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2012年7月16日 (月)

ギンガムチェック

テレビでなにげなく歌番組を見ていて、新曲「ギンガムチェック」を歌うAKB48に惹きつけられました。
今まで特に興味のなかった女の子グループですが、ちゃんと見てみると、なるほど、可愛い、明るい、元気がある、とびきりの美人揃いでもないので親しみが持てる、歌を聞いていると悩みを吹っ飛ばしてくれそう・・・・、魅力はそんなところにあるでしょうか。
同じ色合いのギンガムチェックでもそれぞれデザインの違う、スカート丈長めのドレスが愛らしくみんなとてもよく似合っていました。
テレビ画面はおもいきり明るくきらびやかで、躍動感にあふれます。
アイドルの華やかさの演出には大量の電力がいるんでしょうね。
でもきっと、こういうことに使う電気も無駄ではないのです。

大震災以来、それまで無尽蔵であるかのように思い込んで使い放題であった「電気」がどこから来るのかを知った日本人は手のひらを返したように原発憎しの大声をあげるようになりました。
毎日のようにメディアで見聞きするエネルギーについての討論番組では、識者たちが「反原発派」や「原発再稼動容認派」に分かれて議論を交わし続けます。

国民も「福島であんなことが起こったのに、まだ原発再稼動などと言う人の気がしれない」と怒る人と、「エネルギー不足で景気がますます落ち込む。日本人にそれを受け入れる覚悟はないはずだ」と警告する人に分かれます。

原子力を使わないとなると、新エネルギーの開発やそれらが軌道に乗るまでの長い期間、かなりの厳しい生活を強いられるのではないかと想像できますが、何が何でも原発反対の立場の人たちは「それでいいのだ」と達観しているようです。

例えば精神科医の香山リカさんや社会学者の宮台真司さんなどがしきりに訴えるのは、ライフスタイルの見直しや、人と人とがつながり合い助け合う社会の再構築、であったりします。

宮台さんは、「人が自殺するのは経済的問題なんかじゃない。誰とも、どこにもつながれずにいると、人は驚くほどあっさり死んでしまう」と言います。
同感です。人は貧困という理由だけでは死にません。

しかし、そうは言っても、社会の生産性が悪くなり、物的に貧しくなれば、人は心が豊かになって絆が強くなるはずだという理屈は通らないでしょう。

昔を知っている者として、ひとつ例をあげますと、子供の頃、一家にテレビは一台しかなくて、家族は一部屋に集まっていました。楽しいじゃないか、そう思うでしょう。
しかしチャンネル争いというものがあって、それぞれ見たいものが違うと諍いの原因になったりしました。それは多くの家庭で頻繁に起こりました。チャンネル争いに負けた父親が家族がテレビを見ている隣の部屋で自殺するなどという事件もありました。
自殺までいかなくても、あの頃から、家族のつながりに日本人は不自由を感じ始めたのです。地域のつながりも面倒になっていきました。

豊かさが増すにつれて、子供たちはそれぞれ部屋を与えられ、テレビやパソコンなども専用のものが買い与えられ、地域の人々とも距離を置くことによって、人間同士の摩擦は減り、社会は優しく快適になっていきました。エネルギーを沢山使うことでそれが可能になったのです。

エネルギー節約のために共通のことはなるべく一緒に行動する、ということはわずらわしさを我慢するということでもあります。

お一人暮らしであろう香山先生や、お子様方がまだ小さい宮台先生には想像しにくいことかもしれませんが、人が密着することのわずらわしさからやっと脱却できたこの豊かさを手放して、乏しい電気なりの生活をしようという日本人はほんとうはそんなにいないと思います。

人と人とのつながりは家族や隣近所だけでなくて別のところにも求める、という選択肢があってもいいんじゃないでしょうか。

家族や地域の連携が助け合いの精神を育むと信じる人、ネット上の付き合いを大事にする人、AKB48に熱中してつながり合う人、多様な選択肢は豊富なエネルギーの供給によって可能になると思います。

ライフスタイルの見直しだとか助け合い精神はもちろんとても大事ですが、それだけにすがるような停滞した年寄りくさい考えは果たして日本のためになるでしょうか。

「日本はもう終わっている。社会をうまく回すことを怠ってきたから」と宮台先生は言います。自分の意見が世の中に広がらない苛立ちをそういう言葉でぶつけているように見えます。

