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2013年7月31日 (水)

政治の手腕と好悪の感情

夕方のラジオ、ニッポン放送「ザ・ボイス そこまで言うか」を聞いていると、
リスナーからこんな質問が:

「安倍首相は消費税を上げることに慎重だと言われます。一方で麻生財務大臣は消費増税を予定通り来年4月にやらせていただきたい、と言っています。果たして安倍首相は麻生さんのメンツをつぶさずに、増税を先送りすることができるのでしょうか?」

これを受けて、コメンテーターの東京新聞論説副主幹長谷川幸洋氏は次のように言いました。

≪大丈夫。すでにこういうことは経験しています。日銀総裁を選ぶ時、安倍さんは黒田さん、麻生さんは武藤敏郎さんを推していました。しかし、安倍さんが黒田さんを推す意向が強いことを理解し、麻生さんは『首相が決断されるなら自分はそれを全面的に支持する』と言って、きっぱりと引き下がったのです。さすが首相経験者だなあと思いました。首相の決断は重いものだとわかっているのです。自らの分をわきまえているのです。≫

ベタ褒めでした。

長谷川さんに限らず、麻生さんを高く評価する人は多いです。特に男の人はそのようですね。

麻生さんに「男気」を感じるんでしょうかね。

悪いけど、私はどうも素直に麻生さんを評価する気になれないのです。

総理の決断に自分が一歩引き「総理に従います。支えます」と言ったからって、それがそんなに褒められるほどすごいことなの?
誰にでもできそうな気がするんですけど。

それなら最初から余計なこと言わずに総理についていきますという姿勢でいいんじゃないんでしょうか。

男の世界ってそんな簡単なものじゃないんですか?

ま、女性にとっては理屈じゃなく、あの気障な言動が鼻につく、もっと遠慮なく言わせていただけば、気色悪い、というだけのことかもしれません。

たぶん、女性で麻生さんを好ましく思う人はあまりいないんじゃないでしょうか。

男と女の感性の違いなのかなあ(笑)

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2013年7月30日 (火)

幸せな評論家

社会学者内田樹氏の「参院選の総括」

相変わらずの長文で、ざっと読むしかできませんでしたが、
≪政治システムは「よいこと」をてきぱきと進めるためにではなく、むしろ「悪いこと」が手際よく行われないように設計されるべきだという先人の知恵を私は重んじる。≫
≪人々が「スピード」と「効率」と「コストパフォーマンス」を政治に過剰に求めるようになった≫
といった文章が目に入ります。

要するに「劇的な変化は起こらなくていい。話し合いを尊重しながらより良い政策を練り上げていくのが民主主義の利点だ。長い目で見なければならない」ということを言っているのだと思います。
そしてまた、「衆参ねじれが解消されたことは与党の暴走を招くので歓迎すべきことではない」との考えも述べています。

≪選挙制度の違う二院が併存し、それぞれが法律の適否について下す判断に「ずれ」があるようにわざわざ仕立てたのは、一党の一時的な決定で国のかたちが大きく変わらないようにするための備えである。言うならば、「ねじれ」は二院制の本質であり、ものごとが簡単に決まらないことこそが二院制の「手柄」なのである。≫

国民の中には、物事が早く決まらなくても困らない人もいるし、早く決まらなくてはすごく困る人もいると思います。

おそらく内田さんは困らない人なのだろうし、日本の将来にもあまり興味がない人なのだろうと思います。

≪国民国家はおよそ孫子までの3代、「寿命百年」の生物を基準としておのれのふるまいの適否を判断する。「国家百年の計」とはそのことである≫ 
とは書いていますが、今すぐに決めなくては近い将来日本は大変なことになるのであれば、そんな悠長な構え方はどうなんでしょう。「国家百年の計」は当面の財政問題には当てはまらないんじゃないでしょうか。

国民が今自民党を支持しているのはもちろん経済が良くなりつつあるというのが一番の理由でしょうが、持続させるための成長戦略に早く着手しなければならないとなると、規制緩和や民営化を進めなければならず、そうすると抵抗が激しくなり・・・、ということになります。

