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2012年8月22日 (水)

内田樹の研究室

内田樹さんのこの文章(「領土問題は終わらない」)は一見なかなか「大人」の考え方のようですが、私にはどうしてもそう思えないのです。
すごく長いので後半部分(ステークホルダーの話なので重要ではありますが)はとりあえず読まなくてもいいと思います。中華思想について述べている前半の部分だけを取り上げます。

内田氏は、≪現代日本では、政治家もメディアも、「自分とは違う考え方をする人間」の思考を理解しようとしない≫と言います。
たしかに「自分とは違う考え方をする人間」の思考を理解することは必要ですし、多くの国民もコメンテーターも政治家もそれは承知していると思います。意見を聞いていればそんなことはわかります。

でも内田氏の抜けている点は、自分のその意見が「日本人は考え方の違う人間を理解すべき、だが、中国人はそれをしなくても良い」という意味であることに気づいていないところです。
いかにも日本人らしい謙虚な考えですね。自分たち日本人は反省すべきだが、中国人はその必要がない、と言っているに等しいのではないでしょうか。

中国人は宇宙人でしょうか。同じ地球に住む人類ではないですか。

商売をするにしても外交交渉をするにしても、同じ土俵に乗ってもらわなくては困るのです。

それを国際常識とか国際的合意とかというのではないでしょうか。

「考え方の違う国を理解し、それなりの対応の仕方がある」という内田氏の言い方は、もっともらしくはあるし、それぞれの国の文化・習慣・価値観は、これからもお互い理解し合わなければならないことだと思います。
しかし領土に関しての非常識を「理解すべき」とはいったいどういうことでしょうか。

内田氏は立派な学者で、私は知識も乏しく頭の回転も悪い一介の主婦に過ぎません。こんな人間にもっとわかりやすくそこのところを説明していただけないでしょうか。

日本は中国の異質さを理解していたからこそ、それなりの対応をし、よくよく我慢もしてきたのだと思います。

しかし、中国は国際社会の一員です。
自分たちの非常識を改めるべき、と理解しなければいけないのは中国のほうではないでしょうか。

もし、中国はその特異で傲慢な考えのまま変わらなくていいと言うのであれば、中国とはいっさい付き合いをしないほうが無難ではないですか。
いや、中国だけでなく、厄介なアメリカやロシアとも関係を絶ち、中国抜きの大東亜共栄圏を構築するしか日本がプライドをもって生きる道はないように思います。
もしかしたら、内田先生はそういうお考えですか。それならそれで一つの方法として傾聴に値すると思います。

≪「強く出ないと相手になめられるから、弱腰になるな」というような中学生的交渉術を声高に言い立てる人間は「相手は自分と同じだ」と思っているからそう言うのである。≫

考えの足りない一部の人間を取り上げ、あたかもそれが日本人の代表であるかのように嘆くんですね。
日本人はそんなに愚かでしょうか。

日本の国旗を燃やしたり、気に食わない政治家の人形を作って踏みつけたり、日本料理店や日本大使館を襲撃したり、日本製の車を破壊したり、そういう愚かな行動をする国民は中国の一部だとしても、そこまで過激な行動をするほどに国民を洗脳教育している国はそのままでかまわないが、その考えを理解すべきは日本人のほうだと仰るのですか。

先生は繰り返し「相手に理があると言っているのではない」と仰いますが、「理がある」と言っているのと同じことではないですか。

私は他国の国旗を燃やさない日本人を誇りに思います。

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 私は怒っている。 
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2012年8月21日 (火)

何に投資したいですか

中学一年の時の社会科のH先生は、授業に工夫を凝らす先生でした。
H先生によって私たちは「ディスカッション」という言葉を覚えました。

ある日クラスで、「日本でオリンピックをやることに賛成か反対か」というテーマでディスカッションをすることになり、色々な意見を出し合いました。

その頃はまだ「経済効果」などという知識も感覚もなく、賛成派は「世界の人々は、日本をお侍さんや芸者さんしかいない国だと思っているらしい。近代的な国だと言うことを知ってもらうためにも、日本で開催することは意味があります」、反対派は「オリンピックにはお金がかかります。日本はまだまだ貧しい人たちがいっぱいいる。そういう人たちを助けるのが先だと思う」と、だいたいそのようなことに集約されていたように思います。