大丈夫、ことさら「人とのつながり」を訴えなくても、良識ある人々はトラブルを抱えながらも家族関係を維持する努力をしていますし、新しいかたちの地域活動にも熱心です。「日本社会は終わってる」だなんて希望を打ち砕くようなことを言って何か国のためになるんでしょうか。

若い人は、エネルギーをどんどん使って元気に遊び、仕事をしてほしいものです。

原発を使い続けるかどうかは、原子力発電所立地地域に住んでいない人間に意見を言う資格はないと思いますが、放射能の危険性については一応こんな考えは持っています。→ http://robita-48.cocolog-nifty.com/blog/2011/08/post-7463.html

原発ゼロにするなら、効率の良い新エネルギー源を得るために不断の努力が必要だと思います。
豊富なエネルギー資源が日本の排他的経済水域内に埋蔵されているそうですが、それを安定的に取り出すことができるようになるまで、電力不足の状態を作ってはなりませんから、いずれにしても、今すぐ原発をやめるわけにはいかないとは思います。

日本社会は終わってなんかいません。
社会学者が何を言おうが、そんな判断は他人によってなされるものでなく、生活者である自分自身が考えればいいのです。

希望は自分の意思の反映です。

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コメント

原発に賛成している人:豊かな生活や経済のため。
原発に反対している人:生命や健康のため。
根本的な対立はここにあるのだと思います。
原発を続けることによって、あるいはやめることによって、それぞれの目的が達成されるのか。どちらが正しいのか。そんなものはわかりません。
また、どちらか一方だけを取る、という二者択一の問題でもないと思います。原発を続けるかやめるか、どうすべきかは政府に任せるとして、少なくとも、科学の問題を解決するのは科学です。一般国民や与論ではないです。科学者たちが原発の問題を乗り越えた先に、両者の目的がともに達成されるのだと思います。

投稿: koichi | 2012年7月25日 (水) 17時06分

★koichiさん、

ずいぶん前によくコメントいただいた若いかたですよね?お久しぶりです。ご意見ありがとうございます。

>原発に賛成している人:豊かな生活や経済のため。
>原発に反対している人:生命や健康のため。
>根本的な対立はここにあるのだと思います。

根本的な対立はそんなところにはないですよ。
電力不足による経済低迷や医療・介護などへの影響は、人の命や健康をも危険に晒します。

また「原発に賛成している人」という言い方も適切ではありません。ほとんどの人は積極的に原発賛成というのでなく、即時原発全面停止は現実的ではないことを理解しているのです。

>科学の問題を解決するのは科学です。<

科学者による研究や検証はなされるべきことですが、科学者は神ではありません。
何にせよ人間の作ったものは100%ではありません。

飛行機だって落ちるし、自動車も事故を起こします。
火力発電所の建設や稼動においても、原発のそれより人が死ぬそうです。

どんなに良いものを作っても「これで原発は100%安全です」などと、科学者にも言えるものではありません。

>どうすべきかは政府に任せるとして、少なくとも、科学の問題を解決するのは科学です。一般国民や与論ではないです。<

選択するのは私たち自身です。

ただ、放射能というものが人間には扱いかねるものであるならば、脱原発の方向に行かざるを得ないでしょう。
でも繰り返しますが、今、即時全面停止は日本社会にとって“危険”だ、ということは理解したほうがいいのではないでしょうか。

「たかが電気」とか「電力不足でもかまわない」などと言う人は、豊富な電力のおかげで今までどれだけ命が助かり、健康になり、幸せになったのか気がついていないだけではないですか。
ところで、私はもう60代でそんなに長くは生きませんし、昔のつましい生活の経験者でもありますから(今もつましく暮らしています)、個人的には電力不足でも一向に構いません。
細々と余命を生きることに何の不満もありません。病気になったら死ねばいいだけです。抗いません。
でも、未来に生きる若者や子供たちはどうなりますか。
電力不足に喘ぐ中小企業の人々はどうなりますか。

>原発に賛成している人:豊かな生活や経済のため。
>原発に反対している人:生命や健康のため。

そういう短絡的な構図ではないのですよ。

厳しい言い方になりましたが、また、いくらでもご意見お寄せくださいね

投稿: robita | 2012年7月25日 (水) 23時54分

Robotaさん:

