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2013年6月28日 (金)

Let's speak English!

IOCの評価報告書によると、2020年オリンピック開催地候補の3都市の中で東京はなかなか良い評価を得ているようです。

国民の支持の低さや猪瀬都知事の失言などで、どうなることかと心配しましたが、今回の高評価のニュースで希望が見えてきました。

挽回の理由の一つに、都知事のスピーチが挙げられています。

飛び跳ねんばかりのパフォーマンスでカタカナ英語を駆使し、東京のアピールに全力を尽くした猪瀬さんは、恥も外聞もかなぐり捨てる覚悟かどうかはわかりませんが、よくやったと思います。

そのスピーチや、英文でのツイッターを、恥ずかしいとか下手くそだとか批判する人がいますが、文法的な間違いはところどころにあるものの、充分通じます。
知的レベルが高いはずの首都のトップがこんな初歩的な間違いをするのは日本の恥だ、というのが批判者の言い分のようですが、そもそも、なぜ日本人が簡単な英会話さえできないのか、というその大本の理由をあれこれ考えれば、猪瀬さんだけを責めるような問題ではありません。

恥ずかしがり屋の日本人が頑張って英語を話す時、同胞である日本人が重箱の隅をつつくように批判し萎縮させてしまうことが日本人の英語が上達しない理由の一つではないでしょうか。

検索してこんな記事をみつけました。→「猪瀬さんの英語を恥ずかしがる人が恥ずかしい件」 

まったく同感です。
日本人が英語を喋るのをハラハラしながら見てしまったり、変な英語だと恥ずかしがったり、そういうのって日本人特有の現象ですね。
私の経験によると、外国人にはそういう態度は見られません。

間違っていようがなんだろうがちょっとでもその言語の知識があれば喋る、コミュニケーションを取ろうととにかく喋る。特にラテン系の人々はそうです。

何も日本人がラテン系になれとは言いませんが、もう少し肩の力を抜いて中学で習った英語を思い出しながらゆっくりでいいから使ってみればいいのではないかと思います。「あんな英語」とか「あんな発音」とか言いたい人には言わせておけばいいのです。

カナダのブルージェイズという球団に所属する川崎宗則選手が臆することなく英語で叫んだり、インタビューを受けた時に英会話の例文を書いたメモ帳を繰りながらたとえ棒読みでも英語を発しているのを見ると「いいねェ」と思います。
「何を言っているのかよくわからないが、間違いなくチームを押し上げている」とチームメイトに評されている様子をyoutubeなどで見ると、愛すべきキャラクターとして大歓迎されているのがよくわかります。川崎選手はそんな中で少しずつ英語を習得していくことでしょう。

前に記事に書きましたが、数学者の藤原正彦氏は英語教育の前に日本人としての知的レベルを上げる教育をするべきだとして、「グローバルな人材というが、世界へ出たら、勝負は英語やITの能力ではない。教養と人間性の勝負なのだ」ということを言っています。→「なにごとも基礎が大事」

それはその通りで、教養や人間性を育て、誇りある国を目指すことは大前提だと思います。

しかし、そのことと、拙い英語でも喋ってみる、というのは別問題です。
第一、日本人が人間性や教養において外国人より劣っているなんてことはないですよ。
外国人がみな教養高いというわけではない、どころか、安心しなさい、ほとんどがありふれた大衆です。
卑下することはないのです。日本人は平均的に教養が高いほうだと思います。
藤原先生が盛んにああいうことを仰るのは、アメリカの一流大学やケンブリッジ、オックスフォードの学者たちと日常的につきあっていたからということもあるのではないでしょうか。そんなレベルの高い知識人たちとの交流はまず置いといて、一般庶民は普通のよくある会話から出発すればいいと思います。

ただ、これは教育の偏重がもたらしたものだと思いますが、日本人は「日本」を説明することが不得手なのではないかと思います。
恥ずかしながら私も外国滞在中に「日本はどうなの?」と聞かれて答えられないことがよくありました。単に私がバカだったのかもしれませんが、近代史とか天皇制とか今の政治の問題点とか、そういうことに関して日本人はあまり考えない人が多いのではないでしょうか。
授業でディスカッションが盛んに行われるにもかかわらず、私はいつも「大人しい女の子」でした。
先の大戦は日本が侵略して中国や朝鮮の人にひどいことをしてアメリカに負けて、はいおしまい、そんな教えられ方をして、外国の人にいったい日本の何をわかってもらえるでしょうか・・・・と、これは話がそれるので置いておきます。

