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2013年5月31日 (金)

野心と努力に運がつく

林真理子さんの「野心のすすめ」(講談社現代新書)が面白く、一気に読みました。

どんなに批判されようが野心満々で積極的に行動して幸せを手に入れた彼女の生き方を真似することは難しいかもしれないけれど、「事なかれ」「ひきこもり」「低め安定」「草食」的傾向が顕著な現代の若者を心底心配し応援したいという気持ちが込められた一冊としてお勧めしたいと思います。

頂上を目指し努力を重ね、稼いだお金で仕立ての良い服を着、一泊5万円の旅館に泊まって贅沢を味わい、伝統文化を鑑賞し、教養を身につけ、一流の人々と交流し、自分自身が一流の人間になる、それぐらいの高い望みを自分は持っていた。しかし「これぐらいでいいや」と低いところに目標を設定する今の若者には野心というものがあまりにもなさ過ぎる、というのです。

彼女のように行動できない私でも、書いてあることのほとんどに共感でき、特に次の一文は、世の欺瞞をなんとうまく表現しているのだろう!と感心しました。

≪ 世の中というのは、つつましく安価だったり比較的誰もが手に入れやすいものに幸福を感じると「いい人」と言われ、その反対の嗜好を持つと「嫌な人」とうしろ指をさされることになっているようです。
たとえば麻生太郎さんが、
「億単位のカネと大臣たちを思いのままに動かした後、大豪邸に帰るのが幸せ」
などと言おうものなら非難囂々でしょうが、お金も知名度もある女優さんや歌手が、
「干したばかりの家族の洗濯物に顔を埋めている時がいちばん幸せ」
などと発言すると、とたんに「いい人!」と共感の声が上がるのです。
私はどうにも、こういう見え透いた貧乏くさいことが嫌いなのですが、いつしか世間はしみったれたことが主流になり、「おひさまのにおいのする家族の洗濯物」にうっとりすることを強制されるような時代になってしまいました。
しかし、「におい」で幸せにはなれない人間というのも、この世の中には確かに存在しています。 ≫

もちろん人間は「におい」で幸せな気分を味わうことができますが、その前提としてある程度の生活水準という土台が必要です。
そしてその土台を築くには、やはり人類全体としての欲望や発展が必要なのだろうと思います。

野心も向上心もずいぶんと足りなかった私は大成しませんでしたが、それでも、そこそこの生活の中で折にふれて幸せを感じることができるのは、野心や向上心をフル回転させて経済を活性化させたり発明発見を成し遂げるエネルギッシュな人々の存在があるからこそだということぐらいはわかるのです。

だから私は「もう経済発展はいい」「多くを望まず穏やかな生き方を目指すべき」などと説諭する学者や評論家を信用しません。

野心や向上心の旺盛な人々は、社会を活発に動かすエンジンなのではないかと思います。

色々な部品は必要です。でもエンジンがダメになれば全体は動きません。

エンジンを大切にしたいと思います。

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関連記事:「そこそこの生活」 
       「年寄りは勝手だ」
                

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2013年5月29日 (水)

勇気を出してください

今朝、ラジオからこんな会話が聞こえてきました。

「橋下さん、針のむしろですね」
「当分、長引きそうですね」
「ハハハハ・・・」

ニュースキャスターとコメンテーターの政治評論家が笑っていました。

結局、他人事なんですね。

橋下発言の前までは、あんなに「日本は不当に批判されている。誤解を正さなければならない」と明言していた評論家や政治家たちが、橋下劣勢とみるや、批判したり、押し黙ってしまったり、他人事のように笑ったり、いったい恥ずかしくないのだろうかと思います。