中学一年の子供たちに、ちゃんとした考えがあったのかどうか、おそらく、周りの大人たちの意見の反映だったのかもしれません。

招致活動に対して国民がどのように反応していたのかはまったく覚えていませんが、当然この時点で既に決定していたであろう東京オリンピックに関して、なおも「賛成か反対か」の議論をさせようとした大人がいたところをみると、国民こぞって盛り上がっていたわけもなかったのかな、と想像します。

オリンピックに向けて東京、そして日本がどんな風に活気づいていったのかはよく覚えていません。

しかしその4年後、高校二年生の1964年、華々しい開会式から閉会式までの興奮と感動、そして長く続く余韻を楽しんだことはよく覚えており、スポーツ音痴の私も、それまで興味もなかった競技の一つ一つに目を奪われました。

それまでにないほどの数の外国からのお客様に、喜んでいただこう、みっともないところをお見せしないようにしようと、日本人のおもてなし精神と健気さが表出した期間でもありました。

学校に於いても、生徒たちが「せんせ~い、オリンピック見たいで~す」とダメ元でみんなで叫んでみると、苦笑しながら同意したり、自ら「今から(テレビが備え付けてある)地学教室に移動します」などと先導する先生もいたりして、授業をつぶしてでもオリンピックを生徒たちに見せてやりたい、と思ったのは、教育の観点からだったのでしょうか。それとも先生がた自身、うずうずしていたのかもしれません。

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子供時代の思い出は大人が作ってやるものではないでしょうか。
大興奮の経験もあれば、地味でじわじわくるもの、色々なことを経験して子供は大人になってゆきます。

東京オリンピックのあれこれを思い出すたび、あの元気いっぱいだった日本社会に、若い時に身を置くことができてほんとうに幸せだったと思わずにはいられません。

この際、経済効果などどうでもいい。
お金以外の視点で、子孫に何を残すか、ということを考えてみませんか。
日本人みんなで、泣き、笑い、感動する経験を共有してみませんか。

子供たちがその経験をどんな思いで咀嚼しながら大人になっていくのか、楽しみじゃありませんか。

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昨日の銀座でのロンドン大会祝勝パレードの盛り上がりで、誘致に有利な国民の支持率も上がるのではないかと期待されているようですが、そんな高揚感は数ヶ月もすれば縮んでしまいます。

後の世代に何を残してあげられるかという、前世代の「親心」とでもいいましょうか、その気持ちの共有が大事だと思うのです。

オリンピック開催にあたって、先立つものはお金とエネルギーです。

「都民の税金でしょ」「エネルギー節約しないと」なんてちまちましたこと言わないで、どーんといきましょうよ。

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2012年8月17日 (金)

世界はひとつ

私はいずれ世界はひとつになるものと思います。

もちろんイマジンのような世界観ではありませんけどね。

通貨や法律は統一に向かうのではないでしょうか。

single40さんが仰る通り、ピープルが分かり合えることはないでしょうが、共通ルールがより良く整備されることで世界は一応の「統一」を果たすのではないかと私は予想します。少なくとも国際法や国際司法裁判所のシステムはもう少しマシなものに変わっていくんじゃないでしょうか。

今朝の産経新聞【産経抄】に次のようなことが書かれていました。

 ≪確かに日本の国土では、どこでも日本語が通じる。ロシアと韓国に不法占拠されている北方領土や竹島といった例外は、あるにしてもだ。当たり前すぎて、「国際的にみてそれがいかに稀有(けう)で幸運な状況であるかということをまったく意識していません」と、著者の浅川哲也さんは指摘する。≫

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「『国土=民族=言語』がほぼ一致している状況」のせいで日本人は世界統一幻想を抱きやすい民族かといえばそんなこともなくて、“Imagine”を作ったのも“It's A Small World”を作ったのも、「地球人思想」が土台となるSFの名作を数多く生み出したのも、武力の意味を知っている英米人であります。人間は争い続けることを知っているからこそ、ファンタジーとしての世界平和をことさら言い続けるのかもしれませんが。

日本は統一国家ですが、土地問題や何かで隣人と争いますし、妬み恨み憎しみの感情で日本人同士の対立は絶えません。
家族同士でさえしばしば憎しみ合い殺しあったりするのです。
それは世界中の国々の国内事情も同様です。

