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2013年8月31日 (土)

夢のあと

独身のころ、近くに住んでいた姉が幼い子どもたちを連れてよく実家を訪れました。
私は子どもたちが可愛くて、それこそいじくりまわすように可愛がりました。

夕方、彼らが帰った後、すっかり静かになった家のあちこちに、おもちゃだとか、他の部屋から持ってきたらしい小物などが転がっているのを見ると、ああ、ついさっきまでここに子どもたちがいたのだなァと余韻を楽しむような寂しいような気分になったものです。

kayoさんのブログ記事のタイトル、まさにこういう感じなのです。 →「静けさや 子や孫達の 夢のあと」

私はまるで孫を愛おしむおばあちゃんのような叔母さんだったのですね。

単純に子供好きなので、私は子供を3人持ちました。

でもまだ彼らは独身で、当然孫もいませんが、いつかは結婚して子供を持ってほしいと思います。

子孫をできるだけたくさん残したいというのは生き物の本能であり願望ですが、人間は全く別の価値観をも身につけてしまったがために、子孫をたくさん残すことに執着しなくなりました。
優先すべきは個人の能力の発揮であり、結婚にも出産にもあれこれ理屈をつけるようになりました。
嘗ては、それこそ有無を言わさぬ勢いで男女はペアになり子供を産んでいたのですけれどね。

「娘(息子)が結婚しない」「嫁(娘)が子供を産まない」などという親の悩みはもう珍しいことでもなんでもない時代です。

若い人が子供を産まなくなったのにはさまざまな理由があるでしょう。
「ただ産みたくないから産まないんじゃないんです」というのも本当だと思います。

すべては時代の変化なんです。どうしようもない。

産経新聞に連載中の小説「ミッション ・ 建国」(楡周平)で子供を持たない選択をした若夫婦の描写があります。

≪32歳同士の夫婦。共働きでお金には不自由しないが、妻は優秀で頑張ってキャリアを積んできた。
子供がほしくないわけではないが、仕事がチームで動いている以上、出産育児はその足並みを乱すことになるので仕事を辞めざるを得ない。今までの苦労が水の泡になる。
出産や育児に関する支援制度がいくら整えられたとしても、全てうまくいくわけがなく自分のキャリア形成に子供の存在が負担となる。≫ といった主旨です。          

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お金がなくて産めない人も多いかもしれないけれど、キャリア志向の女性が産みたがらないというこういった事例も話によく聞きます。

大局的に物事を俯瞰すれば、個人の願望が集積した結果子供がいなくなると国の存亡にも関わることになりますが、国が滅びたらキャリアも何もないのではないだろうかと思ってしまいます。

でも仕方がありません。個人は国なんぞのために生きているわけじゃない、と誰もが思っているのですから。   

マグロだってそうです(突然マグロの話になりますが)。
日本人がマグロを食べ過ぎるので、マグロの資源量は危機的状況なんだそうです。今朝の「ウェークアップ」でやってました。
養殖技術の開発も進行中ですが、まだそんなに効率は良くない。しばらくの間みんなで食べるのをやめれば回復するそうなんですが、食べるのをやめろというわけにもいかない。

寿司店などで実際に食べている人にマイクを向けると、
「食べられなくなるのは困ります」
「マグロ大好きですから」
などと言いながらマグロを食べる手が止まりません。
でも、
「マグロばっか食ってんじゃねーよ、このバカちんが」とも言えず、漁獲制限や養殖技術の向上に励むしかありません。
   
かように個人の自由と全体の利益は両立することが難しいのです。

でも、自分の子供たちだけには(また子供の話に戻ります)、「子供」という何物にも優る宝物を慈しむ経験だけはしてほしいなと思います。
それは個人的な幸せですが、考えてみれば、「国のためになる行動をする」というのも「自己満足」という個人の幸せと言えるかもしれません。

自己満足なんぞを少子化の話に持ち込んじゃいけませんね(笑)

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2013年8月24日 (土)