もちろん、紙媒体やインターネット上では、橋下氏の発言を擁護し、従来の主張を決して曲げない人も多くいます。

一番悪いのはテレビです。

テレビが、「あまり考えない人々」に影響を与え、世論を形成してしまう。このことがとても恐ろしいと思います。

いったい橋下発言のどこをもって世間はこんなに叩くのか。

「女性蔑視」だとか「女性の人権」だとか、この問題の核心はそんなところにはありません。

「女性の人権を踏みにじった!」と気勢をあげている蓮舫や辻元清美や福島瑞穂が女性の代表だなんて思われては困ります。

私の周囲の女性で橋下発言に怒っている人は一人もいません。

聞くところによると、かえって男性のほうが批判的な意見が多いのです。

どうも男性は女性に気を使いすぎているのではないかと感じます。本当のことを言えば嫌われると恐れているんじゃないでしょうかね。

政治家のみなさん、サイレント・マジョリティの意思を考慮に入れないと失敗しますよ。

とはいえ、マスコミの扇動にはどうにも勝てないんですよねえ。

どうしたらいいのか。

インターネットを使って発信するしかない、というわけで、今日も私はブログを更新します。

ところで、主婦のみなさん(主婦カテゴリーに登録してるので呼びかけます)、主婦でなくてもこの慰安婦問題をあまり知らない、というみなさん、経緯を私のわかる範囲でわかりやすく簡単に書いてみますので、読んでいただければ幸いです。

そもそもの発端は、1983年に吉田清治という元日本兵が『私の戦争犯罪』という本を出版したことにあります。この中で日本軍による「慰安婦狩り」が行われたという嘘を書きました。
それを朝日新聞が大々的に報道し、結果、韓国で大問題になりました。詳しくは→こちら 

しかし後に作り話であったことが証明され、センセーショナルな内容でないと本が売れないという吉田の意図が明らかになりました。

しかし「従軍慰安婦」という作り話がどんどん一人歩きをしてしまったその時にはもう韓国の世論は押さえることが不可能になってしまったのです。
日本が朝鮮半島を植民地にしたというその事実と朝鮮民族の恨の感情が一つのパッケージになっている以上、抗議することもままならず、責められる一方になってしまいました。
そして、韓国の国を挙げての宣伝により、いまや米国議会でも「旧日本軍の慰安婦強制連行」は承認され、「性奴隷」という表現まで定着しています。

簡単に言うとこういうことなのですが、こんなことを放っておいていいのでしょうか。

橋下さんは、植民地支配までを正当化しているわけではありません。
「意に反して慰安婦にさせられた女性」に対して本当にお気の毒だったとも言っています。

日本軍が奴隷狩りをして強制的に慰安婦にしたなどという作り話が国際社会で大々的に流布され定着してしまうことに、「それは違います」と言っているだけなのです。

もちろん、「兵士のストレス解消に風俗活用したら」と米軍に提案したことを公言してしまったのは、つい口が滑ってしまったとしか言いようがありませんが、そこだけが問題になるのはおかしい。大事なことは「間違ったことを正す」ということです。

「外交的にまずい。今言うべきことではない」という外交評論家などもいますが、素人ながら私は、今この時、このチャンスを逃したらきっと永遠に日本は言えなくなり、「日本軍の蛮行」は定着し、未来永劫責められ続けると思います。

いったい、国際社会での誤解に日本はいつ、どう立ち向かうのか、政治家のみなさん一人ひとり考えを述べていただきたいものです。

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参考記事: 産経新聞【正論】≪こんな「一強多弱」に誰がした≫ 拓殖大学大学院教授 遠藤浩一

≪全文≫
橋下徹・日本維新の会共同代表(大阪市長)の発言を受けて、みんなの党の渡辺喜美代表は「価値観の乖離(かいり)」を理由に、維新との選挙協力を白紙撤回した。

 ≪「みんな」も歴史観明かせ≫

 そこまで啖呵(たんか)を切るからには、渡辺氏及(およ)びみんなの党は、自らの価値観ないし歴史観を明らかにする責任がある。

 同党の浅尾慶一郎選対委員長は24日、「戦時体制を美化すると見られかねない政治勢力とは一線を画す。くれぐれも党の方針・理念から外れた行動をしないように」とのメールを党所属国会議員に一斉送信したという(27日付産経新聞)。

 ならばこの党の「方針・理念」とは何か。「アジェンダ」なるものは政策の断片的羅列にすぎず、その背骨(バックボーン)たる理念を読み取るのは困難である。

 5月3日に発表された「憲法記念日に当たっての代表所感」に記されている「改憲を目指すが、我々(われわれ)は戦時体制を賛美し、復古調の古色蒼然(こしょくそうぜん)たるレトリックを駆使する勢力とは異なる」「占領時代に温存された国家社会主義のDNAを一掃することなくして、戦後レジームの転換はありえない」、どうやらこのあたりに、みんなの党の「方針・理念」があるらしい。