だからこそ、秩序維持のための法律が整備されているのであり、同国人が武力で争わなくなったように、世界もそういう方向に動いていかざるを得ないだろうと思います。

基本的なところで世界が共通認識を持つために、宇宙人来襲のようなきっかけが必要なのか、世界経済の混乱の極みによって必然的に力が働くのか、それは私にはわかりません。

いや、その「共通認識」こそがそもそも不可能である、と言われれば、返す言葉がないのでありますが。

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2012年8月16日 (木)

お人好し

先日の韓国の李明博大統領の竹島上陸の様子を見て、もう竹島は韓国にとられてしまったな、と思いました。
まさに大統領の言葉通り「国の一地方を視察に訪れた」といった光景でした。
駐留している兵士たちとの食事会、住民たちとの交歓会、それらが行われる建物、「独島をしっかり守ってください」と語りかける大統領・・・・、こんなふうに実効支配されている島を、いったいどんなやり方で取り戻せるというのでしょうか。

韓国:「独島は我が国の領土である」
日本:「まことに遺憾です」

このやり取りを延々と続けているうちに向こうはさっさと兵士を上陸させ、建物を建て、住民を住まわせ、まんまと自分のものにしてしまいました。

「怒っちゃいけない。冷静に冷静に」と言うだけで何も行動しないあいだに、盗られてしまいました。

なんとお人好しなことでしょう。

北方領土はロシアにとられてしまいましたし、尖閣諸島も中国に奪われるのは時間の問題でしょう。

よく疑問に思うのですが、韓国もロシアも中国も「自分の領土だ」と一様に言いますが、それでは、なぜ日本人が領有権を主張するのか、「その根拠は何だ」と問いかけることをしないのでしょう。

まともにものを考える人間ならば、「お互いに根拠を示すべきだ」と言うはずではありませんか。

そういうことを全く言わずにただ「うちのものだ」と言い張るだけなのは何故でしょう。考える力がないのでしょうか。

それとも、日本が領有権を主張する根拠は百も承知で尤もなことだけれど、欲しければ力で奪うのは国際社会では常識だという考えなのでしょうか。

日本人同士なら、隣家の住民が土地の境界線を越えて塀を作ったり勝手に人の庭に入って来てものを建てたりすれば、司法に訴えることで間単に決着するでしょうに、国際裁判の仕組みはどうもそうなってないようです。

つまり、法に頼るな、ってことですか?
とられたら武力を使ってでも自分の力で取り返せっていうのが国際常識なんでしょうか?

力のない者は損をして当然だ、というのが世界の実情だとしたら、この先、日本ってどうなるのかな。

でもまあ、それもいいかもしれない。

身ぐるみ剥ぎ取られて「まあこれでもいいや」とあきらめようが、子孫に責任を持たないつもりならばどうでもいいわけです。

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 せめてブログでちゃんと主張したいですね
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2012年8月13日 (月)

オリンピックが終わった

レスリングの浜口京子選手が初戦で敗退した後、両親と共に受けたインタビューは寂しさと可笑しさの混じり合った泣き笑いの光景でした。

父親がなおも「リーオ、リーオ」とけしかける横で、母親が「京子だってこれから良い人みつけて結婚でもしなきゃならないのに。あんたそこまでバカ親父なの」とたしなめ、娘の京子さんは困ったような顔で笑っていました。

私が高校二年の時の東京オリンピックを思い出します。

女子バレーボールチームが強豪ソ連を破って金メダルを獲得しました。
過酷な訓練の積み重ねで最強のチームを作り上げた大松博文監督と選手たちの強靭な意志力、体力に日本中が感動しました。

その2年前の世界選手権で優勝していたチーム(ニチボー貝塚)は、選手たちが結婚適齢期を迎えていたこともあって、引退を決めていたそうです。


しかし1964年の東京五輪から女子バレーボールが正式種目に入ることが決定したことから、『是非東京オリンピックまで続けて欲しい』と、日本バレーボール協会幹部が日紡貝塚へ日参したり、一般ファンからも大松率いる東洋の魔女続投を望む手紙が5,000通に亘って大松博文へ宛てて送られるなどして東京五輪へ向けて周囲の声が高まったことなどを受け、監督と選手達はオリンピックまで続けることを決意した。この後のオリンピックまでの2年間は、選手は午前中社業に従事し、15:00から26:00まで練習。大松は16:00まで社業でその後練習に合流するというハードな日々をおくったという
(Wikipediaより)

