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2011年4月19日 (火)

悩み多き原発

皆さんはエネルギーのことをどう考えていますか?

この大震災を境にして、「今まで電気を使いすぎた。これからは経済が縮小してもいいから、質素な生活に慣れるようにしよう」と思った人も多いと思います。

それとも、「経済が縮小しては幸福を得られない。発電力は今までと同じくらいに保たなければいけない」と思いますか?

人間は大きく分けて、こういう二つの考えに分かれると思います。

で、どちらか多いほうの考えによって国の方針が決まるんだろうと思います。

日本は経済発展を目標に後者の考え方で長年やってきました。
けれども、ここ何年かで世界的な経済破綻を経験して「資本主義の行き詰まり」が盛んに言われるようになり、そしてこのたびの大災害でエネルギー危機が現実のものとなり、国の存亡にも関わる重大局面に、「国の構造の根本的改革」と「ライフスタイルの見直し」を迫られることとなりました。

今、日本ではその「ライフスタイルの見直し」への機運が高まっていると思います。アメリカ的な価値観によるものでなく、ヨーロッパ、とくに北欧の国々のような形態をモデルにするべきだ、とか、伝統的な日本人の価値観を取り戻すべきだ、などという以前からの主張をなおいっそう強める人もいます。

でも、口先だけでないなら、具体的なその生活を思い描いてみたことはあるでしょうか。

享楽的で、限りなく便利な生活を当たり前のものとして享受してきた日本人が、その水準をほんの少しだけでも下げることはできるのか、そういうことを想像してみることは必要だと思います。

 

以前、女優米倉涼子のドイツ探訪の旅をテレビで見たことがあります。

ドイツは資源リサイクルによって環境を守ることに挙国一致で取り組み、ゴミを出さない、手仕事に励む、子どもは森の中で遊ぶ、自動車より自転車と徒歩、自然エネルギーの推進(何食わぬ顔で原発の電気を他国から買っているようですが)、そういった手段・生活を徹底することによって環境保護につとめ、人間らしい生活を目指しているそうです。

象徴的なのは、「私は毎日地球のことを考えています」という少女の言葉でした。

子供までが、地球を汚さないよう、リサイクルやエネルギーの節約に頭がいっぱいの様子。 毎日地球のことを考えているんだそうです(!)

おそらくドイツでは、子供の頃からそういう教育が徹底しているものと思われます。

当然そうしなければならないでしょう。 こういう国づくりをする、と決めたなら、子どもの頃からその方針に従って教育を徹底するしかないのです。ここのところを「個人の自由」などというやっかいなもので邪魔をするわけにいかないのです。

ドイツでは地方によって取り組み方も違うし、進捗状況にも差がありますが、それぞれの地域がエコ生活を推進しやすいように国の法律が整備されています。

民主主義に基づき、日本でそのような方針が定まったとします。

しかし日本人は本当にそれを望むのだろうか?

たとえば、定年後、空気の良い田園で農業でもやりながらのんびりと暮らしたい、などと思って移住はしたものの、やはり刺激のある都会生活が懐かしくなるなんてことはよくあることです。

また、日本では親たちは子供を森の中で遊ばせることができるだろうか?
子どもを森の中で遊ばせたいならそうすればいいものを、若い夫婦が子どもを連れて田舎に移住するという決心はなかなかできるものではないでしょう。

結局、親が不便な生活、寂しい生活、単調な生活を好まないからじゃないでしょうか。

ヨーロッパのように、田舎でもいろいろ整備されて快適でオシャレで仕事があるなら住んでもいいということなのでしょうか?

前述の米倉涼子はドイツ人の意識の高さに驚き、「日本での生活スタイルを反省します」みたいなことを言っていましたが、日本に帰ってきて生活スタイルを変えることができたでしょうか?

自然エネルギーに移行するにしても、それをドイツのように安定供給のめどがつくまでいったい何年かかることか。その何年かを日本人は我慢して生活することができるのでしょうか?

 

私は、これは「できる」と思います。できるんじゃないですか?そういう人が多いのであればできる理屈になります。

そういう方針を力強く国民に呼びかけるリーダーが出現し、それに賛同する国民が過半数を占めれば、もともと忍耐には定評のあるわが国民でありますから、できるのではないでしょうか。

日本人はその意思さえあれば選択できるんです。

未曾有の大災害を経験したこの機会に、それを選択しない道理がありましょうか。

 

我慢して我慢して努力して努力した末に我々は、ドイツのような、あるいは古き良き時代の日本のような、素晴らしい国を作りあげるのです。

そして、穏やかで麗しい日々が続いたあと、やがて再び欲望は徐々に増大し、競争が激しくなり、享楽的になり、破綻し、反省し、その繰り返しを延々と続けながら、すべての人類が芸術と哲学に生きる存在として高みに上って行くのか行かないのかそれは私にはわかりません。

 

ところで、そんな先のことはさておき、速やかでダイナミックな復興のためには大量のエネルギーが必要なのに、頼みの原子力が使えないとなると、化石燃料の再考しかありません。

二酸化炭素25%削減なんて言っちゃった人もいたけど、ここはいさぎよく世界に頭を下げて、あれを撤回したほうがいいのではないでしょうか。

または、本当にもう原発はやめるのか、安全性を幾重にも重ねることでそれに頼ることはできないのか、感情的な反原発に陥らず、国民みんなで考えることが必要だと思います。

日本が早く復興しなければ、世界経済に与える負の影響は大きいんじゃないでしょうか。

 