お返事ありがとうございます。
お久しぶりです(^-^)/
覚えてらしたんですね。嬉しいです♪

>根本的な対立はそんなところにはないですよ。
>電力不足による経済低迷や医療・介護などへの影響は、人の命や健康をも危険に晒します。

それは派生的な問題です。

>また「原発に賛成している人」という言い方も適切ではありません。ほとんどの人は積極的に原発賛成というのでなく、即時原発全面停止は現実的ではないことを理解しているのです。

私は「賛成」「反対」をあえて取り上げました。
「反対も賛成もしていない人」は取り上げません。

>科学者による研究や検証はなされるべきことですが、科学者は神ではありません。
何にせよ人間の作ったものは100%ではありません。

その通りですね。
しかし、科学の問題を一般の人々や世論が解決できるとは思えません。

投稿: Koichi | 2012年7月26日 (木) 15時52分

★koichiさん

>それは派生的な問題です。<

派生的? 
まさに「人の命」に関わる国力低下が懸念されるからこそ「原発再稼動やむなし」の声が上がるのではないでしょうか。

>しかし、科学の問題を一般の人々や世論が解決できるとは思えません。<

解決するのではなく、専門家の説明を受けた上で、100%安全とは限らない道を選択するのは国民だということです。

投稿: robita | 2012年7月26日 (木) 22時57分

robotaさん:

>まさに「人の命」に関わる国力低下が懸念されるからこそ「原発再稼動やむなし」の声が上がるのではないでしょうか。

それが派生的というのです。
原発停止→経済低迷の恐れ(国力低下)→人の命の危険等。
しかも、論理の飛躍な感じもあります。。

>解決するのではなく、専門家の説明を受けた上で、100%安全とは限らない道を選択するのは国民だということです。

専門家の説明ですか?
専門家といっても、肯定論者や否定論者がいるでしょう。そうすると、それぞれの説明をちゃんと聞いて理解してから、どうするか選択することになりますが、国民一般にそこまでの判断能力があるとは思えないです。この問題は高度に専門的ですから、稼働するかどうかについてそもそも国民一般に選択権なんか与えるべきではないでしょ。与えられたところで、ほとんどの人は困るだけだと思います。

投稿: Koichi | 2012年7月27日 (金) 00時30分

★koichiさん

>国民一般にそこまでの判断能力があるとは思えないです。<

これは原発にかぎらず、あらゆる事に対して言えますね。
国民に個々の政策について判断能力がないから、政治家に判断を託しているんですね。
で、いま国民は民主党政権を選んでいるわけですから、民主党の判断に任せます。
でも、「我々はそんなことまで任せた覚えはない」という怒りの声が上がり、原発のように命に関わる大きな問題になると、あのようなデモを行うこともあります。

政権側は国の運営に関して責任重大ですから、経済面を最も重視すると思います。政権につけば誰だって当然そう考えます。
だからデモ行進に脅威を覚えながらも、政府は原発再稼動に動きます。
まさか「原発はとにかく危険なので即時全面廃炉にします。電力は心もとない状態に陥り、突然の大停電(ブラックアウト)や景気の更なる落ち込みも覚悟しなければなりません。しかしみなさん、日本は貧しい国になってもいいじゃありませんか。みんなで冨を分け合えば死ぬことはないんですから。経済より何より命が大事です」と宣言するような総理大臣が現れるでしょうかね。
脱原発の方向に進むのは良いことかもしれません(私は原子力の飽くなき研究を続けていってほしいと思っていますが)。でも、新エネルギーによる電力供給が安定的になるまでどのくらいの時間がいるのでしょうか。一度国力が落ちると、このグローバル経済の中で日本が速やかに立ち直ることができるのかどうか、それは私にはわかりませんから、専門家の判断に任せるとしても、やはり、どういう生活をイメージし、望み、選択するのかは我々国民自身が決めることだと思います。
いくら総理大臣が「少ない冨を分け合って、みんなで細々と命だけは長らえましょう」と説得したところで、「冗談じゃない。社会主義を選択して国全体を沈めるつもりか」と多くの国民は思うんじゃないでしょうか。

