上下があるから面白い
NHKの連続ドラマ「下流の宴」は非常に面白かった。
原作を読んでいないので、ドラマの最初の頃、子供に勉強を強いる「上流の人々」が間違っていて、おおらかな育て方をする「下流の人々」が人間らしい、という凡庸な対比に、林真理子らしくない、と疑問を持ったが、終盤は痛快なものだったし、結末も納得できるものだった。
子供を勉強に駆り立てず自由にのびのびと育てるほうが子供のためになるとか、子供自身の意思をまず尊重してやることが大事、などというもっともらしい意見を耳にしながら、今の時代に親たちはそんな悠長な子育てをする余裕はなく、「一所懸命勉強しないと将来困ることになるのよ」とか「苦あれば楽あり、楽あれば苦あり」などと説諭し、勉強のモチベーションを上げるべく色々な物事を体験させたりして、子供に努力をすることの大切さを教える。
ドラマではそういう母親(黒木瞳)が悪者のように描かれるが、あのような母親は、今の時代ごく普通だ。
息子が「結婚したい」と連れて来た娘が、ネットで知り合ったどこの馬の骨ともわからない下品で教養のない「下流の娘」だったので、母親はなんとか別れさせようとする。 これも、きちんとした考えを持つ親なら黒木瞳同様の反応をしても決しておかしくない。
そりゃあ、母親や祖母(野際陽子)が何かにつけて家柄や学歴を誇示するのは嫌な感じだけど、それはドラマの演出上の事とさておいて、あまりかけ離れた価値観の家族と縁を結び、うまくやっていくというのはそう簡単なことではない。
勉強して上を目指すのは悪いことではない。
努力の大切さを子供に教えるのも親の義務だ。
娘や息子にヘンな虫がくっついたら親として心配になるのは当然だ。
上流志向の旺盛な林真理子(私の見るところ)自身、そういう親であるに違いない。
しかし、この作品の面白さは後半にある。人生や世の中はそう単純なものではないのだ。
ただ、ドラマに出てくるフリーターの女の子はあまりに可愛くて素直で明るい。
あんな娘なら、こちらからお願いして息子をもらってほしいくらいだ。
高校中退の、やる気のないフリーターの男子がこんないい子を見つけてくるだろうか。
まあ、それもこれも私の偏見なのかもしれないが、下流には下流の、上流には上流のそれぞれ相応しい選択があってしかるべき、ということを、まさにこの娘の誉れ高い行動が示している。
下流に甘んじるのも、上流を目指すのも、こういう時代だからこそ、自分の生き方の選択とも言えるのだから、自分の意志で選んだ以上は、伴侶にしろ、生活程度にしろ、やはり、自分の「格」に見合ったものになるだろう。
愛だけでは結婚できないし、釣り合わぬは不縁のもと、という立派な格言もある。
人は自らのやりようによって、上になったり下になったりするから面白い。
結局、人生は自分次第ということになるか。
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