« 究極の愛 | トップページ | うるせえ! »

2010年11月16日 (火)

不自由な自由

最近、異なる二つの書物の中で、同じ言い回しに出合った。

一つはノンフィクション作家松田美智子による婚活体験レポート。
61歳で離婚歴のある彼女は、残りの人生を共に過ごす相手を探すため、週刊誌上で伴侶の公開募集をした。体験レポートではあるが、実験ではなく本気だそうである。
しかし現実にお見合いしてみると、一人として心を動かされる男性がいないどころか、非常識な輩ばかりでまともと言える人にさえめぐり合わない。
困惑した彼女は、そのレポート記事についての感想を送ってくれた読者の女性たちと連絡をとって、婚活情報収集をしてみることにした。

彼女たちも同様に婚活に励んできたのだが、やはり相手の男性との考え方のあまりの違いに失望し、伴侶探しをあきらめかけているのが実情のようだ。

その中の一人がこう言う;
「とにかく、日本の男は若いバカ女が好きなんですね」

____________________________________

二つ目は、「結婚相手は抽選で」という小説の中。
こっちは、男のほうからのしみじみとした告白で、「結局僕は、そういった真面目な女性よりも、きゃぴきゃぴした馬鹿女が好きなんだってことに初めて気づいたんですよ」

___________________________________.

まあ、「男は若い女にばかり目がいく」といったこの手の言葉はよく耳にするといえばそうなのだけれど、それに続くのは決まって「けしからん。男はバカだ」という女性たちの憤激ではないだろうか。

しかし、「好みのタイプ」は変えられるものなのだろうか。

人の好みは強制されるものではないから、どんな女を好きになろうと自由なのだ。

女たちがいくら「そんな男を軽蔑する」と睨みつけようが、好みは好みなのだからしかたがない。

男たちの好みに合わせていたらこの世はバカ女ばかりになってしまうじゃないかと危機を訴えても、好みを無理やり変えさせることはできない。

それは女のほうからしても同じだ、と言えなくもないが、そこには同列に論じることができない決定的な男女の違いというものがあるとは思う。

「日本の男は」とわざわざ限定するからには、外国の男は「若いバカ女」に興味はなく、教養ある自立した大人の女に惹かれるということなのか。

たしかにそういう例は見聞きするし、日本の男だってそういう例はある。

しかし、大多数の男の本音はどこも同じではないのかなと想像する。

もちろん、ほんとうの本音を言えば、教養があって、自立していて、優しくて、可愛くて、美しくて、若ければ、そういう女が一番良いに決まっているけれど、優先順位からすれば「若いバカ女」になってしまうのだ。

例えば、頭の良さそうな自立した女、蓮舫大臣より、木下優樹菜ちゃんや里田まいちゃんのほうが心が休まる、という男子がいたとしても誰がそれを責めらりょうか。

男性の女性観を変えたいのなら、洗脳教育しかないだろうと思う。

結婚相手は誰かに説得されて決めるものではなく、自分好みの人を自由に選びたい、と思う一方で、間違いのない、しっかりした相手を選ぶよう洗脳教育の必要性も感じたり。人は自由になると不自由になる。

.
    育て方とか教育の問題ではないと思いますが 
                      →人気ブログランキング
                  

|

« 究極の愛 | トップページ | うるせえ! »

コメント

現状がそうであるならば、世の男性にお願いしたい。
若いバカ女をものにしたならば、しっかり教育して賢い女に妻に母に育ててやって下さい!

ずっと以前のテレビ番組で外国の男女の結びつきの研究のことをやっていて、うる覚えですが100人の男女にTシャツをそれぞれ着させて、誰が着たかは教えないでどのTシャツの匂いが好きかの統計を取ったそうです。

すると自分の遺伝子とかけ離れた遺伝子を持つ相手のTシャツを選んだ人が多かったという結果が出たそうです。
結果、人間は自分の遺伝子と違う相手を求めるらしいということでした。(本能的に?)


