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2011年8月 3日 (水)

追悼 小松左京様

原発はとても怖いので、もうあんなものはいらない、少しくらい生活が不自由でも、安全な太陽光や風力などで電気を作るべきだ、と脱原発に傾く気持ちはとてもよくわかる。
放射能は怖い。

放射線はDNAを傷つけ染色体異常を引き起こす可能性があるということから、25年前のチェルノブイリ原発事故の時、幼い子供を持つ私も心配で仕方がなかった。

偏西風に乗って放射性物質が日本にも届くというので、小学生だった長男に雨に濡れないよう再三注意をしていたし、ヨーロッパからの輸入食品は絶対買わないようにしていた。
生協の「反原発運動」に賛同し、たぶん広瀬隆によるものだったと思うが、原発の危険性を説いた小冊子を何冊かまとめて購入し、友人たちに送り付けたりした。

しかし、周りの主婦たちを含め、ほとんどの人は遥か遠いソ連の原発事故の日本への影響などあまり気にしていなかったように思う。
私や生協の人たちは神経質過ぎたのだろうが、単なる細菌や化学物質などによる汚染とは全く違う放射能というものに得体の知れない恐怖を感じていた。


このたびの福島原発事故で、私たちはさまざまな情報を得、意見を聞き、自分で考え、ある人は更に不安になったり、ある人は少し安堵したりして、それでも、結局のところ、どの情報が信用できるのかわからなくなっている。

しかし、世界を見渡せば、土地の特質として自然放射能の値がかなり高い地域がいくつもあって、そこに住む人々の健康は他の地域と比べて特に問題がないということがあるらしい。
また、1950年代60年代に繰り返された米ソ英仏など各国の核実験により、長期にわたって日本に降り注いだ放射性物質は相当の量だったらしいが、その頃子供だった人々への影響がはっきり出ているわけでもない、となると、それほど心配することはないか、とも思えてくる。

 

福島原発周辺に住む人々や子供たちや妊婦への影響、そして内部被曝についてはもちろん深刻な問題として注視していかなければならないと思う。

 

しかし、ICRP(国際放射線防護委員会)の委員によると、年間100ミリシーベルト以上の被曝についてはたしかに危険であることはわかっていても、それ以下の線量については人体に深刻な影響があるのかないのか、まったくわからないそうだ。
専門家にもわからないのだから、100ミリシーベルト以下の放射線について「いったい安全なのか安全でないのか」と詰め寄って説明を求めるのはあまり意味がないし、詰め寄られる側も困るだろう。

 

各国による核実験が何度も行われた子供の頃に何年にもわたって放射線に晒され続けた我々団塊の世代が、いったい現在健康なのか不健康なのか、長生きなのか短命なのかよくわからない。なかなかしぶといところをみると放射能への耐性はけっこう強いかもしれない。

 

ともかく、高レベルの放射線を長時間浴びるのは危険であり、特に子どもや妊婦はできるだけ回避したほうがいい、ということが言えるだけなのだろう。それ以上のことは誰にもわからない。そう納得するしかない。

 

福島原発から遠く離れている所で放射性物質が検出されたことを、後々のために「データ」として記録しておくのは良いが、いちいち大げさに報道して不安を煽らないほうがいいと思う。

 

さて、原発は恐ろしい、と嘗て友人たちに反原発を説いた私であるが、この福島原発の事故の発生原因やその後の経過などを知ることにより、むやみに怖がる前に問題点はどこにあるのかを考えなくてはいけないと思うようになった。
つまり、事故を起こした日本と、起こさない国との違いはどこにあるのか、徹底的に洗い直すべきだろう。

立地、故障した時の万全のバックアップシステム、重大事故が発生した時の即座の廃炉の覚悟、利権が絡むといわれる原子力行政、私には詳しくわからないが、そういったことが安全な稼動に関わるなら、きちんとやればいいじゃないかと思う。

それができないのなら原発はやめたほうがいい。やめなければならない。

 

しかし、そのこととは別に、原子力の知識や技術を「なかったこと」にして放棄し、永久に封印してしまってもいいものだろうかと、私ははたと考えてしまう。

それは、「周辺国は原発を使い続け、経済発展をしていくのに、日本は電力不足で経済が衰退してしまうじゃないか」というような心配ではない。

将来、どんなことで原子力というものが必要になるかわからない。原子力というものを扱えなければ対処できない事態が起こるかもしれない、そんなことはないのだろうか。

だいたい、一度知ってしまった原子力についての高度な知識や技術にフタをして、なかったことにしてしまうことが唯一の正しい道なのだろうか。

放射能というものが、人類の力でハンドリングできるものなのかどうかを探求することさえ許されないとは思えないが。

 

臓器移植や人工生殖やips細胞による再生医療も、手を出してはいけない「神の領域」という考えを持つ人も多いと思うが、人間の手にした知識や技術を忘れ去るのは真理に背を向けるのと同じようなことだと私には思える。

傷んだ臓器を健康な臓器に取り替えたり、体外で受精させたり、原子核がとてつもないエネルギーを生み出すことをつかんだ人間の探究心を私は偉大だと思う。

科学技術というものは、それまでの研究の蓄積や稼動の継続が次の段階の土台となるから発展するのではないだろうか。
挑み、乗り越えることで、科学技術は発展し、人類の幸福に貢献する。
要するにそういう精神がないと科学技術なんて発展しないのだ。
道にはずれたマッド・サイエンティストを興味本位で待ち望んでいるのではない。
貴重な積み重ねを封印し放棄することは、進歩の拒否ではないだろうか。