しかし、橋下氏は戦時体制を賛美しているわけではない。むしろ「侵略と受け止め、反省とお詫(わ)びが必要」と、「村山談話」のようなことを言っている。「復古調の古色蒼然たるレトリック」ではなく、まさに「戦後レジームのレトリック」そのものではないか。

 いわゆる従軍慰安婦問題について橋下氏は、(1)軍や日本政府が強制連行した事実は今のところ証拠で裏付けられていない(2)当時慰安婦制度は世界各国の軍が持っていたのに、なぜ日本だけが非難されるのか、と主張した。

 これは事実認識をめぐる問題提起であり、橋下氏の認識は秦郁彦氏が断言したように「大筋は正しい」(23日付同紙)。みんなの党は、強制連行があったと主張したいのか。その証拠を示す用意があるのか。国際的に日本の慰安婦問題だけが非難されている異様な事態を是とするのか。

 ≪不当なレッテル貼り情けない≫

もっとも、米軍は風俗店を活用すべきとの橋下発言はいかにも軽率かつ粗雑で、政治家として致命的失言だった。ただ、橋下氏の場当たり的な物言いは、いまに始まったことではない。選挙協力を進めてきた“友党”の党首として、もっと早くから気付き、対処すべきではなかったか。いまさら「価値観の乖離」を持ち出すのは空々しい。
大方が感づいているように、「価値観」云々(うんぬん)は、維新の会との連携にブレーキを踏むための方便でしかない。それによって参院選を少しでも有利にしようとの計算があるのだろう。

 しかし支持率の低下に焦った橋下氏が暴走したように、渡辺氏も焦って見当違いの発言をしているように見える。現在の日本の政界に「戦時体制を賛美し、復古調の古色蒼然たるレトリックを駆使する勢力」は存在しない。内外から不当なレッテル貼りをされている安倍晋三首相にしても戦時体制を賛美したことなど、筆者が知る限り一度もない。ないものをあるかのごとく言いつのり、差別化をはかろうとするのは、幽霊を相手に相撲を取るようなもので、見物客(有権者)はソッポをむく。

 なるほど、反日的な主張を是とする有権者も一定程度は存在するだろう。「価値観」にまで踏み込んだ渡辺氏及びみんなの党は、そうした層からの得票を見込んでいるのかもしれない。が、「反日」は一般有権者の間では結局マジョリティーたり得ない。声高な少数派の票を、民主党や社民党、共産党その他と分け合うだけの選挙戦術は、悪手というほかない。

≪「反自民」でなく「超自民」で≫

 安倍内閣が発足して以来、維新の会もみんなの党も存在感を低下させ、なんとかアピールしようとあがいてはみたものの、的外れの言動に終始し、結果として「一強多弱」状態になってしまった。

 なぜそうなったのか、そこのところをよく考えなければならない。安倍自民党だけが高い支持を得ているのは、大方の有権者にとって、自民党以外に支持すべき政党が見当たらないからである。

 参院選で自民党に独り勝ちさせないことが野党にとっての目標だとするならば、そのためには、自民党から票を奪わなければならない。ところが、ここで多くの人が勘違いする。かつての社会党のごとく「反自民」、すなわち自民党と反対のことを叫べば票をとれると思い込んでしまうのである。

 そうではない。「反自民」票などたかが知れている。訴えるべきは「反自民」ではなく「超自民」、すなわち是々非々に立った上で自己の比較優位性を主張するしかないのである。

 旧態依然としたレッテル貼りに甘んじ、国際的な反日宣伝への対抗策一つ示せないような野党に、自民党を超える存在感を期待することはできない。(えんどう こういち)

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2013年5月28日 (火)

おかしくない?

