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2011年11月22日 (火)

男の流儀

若い男性へのアンケート「なりたい顔」

一位:福山雅治
二位:向井理
三位:木村拓哉

だそうである。
なりたい、ということは、この顔であれば「もてる」という期待があり、つまり、女性の好みがそのようである、ということだろう。

「昔はねー、三船敏郎さんだとか、山崎努さんだとか、高倉健さんだとか、いかつい男性が好まれたもんですけどねー」とこのトピックを報道するラジオのキャスターが言っていた。

そうかな。 昔とか今とかの話じゃなくて、「キレイな顔の男」っていつの時代ももてるんじゃないだろうか、と私は思う。

個人的には私はこういう顔が好きである。

井ノ原快彦  

太賀  

福山より向井より木村よりこっちのほうがずっと魅力を感じる。

因みに、太賀くんは、今年初めNHKドラマ「迷子」で高校生役をやった時に初めて見たのだが、主演の南沢奈央と共にその自然な演技に好感を持った。
やはりNHKの「下流の宴」で美波の弟役をやった時もなかなか上手だった。

男が眉毛を整える風潮にゾッとする私としては、18歳の若者である彼が、その流行に背を向けていることに骨っぽさも感じる。

このような流儀であれば、流れに逆らうほうが頼もしいし、流れを変える可能性も大いにある。どうか眉毛、そのままで。

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2011年11月20日 (日)

「逝きし世の面影」

好感度抜群のブータンの国王ご夫妻が帰国された。

国王から発せられる言葉には誠実さと確固たる意志が感じられ、国民から信頼されているのがよくわかる。

観光と水力発電による売電で外貨を得、国内は主に農業の自給自足体制だそうだ。

国民のほとんどが幸せを実感している「世界一幸せな国」ということだが、国王が慈悲深く英明であること、人口が少ないこと、信仰心が厚いこと、鎖国をしていたこと、こういう条件が揃えば、そういう国になる可能性は高いと思う。

江戸期に我が国を訪れ、滞在した外国人たちの日本の印象もおそらくそのようであったろう、と思っていたら、昨日の「産経抄」に、このような記事が載った。 → http://sankei.jp.msn.com/life/news/111119/imp11111903110001-n1.htm 

国土・人口の規模も歴史も違うので、一つの村のようなブータンとは異なる面もあるだろうが、おそらく日本は「美しく幸せな国」として西欧の人々の目に映ったことだろう。

【気品と威厳をそなえた廷臣たちの態度、名だたる宮廷に栄光をそえる洗練された作法、そういったものはインド諸国のすべてのダイヤモンドよりもはるかに眩(まばゆ)い光を放っていた(『ヒュースケン日本日記』から)。質素で飾り気がなく、子供たちの無邪気な笑い声に満ちた幕末の日本を愛した彼は同時に、この国の将来に大いなる危惧を抱いた。】

ハリスに随行した通訳のヒュースケンは自分たち西欧の悪徳がこの国を飲み込んでしまうことを悲しんだ、というのだ。

戦いに明け暮れ、資源獲得のため世界中の民族を無理やり自分たちの経済圏に引っぱり込む植民地主義を自ら「悪」と認めながらもその流れは止まらず、素朴な人々の住む地域の資源や労働力を搾取していった。

それだからグローバリズムは悪だ、植民地を作り、搾取した西欧諸国は悪だ、グローバリズムを推し進めるアメリカは悪だ、というのは物事の本質を語っていない。

なぜなら、ヨーロッパがやらなくたって、アメリカがやらなくたって、他の誰かがそれをやったに決まっているからだ。

人間の欲望にきりがないのも、自分だけは生き残ろうとするのも、人間であるかぎり、当然なのだから。

強いものが主導し、世界を巻き込んでいく。アメリカがそれをしなくてもどこかがやる。

道徳は歯止めの作用があるが、道徳など神代の昔から今と変わらずあったものだ。にもかかわらず人間は欲望を抑えることをせず、戦争と再生を繰り返し、発展してきた。

この広い宇宙には争いの概念を持たない種族があるいは存在するのかもしれない。宇宙人のことは知らない。しかし、地球の人類は欲望と挑戦の原理で動く。

「ブータンの人々が無知だからではない。世界の国々の事情を知った上で、あえて自分たちの流儀を守っているのだ」と力説する社会学者もいるけれど、エリート層の人々と肉体労働をする人々との間のさまざまな格差はいずれ問題になってくるのではないかと思う。

グローバリゼーションを悪いことと決め付ける人もいるが、これは当然の成り行きであり、その流れの中で起こるさまざまな苦難を乗り越えた先に統一世界があるのだと思う。

タフなのは「変わらず幸福な国」に住む人々なのか、それとも、変化を受け入れ、経済低迷や争い、それに伴う悩み苦しみを経験した人々なのか。

「まあ、それはわかってはいるけど、せっかくの国王ご夫妻の来日の時に、そういう水を差すようなことは言わないようにしてるだけですよ」ということかもしれないけれど。

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2011年11月 6日 (日)