NHKドラマ「マドンナ・ヴェルデ」(原作・海堂尊)で、日本では違法となる代理母医療に取り組む主人公の女医の言葉を思い出す。
「挑むためです。昨日できなかったことが、今日できるようになるかも知れない。今日わからなかったことが明日わかるかもしれない」

こういう言葉を私はとても素直に受け入れることができる。

「進歩」はいろいろな意味を含んでいて、「できること」をあえて封印して、精神を練磨する方向に進むのも進歩の一つの形態だと思う。

しかし、人類はいずれ太陽系を飛び出すのではないか、いやそのもっと先までいくのではないか、と未来を楽しく想像する身として、科学技術の果てしない発展を頼もしいものとして受け止めたい。

 

私の拙い意見も、日本人の底力を信じ人類の進歩を常に希望をもって語っていた小松左京さんにだったら「まあ、そんなもんでっしゃろ」ぐらいは言ってもらえるかもしれないなあ。

合掌    

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コメント

>>放射能は怖い。放射線はDNAを傷つけ染色体異常を引き起こす可能性がある・・・

この放射能をもらたす放射線の中にデファレーター光線が含まれてるかもしれません。そうなると人類は光線発射などができるようになるか??

シュワッチ!!!!

しかし原発周辺に残されたペットや家畜がゴジラ化する恐れもあり。そうした動物はイヌやネコばかりではありません。牧場や畜舎からウシやブタは当然として、中にはダチョウまでがゴースト・タウンを疾走しているそうです。あのスピードにキック力!現生の動物ではダチョウはきわめて恐竜に近い動物です。本物のゴジラが出現すると、防衛費をどうするんだろう?

投稿: Σ・亜歴 | 2011年8月 7日 (日) 12時16分

★Σ・亜歴さん、

>中にはダチョウまでがゴースト・タウンを疾走しているそうです。<

その映像見ました。なぜダチョウが福島にいるのでしょう。飼ってた人がいるのでしょうかね。

進化は突然変異によって起こり、その突然変異は放射線によって引き起こされるそうですが、線量が多ければ大変化を遂げるというわけではないですね。
福島原発の一日も早い収束を祈ります。

投稿: robita | 2011年8月 8日 (月) 15時00分

> 科学技術というものは、それまでの研究の蓄積や稼動の継続が
> 次の段階の土台となるから発展するのではないだろうか。
> (略)
> 貴重な積み重ねを封印し放棄することは、進歩の拒否ではないだろうか。

「あえて実行せず」というのも進歩である以上、
難しい問題ですね。

ただ、今回の件で、危険ということが身の回りに多いことが分かりました。

原発は危険?
やらせメールを行う電力会社は危険?
信憑性が低い 間違った情報を流し、不安を煽る 原発反対論者も危険?
それに流されて、原発反対と言いながら、街中を片手に日傘を持ち、
前もよく見ないで片手で自転車を運転するのも危険?(違法?)
同じく、両耳で音楽を聞きながら、自転車を運転するのも危険?

投稿: 危ないとは? | 2011年8月13日 (土) 09時59分

ダチョウは牧場から逃げたもの。低カロリー高タンパクの肉が健康食として高評価です。かつてスーパーでダチョウの卵を見ましたが、大きすぎて殻も固く、家庭での料理は難しそうです。

耳なしウサギが産まれているなら、ダチョウ・ゴジラの誕生もあるか?まさか原発作業員が光線を放つ銀色の肉体に変わる?ということはまずないでしょうね。

投稿: Σ・亜歴 | 2011年8月13日 (土) 12時17分

★危ないとは?さん、

初めまして。

>今回の件で、危険ということが身の回りに多いことが分かりました。<

そうですね。
危険なのは原発だけではないですね。
飛行機なんか絶対落ちないとはかぎらないのに、なぜみんな平気で乗るのでしょう。

ただ、原発は事故が起こると、発がん性のある放射性物質という厄介なものを撒き散らし、その影響が何十年と続く危険性があります。そこが、通常の「大事故」とは違うところですね。

その意味で、食品を変質させて発がん性物質を作り出すと言われる電子レンジの多用や、脳腫瘍発症の可能性があると指摘される携帯電話の危険性などに関しては無頓着な被災地以外の人々がむやみと放射能を怖がるのは矛盾ではないかと思います。
陸前高田の松に放射能があるかもしれないから五山の送り火に使うな、みたいな。

投稿: robita | 2011年8月13日 (土) 14時22分

★Σ・亜歴さん、

>ダチョウは牧場から逃げたもの。低カロリー高タンパクの肉が健康食として高評価です。<

そうなんですか。日本人がダチョウの肉を食べるとは知りませんでした。それとも輸出用?

とにかく、高レベル放射能は危険であることに間違いはないので、放射能をコントロールできるような技術を開発できれば一番いいんですが、今はとにかく収束を祈ることぐらいしかできません。

投稿: robita | 2011年8月13日 (土) 14時24分

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