世界はひとつ その2

街中の案山子さんのところで、ドイツ在住の作家川口マーン恵美さんの記事が紹介されています。
年配者から見た若者の理想主義的考え方について、川口さんの娘さんたちへの姿勢はとても好感が持てます。
現実的なことを懇々と言い聞かせるのでなく、娘さんたちの「若気の至り」には疲労感を覚えるものの、若さゆえの人道的思想に理解を示し、爽やかさを感じるともいいます。

私も若いころは平和や平等を夢想する者でしたが、年配者となった今でも理想は必要なものだと思っています。

いずれ国境はなくなるとも思っています。左翼的な発想から、というより、それは人間には止めることができない自然な流れとしか言いようがないのではないでしょうか。

インターネットの発達や経済のグローバル化がこの先どうなっていくのか。
世界の国々は、未来永劫、それぞれの政府の方針や施策によってお互いぶつかり合いを続けていくのか。

「ぶつかり合いは良くない」「譲り合って仲良くしよう」「まずは世界政府実現に向けて世界中で議論しよう」・・・とまあ、こんな話し合いのような流れではないのは確かでしょう。

やはり、経済、情報、人間の行き来の急速なグローバル化によって世界中が否応なくそういう流れに巻き込まれてしまうのだと思います。

その過程で、歪みや痛みがどれくらい続くのかはわかりませんが、ある地域やある人々に不利な状況が生まれたり、とてつもないダメージが及ぼされたりすることも少なくないでしょう。いかな人間の良心をもってしても避けられないことだと思います。

今の世界の経済の混乱を見ていると、どうやら始まりの始まりが始まっているようにも思えます。

その始まりとは、人々が一人ひとり私欲を捨てるなどという瑣末な動きによってではなく、「世界が一つにならざるを得ない」成り行きによって始まるのではないでしょうか。私たちはその「現象」をなすすべもなく見守ることしかできないかもしれません。

共通の法と貨幣で治めなければ、世界秩序がどうにも保たれないというどんづまりに来た時、世界政府の構想に自然に行き着くのではないでしょうか。

ちょうど一年前にこんな記事書きました →「世界はひとつ」 

ところで、先日のニッポン放送「ザ・ボイス そこまで言うか」での、評論家の宮崎哲弥氏の言葉です:

「ヨーロッパと一口に言っても、北と南の国々では価値観がぜんぜん違う。ラテン系の国々ではそこそこ稼いで毎日陽気に楽しく暮らせればそれでいいという考え方だが、それらとドイツに代表されるような、勤勉で上昇志向を持った人々が暮らす国々を一つにしようという発想にそもそも無理がある。
EUなどなかったらギリシャはあんなことにならなかったのではないか。ギリシャは今までも何度も財政危機に襲われている。それでも自国でなんとか切り抜けてきた」

EUの失敗については、おそらく「理想」が入り口にあったからではないのでしょうか。
そしてヨーロッパという「一地域」だけでやろうとしたところに無理が生じたのではないのかなと思います。素人の考えですが。

統一は「人工的に」無理やり作り上げるものではないような気がします。

このコメントで紹介した青山繁晴さんのTPPに関する報告から想像できることは、サービスや物や人が独自に行き来することが世界をひっくり返す大きな原動力になるのではないかということです。それはもう「政治の事情」などから手を離れて勝手に歩き出しているんじゃないでしょうか。

若者たちの近視眼的な甘い理想は年を経るに従って現実的な考えに変化していきます。
私たち人間が生物である以上、生き残りのための戦いを否定することはそもそも矛盾です。

川口さんが「私たちはただ快適に生きているだけで、すでに地球上の誰かを搾取しているのかもしれない」と書いていますが、「人間って生きてるだけで人に迷惑かけてんだから」と、若い頃に年長者から聞いて共感した言葉を思い出します。

生きることとはそういうことだと理解しつつ、人間は本当に単に「はびこるため」だけの存在なのか、に対する答えを見つけようとする時、精神の土台に据えるべきものがやはり理想というものではないかなァと考えたりします。

