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2013年4月30日 (火)

旗日

心地よい気候のこの季節、都合良く祝日が集中して、日本人は旅行や里帰りやハイキングやバーベキューなど思い思いの楽しみ方で連休を過ごします。

景気が良くなってきたことですし、国民挙って活発に遊ぶことでさらに日本経済は盛り上がることでしょう。まずはたいへんけっこうなことだと思います。

ところで、祝日とは何でしょうか。
それぞれに意味があるのは当然ですが、私など昔から「お休みお休み嬉しいな」ぐらいの感覚しかなく、祝日だからといって特に身を引き締めてその意味を噛みしめるなどということをしませんでした。

民主党政権の時、週刊新潮で元外務省主任分析官の佐藤優さんのこんな文章を読んだのでメモしておきました;

≪ 政府が休日分散化などという頓珍漢なことを考えている。
休日とは、国民全体が同じ日に休むことによって、同胞意識を確認するためのものだ。
クリスマスだって、イエス・キリストの誕生日である12月25日と結びついているから意味があるのだ。
休日に観光を促進するなどという経済合理性の原理を持ち込むという発想自体が間違っている。

休日分散化が実現すると、日本が、北海道・東北・北関東、南関東、中部・北陸信越、近畿、中国・四国、九州・沖縄の5地区に分割される。
4月末から5月初頭のゴールデンウィークは憲法記念日、みどりの日、こどもの日をそれぞれ記念日として残し、南の地区から順番に土日を合わせて5連休とする。
秋の大型連休では海の日、敬老の日、体育の日を残し、その3日分の休日を土日と合わせ北の地区から5連休をとるという内容だ。
形だけ記念日を残しても、実際にその日に仕事をするならば、それは休日ではなく労働日だ。
その結果、ただでさえ弱くなっている日本人の同胞意識が一層弱くなる。
むしろ必要なのは、1947年5月2日に廃止された皇室祭祀令を復活させ、2月11日の紀元節(建国記念の日)、11月3日の明治節(文化の日)、11月23日の新嘗祭(勤労感謝の日)などに、日本国家と日本国民の統合を確認する儀式を行うことだ。
休日を単なる非労働日と政府が考えるようでは、日本国家が崩れてしまう。≫

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私が子供の頃はどこの家も祝日には普通に日の丸の旗を門前に掲げていました。

いつの頃からか、世代交代に伴ってその習慣を忘れてしまったのか、あるいは世間の空気に負けてしまったのか、国旗の掲揚は一般家庭に見られなくなりました。

何年も前から、祝日に国旗を揚げたいと思いながら、右翼だなんて思われたらやだなァと尻込みしていましたが、今年の建国記念日に初めて日の丸を揚げました。

特別な思想でもなんでもないのです。子供の頃に親がやっていたように国の記念日に国旗を揚げてお祝いをする、ただそれだけのことなのです。

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関連記事:
  「日の丸のデザイン、君が代の歌詞とメロディ、私は好きなんですけど」  2005.3.28.
   「国歌を歌いたくない若い人たち」   2006.3.29.

  
   

  
  
  

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2013年4月27日 (土)

“極右”だってさ

春の例大祭で閣僚や国会議員多数が靖国神社に参拝しました。
例によって中国韓国がこれを激しく非難します。

安倍首相は、国のために尊い命を落とした英霊に尊崇の念を表するのは当たり前だとして「わが閣僚はどんな脅しにも屈しない」と明言しました。

なかなかいいですねえ。頼もしい。

しかし、欲を言えば、そういういかにも「正面から立ち向かう」風の物々しい言い方でなく、もう少し軽く、皮肉っぽく、エスプリを利かせた・・・、そうまさにsingle40さんの仰る “It's none of your business”、 これでいいのだ。

彼らがなぜこれほど執拗に人の国の祈りの儀式に文句をつけてくるのかといえば、singleさんが仰る通り、彼らにとってトクだからという以外の理由はないでしょう。

「余計なお世話です」と言って放っておけばよいのです。どうせ彼らはそれ以上何もできないのだから。

ただ、看過できないのは、国内のマスコミや評論家たちのトンチンカンな発言です。

「麻生副総理が参拝したと聞いた時は思わず『ウソだろ』と心の中で叫びました。批判されるのを想像できなかったとしたら、外交のセンスがまったくないとしか言いようがない」と言ったのはジャーナリストの後藤謙次氏で、私はこの人の発言しか聞いていませんが、他にも同様のことを言って参拝を批判した評論家がいたようです。

「外交のセンス」とは、ひたすら相手を怒らせないよう、どんな理不尽なことを言われても大人しく言うことを聞くことだと、そのように考えている人がいるとしたら、その人こそ、外交のセンスがないんじゃないでしょうかねえ。