ちなみにうちは全く正反対の性格同士ですね。
夫・・・とらわれない、おっとり型
私・・・あれやこれやと気にする神経質

投稿: そよ風 | 2010年11月16日 (火) 17時58分

★そよ風さん、

>若いバカ女をものにしたならば、しっかり教育して賢い女に妻に母に育ててやって下さい!<

若いバカ女であろうが、賢い大人の女性であろうが、良き妻良き母になる人はなるし、なれない人はなれないんだと思いますよ。

>すると自分の遺伝子とかけ離れた遺伝子を持つ相手のTシャツを選んだ人が多かったという結果が出たそうです。<

匂いでそれをかぎつけるというのもすごいですね。

>ちなみにうちは全く正反対の性格同士ですね<

夫婦というのはやはり相性が大きくものをいうんでしょうかねえ。
やっぱり伴侶は「匂い」で決めるのが一番なのかな(笑)

投稿: robita | 2010年11月17日 (水) 09時34分

もてない独身男のベテランである私(苦笑)に言わせれば、この議論は、恋愛が相互選択というか、需給関係にあることを忘却しておるように見えますね。

文中にも指摘がありますが、そりゃ「容姿端麗、眉目秀麗、その上若い」女性がいれば、それは「容姿端麗、眉目秀麗、その上若くて金持ち」な男が確保するのであります。しょせん、当方には関係ない話(笑)。
で、そうでない男が「とにかく若い」に走るとして「とにかく若い」女が「とにかくカネがある」男に走ったりすると、また出番がないわけで(苦笑)
つまりは、この議論は「若いバカ女」だって、当然選択の自由がある(この議論自体が差別的ですなあ。。。)という視点が欠落しておるのですよ。

需給関係によって決まるものを「相手がバカだ」と言っても仕方がありません。
恋愛は、相互に選択の権利がある「自由競争」の世界だからこそ「自由恋愛」なんです。これぞ、「恋愛資本主義」の原点であります。
しかし、だからといって、すべての独身者に配偶者を支給(?)する「恋愛社会主義」を唱える人を知りませんね(笑)。
実は、自由恋愛制度は、本当に資本主義の一面を構成している(しかも、大いに)なのだから、社会主義だの共産主義だので、恋愛だけ自由というのは思想的な一貫性がないなあ、と私は思っております。

売れないものは売れないのだから(笑)あくせくするのはやめて、達観して人生を愉しむにしくはない、というのが結論ですかねえ。

投稿: single40 | 2010年11月17日 (水) 11時26分

★single40さん、

>つまりは、この議論は「若いバカ女」だって、当然選択の自由がある(この議論自体が差別的ですなあ。。。)という視点が欠落しておるのですよ。<

仰る通りで、ほとんどの人はそれに気づかず、たまに気づいた人が「結婚相手は抽選で」みたいなお話を書くわけです。

家庭を築くとか、子供を育てる、とかいう作業、それは自由も個性も押し殺す滅私奉公の世界です。夫にとっても妻にとっても同じことです。
よほどの相手でなければその犠牲に見合わない、と考えるのは当然であり、その選択の自由を誰もが有しているわけで、価値観が全く変わってしまった今の時代に「人には添うてみよ」などと昔の格言を取り出してみたところで詮無いことです。
かくして結婚難は現代の価値観では必然なのです。
それでも私は「死んだつもりの見合い しあわせ桐の花」を数例知っておるのです。

