います。みんながオトナになるということが良いことかどうかわかりませんが、堂々巡りの言い争いは減ると思います。言い争いが減ることが人間の進歩に役立つかどうかはわかりませんが、少し心が平安になると思います。
正直に言わせてもらえば、「左翼」と呼ばれる人々は人間の本質がわかっていない人が多いと私は思います。というか、「左翼思想」自体が勘違い・・・などと言うとカッとなられるかたも多いでしょうが。(この場合の「左翼思想」というのは、「反体制」という意味でなく、さまざまな問題に関して出てくる「サヨク」的幻想のことです。)
要するに、地球上の全ての問題の本質は「生存本能」であり自己中心主義以外何ものでもない遺伝子の継承という欲望であり、同時に「人間とは何か」という哲学を呼び起こします。
ap_09さんはブログを持っていらっしゃらないようなので、どういうお考えの方だかよくわかりません。左翼思想を持っていらっしゃるのかどうかもわかりませんが、コメントを下されば私はそれに対して自分の考えを述べるだけです。

投稿: robita | 2010年10月25日 (月) 10時12分

横レス、失礼致します。

 ap_09氏はブロガーであり、下記がそのURLです。
http://blog.livedoor.jp/ap_09/

 もちろん読んだ人の感想は様々でしょうけど、少なくとも氏の考え方や人格は浮かび上がってくると思います。お暇があれば、ご覧になられるのも一興でしょう。

 氏のコメントにあるように弱い犬ほどよく吠える。また、中身のない者ほど大言壮語したがるものです。特にネットでは自己顕示欲も膨らみ、高邁な理想を並べるだけで何もしないような人もたまに見かける。
 人間の良識くらいあてにならないものはないし、「人間の良心というものは、どんな場合にも、やりたいと思うことに他愛なく調子を合わせるものだ」と言ったインドの知識人もいます。「巧言令色、鮮なし仁」は古今東西同じだし、おそらくネットでも。

投稿: mugi | 2010年10月29日 (金) 22時16分

★mugiさん、

ap_09さんのブログを少し目を通してみたのですが、ご自分の経験や読んだものを淡々と報告されているだけのようで、持論を主張しているという印象があまりありません。私の読み違いかもしれませんが。
これだけでは対立点がよくわからないので、私のところで何かご意見を書いてくださればそれにお答えするにとどめようと思います。

>中身のない者ほど大言壮語したがるものです<
>巧言令色、鮮なし仁<

そういえば私も分かった風なことを書きながら実際やってることは小さくて細かいことばかりです

投稿: robita | 2010年10月30日 (土) 11時26分

robita様

>地球上の全ての問題の本質は「生存本能」であり自己中心主義以外何ものでもない遺伝子の継承という欲望であり、同時に「人間とは何か」という哲学を呼び起こします。

大変簡潔に鋭く言い表せておられますね。本当にその通りだと腑に落ちました。
矛盾するようですが、自己の保存のためには他者の存在、協力が欠かせないというのもまた人間の本質で、その辺の兼ね合いが高度に発達して、文明を生み、幸不幸の感情、芸術表現を産むのでしょうか?

ところで、robitaというハンドル・ネームは手塚治虫の「火の鳥」からお取りになられたのですか?火の鳥は未完のままのように記憶しているのですが、私は「三つ目が通る」(これも未完)とともに、SFとしてとても好きです。

投稿: ap_09 | 2010年10月30日 (土) 13時01分

★ap_09さん、

>その辺の兼ね合いが高度に発達して、文明を生み、幸不幸の感情、芸術表現を産むのでしょうか?<

折り合いをつけていく過程で文明が発達し哲学が醸成されたんでしょうかね。

>手塚治虫の「火の鳥」から<

プロフィールに書きましたように、仰るとおりです。ロビタでは著作権侵害になってしまうのでしょうから、アルファベットにしました。
「火の鳥」は色々な物語の集合体ですから、未完なのかどうかはわかりません。手塚治虫自身がライフワークと言っていたので、まだまだ書きたい物語はあったのかもしれません。
「三つ目が通る」は全巻持っていますが、そうですね、昔読んだのでよく覚えていませんが、謎が解明された終わり方ではなかったように記憶しています。あれもたくさんの物語から成っていますね。

