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2013年5月 4日 (土)

憲法記念日に思った

憲法とは「国民による国家への命令」なんだそうです。
国家権力が暴走をしないよう、国民が「その権力を縛る」ためのものであり、これを「立憲主義」というそうです。
「主義」というからには、数ある考え方の一つなんだろうと思います。絶対普遍の真理というわけでもなさそうです。

ラジオを聴いていたら、ある社会学者が熱弁をふるっていました。

≪民主主義とは多数決のことではありません。国家の介入を許さない「国民による自治」のことです。頭の悪い人たちはこれを理解しないんですね。≫

この社会学者は自分と考えが違う人たちを「頭の悪い人」と排斥するのが癖のようで、なにかというとこの表現を連発します。

この人は共同体構築による社会の包摂性を育てるべきと常に主張しているのですが、こんなに独善的では人と協調もできず、包摂も共同体もほとんど絶望的だと思うのですが、まあ、それは余談として置いておきます。

早口でいろんなことを言っていましたが、学者のくどくどしい理屈はさておき、今の日本人が自治の精神で国に立ち向かうつもりがあるのかどうかが問題だと私は思うのです。

諸外国の歴史に見られるように、統治者の横暴に耐えかねた国民が立ち上がり、流血の闘いを経て勝ち取った民主主義というものを、日本にあてはめること自体、あまり意味のないことではないでしょうかね。

日本は権力者をしばる必要などないほどに昔から民主主義が成熟していた、という話をよく聞きます。

郷土史の講義を聞いたことがありますが、江戸時代の農民が統治者である武士階級に物申すのは珍しいことではなかったようで、村同士の揉め事などを記録した文書によると、合理的できめ細やかな裁定が下されていたことがわかります。農民は虐げられていた、というのはどうも事実ではないようです。

日本人は血を流して国民の権利を勝ち取った経験がない、と言われますが、その必要がなかったと言うべきではないでしょうか。

だいたい、何もかも国に頼ろうとする今の日本国民が、憲法を語る時だけ「国が勝手なことをしないように見張るんだ」と声高に叫ぶのはかなりズレているような気がします。

アメリカのように、国が銃規制をしようとすると「俺たちは自分で自分の命は守る。国は余計な口を出さないでくれ」とつっぱねる覚悟は日本人にはないでしょう。

自主自立の気概もないのに、国は我々を縛るな、我々が国を縛ってやる、というのはなんと言いますか、カラ元気とでも言いましょうか。

だから、もし本当に政治を自分たちのものにしたいと思っているなら、どうすれば国はより良くなるのか考えてちゃんと選挙に参加すること。今の時代これしかないですよね。

江戸期幕藩体制下での地方分権、そしてそれを可能にしていた諸大名と庶民の自主精神、そういった国のかたちと国民の意志がこれからの日本に必要であるというならば、いったい我々は、まずどこをどう変える発想を持たなければならないのでしょうか。まずどこに着手しなければならないでしょうか。

自民党の改正憲法案について、「国民の義務ばかり強調されている。立憲主義の原則に反する。憲法とは国民が国家権力を縛るものだ」と、判で押したような批判を聞くたびに私は思います。

憲法は、「私たちの国はこういう国である」という決め事であり、そこに国民自身の身の律し方を盛り込んで何がいけないんでしょうか。
日本の民主主義はこうなんだ、それでいいじゃありませんか。

立憲主義って、日本の歴史や日本人の美風を考慮しないただの西洋かぶれなんじゃないの、と思ってしまいます。

なんでもかんでも西欧文明が正しいと思い込むのはそれこそ自治の精神に反するように思うのですが。

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コメント

近代憲法というのは、人権の保障と国家統治の基本的枠組みを定めて権力の暴走を防ぐためにあるものです。件の社会学者が「頭が悪い」など侮辱的な表現を使ったのは不適切です。

明治時代に西洋と対等な近代国家となるために定めたのが帝国憲法です。しかし、これは啓蒙専制君主国家プロシアをモデルにしたもので、最終的には天皇による「統帥権の独立」などで人権保護も権力分立も形骸化しました。

立憲主義が嫌なら、王朝貴族の律令、あるいは武家政治の式目や法度に服するだけです。ただ、諸外国はそんな法律を信用して自国民を委ねようとは思わないでしょう。たとえ、それが日本の歴史や美風を考慮したものであってもです。

