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2013年4月14日 (日)

なにごとも基礎が大事

内田樹さんが日本の教育制度の崩壊について書いています。 →「学校教育の終わり」

とても長い文章ですが、要はこういうことだと思います。
≪物欲が肥大し、学校が金儲けへの近道を教える場となり、「国家須要の人材」が育たなくなった≫

しかし、それは人類社会がたどる道としてある程度仕方がないことではないかと私は思います。

人間はより上の豊かさや安定を求めて日々精進します。平和や豊かさに加えて自由平等の精神が行き渡れば、「分をわきまえる」という言葉に表されるような社会の中での役割分担意識も薄れて行きます。

自分は国という共同体の一員だという自覚もなくなるでしょう。「精進」はひたすら個人的欲望を満たすためだけのものになって行きます。

内田氏が「歴史的理由については贅言を要すまい。歴史上例外的な平和と繁栄である」と書くとおりだと思います。ただ、それが内田氏の言うように1970年代を境にそうなったのか、戦後を境にそうなったのかはよくわかりません。
私自身は徐々にそうなっていった(つまり豊かになるにつれて)と思っています。

そして先進国が同様に教育制度の劣化を憂えている中で、日本にだけ特徴的なもう一つの原因があるといってもいいと思います。

それは、歴史観、日本国民としての誇りの欠如といったものでしょう。つまり精神の土台をきちんと据えないまま制度だけを載せてしまった戦後体制によるものです。

内田氏は「日本の教育制度は末期的だから変えようがない」と嘆いていますが、その気になればこれから土台を作ることはできます。小学校から始めればいいのではないでしょうか。

週刊新潮に「管見妄語」というエッセイを連載中の数学者の藤原正彦氏が、最新号で教育問題について書いています。

こちらは簡潔明瞭で具体的です。

藤原氏はゆとり教育や英語教育やIT教育など、今まで試された教育改革は正鵠を射ていない、枝葉をいじるだけではだめだ、と述べます。

前略___自民党教育再生実行本部の教育改革案が先日発表された。「三本の矢」として、英語教育の抜本改革、理科教育の刷新、情報通信技術教育の強化などが挙げられた。安倍政権の経済再生を支えるグローバルな人材を作るという。またもや英語とITだ。嘆息をつくばかりだ。そもそも教育は経済発展のためにあるわけではない。
それに、15年のデフレ不況は、日本人の英語やITが拙いから起きたのか、これらが上達すれば意気地ない外交が変わり、自主防衛による真の独立国家が達成され、陰湿ないじめがなくなり、リーダー達の自己保身が薄まるというのだろうか。世間受けのよい項目を並べているものの、どのような日本人を育てようとしているのかがまったく見えない。
グローバルな人材というが、世界へ出たら、勝負は英語やITの能力ではない。教養と人間性の勝負なのだ。これらがすべての知的判断の出発点となり、人間観、歴史観、大局観の土台だからである。
まずは小学生にできるだけ多くの物語、詩、偉人伝などを読ませ、感動の涙とともに夢、正義感、勇気、弱者への思いやり、卑怯を憎む心などの情緒力を培い、家族愛、郷土愛、祖国愛などを育むことではないのか。美しい自然や芸術に親しみ美的感受性を高めることではないのか。
これらが人間性の骨格を作る。
中学、高校、大学初年級では、古今東西の文学、歴史、科学などをしっかり学び教養を身につけることではないのか。体質改善の急所はここにあると思う。
____後略

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藤原氏の言う「人間観、歴史観、大局観の土台」を作ることは、内田氏の言う「公共的な使命」を国民に自覚させるのに非常に役立つと私は思いますよ。

戦後、日本では、愛国心や偉人伝や修身などを毛嫌いする勢力が幅を利かせ、長らく子供たちはその教育を受けてきませんでした。
しかし、こういうことこそ金儲けだけでない人間を育てるのにぜひとも必要ではないでしょうか。

その昔、内田先生が愛国心や修身教育についてどのような考えを持っておられたのか私は知りませんが、左翼的と言われる人々が、今に至って、毛嫌いしてきた教育が実はどれだけ重要だったか気がつき始めているのではないだろうかと、私は密かに想像しているのです。

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