藤原先生の言う「人間観、歴史観、大局観」を育成する教育はこれからに期待するとして、今の世界で英語が共通語である以上、日本人も恥ずかしがってはいられません。英語を敬遠していてはビジネスでも外交でも損をするばかりだと思います。

そういう私もかなりの恥ずかしがり屋で、だから英語が上達しなかったのだと思いますが、だからこそ、カタカナ英語でいいじゃないか、単語の羅列でもいいじゃないか、とにかく喋ってみよう、と若い人たちにアドバイスができるのです。

まずは、外国からのお客様で日本中がいっぱいになるであろうオリンピックめざして、英語で喋るチャンスをみつけましょう。

オリンピックは色々な面で成長するチャンスだと思います。→人気blogランキング

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オリンピック関連記事: 「何に投資したいですか」  

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2013年6月24日 (月)

生還

人は冒険をしてはいけないのだろうか? 冒険をして失敗した人が叩かれるのを見るたびにそう思います。

ヨットで太平洋横断を目指していた全盲の鍼灸師岩本光弘さんとニュースキャスターの辛坊治郎さんが、三陸海岸沖合いで遭難し、海上自衛隊航空隊によって救助されました。

テレビなどでは「無事でよかった」という論調が主流ですが、ネットではずいぶんと厳しく批判されているようです。

技術が未熟だったのかどうかは知りませんが、救助に多大な税金が使われるとか、辛坊さんの「命がけで助けてくれた。素晴らしい国の国民で良かった」というコメントがわざとらしいとか、意地悪な小姑みたいなこと言ってるなあと思いました。

どんなにベテランでも、どんなに用意周到に準備しても、冒険は冒険ですから危険が伴います。逆に「安全」が保障されているならそれは冒険とは言えないでしょう。

大航海時代の冒険や宇宙開発事業などの国家プロジェクトは人類の進歩に多大な貢献をしますが、個人レベルで冒険に出かける人の勇気が私たちにもたらすものも小さくないと思います。
冒険する人も救助する人も命がけです。命がけだからこそ当事者にも傍観者にも見えてくるものがあり、生きるとはどういうことか考えるようになるのだと思います。

救助にあたった海上自衛隊の救難チームの勇敢さと、水陸両用の国産救難飛行艇「US-2」が世界最高の性能であることを私はこの救出劇で知りました。
自分たちを救ってくれた自衛隊員と日本の技術が生み出した飛行艇の頼もしさを身をもって知った辛坊さんだからこそ「この国に生まれて良かった」という言葉が自然に出てきたのでしょう。

人それぞれ、いろいろな形の冒険をしていると思いますが、80歳という高齢でエベレストに登ったり、あんな小さな船で太平洋に漕ぎ出したりする度胸はやっぱりすごい、簡単に批判できるものではないと思います。

「体を張る」とか「青春」とか「岳」とか、冒険や若者の挑戦について書いたことがありますので、読んでいただければ幸いです。

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2013年6月 9日 (日)

お嫁の貰い手がなくなりますよっ

近頃、若い女性がおいしいものを食べた時「うまい!」と口にするのをよく聞きます。
ちょっと前まで男性専用だった言葉を、女性も普通に使うようになり、男言葉女言葉の区別がだんだん薄れてきています。

昔、少しの間イギリスで暮らした時、通っていた学校の教室で、「日本語で書いた会話文では、文面だけで男性女性どちらのセリフであるかがわかります」と実例を出して説明したことがあります。

とても素晴らしい、と憧れの眼差しで受け止められたのは、欧米の言葉には男女の区別などほとんどないからでしょう。少なくとも日本語に見られるような区別はないと思います。
日本語を誇らしく思った場面でした。

昔の映画の中などでよく女学生が喋っている東京山の手の上品な言葉、とまではいかなくても、喋り言葉が男女で区別され、女性のしとやかさのあらわれとしての女言葉が外国で賞賛されたあの頃が今となってはとても懐かしい。

しかし、昔は女性はもっとしとやかだった、それに比べて今の女性は、などと苦言を呈するにはちょっとためらいがあります。というのも私のような年配の者でさえ世の中の流れに乗ってしまって、男言葉やぞんざいでふざけた言い回しを面白がって使ってしまうことがしばしばだからです。

mugiさんがご自分のブログで、私の記事を引用してくださいました。→http://blog.goo.ne.jp/mugi411/e/82f48321dac3aba65903a923cb1bc843