閣僚の靖国参拝に興味などなかった中国韓国が、日本の一部マスコミの「ご注進」によって、「これは金ヅルになるわい」と気づいた時から靖国問題が発生したのは周知の通りです。

わざわざ騒動を起こしてそれをメシのたねにしている反日マスコミや、日本がいじめられるのが大好きな左翼の人たち、ちょっと考えてみてください。

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2013年4月20日 (土)

ムーブメント

今週始まったTVドラマ「家族ゲーム」や、3月に終わった「夜行観覧車」にはひどいいじめの場面があります。

本当にこんなひどいことをする子供たちがいるのだろうか、ドラマだから大げさに描いているのだろうか、とも思いますが、実際に自殺に追い込まれる子供が後を絶たない現実を考えると、あながち大げさでもなさそうです。日常的に起きていることだとすると、本当に恐ろしい。

「家族ゲーム」では、教室で粗相をしてしまったことがきっかけとなって男の子がいじめられるわけですが、私が子供の頃であれば、学校でおもらしをしてしまった級友に、「気の毒」「可哀想」「胸が痛む」といった感情を抱きはしても、いじめの対象にはしませんでした。男の子たちだったらからかうぐらいのことはしたかもしれませんがあのように執拗にいじめるなどということにはならなかったと思います。

「夜行観覧車」のいじめは少女グループが一人の少女を標的にします。かなり悪質なやり口です。

こういうのが現実の学校で起こっているとすれば、「えっ、この女の子たち、どういう大人になるの? この子たちいずれ結婚して子供生むの? 母親になるの? こんな残酷な悪魔みたいな子たちが? やめてよ。子供産まないで。育てないで」と思ってしまいます。

実際にいじめに関わっていなくても見て見ぬふりをする子供がほとんどでしょうが、なぜ「やめなさいよ」と止めることができないのかは、「そんなことすれば、今度はこっちが標的になるからだ」という理由は周知の通りです。

今の子供社会がどんなものかは今の子供でないとわからないのかもしれませんが、声をあげたくてもあげられない人間のほうがずっと多いなら、それは一大勢力なのではないだろうか、団結してなんとかできないものだろうか。  子供社会のいじめを、学校が何とかするべきだとか親が気づいてあげなければいけないとか、周りの大人のせいにする前に、子供たち自身、正義のために立ち上がるという意志を働かせることはできないものだろうかと思わずにいられません。

誰かそういう筋書きの小説書いてくれないかしら。それをテレビドラマにしてヒットしたら子供たちに何らかの影響を与えるかもしれませんよ。

誰かによって作り出された流行に人間は乗りやすいものですから。

村上春樹の小説なんかよりずっと世のため人のためになると思うんだけどなァ。

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  関連記事:「体罰」 

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2013年4月14日 (日)

なにごとも基礎が大事

内田樹さんが日本の教育制度の崩壊について書いています。 →「学校教育の終わり」

とても長い文章ですが、要はこういうことだと思います。
≪物欲が肥大し、学校が金儲けへの近道を教える場となり、「国家須要の人材」が育たなくなった≫

しかし、それは人類社会がたどる道としてある程度仕方がないことではないかと私は思います。

人間はより上の豊かさや安定を求めて日々精進します。平和や豊かさに加えて自由平等の精神が行き渡れば、「分をわきまえる」という言葉に表されるような社会の中での役割分担意識も薄れて行きます。

自分は国という共同体の一員だという自覚もなくなるでしょう。「精進」はひたすら個人的欲望を満たすためだけのものになって行きます。

内田氏が「歴史的理由については贅言を要すまい。歴史上例外的な平和と繁栄である」と書くとおりだと思います。ただ、それが内田氏の言うように1970年代を境にそうなったのか、戦後を境にそうなったのかはよくわかりません。
私自身は徐々にそうなっていった(つまり豊かになるにつれて)と思っています。

そして先進国が同様に教育制度の劣化を憂えている中で、日本にだけ特徴的なもう一つの原因があるといってもいいと思います。

それは、歴史観、日本国民としての誇りの欠如といったものでしょう。つまり精神の土台をきちんと据えないまま制度だけを載せてしまった戦後体制によるものです。

内田氏は「日本の教育制度は末期的だから変えようがない」と嘆いていますが、その気になればこれから土台を作ることはできます。小学校から始めればいいのではないでしょうか。