そりゃあ、原発が大事故を起こすととんでもないことになるのはわかっていますが、比較的安全とされる原発から動かしていったらどうなんでしょう。その電力で産業振興に励めば、企業や人材の海外流出も景気悪化も防ぐことができるんじゃないでしょうか。だいたい、新エネルギーの開発にだって膨大な電力が必要になるのではないかと思います。電力として利用する電気は空から自然に降ってくるものではなく、人間が作らなくてはなりません。

いや、100%安全じゃなければ動かしてはならない、と国民が思うなら、電力不足による景気悪化やブラックアウトによる生命の危険も受け入れる覚悟で、その旨みんなで政府に対しての示威行動に参加すればいいのだと思います。
我々一人一人が考えて選択すべきことじゃないでしょうかねえ。我々自身の生活なんだから。

ですから、koichiさんの
 原発に賛成している人:豊かな生活や経済のため。
 原発に反対している人:生命や健康のため。

という対立軸じゃなくて、
 
 原発に賛成している人:経済のため(生命や健康維持のため)
 原発に反対している人:貧しさや不自由さを覚悟している人

じゃないでしょうか?

でも、もしまた原発の重大事故が起きたら議論はすべてふっとんでしまうでしょうね。
そして原発はすべて撤廃。日本経済は悪化し、金持ちは海外に逃げ、残った人々が戦後の日本人のようにがむしゃらに頑張って豊かな国を再建する・・・というシナリオが可能かどうかわかりませんけど。


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それは違う、と思う方、いろいろ教えていただけるとありがたいです。

投稿: robita | 2012年7月27日 (金) 14時17分

robitaさん:

>という対立軸じゃなくて、
 
>  原発に賛成している人:経済のため(生命や健康維持のため)
>  原発に反対している人:貧しさや不自由さを覚悟している人

>じゃないでしょうか?

反対している人たちはそのような覚悟があるのかもしれませんが、苦行僧じゃないんですから、それが第一の目的ではないと思います。

投稿: koichi | 2012年7月27日 (金) 18時22分

★koichiさん

>それが第一の目的ではないと思います<

当然ですね。目的ではなく結果であり、耐えなければならない過程です。
命を大切に思うか、そうでないか、という対立軸は適切ではないです。
両者ともに「命が大切」なのが前提ですから。

まあでも、苦行僧のような生活も人間のためになるかもしれませんね。

投稿: robita | 2012年7月28日 (土) 10時21分

robitaさん

>当然ですね。目的ではなく結果であり、耐えなければならない過程です。

論理の飛躍です。まだそうなると確定できません。


>命を大切に思うか、そうでないか、という対立軸は適切ではないです。

私の言葉足らずのようです。
賛成派:経済発展の可能性>生命や健康への危険のリスク
反対派:経済発展の可能性<生命や健康への危険のリスク
大切にするかそうでないか、などという二者択一のものではなく、比較衡量の結果どちらを大きく評価し、優先するかということを言っているのです。

投稿: koichi | 2012年7月28日 (土) 13時48分

★koichiさん

>比較衡量

原発とそれ以外のエネルギー源、どちらが生命や健康へのより大きな危険があるか。
どちらでしょう。koichiさんわかりますか?

投稿: robita | 2012年7月28日 (土) 23時15分

robitaさん:

>原発とそれ以外のエネルギー源、どちらが生命や健康へのより大きな危険があるか。
どちらでしょう。koichiさんわかりますか?

さぁ、わかりません。

投稿: koichi | 2012年7月29日 (日) 00時51分

★koichiさん

「反原発の不都合な真実」(藤沢数希)という本をご存知かどうか知りませんが、発電設備の建設・稼動の過程で、死者・病人の衡量を比較すると、どの自然エネルギーに比べても原発は圧倒的に少ないそうです。
これを「嘘だ。でたらめだ」とこきおろす人々もいますが、私は説得力があるなあと思いながら読みました。
原発に利害関係のない著者が、WHOなどの信用できる機関が出した「数字」を示して、冷静に述べています。
ここで私が2・3の例を出しても議論が浅薄になるだけだと思いますので、ぜひお読みいただきたいのです。