改革を急がなければ財政は破綻する、という説を信じるならば、大転換を急いだほうがいいと思いますが、このままじっくりと民主主義によって話し合いながら進めていってもまだまだ時間はあるというなら、自民党の内部抗争を我慢して眺めるのも良いでしょう。

日本は明治維新という大改革を経験しています。目立つのは若い志士たちの革命的な動きではありますが、新政府のしくみや政策は旧幕臣たちによるアイデアが中心になっていたそうですね。
急進的な改革でなく、とことん話し合いをするべきだというなら、あの明治維新でさえ必要ではなかったのでしょうか。

試しに「明治維新は必要だったのか」で検索してみると、やはりいくつか出てきますね。

答えとしてこんなことが書かれています。
≪「幕府」という組織そのものが腐敗・疲弊していたので内部改革はできなかった≫
≪各藩(薩長土肥)が武力を持ち、徳川に代わって権力を握りたがったので衝突は必然だった≫
≪欧米の帝国主義に飲み込まれないために中央集権の近代国家建設が必要だった≫
≪幕府内に外交ができる人材が育っていなかった≫

内田氏の言うように、「改革」はいつの世も緩やかに成されるべきもので、時間はかかっても徳川の英明な幕臣たちだけで(そして現代においては、自民党内だけで)、守旧派を説得し近代国家への緩やかな移行ができたのかどうか。

要するに「時間をかけていいものかどうか」という問題ではないでしょうかね。

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明治維新がなかったら幕末の数々の面白い物語は生まれなかったでしょうが 
                                                                           
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2013年7月25日 (木)

たからもの

イギリス王室のウィリアム王子とキャサリン妃の間に初めてのお子様が生まれました。
報道ぶりでは世界中が新しい王子の誕生を祝福しているように見えます。
民主主義とか平等とかの現代の当たり前の価値観はさておき、「王家」という高貴で特別な存在に人々は魅きつけられるのでしょうか。

アメリカ在住のジャーナリストによると、アメリカでのメディアの取り上げ方は日本の比ではないそうで、アメリカ人の王室に対する憧れが非常に強いのを感じるということです。

こういう記事を書いたことがあります。→「天皇制について語ってみる」 

多くの人が「物語」や「ロマン」を提供してくれる王家に憧れを抱くものと思いますが、我が国の天皇制が世界中のどの国とも違う成り立ちであり存在であることを、国民のどれくらいの人がわかっているでしょうか。
征服や革命によって世界中の王家が交代したり消滅していった中で、我が国の皇室だけが(その正統性がどこまで遡れるかは別としても)継続的な一つの系譜で現在まで受け継がれているのは驚くべきことです。

学校で教えられることもなく、一般的会話で語られることも少ない天皇制ですが、この希少性は守るべきではないかと思います。

天皇制打倒を党是としていた政党は、今も天皇制を認めていないかもしれないけれど、いますぐ廃止というのでなく、将来の国民の選択に委ねるという立場に変えたようです。
今の党代表は天皇皇后両陛下を尊重しているように見えますし、前党首も宮中晩餐会に招かれ喜んで出席したことがありました。

考えが変わったのか、または国民に合わせなければ支持が得られないと思ったのでしょうか。

そういう政治的な都合や理屈以前の問題として、天皇制がなくなったら日本が日本でなくなってしまうのではないかと、日本国民として感じるべきものなのではないかと思います。

畏れ多いことで日本映画で人間天皇が題材にされることはありませんが、近く公開されるハリウッド映画「終戦のエンペラー」で、昭和天皇はどのように描かれるのでしょう。

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2013年7月19日 (金)

冤罪_晴らさずにおくものか

胸のすくような文章です。
月刊「正論」8月号、衆議院議員(日本維新の会)山田宏氏の「保守政治家よ 今こそ火中の栗を拾え」

慰安婦制度について、「現在の価値基準によって断罪することはできない」ということ、そして「世界中が(もっと非人道的に)やっていたことをなぜ日本だけが特別非難されなければならないのか」、ということを明快に論じています。

そして、我々日本人が最も声を上げなければならないこと、「慰安婦狩り」「性奴隷」などというありもしないことが本当にあったかのように世界に定着しつつあることに、腹の底から振り絞るような怒りが切々と綴られます。
日本人みんなで共有すべき感情ではないでしょうか。

