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2013年7月 9日 (火)

日本国憲法

ちょっと前、橋下大阪市長が竹島について「日韓で共同管理にもっていくしかないのではないか」と発言して、売国奴だ、正体を表した、などと批判されたことがありました。
私はあの時橋下さんの言うことはもっともだと思いました。だって、現実に竹島は韓国に盗られてしまって堂々と支配されてしまっています。日本が本当に取り戻したければ戦争するしかないわけで、いくら「あれは日本の領土だ」と言い続けても還ってくるわけがないと思います。

「共同管理」という着地点を得ることさえ非常に難しいのではないかと思います。実効支配をしている韓国がそんな話に乗るわけがありません。
竹島や北方領土は強引に奪われてすでに長い年月が経過し、人々の生活の場として定着しています。

街中の案山子さんのブログで紹介されていた川口マーン恵美さんのコラムを読みました。  

「領土問題というのは実効支配をした者が勝つ。そして、実効支配にはそれを裏付ける軍事力が必要だ」ということが、わかりやすく書かれています。

日本はアメリカ製憲法によって軍事力を持ってはいけないことになっているので、憲法を守れば領土を守ることができないということになります。
そのためアメリカという強国と同盟を結んでいるわけですが、自分で自分の身を守れない国家体制であるため、発言力がありませんしどうしても卑屈になってしまいます。

日本では長年の「平和教育」によって「憲法9条は平和のために絶対必要だ」と信じて疑わない人がまだまだいますが、このような日本人マインドを最も喜んでいるのが、日本から領土を奪ったり我が同胞を拉致した国々であろうと思います。彼らにとっては日本の憲法9条は実に都合の良い道具として利用されます。

逆に、憲法9条を堅持することで、私たち日本人にとって何かメリットはあるのでしょうか。

憲法9条を人類の理想として掲げておくべきだ、という意見はよく聞きますが、日本の自衛隊は明らかに軍隊で、米軍との合同演習もしますし、海外派兵もされます。
平和維持協力隊として活動しているわけです。
国土への侵略があれば戦わなければなりませんし、国際社会の一員であることや軍事同盟を考慮すれば集団的自衛権の行使も必要になってきます。

その現実を認識する時、憲法はこのまま変えなくていいのだと主張する平和主義者の言うところの「理想」とはいったい何なのだという疑問が湧いてきませんか。

憲法9条というお題目のために、何かをしようとする時いちいち制限があり、自衛隊が現場でどれほど苦労しているかという話は防衛関係者OBの話としてよく耳にします。
拡大解釈や特措法の制定にも限界があるでしょう。

9条改正とは、要するに現実に合わせて憲法を書き換えるという単純明快なことなのではないでしょうか。

改定しても、もちろん平和主義の精神はそのままに、矛盾しているところを正すだけなのだから何も恐ろしいことなどないと思うのです。

自民党の改定草案でも平和希求の理念をちゃんと掲げているのに、改憲に反対する人たちはなぜ反対するのでしょうか。

護憲派の「理想」とはいったいどういうことなのでしょうか。
     
街中の案山子さんの記事やそこにつけられたコメントを読んで、みんなで国土防衛について考えませんか。

そんなことより景気回復だ財政再建だ、という声が聞こえてきそうですが、国家体制は国の土台です。同様に教育も国の土台です。なおざりにしていいわけがありません。

選挙の時は教育問題は後回しにされがちですし、憲法改正問題も今回の争点になっていないようです。
でも、土台がしっかりしていないから、長年私たちが悩まされているさまざまな問題がなかなか解決できないのではないだろうか、私はそのように思います。 

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関連記事:

「変節しよっかな~」  

「独立宣言」 

「平和への道」 

「領土なんかいらない」 

「我々のやり方のほうが正しいのだっ」

「平和教育のゆがみ」 

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コメント

引用ありがとうございます。
長い歴史の中で、国防とはどういうものであったか。「平和が好き。平和主義者なんだ」と唱えていれば済むものではない、ということを歴史を知ることによって、国とはどういうものかを理解するところからスタートなのだと、つくづく思うようになりました。
隣国が悪い、とか、たまたま嫌な国がお隣だ、とか言っても始まらない。隣に利益相反する国がある、のは古今東西、古来からよくあること、国家間とはそういうものなんだと、そうも思うようになりました。私たちの国は、有史以来、海洋という絶大な効果をもつ城壁にかこまれて、どれだけ国防で得をしてきたか。軍事技術が発達して、海洋など無問題になって、今驚いているけれど、陸続きの国は、長らく領土、境界のせめぎ合いと融和を経験してきているのでしょう。
ネット社会に突入して、使い方によっては、よい広報もできるはずです。
誰が読んでも「?」な条項のままにしておくのか、
「実情に合わせる⇒軍事力増強⇒派兵・侵略」では、決して、決して「違う」という「広報」をすることは、不可能なのか。…識字率が高いはずなのに…。

川口さんの文章、ほんと読んでみてもらいたいものです。
記事掲載、ありがとうございました。

投稿: 街中の案山子 | 2013年7月10日 (水) 10時04分

★街中の案山子さん

仰るように日本は島国で、海のおかげで周辺国と余計な摩擦を起こさずに済んだということがあるでしょうね。
同時に、その分、揉まれてもいないわけで「いったい誰が攻めてくるというのだ」という安心感のようなもの、加えて戦後平和教育が長らく日本人の心を支配してきたように思います。
それでも、拉致だとか尖閣とかの問題によって、油断してはいけないということを日本人は学びましたね。

>ネット社会に突入して、使い方によっては、よい広報もできるはずです<

そうですね。現実の社会ではこういう話、少なくとも突っ込んだ話をすることはほとんどありませんが、ネットなら色々な人が読んでくれます。
できるだけ多くの人にアクセスしてもらいたいですね。

ところで、そちらの記事(お母様のお見舞いに関するもの)に昨夜コメントしたのですが反映されてませんね。ボタン押し忘れたのかもしれません。良いご家族だなあと思ったもので、ほんの一言ですが。

投稿: robita | 2013年7月10日 (水) 21時52分

延々と、遅々として、というか、塩野七生さんの「ローマ人の物語」(文庫で43巻あり)を読んでいます。紀元前からのローマ共和制、その後の帝政時代が、当時(2000年も以前にですよ)や後年の歴史学者たちによって記述され、研究されています。覇権の実際が書かれています。欧米の政治家、エリートたちは、こんな人類の辿ってきた過去を知った上での、「今、戦いを避けるにはどうあるべきか」を模索していると、推測しています。覇権のために残虐な血がどれほど流れてきたか。だから、「平和であり続けるために」ただ「戦は嫌だ」の旗印を揚げるだけでは継続は難しい、外交は簡単なものではないのだと思うのです。
コメントの件。「?」なにも細工していませんので、クリックし忘れかも、…弟夫婦に助けられて、私、ほんとラッキーなのです。

投稿: 街中の案山子 | 2013年7月11日 (木) 07時18分

★街中の案山子さん

>「ローマ人の物語」

前に読み始めたんですが、なんだか読みにくくてすぐやめてしまいました(--;)だめですね。
また挑戦してみようかしら。
人類の歴史とはまさに戦いの歴史なんですね。
特に我が国は「話せばわかる」が通らない国々で囲まれているので、憲法前文の「平和を愛する諸国民の公正と信義に信頼して」という箇所などあまりに現実離れしていて笑ってしまうほどです。

>弟夫婦に助けられて、私、ほんとラッキーなのです。<

街中の案山子さんが潔いなと思いました。

投稿: robita | 2013年7月11日 (木) 23時05分

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