投稿: robita | 2010年11月18日 (木) 10時23分

>家庭を築くとか、子供を育てる、とかいう作業、それは自由も個性も押し殺す滅私奉公の世界です。夫にとっても妻にとっても同じことです。

この考えは日本的なのか、世代によるのか、どうもよくわかりません。

日本で「自由」というと、なんだか糸の切れた凧のようになるということのようですね。

家庭と築くことを「滅私奉公の世界」と捉えるとは、大変な気苦労のように思います。私の周りの人は、家庭を築くというのは人生の基本的な一過程で、家庭を築くことを通じて人生を楽しみ成長するという捉え方の人が多いように思います。
ワーク・ライフバランスというのも、人間には基本的にそれを満たす必要があり、そうした公(仕事)と私(家庭)のバランスの取れた個人の集まりが、良い共同体、社会を形成するという基本的な考え方がもとにあるようです。仕事も家庭もきちんと運営して行けることが、円満で成熟した人間としてあるべき姿という価値観があるという感じです。良い家庭を築いて行く作業は、仕事のやりがいにも勝り、一つの自己表現、自由の行使ですらあるように見えます。男女双方とも、家庭と仕事(あるいは就労という形でなくとも、社会的役割)の両方をバランスよく保つのが良いという考えのようです。

家庭に興味がない人もそれはそれで個人の選択であり、そういう人達の社交の場もちゃんとありますが。

今の日本は、男社会、奥さま(女)社会、そこにあてはまらない孤独なはみ出し者(かつての私ですね)と、役割主義の共同体(はみ出し者には社会が認める“役”がない)で、個人主義のように、人生を(家庭があろうとなかろうと)個人の成長・円熟に向けて発展させるという発想がないのですね。

あるいはかつてはあったはずなのに、今はなくなってしまったのでしょうか?

投稿: ap_09 | 2010年11月18日 (木) 11時49分

★ap_09さん、

>家庭と築くことを「滅私奉公の世界」と捉えるとは、大変な気苦労のように思います。私の周りの人は、家庭を築くというのは人生の基本的な一過程で、家庭を築くことを通じて人生を楽しみ成長するという捉え方の人が多いように思います。<

まったく仰る通りで、家庭を築くということはそういうことだと思うのです。
私たちの世代もずっとそう思って家庭生活を営み、苦労や喜びを家族と分かち合ってそれぞれが成長してきたわけです。
しかるに、近頃の人々の言動、「子供を持てばあれができない、これができない」「夫が、妻がこうしてくれないああしてしてくれない」「だから仕事も思うようにできないし、自由も束縛される」、挙句の果てに離婚、ということであるならば、私としても「家族を持つとは、今の時代の人にとっては自由も個性も押し殺す滅私奉公の世界」なのだと表現せざるを得ない、というのが実感です。

>家庭と築くことを「滅私奉公の世界」と捉えるとは、大変な気苦労のように思います。私の周りの人は、家庭を築くというのは人生の基本的な一過程で、家庭を築くことを通じて人生を楽しみ成長するという捉え方の人が多いように思います。
ワーク・ライフバランスというのも、人間には基本的にそれを満たす必要があり、そうした公(仕事)と私(家庭)のバランスの取れた個人の集まりが、良い共同体、社会を形成するという基本的な考え方がもとにあるようです。仕事も家庭もきちんと運営して行けることが、円満で成熟した人間としてあるべき姿という価値観があるという感じです。良い家庭を築いて行く作業は、仕事のやりがいにも勝り、一つの自己表現、自由の行使ですらあるように見えます。男女双方とも、家庭と仕事(あるいは就労という形でなくとも、社会的役割)の両方をバランスよく保つのが良いという考えのようです。<

まさに正論。仰る通り。私たち年配者が言いたい言葉ですし、しばしば年配者は口にします。
でも、それを言ってどうなるの?、としかお答えしようがありません。だって、私たちはそう思っているのに今の時代の人がそう思わないのだから。(あるいは、それはとてつもなく難しいことと捉えられているのかもしれません)