投稿: robita | 2010年10月30日 (土) 14時03分

どうも、ご質問に答えず、勝手な自分の意見を言っていただけのようで申し訳ありません。

mugiさんとの対立点というのは、実は私はよくわかりません。こちらは対立したつもりはないのですが、あまりに中傷記事やこうして人様のブログにお邪魔しても誹謗されると、ある程度自衛手段として何か講じなければならないのかとも思っている次第です。
もしかすると私が人様の気持ちに疎いところがあって問題があるのかもしれませんが、自分的には、mugiさんのマザー・テレサに関する記事で在日ドイツ人のアナーキストが口を極めてテレサを罵っているのを、大変最もだとおっしゃっていたので、一応高名な人物を、そこまで汚い極端な表現で罵倒しつくすのは、そのような汚い表現をする人物にこそ問題があり、テレサよりこの人物こそ、どこか「コワレチャッテル」のではないかと、私がmugiさんのブログにコメントしたことに端を発しているのではないかと理解しています。
次に「ニートの海外就職日記」というブログについて、
http://kusoshigoto.blog121.fc2.com/
これは30代のおそらくロスジェネに当たる方のブログで、日本の労働環境について意見をされている方です。いろいろな見方があるでしょうが、この方は世間一般の価値観、就職感に反して、セルフ・メイドで貯金を貯め、オーストラリアに留学、修士を取って、シンガポールで職を得てそこに住んでいます。この方について、mugi さんが、ニートで極潰し、社会の寄生虫、という言い方をしているので、そんなことはない、自助努力で成功して意見を言っている人だといったのがさらにカチンと来られたようで、私がブルガリヤ研究室さんのところで残したコメントを引用して、私を中傷する記事を立てられました。
私は、別にmugiさん自身について悪く言ったことはないし、なぜmugiさんが、ブログという公共に開かれた手段を用いて、不特定多数に向かってそのように、人を貶めて晒し者にするようなことをされるのか理解できませんでした。そこで、さらにしばらくmugiさんのコメント欄に、なぜそのようなことをするのか、自分はmugiさんと争いをしたいわけではないという弁明を、軽い口調でしばらくしていたのですが、結局アク禁ののち、mugiさんは一層私に関して誹謗中傷記事を立てられているようです。そのあと一知半解さんやその他の人のところにも、人格攻撃のようなコメントに現れられるので、こちらとしては中傷される方に応援コメントをしたところが、私に対して一層敵意を持たれたようで、現在でもご覧の通りです。
つまり意見の対立というよりは、人をこきおろすのはどうか、というのに過ぎないのですが、それを言うと、きれいごととか、左翼、大言壮語ということになるのでしょうか???

投稿: ap_09 | 2010年10月31日 (日) 13時45分

★ap_09さん、

私には喧嘩の仲裁をする器量がありませんし、ap_09さんが挙げられた方々のコメントを全部読んで誰が正しいかなどと検証する時間も体力もありませんが、

>つまり意見の対立というよりは、人をこきおろすのはどうか、というのに過ぎないのですが、<

という状況であるならば、それは結局、顔の見えないネット上での意見交換は誤解を生みやすい、という結論になると思います。
お互い気をつけて文章を書くように心がけましょう・・・・とエラそうなことを言いますが、私も文章で人を不愉快にさせたことがよくありました。今でも時々あるんじゃないかと思いますけど
逆説的な意味で左翼的な意見を書くことがありますが、それも誤解を生んでいるかもしれません。
ほんと、文章だけのコミュニケーションは難しいですよ。