従軍慰安婦発言について、橋下市長がテレビの政治番組に出たり、外国特派員協会で質疑応答したり、孤軍奮闘している感がある。

その姿をマスコミが「言い訳ばかり」と報道する。

批判するから、それに対して説明をすれば「言い訳ばかり」とは、いったいどうしたら納得するのか。

マスコミに登場する評論家やコメンテーターや世間は、橋下発言の何を批判しているのだろうか。

まったく論理的じゃない。

なんでもいいから早く失脚しろと言ってるようにしか見えない。

橋下氏は最も大きな批判の的になった「アメリカ軍への風俗活用の勧め」については、謝罪して発言を撤回している。

その外の発言はおかしなところなど一つもない。

いったい何を批判しているのだろうか。

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関連記事:
 「女性の人権」
 「たまちゃん、偉い!」

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2013年5月24日 (金)

存在の確率

SFを好んで読んでいたのは、18歳から20歳くらいまでのわずか2年間ほどで、短い間に色々なジャンルのものを堪能しましたが、熱狂的なファンが多いというJ.P.ホーガンの小説も私の時代にはまだ出現しておらず、「星を継ぐもの」も「未来からのホットライン」も読んでいません。

最近、ビッグコミックという漫画雑誌に星野之宣氏が劇画として連載したことで、この2作品を知りました。
年を取ったせいか、おおまかな筋としてはわかるものの、細部が理解できないことが多く、多分小説で読めばもう少しわかりやすいのかもしれないな、と思いながらも、もうSF小説を読もうという気力がありません。

時間ものの「未来からのホットライン」のほうが気に入りましたが、その中に猫が登場します。
猫が高価なティーカップを引っ掛けて割ってしまうのを、数分後の未来から「猫に気をつけろ」というメッセージが届き、未来の自分が発したその警告により、カップは割れずに済みます。

小説にこういうシーンがあるのかどうかは知りませんが、この猫の名前がシュレディンガーと言います。

「シュレディンガーの猫」というのは、物理学者のエルヴィン・シュレディンガーが提唱した量子論に関する思考実験の名称だそうです。

週刊新潮に連載されている科学作家の竹内薫さんのエッセイは「シュレ猫」との会話形式になっていることが多く、おそらく竹内さんちのペットの猫はシュレディンガーという名前がつけられているのでしょう。

「シュレディンガーの猫」は、一般的な会話の中で使われることはあまりないでしょうが、科学者やSF・科学マニアにとっては親しみ深い言葉なんでしょうね。

因みに、中学生の頃、帰り道が途中まで同じだった友だちと「バイバイ」と別れ、曲がり角を曲がるところまで見送り、姿が見えなくなった後、ふと「姿が見えなくなったということは、もしかしたら存在しないのかもしれない。だって私が見てないのだから」と思ったのですが、ずっと後にあれは量子論に通じることだったのではないか、と考えたことがありました。ぜんぜん関係ないのかもしれないけどcoldsweats01

single40さんの記事を読んで、なんとなく思いました。この世のこともあの世のこともすべて神さまの思し召しなのかなあ、と。

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関連記事:「追悼 池田晶子様」

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2013年5月20日 (月)

たまちゃん、偉い!

今朝のワイドショー「モーニングバード」で例の橋下徹大阪市長の従軍慰安婦発言に関して、メインキャスターの赤江珠緒さんの指摘が簡潔で正しく、普段からお気に入りのアナウンサーでありますが、ますます好きになりました。

並み居るコメンテーターたちが、口々に橋下氏を批判する中、彼女はこのように言いました。

「言い方に問題はあったのかもしれませんが、ではなぜ従軍慰安婦のことがいまだに問題になり続けるのでしょうか。デリケートな問題だからと今まで触れないで来たことがこのような事態を招いているのではないでしょうか」

その通りだと思います。

それでもコメンテーターの青木理氏などは、なおも「せっかく外交で今まで築いてきたものをこんな発言で台無しにしてしまった」などと言い募るのです。

この人こそ、せっかく一人の女性が勇気ある、しかもごく当たり前の発言をしたのにそれを押さえつけ、国際社会での誤解を正すチャンスを台無しにしてしまうような行為をしていることに気がついていません。

