人間はサンドバッグじゃない
大阪桜宮高校体罰事件で橋下市長が体育科の今年度入試中止の要請をしたことについて、橋下嫌いの内田樹さんがブログで批判しています。「体罰と処分について」
批判することは自由ですが、これでもかというほど微に入り細にわたり同じようなことを表現を変えて何度も繰り返し、読んでるほうも辟易するほどのこねくりまわした文章を綴っているのをみると思わず笑ってしまうほど子供っぽいのです。
この人はどんだけ橋下徹が嫌いなんでしょうか。
試しに「内田樹 橋下批判」で検索してみたら、面白いブログ記事をみつけました。→http://ameblo.jp/tenzindesutenzin/entry-11314381314.html
この方は内田樹さんが大好きだそうです。内田さんの巧みな文章に「やられる」人は多いのではないでしょうか。
けれども「橋下批判となると気持ち悪くなるほどしつこい」という観察はなかなか冷静です。
結局「内田さんは橋下さんが嫌い」なだけなのだという結論を導き出されました。
そうですねえ。人の好き嫌いは理屈があるからではなく、嫌いだから理屈を後からいくらでもくっつけようとするんですね。
ただ、私は内田氏がこの事件を大人社会の組織に例えていることに疑問を感じます。
自殺した生徒が、耐え難い暴力に悩みながらも退部することさえできなかったのは、辞めれば出身中学の後輩が入学できなくなる恐れがあったからだと聞きます。
追い込まれ逃げ場のない地獄で、次第に自分の存在を消すことしか考えられなくなっていったのではないでしょうか。
この顧問の非情な言動や、見て見ぬふりをしていた周りの大人たちの無責任が招いた悲劇は、果たして内田氏の指摘するように、会社や役所の事情と同列に語れるものでしょうか?
同列に語れるとしたら、構造の腐った組織は解体されるべきだ、という筋は立派に通ります。
東京電力や大阪府大阪市さらには国の官僚組織解体論はたびたび出ています。
橋下市長は「この事件について私が一番情報を持っている」と言いました。表面にあらわれた「体罰」の問題だけでは収まらない学校の構造自体に歪んだものがあるようです。
報道には出ない闇の事情のようなものがあるとするならば、やはり、まずは全てを明らかにしなければ新入生を迎えることはできない、というのも頷けます。
ネット上では内田氏の意見に賛同する人が圧倒的に多いように思いますが、教育評論家の尾木直樹氏や社会学者の宮台真司氏などは橋下氏の決断を支持しているようです。
体育科入試を中止したことが将来どう評価されるのか、今の時点ではわかりませんので、そのことについては良いとか悪いとかいうことは言えませんが、確かに言えることは、何も悪いことをしていない生徒を執拗に殴り続けることは「体罰」とすら言えず、教師のストレス発散以外の意味はないということではないでしょうか。
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