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2013年1月24日 (木)

リビング・ウィル

録画しておいたNHKスペシャル「終の住処はどこに__老人漂流社会」を、妹と一緒に見ました。 

年老いて、病を抱え、身寄りもなく、行き場を失った高齢者の実情をレポートしたものです。
受け入れる病院や介護施設もなく、あちこちの施設の短期入所を繰り返しながら介護スタッフの押す車椅子に座るおじいさんの表情は不安がいっぱいで悲しそうです。

いくつ目かの介護施設のベッドにおじいさんを横たわらせ、スタッフが終末医療に関する聞き取りを行います。
延命措置を望むか望まないかの質問を受けた時、おじいさんは声を振り絞って「命ある限り延命措置をお願いします」と答えたので、妹と私はびっくりしました。

自分で立つこともできない。貯金もない。身寄りもない。先の希望が何もないのに、このおじいさんがそれでも生きたがる理由が私たちにはまったくわかりませんでした。

「楽なんじゃないのかな」と妹が言いました。
そうかもしれません。自分では何もする必要がなく、すべて親切な介護スタッフつまり国がやってくれるのですから。

しかし、もしかしたらこのおじいさんは「延命措置」とはどういうことかわかっていないのかもしれません。
「もういい加減終わりにして欲しい」と思ってもかなわない状態にされてしまうことだということを理解していないのでしょう。

さらに、老人医療費、社会保障費が国の危機を招いているという大問題についても考えたことがないのかもしれません。

そういう老人にあのような質問をするのはあまり意味がありません。だからといって細かく説明するのはなおさら可哀想な気もします。

麻生副総理の言った「政府のお金で(終末期医療を)やってもらうのは、ますます寝覚めが悪い。さっさと死ねるようにしないと」というのは、誰もが思っていることであるけれども、誰も表立って口にしません。

高齢者自身、そしてこれから高齢者になる人全員が、自分で考え覚悟を決めなければいけないことです。

しかし、「覚悟を決める」だなんて、そんなたいそうなことかなあ、とも思います。

だって、チューブにつながれスパゲッティ状態になってもまだ無理やり生かされるって、そんな辛いことが他にあるでしょうか?

悩んだり覚悟を決めたりするまでもなく「さっさと終わりにしてちょうだい」って私なら言いたいけど、「その時」になれば気持ちは変わるのでしょうか?

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コメント

私たちの親の世代(80歳代)は想像もつかない飢餓の時代を生き抜いてこられました。人生の選択に「死」など考えられない世代だと思います。だから生き抜くことへの執着があります。子の世代である僕たち(50代)はそこまでの生への渇望がありません。親を看取り、孫の顔を見たら僕の人生は完成と決めています。救急救命措置不要の誓紙を免許証に入れ、息子にも伝えるつもりです。家内と同時であれば有難いですが神のみぞ知るです。

投稿: 小坂 | 2013年1月25日 (金) 02時10分

★小坂さん

仰るように世代によって死生観は違うというのはわかりますが、それでも、ただ息をしているだけの状態でチューブだらけにされて死にたくても死ねない地獄は、時代や世代が違っても絶対いやだと思うんじゃないでしょうか。
例にあげたおじいさんは、「車椅子に乗せられ、ショートステイを繰り返す今の状態が死ぬ時まで続くがそれを望むか」と聞かれていると誤解していると思います。
私の知る人は皆(80歳以上の高齢者も含む)、延命措置などまっぴらごめんと言います。
要するに「延命措置」「尊厳死」の理解だと思います。

>救急救命措置不要<

そんなこと仰らないで、希望があるかぎり生きる意志を持ってくださいよ~。

奥様明るくて面白そうなかたですね。
ブログ楽しく拝読しました。
回復も順調のようでなによりです。

投稿: robita | 2013年1月25日 (金) 09時48分

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