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2012年8月16日 (木)

お人好し

先日の韓国の李明博大統領の竹島上陸の様子を見て、もう竹島は韓国にとられてしまったな、と思いました。
まさに大統領の言葉通り「国の一地方を視察に訪れた」といった光景でした。
駐留している兵士たちとの食事会、住民たちとの交歓会、それらが行われる建物、「独島をしっかり守ってください」と語りかける大統領・・・・、こんなふうに実効支配されている島を、いったいどんなやり方で取り戻せるというのでしょうか。

韓国:「独島は我が国の領土である」
日本:「まことに遺憾です」

このやり取りを延々と続けているうちに向こうはさっさと兵士を上陸させ、建物を建て、住民を住まわせ、まんまと自分のものにしてしまいました。

「怒っちゃいけない。冷静に冷静に」と言うだけで何も行動しないあいだに、盗られてしまいました。

なんとお人好しなことでしょう。

北方領土はロシアにとられてしまいましたし、尖閣諸島も中国に奪われるのは時間の問題でしょう。

よく疑問に思うのですが、韓国もロシアも中国も「自分の領土だ」と一様に言いますが、それでは、なぜ日本人が領有権を主張するのか、「その根拠は何だ」と問いかけることをしないのでしょう。

まともにものを考える人間ならば、「お互いに根拠を示すべきだ」と言うはずではありませんか。

そういうことを全く言わずにただ「うちのものだ」と言い張るだけなのは何故でしょう。考える力がないのでしょうか。

それとも、日本が領有権を主張する根拠は百も承知で尤もなことだけれど、欲しければ力で奪うのは国際社会では常識だという考えなのでしょうか。

日本人同士なら、隣家の住民が土地の境界線を越えて塀を作ったり勝手に人の庭に入って来てものを建てたりすれば、司法に訴えることで間単に決着するでしょうに、国際裁判の仕組みはどうもそうなってないようです。

つまり、法に頼るな、ってことですか?
とられたら武力を使ってでも自分の力で取り返せっていうのが国際常識なんでしょうか?

力のない者は損をして当然だ、というのが世界の実情だとしたら、この先、日本ってどうなるのかな。

でもまあ、それもいいかもしれない。

身ぐるみ剥ぎ取られて「まあこれでもいいや」とあきらめようが、子孫に責任を持たないつもりならばどうでもいいわけです。

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コメント

これらの問題ですが、それぞれに実は日本なりの(もちろん、相手国はみんなそれぞれお家の事情があることは前提とし、さらに適当にトラブル抱えてくれていることで重要性が高まる在日米軍などの事情もおいといて)理由があったと思うのです。

かつて、大前研一氏は「北方領土に返還の意味なし」を主張しました。サハリンならともかく、あの四島が返ってきたところで、防衛費がかさむだけで、それを補う税収がないことは確実である。つまり「損」(お金が)ではないか、ということ。

竹島も似たような事情がありますね。地元の漁民を抱える島根県は真剣ですが、そもそも日本のGDPの1%しかない一次産業の、漁業の、わずかな漁業権があるからといって、無人島を防衛するなんて「損」(お金が)です。

つまり、これらの島々にまつわる人々やら歴史がつむぐ郷土愛をはいでしまえば、これらは(お金が)「損な取引」です。

で、適当に不快感を表明し、あるいは交渉を引き伸ばしながら、その折々で交渉やら馴れ合いやらで、経済的な利益を引き出してきたのではないでしょうか。

私は、今度の原発事故で思いましたが、みんな「(お金が)損か得か」「リスク可能性について」という計算の話が上手で、いかに相手を殲滅するかという論争に熱中するのです。そこにまつわる人々の歴史や郷土愛が失われたという問題(つまり「日本の国柄=国民が守るべきもの」だと思っていた)を考えてしまったのは、私のような馬鹿ばかりでした(苦笑)日本国民はもっと利口で、ちゃんと「お金」を共通の価値観として、行動を決めることができました。その合理性に、私は畏敬の念を抱き、自分が考えていた「日本という国家」は、どうやらポンコツな時代錯誤だとわかりました。自分の馬鹿さ加減が情けないかぎり(泣)

だから、領土問題も、きっと「日本人」は、みんなが共通する守るべき価値である「お金」で、理性的に決めるだろう、と思います。

投稿: single40 | 2012年8月18日 (土) 01時02分

★single40さん

>かつて、大前研一氏は「北方領土に返還の意味なし」を主張しました。サハリンならともかく、あの四島が返ってきたところで、防衛費がかさむだけで、それを補う税収がないことは確実である。つまり「損」(お金が)ではないか、ということ。<

この論は見たことがありますが、大前さんの意見だったんですね。

>そこにまつわる人々の歴史や郷土愛が失われたという問題(つまり「日本の国柄=国民が守るべきもの」だと思っていた)を考えてしまったのは、私のような馬鹿ばかりでした(苦笑)<

いやいや、馬鹿じゃないんです。本当は歴史や郷土愛やプライドの問題であるべきだし、「領土を取り返せ」と主張する日本人の気持ちはそういうところにあるでしょう。でも幸か不幸か、人は「賢い」んですよ。損か得かで判断しお金で解決するのも人間らしい方法じゃありませんか。お金で物事を解決するのは今に始まったことじゃないですよね。
それでも「割り切れないものがある」と心情を吐露し続けることにも大きな意味があると思います。

>自分が考えていた「日本という国家」は、どうやらポンコツな時代錯誤だとわかりました。<

例えば子供を育ててみると否応なく現実を突きつけられるのですが、若い世代は親がどんな価値観を持っていようが、そんなことおかまいなしに時代の精神に飲まれていきます。
この「時代の精神」の変化が「国家観が変わる」という意味なのかどうか、また、戦後、日本人のアイデンティティが失われたのかどうか、スポーツなどで一体感を共有する若者が愛国に目覚めたのかそうでないのかもわかりません。
でも教育だけではどうにもできない時代の変化は確実にあると思います。

ある時は情緒的に、ある時は合理的に考えるのが人じゃないですか。
特に原発事故の後始末にはやはり合理的な損得勘定が必要ですよね。それが人々を立ち直らせ、再び「守るべきもの」を積み上げていく力になるのだと思います。

せめて日本の繁栄の礎となった英霊の皆様や、事故原発の中心部で働いておられる方々のことは忘れまいと思います。

投稿: robita | 2012年8月18日 (土) 14時59分

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