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2011年10月31日 (月)

永六輔その新世界

TBSラジオ「土曜ワイドラジオTOKYO」で、大橋巨泉のTPP参加反対の演説があまりに面白いのでつい聞きほれてしまいました。

「TPPなんて、環太平洋のほんの一部の国が参加してるだけで、インドネシアだってアルゼンチンだって入ってないんだよ。 いま参加しないと乗り遅れる、なんてことは全然心配しなくていいの。野球だって最初の一球は見送るでしょ」 (野球知らないので、「一球目は見送る」の意味がわかりませんが)

「日本はたった150年前まで鎖国してたんだよ。それでもちゃんと生きてた。内需拡大すればいいの」 (今の世界で鎖国して大多数の人が幸せになれるのかどうか。私のようなアナログ人間はどうにかやっていけると存じますが)

「今の70代以上の人は30万40万という年金もらってるでしょ。その人たちがどんどん消費すれば景気は良くなる」 (ハッピーリタイア組の消費も必要だけど、若い世代との年金格差にもっと真剣対応すべき)

「要するに世界が国単位で動かず、企業で動いてるんだよ」 (それは当然の成り行きでは?)

「外国に出て行かないと日本は置き去りにされる、なんて嘘っぱちなんだよ。不思議で仕方ないのは、推進派はそういう嘘をついてまで日本にTPP参加させて、いったい自分たちに何のメリットがあるのかということなんだよね」 (国の衰退を防ごうとしているんじゃないでしょうか)

「百歩譲ってTPPに参加するにしても、野田さんは『TPPに参加します。その代わり沖縄の基地はグァムに移転してもらいます』ぐらいの交渉をするべきなんだよ」 (意味不明)

字にするとヘンですけど、思わず納得してしまいそうなほど弁舌は巧みだったのです。

それでブログ検索してみると、同意している人も少数ですが見かけました。(だいたいこの番組を取り上げているブログ自体少ない)
あの番組のリスナーの大半を占めるお年寄りなど、簡単に「なるほどなるほど」と納得しちゃうんじゃないかなあ、と思いました。

この人はとんでもなくおめでたい人なのか、それとも、もし総理大臣にでもなれば、日本を立ち直らせてくれるものすごい知恵と勇気を持った人なのか、TPPの詳しい事情を知らない私には判断ができません。

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2011年10月23日 (日)

脱皮

TPPに参加するかしないかで政治家や評論家たちの意見が真っ二つに割れている。

一般の国民は専門的なこともわからず、未来予測もできず、賛成ですか反対ですかなどと聞かれても判断のしようがない。

メディアで繰り広げられているややこしい議論を聞いていても、TPPに参加または不参加で日本がどうなるのかよくわからない。

ただし、私でも予想できるのは、やがて通貨は統一され世界はひとつになるだろうということだ。グローバリゼーションは否応なく進む。

今の世界の嘗てないほどの経済の混乱や貿易自由化の動きは、その始まりなのではないだろうか。我々はその胎動を経験しているのかもしれない。

    *   *   *   *   *

鳩山由紀夫さんや福島みずほさんたちが、「TPP絶対反対」の集会で気勢を上げているのを見て違和感を感じた。

たしかこの人たちは「世界はひとつ。人類はみな兄弟」「国境はいらない」「日本列島は日本人だけのものではない」といった地球市民的思想を持った人たちではなかっただろうか。
鳩山さんなんか「東アジア共同体構想」なるものをぶち上げて、東アジア一体化(ひいては世界統一)を主張してきた人だと思うのだが。
東アジア共同体構想では、国益を背負った国家間の交渉は不必要だと想定しているのだろうか。

中国となら同じ経済圏で日本も損することなくうまくやれるが、アメリカはとにかくずるいから、日本は言いなりにならざるを得なくなる、という思い込みだろう。

要するに、「反米」なのだ。

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国益とはなんだろうか。

国全体として得をすることであって、特定の分野を保護したがために国全体として損をするのであればそれは国益とは言わない、ということぐらい私でもわかる。

問題となっている農業や医療にしても、現状を維持させるためだけにTPP絶対反対というのであれば、それは木を見て森を見ないということではないのだろうか。

組織や制度自体が疲弊しているのだから、むしろTPPをてこにして改革を進めるほうが得策だ、と説明する推進派政治家の意見を私はもっともだと思う。

もちろん、組織が解体されたり制度が変わったりすれば最初は痛みがあるだろうし、廃業せざるを得ない人も出てくるだろう。その人たちへの手当てを考慮しつつ、疲弊した構造を変えていくことこそが、長い目で見れば国益になるのではないだろうか。

