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2011年1月17日 (月)

にほひぬるかな

作法や言葉遣いは時代によって変わるものだから、あまり細かいことは言いたくないが、それでも、テレビなどを見ていて「ヘンだなあ」と感じることはよくあるもので、とりあえず頻発する二点について書いてみる。

私は「手皿はお行儀が悪いこと」と教わってきたのだが、グルメ番組などでは、みんなそれをやっている。箸で食べ物をつまみ、もう一方の手を受け皿にして口に運ぶ動作だ。

器を手で持って口に運ぶか、取り皿に取るか、取り皿がなければご飯茶碗とか汁椀のふたで受けて食べる、と習ったのだが、手皿をする人は、掌に落ちたらどう始末するのだろうか。手を舐めるのか。近頃はお絞りなどを常置しているからそれで構わないのだろうか。
ま、いいか。

もう一つ、食品の匂いをやたら「香り」と表現することだ。

「香り」も「匂い」も類義語だから構わないのかもしれないけれど、私の理解では、昔から習慣的に、花や香水などには「香り」、食べ物などには「匂い」と言っていたように思うのだが、近頃は、「香り」が上品だということになっているのか、なんでもかんでも「わあ、いい香り」とレポーターは大騒ぎする。

焼き魚や焼肉に「香り」って合わないと思うのだが、私はヘンでしょうか。

そのうち、汗の香りとか足の香りとか言い出すんじゃなかろうかと心配でならない。

昔からこんな格調高い歌にも使われているので、「匂い」は決して下品ではないと思うのだが。

 東風吹かば 匂いおこせよ梅の花 あるじなしとて春な忘れそ

 いにしえの 奈良の都の八重桜 きょう九重に匂いぬるかな

 しきしまの 大和心を人問わば 朝日に匂う山桜花

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   そういう私も「何だその言葉遣いは」と叱られそうですが
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2011年1月12日 (水)

大丈夫、ニッポン

【続き】

グローバリズムを恐れず、国の基本方針をしっかりと定めて制度改革を進めることが、今の日本の閉塞感を打ち破り、景気回復につながっていくのだろうか。

それとも、このまま背骨のない民主党政治をだらだら続けていっても、時間がたてばなんとかなるのだろうか。

明治維新も、敗戦も、日本人が乗り越えることができたのは、革新的な変化を怖がらず受け入れたからではないのだろうか。

新しいものを受け入れ、これからの日本の進路に障害となるような問題点を改善したり切り捨てたりすることは、辛いことだが、必要なことだと思う。

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小泉政治が日本をだめにした、と藤原先生も佐伯先生も仰るが、精神のたがが緩み始めたり、金儲け主義が蔓延し始めたり、伝統的な日本人的習慣が簡略化し始めたのは何もその時からではない。

そんなものは私の子供の頃から憂慮されていた。

高校の時、ホームルームの時間に何かの話から、クラスの生徒の一人が「今の世の中、すごくヘンだと思うんです」と言い、担任教師が答えて「そうね、社会全体がなんかおかしいわね」と言っていた。クラス全体の意見もそんな空気に包まれていた。高校生たちは社会は間違っている、と憂慮していた。