昔に比べて今のほうがずっと生活しやすいし、人々の気持ちも優しい、というのはたしかだと思いますが、それでも、昔のほうが良かったな、と思える日本の美点もしっかり覚えておきたいものです。

同時に、mugiさんの記事にあった「経済破綻・貧困・戦争がやってきたとき、女たちの人権はまったくない」という引用から、女言葉というのは「女性の時代」でなかった頃の女の武器の一つであったのかもしれないなと連想してしまいました。

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2013年6月 6日 (木)

正直こそ最善の策

もう国会議員でも自民党員でもない元自民党幹部の野中広務氏が中国を訪問し、尖閣諸島の領有権問題に関して「棚上げ論は田中角栄総理と中国との合意だった。私が生き証人だ」と発言したそうです。
「棚上げ論」というのは、「我々より将来の人のほうが知恵があるだろうから、将来世代の賢い解決策に任せよう」と中国が提案したことに対して日本も同意した、と言われているものですね。

元々何の疑いを挟む余地もなく日本の領土であるのに、中国がいきなり自分のものだと言い出して、「しょうがないから棚上げにしよう」とは呆れるほどの図々しさですが、果たして日中でそんな合意があったのでしょうか。

合意があったという記録はどこにもなく、日本政府はその合意自体を「存在しない」と否定していますが、もしかしたら首脳同士の「あうんの呼吸」みたいなものはあったのかもしれません。

そう考えると、田中角栄も情けない人だな、それでも一国の指導者か、と批判したくもなります。

なぜ、「棚上げなど絶対に拒否する。尖閣諸島は歴史的にも国際法上も間違いなく日本のものです」とはっきり言えなかったのか。

たぶん怖かったんでしょうねえ。強い態度で出れば日中国交回復ができないと思ったんでしょうねえ。ぜひとも自分の手で日中国交回復を成し遂げて名誉としたかったんでしょうねえ。

個人的な欲望と中国の本意への誤った認識が、これほどまでに問題をこじれさせた元凶と言えるかもしれません。

野中氏も日本政府に進言して共に善後策を考えるべきなのに、なんで中国にそんなこと言いに行ったんでしょうねえ。 日本を困らせるためとしか思えませんね。

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もう一つ、従軍慰安婦問題も個人の意固地な態度がこじれさせているとも言えます。

韓国に責められ続け、「政府として謝ればもう許してもらえるのではないか」と考えた当時の宮沢内閣の意図で「河野談話」が出され、ありもしないことを「誠に申し訳なかった」などと謝ってしまいました。

しかし、その後も韓国は水に流すどころか、ますます猛々しく言い募り、何かというとこの問題を持ち出して対日本外交のカードに使い続けているのはご承知のとおりです。

日本がいくら強制連行はなかったと説明しても「河野談話があるじゃないか」と根拠にされてしまう始末です。

この河野談話を「間違いだった」とはっきり表明しないかぎりこの問題は終わらないのに、肝心の河野洋平氏は「間違っていない。私は信念をもって談話を発表した」と今でも言い続けているそうです。

この問題の経緯をきちんと考えたらそんな言葉が出てくるはずがないのに、絶対に間違いを認めないのは、やはり個人のメンツを大事にしたいからではないでしょうか。

この問題を大々的に報道した朝日新聞も謝りませんねえ・・・。

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唯一の解決策は「正直」になることなんじゃないかなあと思えてきます。

尖閣棚上げは、「そんなことは絶対に言ってない」ではなく、「そういう雰囲気だったとそちらは理解したのかもしれませんが、あの時は中国がただただ怖かったので場を収めようとしてはっきり言えませんでした」なんて(笑)

河野談話は、「ああ言えばこの問題を終わりにしてもらえるかと思っていたので、不本意ながら、軍や官憲が女性たちを強制連行したなどと言ってしまいました」と。

国として情けないけど、そういう弁明しかないんじゃないでしょうかねえ。

日本はこんなに濡れ衣を着せられて既に充分「情けない国」になってしまっているので、いっそもうひとつ屈辱を乗り越えて、心を晴々とさせたいものです。

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2013年6月 2日 (日)

マスコミという怪物

メロンぱんちさんが「パワー信仰の時代」と題した記事で次のように書いておられます。

≪フェアネスとか正義とか、倫理とか筋としてどうかとか、そういう社会だったものが、近年、急激に、カネとか、コネとか、ロビー活動だとか、多数決は絶対に間違わないのですとか、もう、とにかく、チカラ、チカラ、チカラのある者に対して純粋に靡いてしまうようになっていて、しかも、それが合理的という名の元に決定方法を決定していく…。≫
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たしかにこの世は正義や倫理だけで動いてはいないし、誰もがカネがほしいし、チカラやコネで物事が左右されることもあります。
けれども、一応民主主義や国際法による秩序という認識を世界が共有している現代において、中国韓国の日本に対する誹謗中傷はあまりに酷い。腹に据えかねるとはこのことです。

