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2011年10月19日 (水)

こんな時代だもの

23歳の末息子が就職して半年ぐらいたった頃だった、仕事から帰るなり、ぶ厚い封筒を差し出した。
中に30万円入っていた。
「半年分の食費」と言う。
びっくりして、「せっかくの給料なくなっちゃうでしょ。いいのよ。食費にそんなにかかってないから」と押し返すと、「100万円たまったから」と言うのだ。

この息子である。→「本日、未熟者」  

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国の財政が逼迫していて、年金受給年齢引き上げの案が出てきている。
団塊世代に対する受給年齢引き上げは遅きに失したし、なによりこの巨大な塊に早く辞めてもらわないことには企業の運営に大いに支障がある。

定年退職後、無収入では困るので、年金支給されるまでのあいだ働かなければならないとしても、新たな就職は難しい。若年世代との仕事の奪い合いになる。

一方で、少子化で労働人口が減るので、高齢者にも女性にも働いてもらわなければならないし、外国人労働者も入れなければならない、という。

仕事があるのかないのか、働き手が足りているのかいないのか、よくわからない。

要するに、仕事はあるが、割りに合わない仕事は敬遠されるということだろう。

新卒採用については「仕事が減ったわけではない。大学生が増えすぎて、大卒としての雇用が足りなくなったのだ」ということが一説にある。

いやいや、中小企業ならある、とも言われるが、中小企業だって人を選びたいだろう。

大企業にも中小企業にも採用されない大卒者はどうすればいいか。
いわゆるブルーカラー職に目を向けるしかないのではないか。

かわいそうだろうか。

かわいそうといえば、ホワイトカラーで働いていた人が定年後60歳過ぎて肉体労働に従事しなければならない事態のほうがよほどかわいそうだ。

大学生にもいろいろいて、学業に励み、在学中から将来のためのスキルを身につけるべく努力してきた者はきっと望みどおり上級の働き口がみつかるだろうし、大学生活を受験後の休息の期間と捉えてのんびり遊んでいた者はきっとそれなりのツケを払うことになるのだろう。
昔なら大学に行かなかった人間が、我も我もと大学生になり、大卒が特別な資格ではなくなった。

私の息子は、今どきの大学生としては(あるいは今どきの大学生だからこそなのか)そんなに遊ばず真面目に授業に出ていたほうだと思うが、若者にありがちなちょっとした勘違いの結果、大卒らしくない仕事に就いている。

彼は「格差社会反対」のデモに参加しないが、若者に敬遠されるような職場に一度も欠勤することなく黙々と通い続ける。
私が「それだけでも偉い」と言うと、彼は「奴隷根性が染み付いてるんだよ」と自虐的に返してこちらをガクッとさせる。

3Kの職場で、言われるまま黙々と働き続け、その状態が変わることなく一生を終えるのか、それとも、とりあえず金を稼ぎ、何かを始める資金にするのか、その選択は個人々のものである。

今の社会構造では、スキルを身につけないと転職もできないから、いくら底辺の仕事で金を貯めたり精神的筋肉を強くしたところで使い物にならない、と決め付ける人もいるだろう。

しかし、その社会構造を変えるのも人間の動向によるだろうと思うのだがどうだろうか。

たとえば底辺と言われる仕事を2・3年真面目にこなして貯金をし、その資金で1年くらいかけて農業を学び、農業系企業に就職することも可能だ。何人か集まって起業することもできる。

息子がそういうことを考えているのかどうかわからないが、若者の柔軟な発想や冒険、そしてそれをする人間が増えれば社会の構造は変わってくるのではないか。

自民党衆議院議員の平将明氏は、若い時に3年ほど青果卸売市場で働いていたという。
仲卸業の社長の子息なので、将来の経営者としての現場研修という形だったのだろうが、「キャベツの箱とか運んでたんですよ。夜中の仕事だから給料は良かった。そういう仕事ならあります」と言っていた。
それは大卒者の仕事ではないが、良い経験だったろうなと思う。

底辺の仕事に就いていると、上に行こうという気概を失っていくというが、それは当然個人の資質による。
一生、昇進もせず、肉体労働で終わるのか、覚悟を決めて資金を貯め、つぎのステップを目指すのか、それは個人の意志の問題だ。

制度や社会構造を言い訳にし続けることは、それらが変わらないことに逆に言い訳を与えているような気がする。

今の時代、一番かわいそうなのは、お金のかかる子供を抱えた40代50代の人たちではないだろうか。その人たちが、年金支給年齢を引き上げられ、高齢になってから肉体労働を余儀なくされるというのはあまりにもかわいそうだ。

若者が、惨めさを経験しながら寄り道・回り道をするのを「かわいそう」と思う人もいるかもしれないが、まだ所帯を持たないうちなら、それは若者ならではの特権とも言えるのではないだろうか。

人はたまたま生まれついた時代の中で、なんとか生き延びるしかない。

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息子がこのまま変わらないのか、それとも、成長し、気概を身につけていくのか。そうならないのは制度のせいでも社会構造のせいでもない。

本人の気持ちひとつだ。

“Stay hungry. Stay foolish”の言葉が、スタンフォードのエリートたちだけでなく、日本の落ちこぼれ大学生の心にも染み入るものでありますように。

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