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そして、私がよく覚えているのは、優勝を決めた後、「オリンピックは終わった。さあ、結婚だ」という掛け声がかかったような日本中の雰囲気でした。

選手の皆さんたちは一斉にお見合いをし、ほとんどの人が結婚し家庭を持ちました。

一仕事成し終えたら、スパッと区切りをつけて家庭に入り、子供を産み育てる、そういう時代がありました。

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2012年8月10日 (金)

救国内閣

前記事にどじょうさんからコメントをいただきました。
みんなの党や維新の会といった新しい政治グループについて書いてみます。

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社会保障と税の一体改革関連法案が成立した後に解散・総選挙を行って国民の信を問うということで三党で話はついたそうですが、解散の時期をめぐってまた揉めているようです。
それぞれ党利党略や個人的な思惑もあって、さあ、総選挙はいつごろになるんでしょうねえ。

総選挙では自民党が大勝して再び自民党政権になるんでしょうか。

自民党は政権を取り戻せば今度こそうまくやってくれるのでしょうか。

長年の政官業癒着の利権構造からくる税金の無駄遣いを反省し、自民党は今度こそ、効率の良い国家運営をしてくれるのでしょうか。

よく言われるのは、民主党もだめだが、かといって自民党に戻れば元の木阿弥だ、ということですね。

民主も自民もだめなら、第3極たる新党に期待できるかというと、それも不安。

結局どうしたらいいかというと、やっぱり自民党に望みをかけるしかなくて、党内の古くさい政治家を除いたまともな改革派に期待するということになりそうですが、自民党が政権をとって、果たしてそういう人たちが本当に活躍できるんでしょうか。

自民党や民主党の中には、官僚と協力して財政再建やデフレ脱却という最も重要な問題に真剣に取り組もうという意欲も能力もある政治家が少なからずいると思います。
しかし、自民党に政権が移ったところで、彼らが活躍できるのでしょうか。自民党は、利権にどっぷりつかっていた妖怪のような古参議員がなおも権力を振るう構造から脱却できていないのではないでしょうか。

私は橋下氏やみんなの党を支持していますが、それは彼らが政権をとればうまくやってくれる、と思っているからではありません。

維新の会やみんなの党が単独で政権をとってもうまくいくはずがなく、経験豊かな自民党は政権運営には欠くことのできない存在だと思います。

利用すべきは橋下氏やみんなの党の「守旧派への反発力」であって、彼らのエネルギーが自民党の改革派を後押しできるのではないでしょうか。
あるいは政界再編の際の触媒のような役割を担ってくれるのではないでしょうか。

総選挙では自民党は勝つ可能性が高いでしょうが、政界再編が起きるかもしれません。起きたほうがいいです。

私は前記事のコメントで「渡辺喜美を信用していいかどうかわからない」と書きましたが、お調子者に見えるところが好みに合わないだけで、考えてみると、どうしても体質を変えられない自民党に見切りをつけてたった一人で飛び出したその行動力はたいしたもんだと思います。

古きよき自民党政権に恋焦がれるあまり、維新の会やみんなの党といった小さいながらも勢いのある新党を邪魔者としか見ず、批判ばかりする人は、自民党政治やそれにそっくりにならざるを得ない民主党政治を温存して、いったい日本に未来があるのかを考えてみたらいいと思います。

みんなの党が消費増税に反対する理由は、デフレ下での危険性と、増税だけでは焼け石に水ということと、国の資産はまだある、ということのようですが、デフレ下の増税や増税による財政再建ということについては多くの経済学者も疑問を持っていますし、「増税はいずれ必要だが今ではない」というのは特にヘンな主張ではないでしょう。

増税の時期については、景気の動向を見極めて、という但し書きがあるそうなので、自民党が政権を取ったらよーく話し合って決めたらいいと思います。
共産党や社民党などの特殊なグループを除いて、みんなそんなに考え方が違うわけではないのですから。

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  自民党はもう悪い所はなくなったというなら任せてもいいんですが
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2012年8月 8日 (水)

保守と左翼

いわゆる「保守」の人たちと、いわゆる「左翼」の人たちとは考え方が似ている一面があります。
経済グローバル化や強者の論理に批判的であり、昔の日本人が持っていたとされる絆を取り戻すことに熱心であったりするところです。
だから、例えば、一見対極に位置する亀井静香と福島瑞穂が共闘する珍妙な場面が出現したりするのです。