いったい「せっかく外交で今まで築いてきたもの」とはなんでしょうか。
なぜこれほどの年月が経っても、日本は捏造や誤解による不当な非難を浴び続けなければいけないのでしょうか。

「発言は理解できるが、なぜこの時期に」などと言う人を多く見かけますが、それでは「言ってよい時期」とはいつでしょうか。

たとえ、3ヵ月後でも一年後でも3年後であったとしても「なぜこの時期に」と批判するに決まっています。結局、この問題に関しては「言ってよい(悪い)時期」などというものは存在しないのです。

旧日本軍が大勢の韓国女性を「強制連行」し、「sex slave(性奴隷)」として虐待し続けた、などという事実無根が国際社会で広がり定着するのを是非とも阻止して誤解を解かなければならないのは無論のこと、「売買春が合法であれ非合法であれ世界中に存在する」という実態をまるで聖人君子のごとく忌み嫌うという欺瞞を欺瞞として受け止める度量だって必要です。

橋下さん独りを悪者にしている男どものずるい態度にひきかえ、正論を静かに語る赤江さんのあっぱれな態度はどうでしょう。

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維新の会の支持率が落ちているそうですが、こんなことで橋下さんをつぶしてしまっていいのか、ということも考えなければなりません。

橋下さんのような人をつぶしてしまえば、今まで日本が抱えてきて国民みんながうんざりしてきた政治や行政の問題点は、結局何も変わらないことになると思いますよ。

景気が良くなってきたから、もう改革なんかいいじゃないか、ということなのかなあ。結局カネか。

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2013年5月14日 (火)

女性の人権・・・

昔、知人にN君という脳性麻痺で体の不自由な男の子がいました。
出産時トラブルによる重い障害を抱えながら、家族や周囲の人々に支えられて精一杯生き、30年前、29歳の生涯を閉じました。

私は2・3歳ぐらいまでのN君しか知りませんが、お父さん譲りの大柄な体と聡明さを備えた青年に成長したと人づてに聞きました。

歩行も言葉も意のままにならない不自由さを抱え、年頃になったN君は好きなお酒を飲んで酔った時など周囲に「僕、結婚したいねん」と言うことがあったそうです。
それを聞いた時には胸がつぶれる思いがしたものです。

恋愛がしたい、女性に癒されたい、という女性の体を求める男性としての当たり前の欲望を、N君は重い障害ゆえに封印しなければなりませんでした。

今ならセックス・ボランティアという介助もあるそうなのですが、私はこのことの詳しい実態を知らないので、最初に聞いた時、「これらの女性は天使や菩薩にも匹敵するのではないか」と思ったものです。

10代20代の若者の溢れんばかりの性的欲求がどのようなものなのか私は男性ではないので想像することしかできませんが、売春が非合法の日本では男性もいろいろと苦労が多いことと思います。

話は飛びますが、橋下大阪市長の「従軍慰安婦」発言が問題になっています。

論点は二つあると思います。

まず、「従軍慰安婦」という表現について。
「従軍」というとあたかも軍が組織的に強制的に女性を従わせたような印象がありますが、ご存知の通り、そのように捏造した本人が作り話だったと認めて謝罪しています。
「慰安所」を軍の許可を得て業者が開設し、軍が移動するに従って自分たちも移動した、というのが実態だったと思います。
そして、そういう慰安所ならば戦時、どこの国の軍隊にも必要だった、と橋下さんは事実を述べただけでしょう。

二つ目は、戦争という死ぬか生きるかの極限状態の中「女性の癒し」は不可欠だという意味のことを橋下さんが言ったのに対して、テレビのコメンテーターやネット住人や政治家たちが「女性を性のはけ口とするような言い方は言語道断。」と口を揃えたことです。

それは偽善ではないでしょうか。

売春という商売は昔も今も地球上どこにでもあります。それははけ口といえばはけ口なんです。当たり前でしょう。

みんな本音は橋下さんと同じことを思っているくせに、橋下さん一人を悪者にして非難している。なんてずるいのでしょうか。

美しい恋愛関係だけにセックスが許されるのだ、などとまさか本気で思っているわけではないでしょうに。

女性なら誰でもいいとはならないでしょうが、それでも、この熱い体をなんとかしてほしい、慰安婦さんありがとう、と心から兵隊さんたちが満足したならば、なぜそのことをそんなに罪悪扱いするのですか。