>家庭に興味がない人もそれはそれで個人の選択であり、そういう人達の社交の場もちゃんとありますが。<

当然、個人の選択は色々あります。私が書いているのは結婚したい人々についてです。

>人生を(家庭があろうとなかろうと)個人の成長・円熟に向けて発展させるという発想がないのですね。<

いまや世の中はまさに家庭というものに縛られずそういう方向(個人の成長・円熟に向けて発展させるという)へ向かっているのではないでしょうか。


投稿: robita | 2010年11月18日 (木) 13時44分

single40さんの意見、興味を持ちました。
 そういえば、社会主義社会で唯一ある程度自由を謳歌できる部分は、恋愛とセックスの部分でした。
 小生が知ったブルガリアの社会主義時代においても、ソフィア大学で学生達が言っていたのは、「政治談義」はタブー、しかし恋愛とセックスは、ある程度自由ということ。
 もっとも例外もあって、外国人との恋愛、セックスは、やはり危険を伴うと言うことでした。(だから、小生は、彼女を作れなかった)。

 他方、singleさんが言うとおり、そうはいっても結婚相談所とか、婚活という概念は、社会主義思想にはなくて、恋愛、セックスは自由競争という資本主義原理!しかも、結婚後の「自由恋愛」までがお盛んなのが、ソ連型社会主義ですから、浮気が多くて、その上、浮気の結果としての、望まぬ妊娠に関しても、中絶禁止令が出ていたので、困る人々が結構いた!闇の、偽医師が闇の中絶手術をするから、不妊となったり、死亡したりという危険もあった。
 
 まあ、余り日本とは関係ないけど。ところで、結婚に際して、男が誰を選ぶか?若くて美しい・・・あたりまえというか。教養とか、年収とかも考慮するのは、逆に女性の側のように思う。
 女性は、どうしても将来の経済基盤までも、男性に頼ろうという、潜在意識が強いから、美意識のみでは男を選ばない、それ故より理性的にも見えるけど、実際は結構打算的という方がよいのではないだろうか?もっとも、子供を育てるという、そういう「生活上の現実感覚」を持つのが、女性としての、人類としての、ながーい経験に裏打ちされた感覚なのでしょう。

 それにしても、昔のまだ貧しかった70年代、女性達もそれほど厳しく相手を選別せず、25歳まで、とか、若さと美貌の若い時期に結婚を急ぐ習慣があり、その故に男達も、早々と相手を見つけられた(見合いなど)。
 今は、70年代当時と異なり、選別意識ばかり盛んで、皆が晩婚となったのは、バカらしい。
 今の時代、昔に比べれば、経済的な心配はさほどしなくても良いように思う。新婚時代から、マンションとかベッドとか、家電とか、全てそろっている段階から、生活が始まるというのは、贅沢すぎるというのが、70年代に結婚した小生の感覚です。少しずつ生活上の利便を獲得していく、そういうことで構わないように思うけど。
 

投稿: 室長 | 2010年11月20日 (土) 09時50分

このお話し、あまり感動すると何でも信じ込むのは、やめた方がよさそうです。そもそも、「若いバカ女」が好きな男が、どうして「61歳のノンフィクション作家」の広告に応募してきたのでしょう?

どうも作為性を感じてしまうんだな、この話。

それとも広告のプロフィールでは、彼女は「若いバカ女」だったのでしょうか?まさか怪しげな出会い系サイトでもあるまいし、そんな詐欺行為はしなかったと思います。

思うような相手に出会えなかったという、鬱憤晴らしではないかとの疑念は拭えません。

投稿: Σ・亜歴 | 2010年11月20日 (土) 12時44分

>いまや世の中はまさに家庭というものに縛られずそういう方向(個人の成長・円熟に向けて発展させるという)へ向かっているのではないでしょうか。
なるほど、そうなんですね。

それほど確たる個の自覚があって、それを発展させるのが人生のゴールだなんて、若い人すごいな~、て感じです。

政治・言論の自由がないと、人間恋愛と色欲に走るという室長さんの共産圏の経験も興味深いですね。

お金か権力のある男、あるいは女にモテルタイプの男は、バカ女が好き(というより容姿端麗で男性の自尊心を持ち上げるのがうまい-ここで「男性」を「相手」という言葉に置き換えると、誰でもそういう人のそばにいる方が居心地が良いですよね)で、そういう権力や金に現在恵まれてない男はもっといろんなタイプの女性にオープンなのですが、今度は女の方が、そういう男に魅力を感じないとか。。