抜粋:
≪慰安婦問題でなすべきことは、「なぜ日本だけが批判されるのか」という問題提起を、いかにして内外に拡大させていくかである。火中の栗を拾えても(橋下徹共同代表)誰も手をつけなければ意味がない。国際社会で慰安婦問題が取り上げられるたびに、右の問題提起を繰り返し、繰り返し発していくことが必要だ。
こう言うと、もっと冷静になれ__だとか、慎重の上にも慎重に__だとか、大人の対応をしろ__だとか言って、ブレーキをかけようとする人たちがいる。しかし逆に聞きたい。何でそんなに冷静でいられるのかと。実態と懸け離れた不当なプロパガンダによって、自国の名誉が汚されようとしているのだ。大義を信じて戦陣に散った英霊たちが、卑劣なレイプ魔にされようとしているのだ。地団駄を踏んで悔しがっても良いではないか。拳で机をがんがん叩いて反論してもいいではないか。父祖が辱められているとき、我を忘れて激昂することが、そんなにいけないことなのか。
慎重になどというのは、何もしないことの言い訳に過ぎない。大人の対応とやらが何をした。今、日本人に必要なのは、冷静さではなく怒りである。たまには激しく激昂してみせてこそ、反日的な国際包囲網を打ち破ることが出来るのである。
そして保守政治家は、火中の栗を拾うことに躊躇してはならない。橋下発言の問題提起を、馬鹿を見るの喩えにしてはならないのである。≫

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もちろん、地団駄を踏むのも机をがんがん叩くのも比喩ではありましょうが、取るに足りないことばかりにやたら腹を立て、怒るべきことを怒らない日本人への喝として心に強く響きます。

「なぜ囲み取材などで言ってしまったのか。タイミングが悪い。もっと慎重に根回しをしてから言うべき時に言うべきだった。橋下はまるで子供だ」と、多くの傍観者(政治家)が言います。

しかし、慎重に練り上げて言うタイミングを計っていた人が誰か他にいるのでしょうか。
誰もそんなことはしていなかったんじゃないでしょうか。
誰も何もしていなかったくせによく言えるものですね。
こういうのを「卑怯」というのです。

火中の栗を拾った橋下さんを日本人みんなで守るべきだった。私はそう思いますよ。

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2013年7月14日 (日)

国民として共有できること

参議院選挙まであと1週間。きょうの政治討論番組は各党の幹事長クラスの方々が勢ぞろいで、経済問題や安全保障問題について論じていました。

憲法改正や歴史認識についてはそれほど大きな争点にはなってないのかなと思っていたけれど、フジTV「報道2001」もNHK「日曜討論」も各党の意見を引き出すのにけっこう時間を割いていたと思います。
 
私は「日本維新の会」の橋下さんの言うことが一番わかりやすく筋が通っていて共感できました。

しかし日本では、というより世界の国々だって、筋の通ったことを明言する人は政治家には向いていないようですね。はっきり言わないのが政治家らしい賢いやり方なのかもしれません。

だからほとんどの政治家は多弁を弄してあいまいなことを繰り返すばかりで、何を言いたいのかよくわかりません。

特に日本での「あいまいの極み」は憲法9条でしょう。

各党の議論を聞いていると、自民党と橋下さん以外は、たくさん喋るわりにはっきりしません。
民主党の細野幹事長の意見など、何言ってるかほとんどわかりません、私。

共産党や社民党など護憲政党の言うことはいつも同じです。
「憲法9条の理想を世界に広げていかなければならない」

世界の国々は自国の国益のために行動するのですから、日本が改憲しようがしまいが、そんなことには関係なく争う時は争います。
もし日本が先頭に立って憲法9条を世界に広めようと本気で思うなら、強くなって覇権を握り、それを各国に力で強要するしかないんじゃないでしょうか。