しかし考えてみると「買春は悪」という反応は、男性が「草食化」している現代ならではの現象なのかな、と思わないでもありません。

現代の男性にはたぶん買春は不要であり、汚らしいものなのかもしれません。

それでも、70年前の健気な男たちが戦場で渇望したものを現代の視点で否定するのはおかしいと思います。

自分の勝手な価値観で昔の人を裁くのはいい加減にやめませんか。

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2013年5月12日 (日)

勝つための戦略

お鍋を買おうと隣町の大手スーパーマーケットに行きました。
鍋やフライパンの陳列棚に赤い字で“made in Japan”と書かれたテープが貼られていました。
その文字が誇らしげでなんだか胸を打たれ、新潟県で作られた3000円のお鍋を買いました。

横には中国や韓国で生産された製品もたくさん並べられていました。
そちらはとても安いので気は引かれますが、考えてみるとお鍋はとても長持ちします。
結婚以来使っている鍋が三つもまだ健在なので、やはり高くても日本製の良いものを買っておくと結局お得だなあと思います。

フライパンは結構買い換えるので、あれは消耗品なんでしょうか。それとも私が気づかずに外国製品ばかり買っていたせいでしょうか。
でもフライパンは日本製ってほとんどないような気がします。もう中国韓国の安い製品に負けてしまって作らなくなってしまったのでしょうか。

まあそれは市場のメカニズムで仕方のないことだとは思いますが、私としてはできるだけ日本製品を応援していきたいと思います。

ただし、これは中国韓国製品不買運動や排斥運動とは気持ちがまったく違うと思います。
あくまでも“made in japan”応援運動です。結果的に同じことになるかもしれないけど、やっぱり違う、違うと思います

                                                                                       .
先日、安倍首相の奥様の昭恵さんが韓流ミュージカルを見て「楽しかった」とfacebookに書いたら批判が殺到したそうですが、なんでもかんでも韓国はけしからんという態度はやめたほうがいいと思います。

良くないことは良くない、でもここはとても良いから認める、という姿勢を見せるのが大人の対応というものではないでしょうか。
でなければ、こちらの言い分も聞かず「なにがなんでも日本が悪い」と責め続ける中韓と同レベルになってしまいます。

「韓流が好きなのはわかるが、炎上が予想されるのにあんなことをネットで書く昭恵さんが悪い」という意見もあるようですが、それは違うと思います。

「極右」などと批判されている安倍首相の夫人が韓流ファンだという事実は韓国の人々の日本に対する猛々しい心を少しは和ませるんじゃないでしょうか。

文化交流は大事だと思います。交流によって日本人は世界一穏やかな民族だということがわかってもらえます。

日本人がいかに穏やかでも、中国や韓国の政府としては自国の国益というものがありますから日本より優位に立つための卑怯な言動をやめることはないと思いますが、国民レベルでは人間同士の穏やかな交流は相互理解のために効果的だと思います。  

ずっと前ですがこんな記事書きました。→「中国人は悪くない」

じわじわ浸透させる、そういう作戦でいきましょうhappy01

コウイチさんの「中国と韓国については市井(ネット)の声が政府を突き上げるばかりの格好になってしまうのもどうかなと思います」というご意見を受けて、ネットで威勢の良い嫌韓や反中について書いてみました。

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2013年5月10日 (金)

いじめられてオドオドするのはもういやだ

一昨日のBSフジ「プライムニュース」での櫻井よしこさんの憲法改正や国際社会での意見表明についてのお話は明快で毅然として且つ爽やかで上品で本当に惚れ惚れしてしまいました。

政府内にこんなに上手に語ってくれる人はいるのでしょうか。
外国相手にこんなに磐石の論理で抗議してくれる人はいるのでしょうか。

ジャーナリストや評論家の弁舌と現実の外交は違うのでしょうし、櫻井さんが外務大臣になったとしても、同じことを外国相手に言うわけにはいかないのかもしれませんが、せめてあの半分ぐらいでも言えたらなあと、じれったく思います。

いや、ここで私ははたと考えます。

中国韓国に対して、なぜ正論を言ってはいけないのでしょう?