原発が怖い、という人の気持ちはわかります。
私も以前は、放射能というものに恐怖しか持たなかったので「反原発運動」をやってました(・・;) → http://robita-48.cocolog-nifty.com/blog/2011/08/post-7463.html
でも、3・11以降、放射能の恐怖を煽ることは、原発被災地の人々をさらなる絶望に追い込むと気づきました。
そして、原発・放射能に関して色々な知識・情報を得るにつれて、それは単なる楽観論を流布して被災者を安心させるような軽薄な企みでないことにも気づきました。
人は自分が知り得た情報から自分なりの考えを構築します。でもその時に大切なことは常に盲信を自省することだと思います。
それは、聞く耳を持つということです。
私も以前は放射能絶対悪だと盲信していたのが、聞く耳を持ったおかげで、冷静に判断することが大切だと思うようになりました。
ただ、私も前述の本を盲信することはしないつもりですし、これからも反原発の人の意見は聞いていきます。

私のような年配者でも、頭の切り替えができるんですから、若い方々にはもっと柔軟になってほしいと思います。
大事なのは感情論で対立することでなく、まさにkoichiさんの仰る「比較衡量」ですよ。

投稿: robita | 2012年7月29日 (日) 10時52分

原発問題、なかなか悩ましい問題ですよね。
私としては、いつの間にか「右翼=原発容認」「左翼=反原発」という図式になっているらしいことに、個人的な興味を覚えています。私のように、右翼の反原発もいるはずなんですけれども(苦笑)。

おっしゃる通り、原発容認派だって、喜んで原発推進ではありませんで、いきなりゼロは無理だし犠牲も大きいので、時間をかけてやろうという意見が大部分だと思います。つまり、時間軸の問題だけなのではないか、と。なので「すべてかゼロか?」という議論の立て方は間違っていると思うのですよ。で、そういう議論の仕方をする人々が一番アヤシイ(苦笑)と思っています。

なお、原発の運転自身のリスクは(今のところ)少ないのですが、藤沢氏の議論からはウラン鉱山の採掘に伴う事故や流域健康被害、あるは今後予想される廃炉作業に伴うリスクはカウントされていません。(1号機は、これからさらに危険になることがあり得ます。今の数値は天佑ですもの)

個人的な意見としては、「脱原発」よりも「脱ウラン」ではないか、と考えています。だって、あと40年しか可採年月がないわけで。石油がなくなると同時に枯れるウランが、次世代エネルギーのわけないじゃんか(笑)という脱力感があって、この議論は傍観してます。どっちにしても、たぶん同じ結論だろうと思うので。
(潜在的核武装という自衛問題は、エネルギーとは別で、私はこっちは容認、、、つまり核武装しぶしぶ容認なのに反原発になってしまうのでめんどくさいのです。世の中、そんな単純じゃないですよねえ)

投稿: single40 | 2012年7月31日 (火) 00時38分

★single40さん

原発賛成vs反対の議論の出発点は、そもそも放射能というものの危険性をどう見るか、ということですよね。

容認派は、放射線というものの性質を正しく理解するべきと考えているでしょうし、反対派は、放射能はこの世で一番恐ろしく危険なものである、という考えが土台にあると思います。

従って、仰るような「藤沢氏の議論からはウラン鉱山の採掘に伴う事故や流域健康被害、あるは今後予想される廃炉作業に伴うリスクはカウントされていません」というのも、そういった作業が放射線障害にほとんど結びつかないものであるとしたら、他の発電手段に伴うリスクとあまり変わりはない、という考え方でいいのではないでしょうか。
もちろん、作業にあたって危険なことが起こるかもしれません。核爆発は起こり得ないにしても、放射性物質大量飛散の事態はあるかもしれません。この場合は事故の中心部はもちろん危険であることは言うまでもありません。
ただ、原子力が他のエネルギー源による発電とは比べ物にならないくらいエネルギー密度(原料の価格や量、使用土地の大小等、色々なものが非常に少なくて済む)が高いということは、その生み出すエネルギーの量に比べて、死人・病人の数も桁外れに少ないと考えていいと私は理解しました。つまり、総仕事量に対しての動員人数が圧倒的に少なくてすむということだと思います。
ちなみに、ウラン鉱山の採掘に伴う事故については藤沢氏は言及しています。その採掘作業は石炭などと違って、人が掘り出す必要のない化学的方法をとっている、という説明もあります。

