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2012年2月27日 (月)

思考開始

名古屋市の河村たかし市長が「南京事件はなかった」と発言し、日本創新党党首で元杉並区長の山田宏氏もそれを後押しする動きを見せている。

他国による戦時中の出来事の捏造には長年にわたって日本は悩まされてきたわけだが、日本政府はそのことについてはっきりと抗議しないままここまできた。
言い分をはっきり言おうものなら、あちらのご機嫌をそこね(いや、機嫌をそこねるどころか手がつけられないほど激怒なさるのである)、通商上、甚大な不利益を蒙るからということらしい。国益が失われる、ということだ。
真実をはっきりさせることより、金儲けのほうがずっと国益にかなう、というわけである。

で、日本人は、金儲けのほうを選んできたのだ。

それはそれでいいと思う。腹が減っては戦は出来ぬのだから。

ただ、思うのは、日本国民はいったい「どちらを選ぼう」とか考えたことがあるのだろうか、ということだ。

ほとんどの日本人は、南京大虐殺だの、従軍慰安婦だのの問題を、真面目に考えてみたことがないのではないか。

どうしてそういうことになったのか、戦後の日本人は子供の頃から、「日本人は極悪で、戦時中は非道のかぎりをつくしてきた」と刷り込まれてきたのである。

日教組とマスコミが悪いと言えば簡単だが、ではなぜ、日本人の誰もがそれらを拒否することができなかったのか。
これはもう集団マインドコントロールである。

マインドコントロールに陥らなかった少数の人々が必死に真実を訴えてはきたが、ことごとく「戦争好きの右翼」などというレッテルを貼られ、異端視されてきた。

日教組やマスコミの偏向には、時代とともに批判が高まってきてはいるが、まだまだ無関心や思い込みから脱していない日本人は多い。

私は自分で調べたわけではないから、「南京大虐殺はなかったのだ」と断言する資格はないが、それでも、いろいろな検証事例を見聞きするにつけ、「どうも中国の言ってることはおかしい。きちんと検証し、両国で公開討論を行うべきではないか」、ぐらいのことは思うのである。
日本側が提案するその討論を中国が頑なに拒否している、となると、ますます、中国の言う南京事件は怪しい、と思うのである。

事を荒立てると中国との商売がうまくいかないから、でっち上げでもそのままにしておこう、という意思がはっきりしているのなら、それも仕方のないことかと思うが、金のために誇りを捨てるような国民はそのうち世界から軽んじられることになるのではないか、とも思う。

日本の行政制度を作り直す、という機運が高まっているこの激動の時に、日本人の誇りを取り戻すのは絶好のチャンスとも言える。
河村さんや山田さんの狙いもそこにあるかもしれない。

構造改革も、他国に毅然とものを言うことも、近視眼的に見れば経済に良い影響を与えないかもしれない。
しかし、ちょっと長い目でみれば、結局は国益につながることではないだろうか。

プライドを取り戻すも取り戻さないも、日本人自身が選ぶのだ。少なくともこういうことについて「考えてみる」くらいのことはしたほうがいいと思うけどね。

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コメント

私も南京大虐殺には「変だなあ」と思っています。
ただ、まったく虐殺行為がなかったとは思っていません。そりゃ戦場ですから、暴走する将兵がいた、と考えるほうが普通だと思います。
その規模の大小は、歴史学者が研究すべき対象でしょうけど、私にはなんの関係もないことのはず、だと思うんですね。

理由は2つあって。
まずは、国家間の賠償とか法的責任については、すでに日中平和条約で解決済みだからです。「道義的にはどうなんだ!」という人がいますが、世の中のことはすべて、道義的にいえばきりがないものです。しかし、どこかで「きりをつける」をしないと、話が進みませんので、法律というものが生まれました。
道義的責任で物事が進んじゃうのであれば、法律はいらない道理であります。

次に。
いかなる人も、責任と権限はイコールである、ということです。生まれる前のことについて「責任」を問われても、それに対応する権限がありません。つまり、生まれる前のことに関して戦後の日本人は、なんら物事を左右することができない。先天的なものであります。先天的なもので人になんらかの行為をさせる(賠償として財物をとったり、謝罪をさせたりする)のは、権利と義務が呼応しないので「差別」といいます。私は差別に反対で、おそらく、差別が不正義であるというのは、近代社会における常識であろうと思います。
ゆえに、戦後世代の戦争責任はないし、それを人に強制することは差別です。

不思議なのは、こんなに明らかな道理であるにも関わらず、なぜか「人権派」の人々が、戦争責任を声高に叫ぶことです。言行不一致であるとして、私はブログ上で批判したことがあるのですが、その答えは「そういうものじゃない」でした(苦笑)なにがなにやらさっぱり。

ロゴスに基づかない主張はわからないものです。
南京大虐殺だけが、その埒外にあるわけはありません。

投稿: single40 | 2012年3月 7日 (水) 10時56分

★single40さん

>ただ、まったく虐殺行為がなかったとは思っていません。そりゃ戦場ですから、暴走する将兵がいた、と考えるほうが普通だと思います。<

民間服に着替えた中国兵により混乱が起こったことも原因の一つとされていますね。私も以前は「戦場だから多少の暴走はあっただろう」と思っていましたが、南京陥落の後、統制のとれた日本の軍隊が果たしてそんなことができたのだろうか、という疑問を持つようになりました。
中学か高校の頃に見た五味川純平原作TVドラマ「人間の條件」で、強姦や略奪をする日本兵が描かれていたのが印象に残っていますが、満州の田舎では戦争末期の混乱の中、本隊からはぐれ、規律的に行動しなくなった兵士集団たちによってああいうことが起こったのは想像できます。けれども勝ち進んでいる時に、南京のような都会でそういうことが起こったとは考えにくいです。
まあ、元はといえば日本が中国大陸に進出したことが悪行といえば悪行だったんでしょうけど。

>生まれる前のことに関して戦後の日本人は、なんら物事を左右することができない。先天的なものであります。先天的なもので人になんらかの行為をさせる(賠償として財物をとったり、謝罪をさせたりする)のは、権利と義務が呼応しないので「差別」といいます<

singleさんの持論ですね。たしかに、今の日本人には何の罪もない。しかも「日中平和条約で解決済み」であることを未来永劫責め続けるというのは、中国ならではの戦略で、それに「へいへい」と従い続けるのもマインドコントロールされた日本人の哀れさですね。

私が南京事件がでたらめだと思う最大の根拠は、南京入城の時、大勢の外国の報道陣がともに入って行ったにもかかわらず、誰一人として虐殺のことなど報じていない、ということです。そんな大事件があれば大騒ぎになって世界中に配信されたはずですよね。
戦争に負けた者は濡れ衣を着せられても文句を言わず耐えなければいけないのでしょうか。
なにより、日本人自身が目覚めることが先決だと思います。

投稿: robita | 2012年3月 9日 (金) 13時23分

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