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コメント

目に見えることは人間の力で改善できるが、目に見えないことを解決しなければ、それ以上の惨劇を繰返さなければならなくなる。
心は、人間の努力だけでは改善できない。
私たちが、今、しなければいけないことは『救世主スバル元首様』に、救いを求めることだ。
  もう、時間がない!!
http://www.kyuseishu.com/tanuma-tu-koku.html
http://miracle1.iza.ne.jp/blog/entry/2237566/

投稿: hikaru | 2011年4月19日 (火) 16時26分

ドイツねぇ…

確かにドイツでは、福島の事故の直後に行われた選挙で、反原発を掲げる緑の党が躍進したり、原発推進派だったメルケル首相が脱原発に舵を切る姿勢を示してはいます。

でも、ドイツには自国の原発を止めても、隣国の原発大国フランスの代替電力を利用できるというカラクリがあるんですよ。北関東や東北の原発に電力を頼っていた首都圏と何が違うというのでしょうか。

http://sessai.cocolog-nifty.com/blog/2011/04/post-4f14.html

とはいえ、原発は良くて現状維持というのは仕方ないところ。今後は社会の省電力化と代替電力の開発を両輪にしていかざるをえないでしょうね。

投稿: かせっち | 2011年4月19日 (火) 19時17分

★かせっちさん、

≫反原発を掲げる緑の党が躍進したり、原発推進派だったメルケル首相が脱原発に舵を切る姿勢を示してはいます。≪

2・3日前のラジオで、劇作家鴻上尚史が興奮気味に報告してました。「高円寺にたまたま行ったら反原発のデモやってるんですよ。子ども連れのお母さんたちもいて『ごめんなさい。私たち知りませんでした』なんてプラカード掲げて」って。
日本でも世界でも感情が高ぶって、あとさき考えずに「原発反対!」と叫びたくなるのでしょう。

≫でも、ドイツには自国の原発を止めても、隣国の原発大国フランスの代替電力を利用できるというカラクリがあるんですよ≪

はい、ですから、私もそう書いてますね。記事の上から23行目(かせっちさんの画面では何行目になってるかわかりませんが、ドイツの環境対策のことを書いてる箇所です)のカッコ内。見落とされましたか。

いずれにせよ、「自然との共生」やら「反原発」などという大きな矛盾を抱えた目標について皮肉っぽく書いた記事です。


≫原発は良くて現状維持というのは仕方ないところ。今後は社会の省電力化と代替電力の開発を両輪にしていかざるをえないでしょうね≪

私もそう思いますよ。

投稿: robita | 2011年4月20日 (水) 09時22分

>はい、ですから、私もそう書いてますね。記事の上から23行目(かせっちさんの画面では何行目になってるかわかりませんが、ドイツの環境対策のことを書いてる箇所です)のカッコ内。見落とされましたか。

おお、これは失礼。見落としていました。

投稿: かせっち | 2011年4月20日 (水) 19時17分

原発事故の賠償金の捻出で、これからいろんな案が出てくるでしょうね。東電の社員の給与の20パーセントカット、という記事も新聞に出ていました。東電の耐久年数を遥かに超えた年数を低コストをいいことに福島原発を稼動させていたから、東電の含み益を吐き出すことが先決、でしょうか。東京電力の電気代の値上げっていうのも、受益者負担としたら、アリかしら?
すると,きっと、東京電力の電気は高いから、他の地域に工場を移そう、とか,いつの間にか棚上げになっていた首都の移転の話も再浮上してきたり。
国難なのですが、事故が起こった電力会社地域と、他地域の温度差はあるように思います。
さしあたって、一住民としては、私たちの地域の原発の地震・津波対策のレベルアップを願いたいところです。私たちの地域の原発を見学したことがあります。確かにテロなどに備えての防犯対策は厳重でした。しかし大地震の可能性が叫ばれている地域なのに、なんでここに原発、と思ったのが第一印象でしたから。

投稿: 街中の案山子 | 2011年4月22日 (金) 09時16分

★かせっちさん、
 

投稿: robita | 2011年4月22日 (金) 13時39分

★街中の案山子さん、

原発については、本当のところはどうなのか、ということばかりですね。
以前は原発を恐れていた私も、放射線がそのレベルによって人に及ぼす影響については、色々な記事を読んだり専門家の説明を聞いたりして、事故が起こった地域以外の放射線量について恐れることはない、と理解しました。
でも、「日本の電力は原発がなくても賄える。原発という巨大利権がそれを邪魔している」というような意見には、本当のところはどうなんだろうか、一番知りたいことです。

>事故が起こった電力会社地域と、他地域の温度差はあるように思います。<

これはあって当然ですね。どんなことでも、実際に経験している人間にしかわからないことは山ほどあります。

>一住民としては、私たちの地域の原発の地震・津波対策のレベルアップを願いたいところです<

地方分権が叫ばれていますが、自分たちの地域のことは自分たちで責任を持つ、というのなら、道州制にして各々が自分たちの原発を持ったらどうなんでしょうねえ。
脱原発を目指すなら、電気をどうやって作るか、自分たちで決めるべきだろうなあ、と思います。道のりは長いでしょうが、やるしかないんじゃないでしょうか。
原発はあらゆる想定をして安全性さえ高めればこんなに良いものはないということであれば、仰るように地震・津波対策を万全にしてほしいですよね。

>東京電力の電気は高いから、他の地域に工場を移そう、とか,いつの間にか棚上げになっていた首都の移転の話も再浮上してきたり。<

これを機に、いろいろなことが劇的に変わるかもしれませんね。
変わらなければならないでしょう。

投稿: robita | 2011年4月22日 (金) 13時45分

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