あとどのくらいたてば世界はひとつになるのか。50年か100年か。あるいはもっと早いかもしれない。

第三者の介入(宇宙からの来訪者)なしに、人類が自力で国境を取っ払うことができるかどうか。これは地球人としての自立の問題と言えるかもしれない。「幼年期」はいずれ終わる。

世界統一された後も依然として残り続ける地域益のために、生き残り術を磨いておくことは必要だ。なぜなら、「世界統一」イコール「人間の欲望がなくなること」ではないのだから。

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2011年10月19日 (水)

こんな時代だもの

23歳の末息子が就職して半年ぐらいたった頃だった、仕事から帰るなり、ぶ厚い封筒を差し出した。
中に30万円入っていた。
「半年分の食費」と言う。
びっくりして、「せっかくの給料なくなっちゃうでしょ。いいのよ。食費にそんなにかかってないから」と押し返すと、「100万円たまったから」と言うのだ。

この息子である。→「本日、未熟者」  

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国の財政が逼迫していて、年金受給年齢引き上げの案が出てきている。
団塊世代に対する受給年齢引き上げは遅きに失したし、なによりこの巨大な塊に早く辞めてもらわないことには企業の運営に大いに支障がある。

定年退職後、無収入では困るので、年金支給されるまでのあいだ働かなければならないとしても、新たな就職は難しい。若年世代との仕事の奪い合いになる。

一方で、少子化で労働人口が減るので、高齢者にも女性にも働いてもらわなければならないし、外国人労働者も入れなければならない、という。

仕事があるのかないのか、働き手が足りているのかいないのか、よくわからない。

要するに、仕事はあるが、割りに合わない仕事は敬遠されるということだろう。

新卒採用については「仕事が減ったわけではない。大学生が増えすぎて、大卒としての雇用が足りなくなったのだ」ということが一説にある。

いやいや、中小企業ならある、とも言われるが、中小企業だって人を選びたいだろう。

大企業にも中小企業にも採用されない大卒者はどうすればいいか。
いわゆるブルーカラー職に目を向けるしかないのではないか。

かわいそうだろうか。

かわいそうといえば、ホワイトカラーで働いていた人が定年後60歳過ぎて肉体労働に従事しなければならない事態のほうがよほどかわいそうだ。

大学生にもいろいろいて、学業に励み、在学中から将来のためのスキルを身につけるべく努力してきた者はきっと望みどおり上級の働き口がみつかるだろうし、大学生活を受験後の休息の期間と捉えてのんびり遊んでいた者はきっとそれなりのツケを払うことになるのだろう。
昔なら大学に行かなかった人間が、我も我もと大学生になり、大卒が特別な資格ではなくなった。

私の息子は、今どきの大学生としては(あるいは今どきの大学生だからこそなのか)そんなに遊ばず真面目に授業に出ていたほうだと思うが、若者にありがちなちょっとした勘違いの結果、大卒らしくない仕事に就いている。

彼は「格差社会反対」のデモに参加しないが、若者に敬遠されるような職場に一度も欠勤することなく黙々と通い続ける。
私が「それだけでも偉い」と言うと、彼は「奴隷根性が染み付いてるんだよ」と自虐的に返してこちらをガクッとさせる。

3Kの職場で、言われるまま黙々と働き続け、その状態が変わることなく一生を終えるのか、それとも、とりあえず金を稼ぎ、何かを始める資金にするのか、その選択は個人々のものである。

今の社会構造では、スキルを身につけないと転職もできないから、いくら底辺の仕事で金を貯めたり精神的筋肉を強くしたところで使い物にならない、と決め付ける人もいるだろう。

しかし、その社会構造を変えるのも人間の動向によるだろうと思うのだがどうだろうか。

たとえば底辺と言われる仕事を2・3年真面目にこなして貯金をし、その資金で1年くらいかけて農業を学び、農業系企業に就職することも可能だ。何人か集まって起業することもできる。