投稿: robita | 2010年11月 1日 (月) 13時22分

robita様、

なんだか不愉快な思いをさせてしまって、誠に申し訳ありませんでした。

確かに、「コワレチャッテル」という言い方は、指摘されてハタと思いました。何気ないつもりで使った表現が、突き刺さったのだろうとは推察しています。
その後言葉には気をつけようと心がけているつもりではあるのですが、いろいろ学ばさせていただいています。

投稿: ap_09 | 2010年11月 2日 (火) 10時02分

★ap_09さん、

>なんだか不愉快な思いをさせてしまって、誠に申し訳ありませんでした。<

いえ、まったく不愉快なことはありません。
不愉快といえば中国やロシアですよ。

>その後言葉には気をつけようと心がけているつもりではあるのですが<

人が意見の表明をすると、その意見に賛同をする人々がいる一方で不愉快な思いをする人々もいるものです。
けれども、言論は自由であるべきだと思います。
「こんな意見は誰かを傷つけるかもしれない」と自分の意見を表明しないのは、奥ゆかしいのでなく臆病なのではないでしょうか。
嫌われるのを覚悟で意見を言うのは勇気だと思います。
その際に必要なのは仰るように言葉の使い方だと思います。
「コワレチャッテル」のように、自分では婉曲にしたつもりが、相手にとっては不愉快な言葉に映ることもあるかもしれませんね。
私も自分がが傷つきにくい鈍感な人間なので言葉には気をつけて書いていきたいと思います。(あまり神経質になると文章的に面白くなくなっちゃうんですけどね)

投稿: robita | 2010年11月 3日 (水) 09時23分

お久しぶりです。
 記事と全く無関係のコメントで大変申し訳ありませんが、ap_09氏が私の心情を推察し、かなり的外れなことを述べているので、遅ればせながら私からも反論させて頂きます。長文で恐縮ですが、管理人様が不適切と思われたら、容赦なく削除されて下さい。

 ap_09氏は私が彼女を厭う理由に、彼女の在日ドイツ人に対する発言に原因を求めています。私にはドイツ人の記事は妥当な批判であり、「汚い極端な表現で罵倒」とはマザー絶対崇拝者である氏の主観にすぎません。ただ、「スーパー物乞い」はインドなら特に珍しい存在ではないし、釈迦やガンディーも「スーパー物乞い」になるでしょう。ちなみに件のドイツ人の元記事です。
http://www.hpo.net/users/hhhptdai/motherteresa.htm

 私がap_09氏を嫌うのは、「人間としてコワレチャッテル人」の表現を使ったことが直接原因ではありません。単に氏が言うことがクルクル変わる嘘つきだからです。氏の書込み時間をご覧下さい。専業主婦よりかなり時間にゆとりがあり、普通の良識ある社会人なら、無職暇人と見なすのは確実です。拙ブログにも平日から午前午後問わず書込みしていた。
 氏が昨年コメントしたブログの管理人「アイサイ」さんも、「ネットばかりやって、よほどヒマなお医者さんなんですね」「その海外の方、ただのヒマ人なのでしょうね」と言っている。

 匿名ネットなら医師を詐称、エリートを装うのも容易ですが、書込み時間だけは誤魔化せない。別に無職暇人でも結構ですが、そんな者が「女性や母親が一人前に働け、子育てができる社会」など主張しているのは滑稽です。この書込みぶりなら、半人前にも達していないはず。本物のワーキングウーマンやワーキングマザーが怒りますよ。ちなみに私は女です。残念ながら子供はおりませんが、ap_09氏も同く子供なしだろうと見ています。

 ap_09氏は以前拙ブログにこんなコメントをしていました。
「私も複数 HN 使ってますので。私はmugi さんのブログ、面白くて勉強になりましたので感謝しておりますが、まぁ、これで出入り禁止なんでしょうね」(2009-12-16 13:42:30)
http://blog.goo.ne.jp/mugi411/e/181497d27465b6377998608a906b9fde#comment-list

