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2012年8月21日 (火)

何に投資したいですか

中学一年の時の社会科のH先生は、授業に工夫を凝らす先生でした。
H先生によって私たちは「ディスカッション」という言葉を覚えました。

ある日クラスで、「日本でオリンピックをやることに賛成か反対か」というテーマでディスカッションをすることになり、色々な意見を出し合いました。

その頃はまだ「経済効果」などという知識も感覚もなく、賛成派は「世界の人々は、日本をお侍さんや芸者さんしかいない国だと思っているらしい。近代的な国だと言うことを知ってもらうためにも、日本で開催することは意味があります」、反対派は「オリンピックにはお金がかかります。日本はまだまだ貧しい人たちがいっぱいいる。そういう人たちを助けるのが先だと思う」と、だいたいそのようなことに集約されていたように思います。

中学一年の子供たちに、ちゃんとした考えがあったのかどうか、おそらく、周りの大人たちの意見の反映だったのかもしれません。

招致活動に対して国民がどのように反応していたのかはまったく覚えていませんが、当然この時点で既に決定していたであろう東京オリンピックに関して、なおも「賛成か反対か」の議論をさせようとした大人がいたところをみると、国民こぞって盛り上がっていたわけもなかったのかな、と想像します。

オリンピックに向けて東京、そして日本がどんな風に活気づいていったのかはよく覚えていません。


しかしその4年後、高校二年生の1964年、華々しい開会式から閉会式までの興奮と感動、そして長く続く余韻を楽しんだことはよく覚えており、スポーツ音痴の私も、それまで興味もなかった競技の一つ一つに目を奪われました。

それまでにないほどの数の外国からのお客様に、喜んでいただこう、みっともないところをお見せしないようにしようと、日本人のおもてなし精神と健気さが表出した期間でもありました。

学校に於いても、生徒たちが「せんせ~い、オリンピック見たいで~す」とダメ元でみんなで叫んでみると、苦笑しながら同意したり、自ら「今から(テレビが備え付けてある)地学教室に移動します」などと先導する先生もいたりして、授業をつぶしてでもオリンピックを生徒たちに見せてやりたい、と思ったのは、教育の観点からだったのでしょうか。それとも先生がた自身、うずうずしていたのかもしれません。

 

子供時代の思い出は大人が作ってやるものではないでしょうか。
大興奮の経験もあれば、地味でじわじわくるもの、色々なことを経験して子供は大人になってゆきます。

東京オリンピックのあれこれを思い出すたび、あの元気いっぱいだった日本社会に、若い時に身を置くことができてほんとうに幸せだったと思わずにはいられません。

この際、経済効果などどうでもいい。
お金以外の視点で、子孫に何を残すか、ということを考えてみませんか。
日本人みんなで、泣き、笑い、感動する経験を共有してみませんか。

子供たちがその経験をどんな思いで咀嚼しながら大人になっていくのか、楽しみじゃありませんか。

 

昨日の銀座でのロンドン大会祝勝パレードの盛り上がりで、招致に有利な国民の支持も増えるのではないかと期待されているようですが、そんな高揚感は数ヶ月もすれば縮んでしまいます。

後の世代に何を残してあげられるかという、前世代の「親心」とでもいいましょうか、その気持ちの共有が大事だと思うのです。

オリンピック開催にあたって、先立つものはお金とエネルギーです。

「都民の税金でしょ」「エネルギー節約しないと」なんてちまちましたこと言わないで、どーんといきましょうよ。


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