日本が不当に貶められることを看過できず、このところ従軍慰安婦に関する記事が続くメロンぱんちさんと同様に、私も書かずにはいられません。
こんな流れを作ったのはいったい誰なのか考えてみましょう。

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安倍首相はたしか、日本の誇りを取り戻さなければとか、河野談話の見直しなどを言っておられたと記憶しているのですが、首相になるとそういうことは言わなくなるんですね。

首相の立場でそういうことを言うと外交的に問題になるらしいので、首相でなかった時代の発言は封印せざるを得ないようです。

国の指導的立場にある者が自分の歴史観を述べると外交問題に発展するので、歴史問題は歴史家にまかせるべきなんだそうです。

いったいなんでしょうか、この「外交問題に発展するから」という判で押したような言い回しは。

中国や韓国は権力者たちが自分たちの勝手な歴史観を声高に主張し、日本を貶めるための作り話を世界に向かって宣伝しています。

彼らのように過激で無礼な手法は言語道断ですが、冷静に論理的に正しいことを公式に発信することがどうして許されないのでしょうか。

中国や韓国はやってもいいが日本はしてはならない、という態度は賢明なようで単に日本の不利を招いているだけのように思えます。

そのような態度が問題をかくもこじらせてきたのではないでしょうか。

たとえ外交問題に発展しようと、正当な主張ならば勇気をもって表明したらいいと思うのです。「言うべきことは言うのが外交です」と閣僚もしばしば言います。

外交問題になるからいけない、ではなく、ぜひとも外交問題にしなければならないのではないでしょうか。

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靖国問題にしても、首相は「外交問題に発展するから」と考えて参拝を断念し、「痛恨の極み」などと発言するだけです。

いったい「外交問題に発展してはいけない理由」とは何なんでしょう。

外交問題以前に、為政者自身がマスコミの報道・扇動を恐れているからでしょう。

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従軍慰安婦強制連行について疑問を呈した橋下徹大阪市長は、(ここが右翼の不満とするところなのですが)東京裁判にまで戻って日本の正当性を主張すべきだなどと言ってはいません。歴史のことは学者に委ねるべきだと言っています。

東京裁判の不当性にはどうにも我慢ならないという気持ちもわかりますが、そこから戦後秩序が保たれているならば、それを今さら崩すべきではないでしょう。潔さが必要だと思います。

しかし、「性奴隷」などという全くの嘘が国際社会に定着してしまうのはなんとしても阻止しなければなりません。これは戦後秩序とは何の関係もないことです。靖国参拝問題も同じです。そうじゃありませんか?

なのに肝心の日本人自身が、それを口にした橋下さんを叩き続ける。 発言の中の一番大事なことには触れず、付随して言ったことにばかりこだわって叩き続ける。日本のみなさん、ちょっと落ち着いてください。

私の周りの女性たちで橋下発言に怒っている人は一人もいないのですが、報道によると、女性の7~8割が橋下さんに批判的だといいます。

もう、ため息をつくしかありません。この国の女性はこんなに愚かなのでしょうか。

愚かなどと過激なことを言ってしまいましたが、ここまで言わせるか、というのが正直な気持ちです。

と言いますか、マスコミ(主にテレビ)に誘導されている、というのが本当のところだと思いますので、どうかこの記事をお読みくださいましたなら、この問題の核心はどこにあるのかを知っていただき、マスコミのアンケート調査などありましたら、「冤罪は晴らさないといけません」ときっぱり言ってやろうじゃありませんか。

男は立場やメンツで自由に発言できないというなら、私たち女が頑張りましょう。これは思想の問題ではないので何も恐れることはありません。

そして、マスコミのみなさん、ジャーナリストとしての誇りと使命感をもって真実に対して真剣であってください。
ノンフィクション作家門田隆将氏が指摘しているように →   http://www.kadotaryusho.com/blog/2013/05/post_696.html

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カネより大事なことがあるっていつも皆さん仰ってるじゃありませんか
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 【今まで書いた記事】

    「女性の人権・・・」 
    「たまちゃん、偉い!」 
    「おかしくない?」  
    「勇気を出してください」   

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