男の人は、競争することに本能的な志向があって、その成果で異性を喜ばせる、異性に認められることに生きがいを感じるくらいに重きを置く人が大多数に見えます。

女の人は、自分だけの大事な人でもいいし、今は全然目立たないダイヤモンドの原石みたいな男性を将来大物にするのを陰で支えるとか、そういう楽しみがある方が、最初から出来上がったものをつまもうとするより、楽しみが長く続いて深いんじゃないかと。。。

どちらにしても、自分に見合った個人・個性より、経済力・社会的地位とか、不特定多数が美人と認める容姿とか、『型に嵌った』あるいは『外面的・世間体』的なものに目が行きがちで、それを満たす相手はめったにないと思い込みがちなのではないかな、と。

Single40さんの
>需給関係
について詳しくきいてみたいです。
個人的観察によれば、人気の男性には圧倒的に多数の女性が集中するけど、男性の美人の基準にはもっと幅、結構バラエティーがあるように見えます。
もしそうだとすると、昨今選別しすぎるあまり結婚できないとしたら、おもに女性の側のえり好みということになってしまいますが。。。

ところで自分自身の「個」が明確でないと、自分に何が必要だとか性に合うだとか、わからないですよね。
自由に個性を追求しているようでいて、実は個がないことの証明なのかもしれません。

でもそういう、自分が何者なのかはっきりわからなくても、特定の個人と深く関わってゆく内に、逆に自分が何者かということが段々とわかって来て、しかも相手を通じて内面世界が格段に広がって、人生が豊かになるということもあるんですよね。
というわけで結婚はタナボタ的幸運だったし、結婚賛成派なのです。
こういう感覚男の人にはないのかな~?

投稿: ap_09 | 2010年11月20日 (土) 13時19分

★室長さん、

社会主義国の恋愛・結婚事情、面白いですね。
というか、やはり、日本の左翼の男女観・結婚観・家族観もそれに準じているんだなと納得しました。

>女性は、どうしても将来の経済基盤までも、男性に頼ろうという、潜在意識が強いから、美意識のみでは男を選ばない<

だから、ブサイクでも金持ち男性はモテるのです。

>今は、70年代当時と異なり、選別意識ばかり盛んで、皆が晩婚となったのは、バカらしい。
 今の時代、昔に比べれば、経済的な心配はさほどしなくても良いように思う。新婚時代から、マンションとかベッドとか、家電とか、全てそろっている段階から、生活が始まるというのは、贅沢すぎるというのが、70年代に結婚した小生の感覚です。少しずつ生活上の利便を獲得していく、そういうことで構わないように思うけど。<

私もそのように思いますが、貧しさの基準が違うのだから仕方のないことですね。
昨日、NHKスペシャルで「ヒマラヤ天空の一本道」というのを見たのですが、チベット自治区の人々の暮らしぶりに胸が痛くなるようでした。あそこまで我慢しろとは言いませんが、日本は豊かですねえ。

投稿: robita | 2010年11月22日 (月) 11時30分

★Σ・亜歴さん、

>そもそも、「若いバカ女」が好きな男が、どうして「61歳のノンフィクション作家」の広告に応募してきたのでしょう?<

私の書き方がわかりにくかったかもしれませんが、「とにかく、日本の男は若いバカ女が好きなんですね」と言ったのは、このノンフィクション作家ではなく、そういう広告を見て編集部宛に意見を寄せてきた婚活中の女性です。
男性たちは、この作家に興味を持ったから応募してきたんでしょう。
でも、彼女のほうが男性たちに興味を持てなかった、ということですね。

