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2012年12月13日 (木)

年寄りは勝手だ

「放射能は本当に危険なのか」とか「放射能は怖くない」とかの言葉で検索すると、夥しい数の項目がズラーっと並びます。
そして、放射線というものは一度に大量でなければ恐れる必要がないという数々の根拠が述べられています。
放射能がこの世で一番危険なものであると思いこんでいた私も、福島の原発事故後、さまざまな知識を得ることによって、人は放射線をむやみに恐れすぎているのではないかと思うようになりました。

そうは言っても、福島のような原発事故が起これば、放射性物質が飛散してしまうこともあるだろうし、今の放射線量安全基準が厳しすぎるから少し緩めたとしても、やはり線量の高い地域からは逃げたいと思うのは人として当然であろうと思います。

ただ、福島原発がひどい状態になったのは元々欠陥炉であることや津波に襲われたこと、また初期対応が非常にまずかったということもあるので、そういうことさえなければ、たとえ地震で壊れたとしてもあれほどのおおごとにはならなかったのではないかと言われます。

選挙を控えてどの党も「脱原発」「再生エネルギーへの転換」を盛んに訴えますが、今日本にとって一番大事なのは国力増大であり、景気回復であろうと思います。

敦賀原発の真下を通る破砕帯が活断層であると判断され、廃炉の可能性が高いといいます。
東北電力東通原発敷地内の断層の調査も始まり、こちらも活断層の疑いが指摘されてるようです。

こうして、日本中の原発が次々と「疑わしいので廃炉」となっていく運命なのでしょうか。

原発ゼロになって、太陽光やら風力などのこころもとない発電や、値段の高い天然ガスや石油による火力発電では、日本経済は復活できないだろうということは、私のような素人でも想像ができます。

「それでもいいじゃないか。命のほうがずっと大事だ」と脱原発派は言いますが、経済が悪くなれば人々の命は脅かされます。それはもっと危険なことではないでしょうか。

昨日、久しぶりにTBSラジオ「荒川強啓デイキャッチ」を聴いていると、コメンテーターの近藤勝重さん(毎日新聞論説委員)がこんなことを言ってました。
「3・11の事故で得た教訓をなぜ今度の選挙の争点に活かさないのか。
経済効率ばかり追いかけてきた結果がこんな社会を作ってしまった。
『足るを知る』(橋田壽賀子)とか『身の丈に合った生活』(倉本聡)とか『下山の思想』(五木寛之)とか、そういうことを真剣に考えてみたらどうか」

大変立派な考え方だとは思いますが、成功し、すでに財を成し、人生の終盤を迎えたこれらの人々のそういう提言というのはずいぶんと勝手じゃないかと思いながら聴いていました。

そうしたら、今日の産経新聞に、古代ローマ帝国のストア派哲学者セネカについてのこんな記事をみつけました。→「無欲を説いた金満哲学者」  

≪金銭や名誉を求め、他人の目を気にしながら、俗事の雑務にあくせくして多忙な生活をおくる。それがいかに無益なことであるか。セネカはなによりもそれを問題とする。豊かで自由な精神を取り戻し安らかな晩年をすごす。そのためには、どうすればよいのか。彼はそのためのさまざまな心構えを説いたのである。

だが、セネカの言葉は彼の世俗生活を目にすると虚(むな)しく響くことがある。あれほど金銭や権勢を軽んじていながら、羨(うらや)ましいほどの大富豪であった。しかも、高利貸をしたり、相続人のない財産を狙ったりしたのだから、これはもう言語道断というしかない。そのせいで、セネカの道徳論のなかには、自分の生き様への弁明があると考える人もいる。≫

先の近藤勝重さんは、以前番組の中で「田舎に小さい山小屋を持ってるんですが」と言ったことがあります。これはたぶん別荘のことでしょう。つい口を滑らせたのか、それとも自慢したかったのか(笑)

いいじゃないですかぁ。頑張って稼いで別荘を手に入れる。素晴らしい成果を上げたと思います。

だから、「足るを知れ」だの「身の丈に合った生活をしろ」だの、そういうことを言わずに、努力すればよりより良いものを手にすることができる、と若い世代を励ますべきだと思いますよ。
私だってもう人生長くはありません。もう何もいらない。けれども、次世代の人に「価値観を変えて足るを知れ」と説教するなどおこがましい真似をするつもりはありませんね。