しかしこれは最近の傾向ではなく、昔から(というか、左翼が自由主義経済社会で生きるため、ご都合主義に陥った時点で)保守知識人はそういうことを指摘していたようです。

先日の産経新聞「昭和正論座」で、故辻村明東大教授が次のように書いているのを読みました。(昭和57年2月5日の記事の再掲載)

≪(前略)__この都留(重人)論文は「自然と付き合って生きることの中に生活の内実の豊かさを求めている」ものらしいが、そんなことはとっくの昔に、保守的知識人が繰り返し指摘してきたことである。
だから社会主義革命に夢を託していた時代の都留氏は、確かにそこにはいないが、どうしてそのように変わったのか。その論理的な説明がない限り、それは単なるオポチュニズム(便宜主義)であり、日和見主義だといわれても致し方あるまい。私が批判したいことは「進歩的文化人」たちが「変わった」ということではなく、「変わった」ことについての論理的な説明がないということなのである。≫

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私はもちろん保守派のほうが筋が通っているし断然好ましいと思っていますが、さりとて、自分としては断固として主義を貫く保守を全面支持するほどの信念がありません。
保守知識人の言論に深く感銘を受けるものの、やはり、時代の趨勢に合わせた現実路線をとったほうが利が大きいだろうと思うのです。「藤原先生と佐伯先生」 

それこそ辻村氏の指摘するオポチュニズムなのでしょうし、人間の大半はそのようであろうとも思います。

もう何年も前に「幸せのつかみかた」という記事でこんなことを書いたことがあります。

人間というのはひとくくりにできない複雑な存在だ。
「筋を通す」だけでも生きられないし、「プライド」を捨てることも恥ずかしい。

世界中を見渡しても、筋を通すだけで生き延びている国があるか。また、誇りを捨てて卑屈一辺倒の国があるか。

みんな国としての誇りを持ちつつ、苦悩しながら、生き延びよう、より豊かになろうと、方針を変えたり保持してきたものを捨てたり新しいものを取り入れたりしてきたのではないか。

ここのところを理解すれば、日本人、世界の中で、もっとうまく生きていけるような気がする。

昔の価値観を保持し続けることに熱心な人がいてもいいし、易きに流れるのを戒める立派な人もいていい。「誇り」だけでは生きられないと思う人、儲けなければ希望もつぶれてしまうと思う人がいてもいい。

多様な価値観を持った国民がそれぞれに生きられるよう豊かな社会を維持するのが政府の役割だろうと思います。

そう考えると、昔の価値観に縛られた政官界を破壊しようとする小泉や橋下が現れたのは自然の成り行きだったと思います。
このまま、古い自民党型政治を続けていては、グローバル経済の中では日本は沈むばかりだ、そう考えたからこそ、多くの人が小泉、橋下を支持したのではなかったでしょうか。

保守派は、日本の伝統的価値観を大切に思うあまり小泉橋下に大きな違和感を覚え、社会主義者は、自立を促す改革を怪物のように恐れ、拒絶します。
ここで両者の思惑が一致するわけです。

しかし政治は国民の価値観を一様にするものではないと思います。豊かな国を作ることだけに専心すればいいのだ・・・とは言いませんが、政府の仕事としてはそれが大前提ではないでしょうか。

保守は左翼を嫌い、小泉・橋下・みんなの党といった「改革派」も嫌います。橋下やみんなの党を支持する大衆を「まだ学習せんか!」と叱咤します。
しかし、それでは、再び自民党が政権を担えばうまくいくかというとそれはだめ、ということもわかるはずです。
保守と左翼、両者から嫌われる橋下維新の会やみんなの党の力の使い方については、別の話になるので、またの機会にするとしましょう。

「自然と付き合って生きることの中に生活の内実の豊かさを求めることが大事」と思うのは自由ですが、人がそういう社会の恩恵を受けるためには、国は経済的に豊かである必要があると思います。少なくとも「普通に」豊かな状態を国民誰もが願っていると思います。
左翼が「今すぐ原発やめろ」とか「アメリカは沖縄から出て行け」などと、あとさきの考えなくデモをしたり、保守派が今までのやり方を保守したりするだけでは豊かさは維持できないんじゃないでしょうか。

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