青山さんの報告の中でもう一つ非常に興味深い話がありました。

「アメリカの次期大統領選挙に立つ候補者がいない。
日本と同じく割に合わない政治家という職業を選ぶ人が少なくなり、政治の世界に人材不足が起こっている。
次の選挙には、中国系あるいは韓国系アメリカ人が出馬してもおかしくない。大統領として当選するのは次の次の選挙あたりだろう。
実際、彼らはそれを目指していて、本国(中国、韓国)の国家戦略として計画している」

オバマという黒人大統領が誕生したことも、すでに白人の中に人材がいないということの現れであると、はっきりとは言いませんでしたが、そのようなニュアンスでした。

昔、バブルの頃に日本人が住んでいたアメリカの住宅の殆どに今や中国系や韓国系の人々が住んでいるそうです。

「この人たちの人口が増え、選挙への影響が大きくなり、本当に中国人韓国人の大統領が誕生すれば、日米同盟はどうなるのか。だから、日本はいつまでもアメリカに寄りかかって安心するのでなく独立しないといけないのです」と力説します。

こういう動きを考える時、いったい「国」ってなんだろうと思いますよね。

国境は大事だけれども、国境は経済発展の障壁になる。国境を低くすれば、民族は入り混じり、アメリカのような現象は他の国々でも起こるかもしれない。アメリカは特殊なのか。

グローバリゼーションという現象は、国境が意味をなすものであり続けるのかと私たちに問いかけます。

世界はひとつになる方向に否応なしに進むのか、未来永劫、国境はなくならないのか、まあ、自分が生きてる間はひとつにはならないだろう、と普通は思いますよね。

4・5年前だったか、外交評論家岡崎久彦氏が、「日米同盟は重要です。国際情勢は変わりますから見直す時もあるかもしれない。しかし少なくともあと10年くらいは強固なものでなくてはいけない」と言っていたのを思い出します。

10年・・・・・、あと5・6年の間に、日本に敵愾心を持つアメリカ大統領が誕生するのが先か、国同士のいがみ合いなど意味がなくなるほど国境がボケたものになっているか。

もちろん可能性が高いのはアメリカ大統領のほうでしょうが、その事自体が世界の大変革をもたらすような気もします。

川口さんの言うように、理想を抱く若者が巨大な山を1ミリ、1ミリ動かすことで世界は地崩れが起きるとは私は思いませんが、いつの日か世界がひとつになることを想像するのは若者だけの特権ではないでしょう。

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2013年8月21日 (水)

強くなるしかない

昨日のTBSラジオ「デイキャッチ」で興味深い話を聞きました。
コメンテーターの国際政治評論家小西克哉氏の話です。

国同士の戦時などの加害に関する謝罪について研究があるそうです。女性学者(どこの国の人かはわかりません)によるものです。

それによると、謝らないほうがその後の両国関係がうまくいっている場合が多いというのです。

一応の和解をした後、あまり本気で謝ると(平身低頭?)、謝った側の保守派の不満の声が大きくなる。すると「ほらやっぱり反省してないじゃないか」と、相手国がさらに激しく非難をし、関係が悪化する。日中・日韓がその状態ですね。

アメリカは20万人の民間人を虐殺した原爆を日本に謝っていない。けれども今日米同盟は強固であり、お互いを頼りとしている。
ヨーロッパの国同士にも、和解の後、きちんと謝罪してはいないのに、同様の関係が見られる。

そんな話でした。

つまり、日本流の「水に流す」というやり方が一番良いというようなことでしょうか。

しかし、日中・日韓の場合、これは不可能のように思えます。

日本はアメリカに謝罪を要求しなかったし、今もあの時のことを謝れなどと迫ったりしません。けれども中国も韓国もそういう国ではないので、いつまでもいつまでも責め続けます。

解決法があるとしたら、こんなことじゃないかと思うんですね →こちら

産経新聞編集委員阿比留瑠比氏のこのコラムによると、韓国の事大主義(強い者に擦り寄る)を利用すればいいのではないか、と。
つまり日本が経済的にも安全保障面でも「強くなる」ことで、相手をおとなしくさせるしかありませんね。 