護憲派はこうも言います。
「日本は侵略戦争をし、夥しい数の人が死んだ。その反省の上に立って憲法9条ができた。だから憲法9条を守らなければならない」

世界の国々の中で侵略をして人殺しをしたのは極悪な日本だけだとでも言いたげな不思議な論理です。

参院選後に政界再編が起きるかもしれないという予測もありますが、護憲改憲問題は政界再編の軸などではないと思います。
国民一人ひとりが憲法について考えることは重要ですが、国家防衛の基本は国論を二分するたぐいの問題ではないはずです。
保守もリベラルも右も左も、一つの国家を成している以上、自分たちの国は自分たちで守るという自主独立の精神を共有するのは当たり前のことと思います。
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2013年7月 9日 (火)

日本国憲法

ちょっと前、橋下大阪市長が竹島について「日韓で共同管理にもっていくしかないのではないか」と発言して、売国奴だ、正体を表した、などと批判されたことがありました。
私はあの時橋下さんの言うことはもっともだと思いました。だって、現実に竹島は韓国に盗られてしまって堂々と支配されてしまっています。日本が本当に取り戻したければ戦争するしかないわけで、いくら「あれは日本の領土だ」と言い続けても還ってくるわけがないと思います。

「共同管理」という着地点を得ることさえ非常に難しいのではないかと思います。実効支配をしている韓国がそんな話に乗るわけがありません。
竹島や北方領土は強引に奪われてすでに長い年月が経過し、人々の生活の場として定着しています。

街中の案山子さんのブログで紹介されていた川口マーン恵美さんのコラムを読みました。  

「領土問題というのは実効支配をした者が勝つ。そして、実効支配にはそれを裏付ける軍事力が必要だ」ということが、わかりやすく書かれています。

日本はアメリカ製憲法によって軍事力を持ってはいけないことになっているので、憲法を守れば領土を守ることができないということになります。
そのためアメリカという強国と同盟を結んでいるわけですが、自分で自分の身を守れない国家体制であるため、発言力がありませんしどうしても卑屈になってしまいます。

日本では長年の「平和教育」によって「憲法9条は平和のために絶対必要だ」と信じて疑わない人がまだまだいますが、このような日本人マインドを最も喜んでいるのが、日本から領土を奪ったり我が同胞を拉致した国々であろうと思います。彼らにとっては日本の憲法9条は実に都合の良い道具として利用されます。

逆に、憲法9条を堅持することで、私たち日本人にとって何かメリットはあるのでしょうか。

憲法9条を人類の理想として掲げておくべきだ、という意見はよく聞きますが、日本の自衛隊は明らかに軍隊で、米軍との合同演習もしますし、海外派兵もされます。
平和維持協力隊として活動しているわけです。
国土への侵略があれば戦わなければなりませんし、国際社会の一員であることや軍事同盟を考慮すれば集団的自衛権の行使も必要になってきます。

その現実を認識する時、憲法はこのまま変えなくていいのだと主張する平和主義者の言うところの「理想」とはいったい何なのだという疑問が湧いてきませんか。

憲法9条というお題目のために、何かをしようとする時いちいち制限があり、自衛隊が現場でどれほど苦労しているかという話は防衛関係者OBの話としてよく耳にします。
拡大解釈や特措法の制定にも限界があるでしょう。

9条改正とは、要するに現実に合わせて憲法を書き換えるという単純明快なことなのではないでしょうか。

改定しても、もちろん平和主義の精神はそのままに、矛盾しているところを正すだけなのだから何も恐ろしいことなどないと思うのです。

自民党の改定草案でも平和希求の理念をちゃんと掲げているのに、改憲に反対する人たちはなぜ反対するのでしょうか。

護憲派の「理想」とはいったいどういうことなのでしょうか。
     
街中の案山子さんの記事やそこにつけられたコメントを読んで、みんなで国土防衛について考えませんか。

そんなことより景気回復だ財政再建だ、という声が聞こえてきそうですが、国家体制は国の土台です。同様に教育も国の土台です。なおざりにしていいわけがありません。

選挙の時は教育問題は後回しにされがちですし、憲法改正問題も今回の争点になっていないようです。
でも、土台がしっかりしていないから、長年私たちが悩まされているさまざまな問題がなかなか解決できないのではないだろうか、私はそのように思います。 

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関連記事:

「変節しよっかな~」  

「独立宣言」 

「平和への道」 

「領土なんかいらない」 

「我々のやり方のほうが正しいのだっ」

「平和教育のゆがみ」 

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