古き良き時代、などと今の時点から見て思える時代も、その時の人々は今の世の中なんかヘンだと思っていたのだ。

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田中角栄政治の検証が時折行われるのを見聞きする。

仮に、日本の精神が崩れ始めたのが田中の金権土建政治だとしてみる。

あの頃、田中の凋落のきっかけを作り、猛烈な批判攻撃をしていたのはマスコミだった。

その急先鋒だった言論界の面々が今になって、「田中角栄さんは愛国者だった。貧しい人たちになんとか豊かさをもたらそうとしていた」と持ち上げる始末だ。

そう、たしかに、田中が政治を担った高度成長期に日本はどんどん金持ちになり田中が「日本から田舎をなくす」と宣言したとおり、貧しかった地方も豊かになった。

反面、多くの保守主義者たちが嘆くように、国土は平板化し、日本人らしさ(どういうのが日本人らしいのかわからないが)もどんどん失われていった、とされる。

経済効率優先の社会では、伝統文化や習慣の一部が簡略化されたり省かれたり、金儲けに奔走する人が増えたり、競争が激化するのは当然の成り行きだと思う。

それも承知で日本人は経済優先を選択したのだ。
豊かになり便利になって世界も狭くなった。

今度はそういう世界で生き抜く戦略が必要となってくる。産業や政治の構造も思い切って変えなくてはならないだろう。

今、小泉構造改革を批判している人々も、何十年か後に「小泉純一郎はグローバル化した世界で日本に競争力をつけるため、守旧派の凄まじい抵抗にあいながらも構造改革に踏み切った勇気ある宰相」とかなんとか評価するのではないか。

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日本はいつから銭勘定だけの商人国家に成り下がったのか、と藤原先生は嘆くが、実のところ銭がなければ生きていけないのだ。
そう仰る本人も、豊かな日本社会の恩恵をたっぷりと受けておられると思うよ。

大丈夫、日本人の美的感受性は、どんなに時代が変わっても失われたりしないから。

日本人を冷静に観察してみれば気がつくことだが、いつの時代も健気に古き良きものを残そうと、あるいは誇りある歴史観の回復に努力してきたではないか。

不思議なことに、そういうものに対する好奇心や憧れは若い世代のほうが強いのだ。

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2011年1月11日 (火)

藤原先生と佐伯先生

前記事で「グローバル化や金融経済の進化の速さに日本人は怯えている」と書いた。

新しいものを受け入れることやそれにつれて自分の環境を変えることは勇気がいる。

小泉・竹中の構造改革が日本をこんなにだめにした、と今なお言い募る人々がいる。

古き良き時代の日本の美しい国柄を取り戻せ、と主張する保守派の人々である。

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保守主義の美学が私は大好きだ。
特に藤原正彦先生の日本の風景や精神を称える文章など、感動的で、涙なくして読めない。

先生は「四季折々の変化を見せる美しい自然に育まれた日本人の美的感受性」は世界を見渡しても特筆されるべきものであり、日本人の心や美しい田園風景が忌々しいグローバル化によって荒れ果てることになる、として、小泉竹中路線を厳しく批判し、TPP参加にも断固反対の立場だ。

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関税撤廃のTPP参加の是非については私にはよくわからないが、幸せの追求のために変えるべきところは変える、という発想ができないのは頭が固い、古い、時代遅れ、と言わざるを得ない。

日本が誇る伝統文化を継承していくことと、経済産業構造や技術を革新することは実はそれほど矛盾しない。

伝統文化を保守することと生活を豊かにすることは別のことだ。

当然、時代に応じて伝統や習慣も少しずつ変わっていくだろうが、現に少しずつ変わりながら人間は発展し生き延びてきたし、より幸福にもなってきたのだ。

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自由と民主主義をやめて美しい日本を取り戻せ、と京都大学の佐伯啓思先生も主張する。
昔は、正月というものは全ての時間が止まったように静謐な空気が漂っていて正月らしい気分を味わえた、というような文章を書いておられる。

それは私もよーく覚えている。三が日はどこの商店もお休みなので、年末の家庭は大わらわで正月のために買い置きや作り置きをしたのだ。
そしてお正月はみんなでのんびりとお正月らしい気分を味わうことができた。

現在はスーパーなども元日から開いていて、正月という特別の日を迎えるための年末のあの喧騒はいったい何の意味があったのかと疑問に思うほどだ。
12月31日は単なる「昨日」であって、「昨年」ではなくなっている。1月1日も昨日の続きで「年始」という気分にあまりなれない。けじめがないのだ。
生まれた時からそのような社会に育った若い人たちにはわからないかもしれないが、私の世代の人間は昔の雰囲気をよく覚えている。