投稿: robita | 2010年11月22日 (月) 11時32分

★ap_09さん、

>それほど確たる個の自覚があって、それを発展させるのが人生のゴールだなんて、若い人すごいな~、て感じです。<

私など単純に、「個を思うように発展させられない不安」より「家族を持たず一生を終わる不安」のほうが比べものにならないくらい強かったので、主人がどんなに理不尽でも許容してきたのですが、それは今の時代の価値観では計ることができないものなのだと思います。
それにほとんどの人が結婚して家庭を持った昔と違って、今は独身者はすごい勢いで増えているそうですので、仲間同士、助け合い楽しく生きていくことが出来る環境が整いつつある、というのも大きいんじゃないでしょうか。

>男の人は、競争することに本能的な志向があって、その成果で異性を喜ばせる、異性に認められることに生きがいを感じるくらいに重きを置く人が大多数に見えます。<

本来、男というものはそうですね。女をゲットするために頑張るものなんです。
でも、人類、変化しているのかもしれません。

>今は全然目立たないダイヤモンドの原石みたいな男性を将来大物にするのを陰で支えるとか、そういう楽しみがある方が、最初から出来上がったものをつまもうとするより、楽しみが長く続いて深いんじゃないかと。。。<

磨き続けた挙句、やっぱりただの石ころだったなんてこともあるにはありますが、支える妻の期待にこたえようと努力する誠意のある男性かどうか、それが男を見る目なんでしょうね。

>どちらにしても、自分に見合った個人・個性より、経済力・社会的地位とか、不特定多数が美人と認める容姿とか、『型に嵌った』あるいは『外面的・世間体』的なものに目が行きがちで、それを満たす相手はめったにないと思い込みがちなのではないかな、と。

「条件」で探せばそんなに難しいことではないかもしれません。でも、その上「自分に見合った個人・個性」を加えると、とてつもなく難しくなる。
見つかったところで、選択権は向こうにもあるのですから。

>昨今選別しすぎるあまり結婚できないとしたら、おもに女性の側のえり好みということになってしまいますが。。。<

その通りだと思いますよ。
でもそれはしかたがないことです。
今、女性はほんとに素敵になりましたよねえ。
イモねえちゃんなんていなくなっちゃったじゃないですか。
昔はそういう人はそういう人で、分相応の男性をみつけて結婚したものだけど、そういうことはなくなりました。

>でもそういう、自分が何者なのかはっきりわからなくても、特定の個人と深く関わってゆく内に、逆に自分が何者かということが段々とわかって来て、しかも相手を通じて内面世界が格段に広がって、人生が豊かになるということもあるんですよね。<

そう思います。だから当初お金はなくても人間性に魅力を感じたら生涯を共にする価値はあると思うんですよね。
結婚生活の中でやっぱりお金は必要だとなったら、儲けるためにどうしたらいいか二人で協力すればいい。家族を幸せにするために稼がなければ、という気概がない男はそもそも魅力がありません。

>こういう感覚男の人にはないのかな~?<

なぜかap_09さんは男性だと思い込んでいました。女性だったのですね。失礼しました。

投稿: robita | 2010年11月22日 (月) 11時36分

松田美智子とは、松田優作の元妻と知って驚きました。これでは、週刊誌で応募してくるような相手などヘボ男にしか見えないはずです。

robitaさんて実は情報通の女房だったのですね。どこで知ったのですか?まさかWikiLeaks?

投稿: Σ・亜歴 | 2010年12月 3日 (金) 12時57分

>Σ・亜歴さん、

>これでは、週刊誌で応募してくるような相手などヘボ男にしか見えないはずです<

ヴィジュアル的にはそういうことになるのでしょうか。
松田優作は若く可愛い女に惹かれて妻子を捨てたのでしたね。
個人的にはそういう男性あんまりかっこいいとは思えないです。
まあ、元妻との事情がどんなだったのかは他人にはわからないことですが。

>情報通の女房<

単なる週刊誌情報ですよ。
主人が買ってきた週刊新潮に書いてありました。

投稿: robita | 2010年12月 5日 (日) 11時17分

コメントを書く



(ウェブ上には掲載しません)




トラックバック


この記事へのトラックバック一覧です: 不自由な自由:

« 究極の愛 | トップページ | うるせえ! »