昭和の匂い

テレビなどで目にする、主に若い世代の行動を二点。
良くも悪くも気になるのだ。

一つは、「いただきます」の時に手を合わせる人が非常に多くなったということ。
テレビの中だけのことかもしれない。若い人は実際に外でも家の中でもあれをやっているのだろうか。
同年代の友人知人とたまに食事をしても、「いただきます」とは言っても手を合わせることまではしない。
あれは一種のはやりなのだろうか。それとも、命をいただくことを天に感謝するのに「いただきます」だけでは足りない、という非常に殊勝な人々が増えたということなのだろうか。

宗教を持っている人は食事の前に習慣として感謝の祈りを捧げたり手を合わせたりするが、私の覚えている限り、子供の頃から最近まで、普通の家庭でそんなことをする人はいなかった。
近頃、爆発的に増えたのだ。
検索してみると、やはり気になってる人が多いようだ。「わざとらしくていやだ」とか「手を合わせるのは常識。それをしない人はどんな躾を受けてきたのか」などという意見も見られる。

与えられた日々の糧をありがたくいただく気持ちを持つのはとてもいいことだと思うし、それが多くの人の習慣になっていくことに何の異存もない。

ただ、確かなのは「ちょっと前まで食事の前に手を合わせるという行動をテレビで見ることはほとんどなかった」ということだ。

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もう一つは、これもドラマの中だけのことだろうが、大人が子供と話す時、必ずしゃがみ込み、「子ども目線」というか、むしろ子供より下の位置になって、子供を見上げながら喋る場面が非常に多い。

「子供への対応は、同じ目線で対等な立場で」という、戦後民主主義の精神からくるものだろうし、それが良いのか悪いのかはさて置いて、気になるのは、戦前からの昭和を描いたドラマにそういう場面を持ち込むことである。
私の子供の頃、あんなことをしてくれる大人はいなかった。子供に対しては上から目線が当たり前だった。
ドラマ制作の現場に当時の状況を知っている人々がいたにもかかわらず、ずいぶん前からそういう細部の事実が軽視されていたと思うが、これからはますますそういうことが多くなって、私たち年配者は近過去ドラマに臨場感も得られないし共感もできなくなっていくのだろうなと思う。

ついでに言わせてもらえば、TBS「南極大陸」の木村拓哉に全然昭和の匂いがしない。

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2011年11月 3日 (木)

空を見る

週刊新潮今週号の三記事が興味深かった。

・大阪府橋下知事のスキャンダル

 これは誹謗中傷の類なのだろうか? 誹謗中傷というより、人間橋下徹の逞しさの根源を探るものであり、3年9ヶ月という期間で府の財政を黒字に導いたその「冷酷さ」はどのように育まれたものであるかを描いた記事と読めなくもない。
国の非常時にあって改革を断行しようとすると、急激な変化を嫌う勢力に抑えられ、結局はだらだらと悪習や制度温存を続けることになる。そんなだらだらが国でも地方でも長年続いてきた。
「全体」のためにそれを突き破る意志が必要であるならば、リーダーは「いい人」でなく「冷酷な人」でなければならない、と読めた。

・アップル創始者スティーブ・ジョブズの「悪い逸話」は枚挙に遑がない

 「メディアが狂ったようにジョブズ礼賛を繰り返し、アップル本社前で人々が泣くのが、私には理解できません」と、彼とのビジネス経験のある人物が語る。
冷酷な独裁者ぶりが各方面からの証言で露わになる。前期アップルを追われた理由がわかるようだ。
しかし、記事はこう結ぶのだ;
「もっとも古来、たいていの変革者は奇人、変人だった。すると「悪い逸話」も時代の閉塞感を破るための処方箋になるか___。」

橋下氏とジョブズ氏の記事はリンクしているようにも見える。

もう一つ、
・科学作家、竹内薫の「サイエンス宅配便」

 専門家や天文ファンの間ではとっくに知られたことだろうが、オリオン座の一角を成すベテルギウスが近い将来、超新星爆発を起こすかもしれないということだ。この赤色超巨星がここ15年で大きさが15%も縮んでしまったという。ものすごく膨らんだものが縮む傾向を示すという不安定な状態は星の終焉の可能性がある、というのだ。
ベテルギウスは地球から640光年と極めて近い距離にあるのでもし爆発を起こせばきっと、昼間でも明るく輝いたという1054年の超新星とは比べものにならないくらいの強い光を放つだろう。
ただし、今爆発が起こっても、それがここから見えるのは640年後ではあるけれど。640年前に起こっていれば、もうそろそろかもしれない。見たい。

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