« たまちゃん、偉い! | トップページ | おかしくない? »

2013年5月24日 (金)

存在の確率

SFを好んで読んでいたのは、18歳から20歳くらいまでのわずか2年間ほどで、短い間に色々なジャンルのものを堪能しましたが、熱狂的なファンが多いというJ.P.ホーガンの小説も私の時代にはまだ出現しておらず、「星を継ぐもの」も「未来からのホットライン」も読んでいません。

最近、ビッグコミックという漫画雑誌に星野之宣氏が劇画として連載したことで、この2作品を知りました。
年を取ったせいか、おおまかな筋としてはわかるものの、細部が理解できないことが多く、多分小説で読めばもう少しわかりやすいのかもしれないな、と思いながらも、もうSF小説を読もうという気力がありません。

時間ものの「未来からのホットライン」のほうが気に入りましたが、その中に猫が登場します。
猫が高価なティーカップを引っ掛けて割ってしまうのを、数分後の未来から「猫に気をつけろ」というメッセージが届き、未来の自分が発したその警告により、カップは割れずに済みます。

小説にこういうシーンがあるのかどうかは知りませんが、この猫の名前がシュレディンガーと言います。

「シュレディンガーの猫」というのは、物理学者のエルヴィン・シュレディンガーが提唱した量子論に関する思考実験の名称だそうです。

週刊新潮に連載されている科学作家の竹内薫さんのエッセイは「シュレ猫」との会話形式になっていることが多く、おそらく竹内さんちのペットの猫はシュレディンガーという名前がつけられているのでしょう。

「シュレディンガーの猫」は、一般的な会話の中で使われることはあまりないでしょうが、科学者やSF・科学マニアにとっては親しみ深い言葉なんでしょうね。

因みに、中学生の頃、帰り道が途中まで同じだった友だちと「バイバイ」と別れ、曲がり角を曲がるところまで見送り、姿が見えなくなった後、ふと「姿が見えなくなったということは、もしかしたら存在しないのかもしれない。だって私が見てないのだから」と思ったのですが、ずっと後にあれは量子論に通じることだったのではないか、と考えたことがありました。ぜんぜん関係ないのかもしれないけど

single40さんの記事を読んで、なんとなく思いました。この世のこともあの世のこともすべて神さまの思し召しなのかなあ、と。

.
       いつもありがとうございます 人気blogランキング

関連記事:「追悼 池田晶子様」

|

« たまちゃん、偉い! | トップページ | おかしくない? »

コメント

トラックバック有難うございます。

量子論が我々にとっておさまりが悪いのは、慣れ親しんだ「存在する/しない」という二分論が成立しないせいですね。
あるものは、基本的に「存在する」か「しない」かしか、ない。これは自明だと、我々は考えてきたんです。哲学ですら「我思う。ゆえにわれあり」つまり、存在だけは確かだと。この二分論が弁証法にまでつながっているんです。
ところが、量子論は、そこを揺さぶります。
この世は「ある、ない」ではなくて、あるとないは混在する。あるの反対がない、ではなくて、あるとないの境界はあいまいだし、それは観測=そのときまでわかりません、というのです。
これは、科学観を根本からゆさぶるものですね。

しかし、考えようによっては、まさに未来は無限で、どうとでもなる、と(笑)
我々一般人としては、そんなふうに、お気楽に考えておくのが良いようです。物事を断定してしまえるほど、世の中は単純じゃない。そう思えば、ありふれた「世間知」に近いのかもしれません。

投稿: single40 | 2013年5月27日 (月) 10時57分

★single40さん

>哲学ですら「我思う。ゆえにわれあり」つまり、存在だけは確かだと。この二分論が弁証法にまでつながっているんです。
ところが、量子論は、そこを揺さぶります。<

量子論は思考の主体である「我」の存在をも疑うんですか。
私はこのデカルトの言葉こそ量子論を導き出したのではないかと思っていましたのに。
超ムズカシイ(笑)
次の世は、こんなことがすんなりおさまる脳を持って生まれてきたいものです。
私としては未来にもいつの世でもどこにでも「観測者としての自分」が存在する、と信じてますから。

投稿: robita | 2013年5月27日 (月) 14時00分

コメントを書く



(ウェブ上には掲載しません)




トラックバック


この記事へのトラックバック一覧です: 存在の確率:

« たまちゃん、偉い! | トップページ | おかしくない? »