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2012年10月25日 (木)

反骨の人

若松孝二という映画監督が亡くなり、弔問に訪れた人々がその死を惜しんでいました。

私はこの人の映画を一つも見たことはないし、どういう思想を持っているかも全く知らなかったので、その人となりや作品については論評しませんが、若松氏が発する言葉が印象に残りました。

「反骨の映画人」だそうで、ワイドショーで流れた映像で「国が喜ぶような映画は絶対作りたくない。死ぬまで反抗してやろうと思ってる」と語っておられました。

国を敵視していらっしゃったようです。
「国は敵」というのは、どういうことなのか、私にはよくわかりません。

国の体制に反対で、では、革命か何かで体制が自分の思い通りに変われば敵ではなくなるのでしょうか。それとも、体制が変わろうがなんだろうが、いつも「国は敵」なのでしょうか。

「国」という形自体が嫌なのでしょうか。いわゆるアナーキストというやつですか。

 

国がなければどういうことになるのでしょうか。

どういう社会体制になれば「良し」とするのか。

国とは、第一義的に国民の生命財産を守る装置だろうと私は理解しているし、実際、世界中の悲惨な国々の状況を垣間見るにつけ、私などは日本という国に生まれたことをとても幸せなことと感じております。

映画人や舞台人が反体制の伝統を持っているのは知っていますし、国における左翼の存在意義というのも大いにありますが、ただやみくもに反体制を叫ぶことがカッコ良いわけでもなく、国家に守られてきた事実に目を向けることは、国家を作る一有権者としてぜひとも必要だと思います。

「日本のような国では、反体制を叫んでいれば『反骨』と呼ばれて一目置かれ、安全圏にいることができる。しかし本当の反権力運動とはもっと危険に満ちたものだ」という意味のことが、あるブログに書かれているのを最近読みました。

齢80にして、疲弊した官僚支配の体制を変えようと、都知事を辞職して立ち上がった石原慎太郎氏が、危険を冒して国家権力に立ち向かう本物の「反骨の士」と私には見えるのです。

ぬるま湯のような戦後思想にどっぷりつかりながら(つまりは「安全な場所」から)、保守勢力を目の敵にしてきた人々は結局なにも結果を出せず、いつも本気で行動を起こしたのは「右翼」と蔑まれてきた人々ではなかったでしょうか。

 

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コメント

数年前、自衛隊をテーマにしたテレビ番組の街頭インタビューで「国のために命をかけろ、と言われたらどうしますか?」と聞かれた多分学生と思われる若者が「そんなことを言う国は滅びた方が良いと思います」と言っていました。
夕食の支度をしていた私に夫が「この男は国が滅びる、ということがどういうことかわかってないな」と吐きすてるように言いました。最近、このことをよく思い出します。国が滅びたら彼はどうやって生きていくのだろうか、と。
自分が拠って立つ場所のある幸せは、失ってみないとわからないのだろうか。

投稿: サヌカイト | 2012年11月11日 (日) 20時49分

★サヌカイトさん

こんばんわ

>国が滅びたら彼はどうやって生きていくのだろうか<

インフラの整った社会に住み、便利で清潔な生活を享受し、大学に通い、携帯で仲間と連絡を取り合い、居酒屋でバカッ話に興じ、暑かったり寒かったりすればエアコンをつけ・・・、そういったことが当たり前になると、「国が滅びる」という実感がわかないのでしょうね。
私もこれだけ長い間豊かで安全な国に生きていると、実感は湧きにくいですが、少なくとも理屈で考え、想像することぐらいはできますよね。

投稿: robita | 2012年11月12日 (月) 00時01分

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