人の価値観はいろいろです。「贅沢はいらない」という人も「もっと豊かになりたい」という人も、みんなが自分なりの生活を求めることができる、そのためにこそ、国は豊かにならなければならないんです。

3・11以降、日本人の価値観は変わったなどと言われます。たしかに悲惨な大災害ではあったけれど、人間の目指すものなんていつだって同じです。何も変わらない。

将来、何か素晴らしいエネルギー源による電気が安定供給されるまでの間、原発、稼動させてもいいのではないかと思うのですが。

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コメント

世界的に「脱成長路線」という流れがあって、「足るを知る」という人々は、そういうことを言っているのだと思います。
たとえばですが、支那が今のペースで、もしも全国民が日本人並の生活を始めたら(米国並みとまでいいません)石油もウランも、たぶんあと20年くらいしか持たないのではないでしょうか?

そうすると、エネルギー問題、資源問題から考えて、途上国には「環境を大事にして、もう資源の浪費はやめよう」と言わなければ仕方がない。
ところが、途上国は「ふざけんな、先進国は今までさんざん良い思いをしたじゃないか、俺たちがやって何が悪い」と言い出します。
なので、先進国も「いや、これからは脱成長で、co2も削減して、省エネで頑張りますから」と言わざるを得ない。
そう考えると、「脱成長」は、あくまで国内的な問題じゃなくて、経済のグローバル化に対応して、それなりに国益を考えた結果の発言、ということになるのかなあ、などと思います。

原発については、私は問題点が違うように思っています。そんな簡単な問題(欠陥炉)なら、なぜ、事故の前にそれを指摘して直しておかなかったのですか?予備電源が津波対策していないという「単純な問題」だったのですから。
あるいは、人為的なミスですね。福島第二はちゃんとやったじゃないか、と。で、国会事故調では「マニュアルもない、事前訓練もない状況の中で、的確な処置を期待することはできない」と言っています。東電事故調では「電源がなく、情報がまったく把握できない中で、暗闇の中の作業は困難をきわめた」と。

ええと、、、つまりは、「事後から見れば、何でも単純に見える」というだけの話ではないでしょうかね?バッターが三振したあとで「今のはバントでしたね」という野球評論みたいなもので、確かに単純ですが、そんなコーチがいても勝てるチームにならないでしょう。
そんなものだろう、と思うんですよ。

投稿: single40 | 2012年12月26日 (水) 12時13分

★single40さん

>そう考えると、「脱成長」は、あくまで国内的な問題じゃなくて、経済のグローバル化に対応して、それなりに国益を考えた結果の発言、ということになるのかなあ、などと思います。<

そうですね。エネルギー資源の現状を考慮し、且つ人類全体のことを考えれば確かに「脱成長」路線しかないと思います。
しかし、そういう理解が世界をどう変えるかというと、「我慢して分け合う世界共同体」を構築するか、あるいはまたぞろ戦争しかないのではないかと思うのです。

人類はもはやそのどちらも選択することはできず、もし新しいエネルギーを開発することができないのならば、弱い者から滅んでいくしかないのではないでしょうか。

私は人類は「新しいエネルギー」あるいは「安全な原子力発電」を見つけることができるはずだ、と思っているのです。論理的な根拠はないですが
いつだってより良いものを探し当ててきた人類の発展に限界があるとは思えないんです。「限界」ってあるんでしょうか? 限界を知った時、果たして人類は賢く道を選ぶことができるんでしょうか?

>そんな簡単な問題(欠陥炉)なら、なぜ、事故の前にそれを指摘して直しておかなかったのですか?<

そうです。そんな簡単な問題なのに、国も東電も直そうとしなかった。津波による電源喪失の危険性を共産党議員が国会で指摘していたにもかかわらず、真剣に改善しようという気を起こさなかった。
対策をきちんとやっておけばこんな大事故にならなかっただろうということです。これは事が起こった後に思い知って後悔し反省したことです。
関心を持たなかった私たち国民の責任も大きいのです。

>「事後から見れば、何でも単純に見える」<

仰る通りだと思います。おそらく大抵のことはそうでしょう。

投稿: robita | 2012年12月26日 (水) 13時31分

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