息子がそういうことを考えているのかどうかわからないが、若者の柔軟な発想や冒険、そしてそれをする人間が増えれば社会の構造は変わってくるのではないか。

自民党衆議院議員の平将明氏は、若い時に3年ほど青果卸売市場で働いていたという。
仲卸業の社長の子息なので、将来の経営者としての現場研修という形だったのだろうが、「キャベツの箱とか運んでたんですよ。夜中の仕事だから給料は良かった。そういう仕事ならあります」と言っていた。
それは大卒者の仕事ではないが、良い経験だったろうなと思う。

底辺の仕事に就いていると、上に行こうという気概を失っていくというが、それは当然個人の資質による。
一生、昇進もせず、肉体労働で終わるのか、覚悟を決めて資金を貯め、つぎのステップを目指すのか、それは個人の意志の問題だ。

制度や社会構造を言い訳にし続けることは、それらが変わらないことに逆に言い訳を与えているような気がする。

今の時代、一番かわいそうなのは、お金のかかる子供を抱えた40代50代の人たちではないだろうか。その人たちが、年金支給年齢を引き上げられ、高齢になってから肉体労働を余儀なくされるというのはあまりにもかわいそうだ。

若者が、惨めさを経験しながら寄り道・回り道をするのを「かわいそう」と思う人もいるかもしれないが、まだ所帯を持たないうちなら、それは若者ならではの特権とも言えるのではないだろうか。

人はたまたま生まれついた時代の中で、なんとか生き延びるしかない。

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息子がこのまま変わらないのか、それとも、成長し、気概を身につけていくのか。そうならないのは制度のせいでも社会構造のせいでもない。

本人の気持ちひとつだ。

“Stay hungry. Stay foolish”の言葉が、スタンフォードのエリートたちだけでなく、日本の落ちこぼれ大学生の心にも染み入るものでありますように。

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2011年10月 5日 (水)

一か八か

復興増税について、すべき、すべきでない、と意見が二つに分かれ、お互いを「とんでもない。国をつぶす気か」と罵り合っている。

どっちが正しいという問題ではなく、また、利権の絡む問題でもなく、単に未来予測は難しいという話なのだろう。

経済のことはほとんどわからないしろうとだが、それでも、両方の言い分を聞いていると、「増税は更なる不況を招く。60年償還の建設国債の発行。復興債を発行して日銀に引き受けさせる。同時に用心深く金融緩和を進める」という案のほうがなんとなく良いような気がする。

経済や金融の専門家が綿密に考えて、それでも意見が真っ二つに割れてしまうのなら、国民の「なんとなく」な気分に任せてもいいのではないだろうか。
なんせ、経済は「人の気持ち」に大きく動かされるらしいから。

どっちにしますか、と国民に問えばいいんじゃないでしょうか。それを争点に総選挙。
国民が自分で選んだ道ならば、失敗しても、自分自身を責めればいいだけの話だ。
政治家を責めるだけでなく、自分で選択したことの結果を自分で受け止める度量を持ちたい。

失敗によって日本全土が焼け野原になるかもしれないが。

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・・・・・・・・・と言いたくなるような、我が国政のかよわさ。

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2011年10月 3日 (月)

マスコミの力

国にお金がないから、増税して国民からお金を集めるしかない、と考える人と、まず無駄をなくしてから増税論議をやるべきだ、という人に分かれている。

たしかに、お金が足りなければ、これ以上借金するのは恐ろしいことなので、税金を取るしかないのかもしれない。

しかし、こんなに無駄をやっているのに、なぜ国民だけが負担が大きくなるんだという理不尽はひしひしと感じる。
無駄をなくしても、出てくるお金は財源としては微々たるものだという。 それでも、せめて為政者の真面目な姿勢を見せてくれなくては国民もやりきれないではないか。

マスコミは、「こんな無駄がある、あんな無駄がある」と日々報じる。

マスコミが報じなくても、民主党は野党当時、与党を責めていた。

そして「自民党には無駄をなくす改革ができないから、我々にやらせてくれ。我々ならできる。必ずやってみせる」と力強く言っていた。

たしかに声をそろえてそう言っていた。

でも、できない。 あと2年かかってもできないだろう。

マスコミはほんのひと言の失言を取り上げて騒ぎ立て、大臣をやめさせるほどの力があるのに、なぜ、最も重要なこと(民主党にも自民党にも改革ができないということ)をもっと大きく取り上げて騒ぎ立てないのだろう。

まずはそのことを理解しなければ、これからも総理大臣はころころ変わり続けると思うよ。

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