 それで私も次の質問をしたことがあります。「仮にも貴女は女医であり、立派な専門職についています。にも係らず、何故幾つもハンドルを使ったり、医療と無関係の一般人ブロガーにコメントするのですか?」
 私は2回この質問をしましたが、いずれも彼女は答えなかった。不都合な証拠を突き付けられるとダンマリか、罵倒だデマだのわめき散らすのが彼女のパターン。これだけで胡散臭い人物としか思えません。Shah亜歴さんの言葉を借りれば、ショッカー認定しました。

投稿: mugi | 2011年1月10日 (月) 16時36分

(続き)
 私もそこで氏への反論記事を書きました。氏のいうところの罵倒記事ですが、私自身、軽い気持ちで書いたのであり、「事実」をネタにした「自衛」に過ぎません。
http://blog.goo.ne.jp/mugi411/e/4e5e4c228e2c1eba29ee5c05ab4de5b5
http://blog.goo.ne.jp/mugi411/e/29d032f86bea17eb9f15c0df190ea99f
http://blog.goo.ne.jp/mugi411/e/faef98bc16a2fcf9c45883cd931f705d

 ap_09氏の姿勢に腹が立ち、私は彼女をブログから追い出しました。実は初コメントから低レベルの知ったかぶりで悪印象だったし、怪しいとしか思えなかった。別に暴言を吐いたわけではないし、言葉遣いは丁重だったので、「ゲスト」として対応しただけです。
 しかし、私がap_09氏をアクセス禁止というのは全くの虚偽です。現に決裂してから半年後、氏からコメントがあり、アク禁なら記事も読めずコメントも不可能のはず。
http://blog.goo.ne.jp/mugi411/e/a934f13f0af0dd15d0330cda1505970a#comment-list

 氏自身、自分のブログでも私にこんな返信をしていた。「どうぞこれからも、人の名を使って、その悪口雑言を存分にお続けてください。とくと見ていて差し上げますよ」(2010年10月27日 08:47)
 複数のHNを使っていると告白した彼女自身の投射としか思えませんが、アク禁なら拙ブログをトクと見ることもできないはず。まさにデマと矛盾そのもの。氏には反論があるならいつでも書込みくださいと言いたい。また、罵倒というなら、記事のどの表現が罵倒に当たるのか、その理由は何故か、きちんと拙ブログに意見してもらいたいものです。彼女は反対意見を出されや、即人格攻撃と被害妄想になるようで。

 差別という者に限り真の差別主義者と言った人がいます。同じく罵倒だの人格攻撃、デマと決めつける者こそ罵倒が十八番のアジテーターだろうと私は考えています。嘘やデマと言うなら根拠を示し反論するのが筋ですが、ap_09氏にはそれが全くない。デマやでっち上げと繰り返すだけであり、この姿勢は儒教圏の人間と似ていますね。「ブルガリア研究室」さんへのコメントでは、氏には「親戚にも中国系がいます」(2010/02/23 10:57)とか。
 確かに決裂以前ap_09氏は私のことを謗っていませんでしたが、日本並びに日本人をこき下ろすコメントは見られました。拙ブログではあまりなかったのですが、時に嫌味な内容があり、それにはきちんと反論したつもりです。

 最後に昨年ap_09氏が「アイサイ」さんに説教した言葉を紹介します。
「正直、誠実は大事です。デマはいけません。保守派にはゴマカシでなく、堂々たる正当性を期待します。それが保守というものではないのですか?それが日本人の誇るべき徳性なのです」

 以上、長文連続投稿と乱文を大変失礼いたしました。

投稿: mugi | 2011年1月10日 (月) 16時40分

★mugiさん、

他のブロガーとの間で心に積もり積もったものがおありのようですね。
私には事情がわかりませんし、正直申し上げて、ブロガー同士の「ああ言ったこう言った」の繰り返しには興味もないのです。