外交とはそんなものではない、というのは単なる思い込みではないのか?

関係がギクシャクする?

今だって充分ギクシャクしてますよね。

戦争になるのでしょうか?

ならないですよね。

濡れ衣を着せられ内政干渉され脅され続ける日本と、きちんと意見の言える日本、どっちがいいですか?

こんなことは、外交問題以前の、人間としてのプライドの問題ですよね?

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2013年5月 4日 (土)

憲法記念日に思った

憲法とは「国民による国家への命令」なんだそうです。
国家権力が暴走をしないよう、国民が「その権力を縛る」ためのものであり、これを「立憲主義」というそうです。
「主義」というからには、数ある考え方の一つなんだろうと思います。絶対普遍の真理というわけでもなさそうです。

ラジオを聴いていたら、ある社会学者が熱弁をふるっていました。

≪民主主義とは多数決のことではありません。国家の介入を許さない「国民による自治」のことです。頭の悪い人たちはこれを理解しないんですね。≫

この社会学者は自分と考えが違う人たちを「頭の悪い人」と排斥するのが癖のようで、なにかというとこの表現を連発します。

この人は共同体構築による社会の包摂性を育てるべきと常に主張しているのですが、こんなに独善的では人と協調もできず、包摂も共同体もほとんど絶望的だと思うのですが、まあ、それは余談として置いておきます。

早口でいろんなことを言っていましたが、学者のくどくどしい理屈はさておき、今の日本人が自治の精神で国に立ち向かうつもりがあるのかどうかが問題だと私は思うのです。

諸外国の歴史に見られるように、統治者の横暴に耐えかねた国民が立ち上がり、流血の闘いを経て勝ち取った民主主義というものを、日本にあてはめること自体、あまり意味のないことではないでしょうかね。

日本は権力者をしばる必要などないほどに昔から民主主義が成熟していた、という話をよく聞きます。

私も郷土史の講義を聞いたことがありますが、江戸時代の農民が統治者である武士階級に物申すのは珍しいことではなかったようで、村同士の揉め事などを記録した文書によると、合理的できめ細やかな裁定が下されていたことがわかります。農民は虐げられていた、というのはどうも事実ではないようです。

日本人は血を流して国民の権利を勝ち取った経験がない、と言われますが、その必要がなかったと言うべきではないでしょうか。

だいたい、何もかも国に頼ろうとする今の日本国民が、憲法を語る時だけ「国が勝手なことをしないように見張るんだ」と声高に叫ぶのはかなりズレているような気がします。

アメリカのように、国が銃規制をしようとすると「俺たちは自分で自分の命は守る。国は余計な口を出さないでくれ」とつっぱねる覚悟は日本人にはないでしょう。

自主自立の気概もないのに、国は我々を縛るな、我々が国を縛ってやる、というのはなんと言いますか、カラ元気とでも言いましょうか。

だから、もし本当に政治を自分たちのものにしたいと思っているなら、どうすれば国はより良くなるのか考えてちゃんと選挙に参加すること。今の時代これしかないですよね。

江戸期幕藩体制下での地方分権、そしてそしてそれを可能にしていた諸大名と庶民の自主精神、そういった国のかたちと国民の意志がこれからの日本に必要であるというならば、いったい我々は、まずどこをどう変える発想を持たなければならないのでしょうか。まずどこに着手しなければならないでしょうか。

自民党の改正憲法案について、「国民の義務ばかり強調されている。立憲主義の原則に反する。憲法とは国民が国家権力を縛るものだ」と、判で押したような批判を聞くたびに私は思います。

憲法は、「私たちの国はこういう国である」という決め事であり、そこに国民自身の身の律し方を盛り込んで何がいけないんでしょうか。
日本の民主主義はこうなんだ、それでいいじゃありませんか。

立憲主義って、日本の歴史や日本人の美風を考慮しないただの西洋かぶれなんじゃないの、と思ってしまいます。

なんでもかんでも西欧文明が正しいと思い込むのはそれこそ自治の精神に反するように思うのですが。

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