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コラムが削除される前に貼り付けます

《韓国「事大」と「自大」拍車》
2013.8.16 08:52 (1/3ページ)[日韓関係]

韓国の李明博前大統領の竹島(島根県隠岐の島町)上陸をきっかけに、悪化の一途をたどる日韓関係に関して今年5月、国際政治学者の中西輝政京大名誉教授からこんな見方を聞いた。

 「韓国は事大主義だが、夜郎自大でもある。自分のことを理由もなく『でかい』と思っている」

 まさに言い得て妙である。膨張する中国にすり寄る一方、歴史問題で道理も法理も無視して日本たたきに熱中する韓国のあり方を簡潔に言い表している。

 言うまでもなく、事大主義とは「定見がなく、勢力の強いものに従う主義」のことで、夜郎自大とは「自分の実力も世間も知らず、狭い仲間内で威張っていること」を意味する。

 そしてこの2つのキーワードを用いると、一見不合理・不条理に思える韓国の対日姿勢が理解しやすい。

 そもそも、韓国が対日攻撃を強めだしたのはなぜか。日本からすると、「われわれは竹島問題をはじめ韓国側に対し何もチャレンジしていない」(政府高官)と不思議に思うところである。だが、その理由は竹島上陸直後の李氏自身の次の発言が示唆している。

「国際社会での日本の影響力は、以前と同じではない」

 要するに日本の経済力が低下し、国際的な発言力が弱まったのでもう遠慮はいらないと開き直ったのである。がっかりするような低次元の話だが、韓国の対日認識の一つのありようを象徴しているといえる。

 また、日本の地盤沈下と時を同じくして「主筋」に当たる中国が著しい経済成長を見せ、存在感を高めたことも韓国の日本軽視に拍車を掛けたのだろう。

 韓国が国際的に認知された「日本海」という呼称に難癖をつけ、「東海」と呼ぶよう世界各地で働きかけている問題について、元外務省幹部はこう憤る。

 「韓国は国内では、中国大陸と朝鮮半島の間にある『黄海』のことを『西海』と呼んでいる。そのくせ、中国に対しては一切文句をつけようとしない。彼らは骨の髄まで事大主義だ」

 歴史問題にしても、韓国は朝鮮半島を事実上、支配した中国やモンゴルには、日本に対するような執拗(しつよう)な謝罪要求や内政干渉は行わない。明らかなダブルスタンダードだが、それを疑問に思うこともない。

 「韓国はいまだに中国を中心とした『華夷(かい)秩序』の信奉者なのは変わらない」

 日韓外交筋はこう断言する。就任当初は日韓関係改善への期待が寄せられた朴槿恵大統領にしろ、「就任前から『米中韓』の枠組みには言及しても『日米韓』という言葉は使わなかった。中国に思い入れたっぷりだ」(同)とされる。

つまり、民主党政権が唱えた「台頭する中国に対抗するために韓国との連携強化を目指す」との主張は「片思い」に終わる運命だったのだ。それどころか、朝鮮王朝儀軌の引き渡しなどの「善意」は、かえって対日文化財返還要求の過激化を招いただけだった。

 それではそんな韓国とどう向き合えばいいのか。外務省幹部はこう明言する。

 「日本は経済面でも安全保障面でもより強くならないといけない。彼らは強い者には弱いから、いずれすり寄ってくる」

 韓国の国際世論工作には反論しつつも、基本的には相手にしないのが一番だろう。(政治部編集委員)

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2013年8月20日 (火)

悪いのは偏向教育です

松江市教育委員会が原爆を描いた漫画「はだしのゲン」が子供にとって描写が過激すぎるという理由で、小中学校の図書室で閲覧制限をかけました。
これに対して全国で批判が沸き起こり、市には抗議が相次いでいるということです。