週刊新潮に「管見妄語」というエッセイを連載中の数学者の藤原正彦氏が、最新号で教育問題について書いています。

こちらは簡潔明瞭で具体的です。

藤原氏はゆとり教育や英語教育やIT教育など、今まで試された教育改革は正鵠を射ていない、枝葉をいじるだけではだめだ、と述べます。

前略___自民党教育再生実行本部の教育改革案が先日発表された。「三本の矢」として、英語教育の抜本改革、理科教育の刷新、情報通信技術教育の強化などが挙げられた。安倍政権の経済再生を支えるグローバルな人材を作るという。またもや英語とITだ。嘆息をつくばかりだ。そもそも教育は経済発展のためにあるわけではない。
それに、15年のデフレ不況は、日本人の英語やITが拙いから起きたのか、これらが上達すれば意気地ない外交が変わり、自主防衛による真の独立国家が達成され、陰湿ないじめがなくなり、リーダー達の自己保身が薄まるというのだろうか。世間受けのよい項目を並べているものの、どのような日本人を育てようとしているのかがまったく見えない。
グローバルな人材というが、世界へ出たら、勝負は英語やITの能力ではない。教養と人間性の勝負なのだ。これらがすべての知的判断の出発点となり、人間観、歴史観、大局観の土台だからである。
まずは小学生にできるだけ多くの物語、詩、偉人伝などを読ませ、感動の涙とともに夢、正義感、勇気、弱者への思いやり、卑怯を憎む心などの情緒力を培い、家族愛、郷土愛、祖国愛などを育むことではないのか。美しい自然や芸術に親しみ美的感受性を高めることではないのか。
これらが人間性の骨格を作る。
中学、高校、大学初年級では、古今東西の文学、歴史、科学などをしっかり学び教養を身につけることではないのか。体質改善の急所はここにあると思う。
____後略

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藤原氏の言う「人間観、歴史観、大局観の土台」を作ることは、内田氏の言う「公共的な使命」を国民に自覚させるのに非常に役立つと私は思いますよ。

戦後、日本では、愛国心や偉人伝や修身などを毛嫌いする勢力が幅を利かせ、長らく子供たちはその教育を受けてきませんでした。
しかし、こういうことこそ金儲けだけでない人間を育てるのにぜひとも必要ではないでしょうか。

その昔、内田先生が愛国心や修身教育についてどのような考えを持っておられたのか私は知りませんが、左翼的と言われる人々が、今に至って、毛嫌いしてきた教育が実はどれだけ重要だったか気がつき始めているのではないだろうかと、私は密かに想像しているのです。

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関連記事:「日本を磨く」          

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2013年4月 9日 (火)

国に身を捧ぐ

イギリスの元首相マーガレット・サッチャーさんが亡くなりました。

私どこかでサッチャーさんのこと書いてなかったっけ、と検索してみたらありました。 →「信頼できる政府」

小泉政権が守旧派に激しく抵抗されながらもなんとかかんとか制度の作り直しに励んでいたころに書いたものです。

「構造改革に踏み切らなければ国そのものがダメになってしまう」という改革派と、「弱者切り捨てだ」という改革反対派の闘いは、きっとイギリスではもっと凄まじいものだったでしょう。

今でもサッチャーさんを恨んでいる人が多いそうですが、でも彼女はたしかに国を救いました。

国を立ち直らせようとすれば、業界団体あるいは個人レベルで損をする人々が出てくるのは仕方がありません。そして、一人ひとりが自分の人生の主役なので「国がなんだ。私は損をするのがイヤなんだ」ということになります。

国のために自分を殺すのは誰だってイヤですもんねぇ。

安倍首相は反対派を抑えてTPP参加を表明しましたが、利権や天下りを生み出す仕組みを改革することについてはどうなんでしょう。

「いずれ増税は避けられないがその前にやるべきことがある」というみんなの党の主張は正しいと私は思っていますが、安倍自民党にそれができるでしょうか。

いま、景気がとても良くなってきているので、もうそんな改革なんかどうでもいい、となったら再び近い将来日本は困った事態に陥るんじゃないですかね。

人間社会に利権が生まれるのは当然、腐敗も必定、と私は思っていますが、それは放っておいていいということではありません。

そういう構造が硬直化して社会の大きな損失となり続けるのであれば作り直さなければならないのは当たり前です。
改革とは永遠に続くものです。その営みが人間を成長させるのだと思います。豚をご覧なさい。改革をしないからいつまでたっても豚のままなのです。

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安倍首相が思い切った改革をする決意があるなら、その前後の政界再編は必然でしょう。そうでなければ改革はできないと思います。
自分は一度死んだ人間だからという覚悟と、今度こそという強い意欲を持っている首相です。自民党分裂も恐れず行動してくださることを望みます。