私はブログを長くやっていて、文章で人柄というのはかなりわかるものだなあ、と思ってきました。
ちょっとした誤解などは頻発しますが、根本的な人間性は長く対話しているとわかるものです。
思いやりのある文章を書く人は優しくて良い人だと思いますし、丁寧に説明する人は誠実な人だと思いますし、カラッとした文章にはサバサバして付き合いやすい人だと思いますし、揚げ足ばかり取るイヤミな人は「性格の悪い人だ」と判断します。
嫌な人に返事を書くのはしんどいですが、そういうのに応対する技術を磨くのも、せっかくブログをやっているのですから、一つの鍛錬だと思って文章を練られたらどうでしょうか。

しつこい人はいるものです。あちらがしつこいとこちらもしつこくならざるを得ません。きりがないのでどこかで断ち切らないと。

それから、書き込み時間のことですが、ああいうのはあまり、その人の時間の使い方に関係ないと思いますよ。
私もたいていは午前中にまとめて書きますが、長い時間が取れない時は、ちょっと時間のある時にメモ帳に少しずつ書き足したものを、忙しい夕飯の支度の前とか夜遅くに送信だけしたりすることありますから。

それより、びっくりしたのは、mugiさんが女性だということです。
男性だと微塵も疑いませんでしたよ。

これも「女性はこういう文章を書かないものだ」「女性はこういうことに興味を持たないはずだ」という思い込みなんですね。「思い込み」を戒める文章など書きながらまったく恥ずかしいかぎりです。

でもご自身のブログでわざわざ「告白」されているからには、男性と思われていることを承知なさってたわけですね。

ここに至って告白されたのは何故なのでしょう? 最近は性別を明記するブロガーも増えてきたのでそれに倣った、とお書きになっていますが、それだけなんでしょうか。

私は男女問題に興味があるので、そういうことを聞いてみたいです。

投稿: robita | 2011年1月11日 (火) 13時21分

 元はap_09氏と私個人の喧嘩であり、無関係な管理人様を巻き込み、ご迷惑をおかけして大変申し訳ありませんでした。全くいい年をした女同士の子供じみた喧嘩にも拘らず、ブログを続ける上での適切なアドバイスまで頂き、本当にありがとうございました。
 あと、ネットの書込み時間ですが、どうも私の場合は勤め人感覚で見てしまいます。だから、専業主婦や自由業、悠々自適の年配者なら別ですが、そうでない者なら、無職暇人を疑ってしまう。現にその類のタイプは掲示板などに一部いますから。

 仰るとおり、文は人なりです。ただし、自分のことは見えないし、己の文章から私自身の性格への自己判断は絶望的でしょう。もっとも私は自分自身を謙遜抜きで、「性格が良い人」とは思っていませんが(笑)。

 貴女も私を男と思われておりましたか!実は私を女だと見破った若い男性ブロガーさんがいます。コメントからこれは絶対に男ではない、と感性の違いで分かったとか。誤解していた男性コメンターさんの1人も、「軍艦にほとんど興味がなかったことに違和感を感じた」とのこと。その方の奥様も私と同じく「兵器とかプラモデルには全然興味がない」そうです。

 記事にも書いたように、異性だけでなく同性でも私を男と間違えるコメンターもおり、そのような誤解は実を言えば面白いと感じていたので、そのまま性を非公開にしていたのです。これも私が人の悪いことの証明でしょう。

 ここに至って公開したのは、性別を明記するブロガーが主流になってきたし、女性と名乗る人も多い中で、性を非公開し続けるのは姑息だと感じ、カミングアウトしたまでです。男女問題とは全く無関係で、残念ながら個人的嗜好に過ぎません。

投稿: mugi | 2011年1月11日 (火) 21時38分

★mugiさん、

>貴女も私を男と思われておりましたか!<

全ての記事を読ませていただいたわけではありませんが、文章の雰囲気からです。

>男女問題とは全く無関係で、残念ながら個人的嗜好に過ぎません。<

何か面白い話が聞けるかと思ったのですが

投稿: robita | 2011年1月12日 (水) 17時22分

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