欧米諸国がイスラム諸国のシャリア法にどのような態度を示しているか、それを見れば一目瞭然です。中国の人権が問題になるのも、そこと経済活動などに従事する自国民を守るためです。

国の仕組みには近代国家として世界の普遍的価値観に合っているかどうかが重要だと思います。日本人の美風なら、文学その他の芸術で追求すればよいことです。

私は間違っても「頭が悪い」なんて傲岸不遜なことは言いません。また感動したな、と爆笑することならあるかも知れません。

あれっ、誰か読んだかな?最後の太字の部分を。

投稿: Σ・亜歴 | 2013年5月18日 (土) 20時40分

★Σ・亜歴さん

>立憲主義が嫌なら、王朝貴族の律令、あるいは武家政治の式目や法度に服するだけです<

いやいやそんな極端なことではなくてですね。
たとえば自民党改憲案や産経新聞社案では「国民の義務」が強調され過ぎているとして、左翼言論は「立憲主義の否定だ」と批判しますよね。
「憲法とは権力を縛るものだ」という思い込みが強すぎて、「国民がなすべきこと」がおろそかにされすぎているのは如何なものか、というだけのことです。
国民主権は国民主権で間違いないですよ。なにも世界常識とかけ離れているとは思いませんね。
イスラムや中国の憲法(あるのかどうかも知りません)がどんなものかは知りませんが、これらの国々の統治システムが国際社会で特別視されることはあっても、日本が独自の憲法を作ったからといってなぜ特別視されたり相手にされなかったりするでしょうか。
国際常識の範囲内で日本人が日本の美風を大事にして憲法を制定するのは何もおかしなことではないでしょう?

投稿: robita | 2013年5月19日 (日) 15時35分

日本人の美風を憲法に盛り込むなら、皇室と国民の関係でしょう。人権保護や統治機構に関する事柄はビジネス・ライクに徹して良いと思います。そもそも雑多な背景を持った人々を束ねるのが法律です。中でも憲法は国家権力を縛ることに徹すればよいと思います。

日本には中国伝来の儒教道徳の他にもののあはれを解する心などによって権力者の暴走を防ぐ思想がありました。力の支配が横行した武家政治でも、これらは重視されました。しかし天皇親政、公家政治、武家政治のいすれにおいても権力の腐敗と暴走は止められませんでした。諸外国でも同様です。だからこそ、権力の腐敗と暴走をチェックするという考え方が近代憲法の土台となりました。

むしろ日本人の美風や国家や社会への義務については道徳教育などに委ねるべきだと思います。必要以上の事柄を法律で縛ると社会が息苦しくなります。また、これから外国人移民を受け入れる気なら、大和魂など憲法で謳うべきではないと思います。

最後に、現憲法についてネトウヨがよく言う占領軍の押し付けというのは間違いです。はじめは日本側に憲法原案を出させましたが、明治憲法と変わらぬものばかり。その明治憲法にしてもドイツ憲法を輸入して少数の天皇重臣が加工したもの。今度作る憲法こそ、本当の国民憲法になるはずです。

投稿: Σ・亜歴 | 2013年5月23日 (木) 13時01分

★Σ・亜歴さん

日本の美風を盛り込むのは主に「前文」ですね。自民党改正案は現行のものよりずっと良いと思います。現行の文章はなんだかちょっと変です。
憲法改正反対派によると、立憲主義や個人の尊重という概念が損なわれているそうなんですが、どこがそのようになっているのか私にはよくわかりません。
「家族は互いに助け合わなければならない」とか「緊急時の国民への要請」みたいなところでしょうか?
それのどこが問題なのかよくわかりません。

>現憲法についてネトウヨがよく言う占領軍の押し付けというのは間違いです<

そうですか?
憲法全体は、押し付けるも押し付けないも、日本側とGHQ側の、憲法というものはこんなもんだという共通認識で作られたのかもしれませんが、問題は9条ですよね。
あれはひどい押し付けですよね。

いずれにしても、われら国民も改正憲法案をこれからじっくり読み込んで、どこかおかしなところはないか必死に研究しないといけないのでしょうね。なにしろ「権力の腐敗と暴走をチェック」しなければならないのですから。

投稿: robita | 2013年5月23日 (木) 22時11分

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