嫌われても憎まれても鉄の意志をもって国のために働いた人が偉大な政治家として後世に名を残すんですよね、サッチャーさん。

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2013年4月 5日 (金)

ライブの魅力

昨日、TBSラジオ「デイキャッチ」で評論家山田五郎さんがyahooの在宅勤務禁止令について話していました。

女性CEOのマリッサ・メイヤー氏が並々ならぬ決意で「在宅勤務はやめて出社せよ!」と大号令をかけたというのです。出社しないなら会社を辞めろという厳しいものだといいます。
メディアやIT業界は「コスト削減」や「子育て中の女性にメリットがある」などの点から、基本的に在宅勤務肯定派が多いので、当然、反発があったようです。

しかし、今や業績でgoogleに大きく差をつけられた自社の伸び悩みの原因を調べていたIT技術者でもあるメイヤー氏は、googleとの大きな違いとして、yahoo社員のほとんどが出社せず在宅で仕事をしているということにこそ問題点があるのではないかと気づきました。
データ分析すると、在宅勤務の人は会社のコンピューターシステムに殆どアクセスしていない、つまり会社の仕事をしていないというのです。

社員への通達の中でメイヤー氏は、『最善の決定のいくつかは会社の廊下や社員食堂の会話の中から生まれる。私たちは「物理的に」同じ場所にいる必要がある』と述べているそうです。

また、メールでのコミュニケーションは意外と効率が悪いことや、「メール以外で必要があれば会えばいい」という態度では、必要以上の成果が得られない(予測できる結果しか生まれない)のではないか、と山田氏は指摘します。

顔を合わせ、共に食事をし、雑談する中で、思わぬアイデアが出たりするものだ、という考え方は、ITが発達する過程で結構言われてきたことだと思いますが、「時代遅れ」としてしりぞけられてきたように思います。

人間社会が、より便利により効率的に発展していくことに私は何の異存もありませんが、「やっぱり昔のやり方のほうが良かったね」という事柄はこの世に数々あります。

生の交流もネットコミュニケーションもどちらも一長一短だとは思いますが、ITによるデータ解析が、アナログ的手法の優位性を導き出したのはまことに興味深いことではありませんか。

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http://www.tbs.co.jp/radio/dc/

デイキャッチャーズボイス(山田五郎)の「バックナンバー」で視聴できます。「在宅勤務はありかなしか論争に一言」

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2013年4月 1日 (月)

恍惚の女

岸恵子ってもう80歳だったんだ・・・とびっくりしたのは、新聞広告で見た彼女の新刊「わりなき恋」をネット検索して年齢を確認した時です。
見た目も若く、頭もシャープな人だと以前から感心していましたが、まさか80歳になっていたとは。

広告には彼女の顔写真が掲載されていますが、若い頃とほとんど変わらない容貌は、この写真が10年前のものだとしても驚異的と言えるでしょう。
肩まで伸ばした黒髪の毛先をくるりんとカールさせ、高齢者特有のたるみが見られない笑顔は充分に女性としての魅力を保っています。

いったいどんな美顔術を施しているのか、それとも、ほとんど手を加えなくても「前向きに、色々なことに興味を持ち、明るい気持ちで毎日を過ごしています」みたいな、美しい女優さんたちがよく言うようなことなのか。

実は黒い魔女服を着て、大きな壷の中で調合した美の特効薬やら媚薬やらを、夜な夜な長い棒でかき回しているんじゃなかろうか。200歳でも300歳でも年取ることなく生き続け、その妖しい美しさで男たちを惑わし虜にして自分の養分にする妖怪のように。

きっと大昔から、そういう美魔女は存在して、怪談やお伽話はそういった事例をモチーフにできあがったのかもしれません。
「あきらめられない女」はいつの世もいたでしょう。

でも、でもね、「忘れかけていたこの胸の高鳴り。年齢というくびきを越えて燃え上がる70歳を超えた女性の鮮烈な愛と性」という広告文を読むと、正直言って、引く~~~(笑)

順当に老いたほうが美しいと思いますけどねえ。
今おばあさんにならないでいつなるんですか。一生おばあさんにはなりたくないんですね。
いやはや、おばあさんも嫌われたもんです。

よし、私は意地からでも立派なおばあさんになってやる・・・・・、というかこのごろ私はおじいさんになったような気分なのですが。

この小説を読んだ高齢女性が「勇気をもらいました」などと張り切るんでしょうか。なんだかね。

ただ、検索したところによると、この小説はよくある単純な「老いらくの恋」の物語ではなく、高齢で性愛に関わることの恐怖をも描いているらしいので、読みもせずに批判するのはいけませんね。たぶん読まないけど。

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