>「脱原発」よりも「脱ウラン」ではないか<

ウランの埋蔵量はあと40年分なんですか? 私はよく知りませんが、藤沢氏の本には100年と書いてあったように思います。いずれにしても、かぎりがありますね。
ウランとまではいかなくても他に重い金属いろいろありますよねえ。やはり一番効率がいいのかな。
廃炉にはたしかに長い年月と莫大な費用がかかるようです。原発を作りすぎたのがそもそも間違いでしたね。これはおおいに反省すべきところだと思います。

>時間軸の問題だけなのではないか、と<

そうですね。私は原子力よりもっと安全で効率の良いエネルギーが得られればそれが一番いいとは思っていますが、今すぐ原発を止めろという人々には少し冷静になって考えてほしいと思います。
今すぐ全面停止するより、一基でも二基でも稼動させたほうが人の命は救われるし、福島への理不尽な差別払拭のためにも、こうやっていろいろ書いているわけでして。

放射能の危険性については「放射線医が語る被ばくと発がんの真実」(中川恵一)という本が役に立つと思います。私はこの先生の「がんの練習帳」という連載を週刊新潮で読んでいたので、放射能について同じようなことが書いてあると思い、まだ読んでいませんが。
とにかく、放射能はマスコミが煽るほどに危険なものではないという理解なしに議論をしてもあまり意味がないと思いますので、研究者は正確なデータを出し合って、私たちもそれによって冷静に判断したいですよね。

投稿: robita | 2012年7月31日 (火) 13時47分

放射線リスクについては、専門家でも意見が分かれるようで、私ら一般市民にはイマイチ難しい。なので、どうしても見積もりが極端に流れる(とても危険VS心配いらない)のだろうと思います。必要以上に恐れる必要はないのですが、だからといって人体実験は歓迎できないですしねえ。

ウランの可採年月については諸説ありますが、基本的にあと40~50年というのが一番多い意見じゃないかな。需要予測とかもありますから(支那は今から原発100基つくるそうで)これも当て推量なんでしょうけど。

実際にはウラン採掘と濃縮には大量の石油が必要ですので(石油がないと採掘も製錬もできません)石油が枯渇した時点で、ウランもオシマイになります。ですから、ウランの役目をエネルギー政策的に考えると「石油の寿命を延ばす」ことにあると思います。
いうまでもありませんが、今、もし石油が枯渇したら、人類は滅亡しかねない。そのリスクを考えると、原発のリスクは相対的に小さい、というマクロな判断は充分に合理的だと思います。

ただ、技術的に考えると、原発は「馬鹿でかい薬缶」なので、熱効率が悪い上に、放射能があるので熱ジェットの2次利用もできません。これ以上、効率を上げようがない。実体は産業革命の英国人が誇るスチーム機関で、ただ安全のために最新技術が投入されて、点検のために年の三分の一がお休み。相撲取りじゃあるまいし(笑)なんとプリミティブな!と思うわけですよ。言っちゃあなんですが、ヒッグス粒子が発見される時代にスチーム発電はないだろう、と。夢の高速増殖炉も、危ない割には結局スチーム発電だし。

私はどっちかといえば、原発には批判的なんですが、リスクよりもこの技術的な「ダサさ」が嫌なんですよ。SFファンとしては許しがたい(笑)。
たかがタービン回すのに、やれ原子力だ、いや風力だ、潮力だと大騒ぎ。もうちょっとなんとかならんのか?と、ついつい思ってしまう外野なんですね(笑)

投稿: single40 | 2012年8月 1日 (水) 00時54分

★single40さん

>だからといって人体実験は歓迎できないですしねえ<

不幸なことではありますが人類は既に戦争や事故によるいくつかの大量放射線を経験していますし、人は生活の中で放射線に晒されながら毎日を過ごしているんですよね。

>石油がないと採掘も製錬もできません<

あそうか。どんな作業も動力が必要ですもんね。ではやはり原発脱原発どちらにころんでも、これからも世界は石油の値段に右往左往させられ続けるということですね。

>リスクよりもこの技術的な「ダサさ」が嫌なんですよ。SFファンとしては許しがたい(笑)<

産業革命以来の、ヤカンで湯を沸かしてタービンを回す古くさい発想をなんとかしろ、と?(笑)
そうですねえ、夢のエネルギーさえ手にすれば戦争なんかなくなるんですけどねえ。

投稿: robita | 2012年8月 1日 (水) 10時57分

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