しかし、私はそういう雰囲気をたまらなく懐かしいと思うものの、昔に戻すべき、とは思わない。

藤原先生も佐伯先生も、気づいておられるだろうか。
そういうのんびりとした田園風景や正月風景を楽しむことができるのは、見えないところで、大きな犠牲や苦労があるからなのだ。

男が気づかない女の我慢と労働、都市生活者が気づかない農民の忍耐と労働が陰にあった、つまり、佐伯先生の嫌いな「自由と民主主義」というものに人々があまり気づかなかった時代だったからではないだろうか。

生き方を自由に選べ、個を大切にする時代の中で、「俺は学者をやる。しかしお前たちは下働きをし、農業をやりなさい。美しい正月風景や田園風景を保存するために。」というのは、「自由と民主主義をもうやめよう」と提言する佐伯先生ならではの発想だ。

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もちろん、正月から営業をする商業主義がいけないといえばいけないし、田園が荒れるのは国の農業政策が間違っている、ということは言える。

しかし、世界全体の流れを考えると、日本独自のやり方や美学を貫くことは非常に困難だ。

美学を貫いて貧しくなるのも一つの生き方だが、おそらくほとんどの日本人はそれを望まないだろう。

人間が望むのは結局のところ、豊かさや自由なのだから。

             
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2011年1月10日 (月)

神の領域 2

野田聖子衆議院議員が50歳で出産という快挙を成し遂げた。

「家族を作りたい」という強い思いを持ち続け、長年にわたり不妊治療に努力を重ねてきた結果だ。

高齢で出産するにあたってはさまざまなリスクを覚悟しなければならない。

無事に出産を遂げても「生まれた生まれた」と喜んでばかりもいられない。

子育てという作業は、体力の落ちてくる年齢の人間にとってはきついものだ。

しかし、それでも、赤ちゃんを持つことの喜びは何にも替えがたい、と私は思う。

人為的な手法で子供を作ることへの拒否反応がある。

「このような手段で生命を作るべきではない」
「人間、何でも手に入るわけではない。我慢し、あきらめることも大切だ」
「無理やり生まれさせられる子供の身にもなってみろ」
「社会的コンセンサスを得ないまま、事実だけがどんどん先行していくのは不安だ。もっと議論をするべきだ」

そのように人々は口々に言う。

しかし、私は昔からこのように思っている。 →「神の領域」 

人工的に生命を作り出すことへの恐れや、経験したことのない領域に足を踏み入れてしまったショック、人類は恐れおののいている。

それは何も、生命科学の分野にかぎらない。

恐ろしい速度で進むグローバル化や金融経済の複雑さにも人間は恐れおののく。

しかし、おそらくこれは「間違っている」のではなく、避けることのできない進化というものではないだろうか。

進化をしたくないなら、人間は、本能である探求心や向上心や競争心などの欲望を抑制し、規制を残し、保守主義をもって生きるべきだ。しかし、一部の人間がそれを望むからといって、人類全体の発展の流れを押さえつけることはできない。

なに、重力のくびきを無理やり振り切って宇宙に飛び出した時点で、人間は神の領域をとっくに侵しちゃってるのだ。今さらびっくりしなさんな。

そりゃあいろいろな意見は出てもいいけれど、なにより「子供がほしい。家族をつくりたい」という素朴で真摯な思いに、否定的な考えだけをぶつける気持ちには、私はなれない。

子供をもって家庭を成す幸せを望む。何が悪い。

子供がほしくてもできない人がいるなら治療費援助すればいい。代理母や親子関係を結ぶ上で法律が邪魔をするなら不備を改正すればいい。子育てが大変なら周りが手を貸せばいい。

そういう環境を整えることが肝心だ。社会で子供を育てるとはそういう理解を広めることだ。

子ども手当てと称する金のバラマキが、子供を持って家族を作りたいと願う女性たちを喜ばせるとでも思っているのだろうか。

民主党ってバカだよ。

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