私は「はだしのゲン」を読んだことがないので、「過激な描写」とはどの程度のものなのか知りませんでしたが、テレビなどで紹介されるシーンは確かに残酷で、子供の心に強く刻まれるであろうことがわかります。
しかしトラウマになるほどのものではないように思います。
むしろ、戦争や原爆の恐ろしさは残酷な描写によって教えることが効果的でしょう。

こんなことは普通の大人ならわかることなのに、なぜ松江市はそのような措置をとったのか、ネットで調べてみて、問題はそんなところにはないのではないかと思いました。

広島と長崎に原爆が落とされたのは日本が悪いからだとか、日本兵は中国や朝鮮の人々に極悪非道のかぎりを尽くしたとか、さらには天皇陛下を過激な言葉で貶めるなど、とんでもないシーンがあるそうなのです。

こんな漫画が学校の図書館に置かれ、全国のナイーブな子どもたちに読まれていること、さらに、全世界で翻訳されて読者層が拡大していることを私は愚かにも知りませんでした。

もちろん、子供時代に得た知識は、大人になるにつれて様々な情報を得、誤りや偏りを修正していくのが人間の成長だとは思います。
でも、なぜ日本には日本嫌いの人が多いのか、なぜそういう人たちは戦後の左翼や中国韓国の情報操作をいくら説明しても理解しようとさえしないのかをかねがね摩訶不思議なことだと思っていましたが、子供の頃の強い「刷り込み」に起因しているところもあるのではないだろうかと気が付きました。

「戦後日本人の左傾化に最も貢献した本、それは決してマルクスの「資本論」ではない。幾多の過激で日本人の精神を蝕む有害な書が出版されたが、青少年の非日本人化に最も貢献したのが中沢啓治著『はだしのゲン』である。」とさえ書いているブログもあります。

反日のすべての原因がこの漫画にあるとは思えませんが、この漫画を学校の図書室に置いて子どもたちに読ませるように仕向けたのは、社会主義革命を夢見る日教組だったでしょう。

作者の中沢啓治氏だって、自身が戦後の刷り込みを受けて勘違いをしていたかもしれません。

反日の表現や天皇を貶める描写が何回出てくるのかわかりませんが、子どもたちがこの漫画を読む時、大人たちは「決して日本はこんな悪い国ではなかった」「原爆を落とされたのは日本が悪かったからではない」ということをしっかり教えてほしいと切に願います。

なぜ松江市は「過激だから」という理由しか挙げないのでしょうか。

朝のワイドショー「モーニングバード」では、コメンテーターたちによる「残酷な描写でこそ、戦争の悲惨さが伝わる」といった表層的なコメントばかりが目立ちましたが、唯一、元大相撲力士の舞の海さんが「どんな本を読むかは日本では自由ですから閲覧制限はどうかと思います。あとは先生が偏らない歴史をきちんと子どもたちに教えることが大事ですね」と最も核心をついた意見を言ってくれました。いいなァ、舞の海。

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2013年8月16日 (金)

さっきまで終戦記念日だった

BSフジ「プライムニュース」、今夜のテーマは「若者たちに聞く戦争論」

近頃よくテレビで見かける評論家古市憲寿氏と慶応大学法学部1年の山本みずきさん、それにアドバイザーのような形で津田塾大の萱野稔人准教授の3人。

「国より個人が大事だから侵略されても戦いたくない。逃げる」と古市さんは言い、「自分は女性だから直接戦う行為はしないと思うがサポートする形で国を守りたい」と山本さんは言います。

わずか18歳でこんな風に喋れるの?と驚くほど山本さんは理性的であり、歴史をよく勉強しているので、古市さんに突っ込まれても即答します。

ネットに棲息する、ノリで右翼化した若者とは違うのがよくわかります。

こんな女の子どこから連れてきたの?と思って検索すると、月刊誌「正論」に“18歳の宣戦布告 国家観なき若者に告ぐ”という論文を発表して話題になったのだそうです。

番組では二人の対論が面白かったのですが、それはさておき、新進気鋭の評論家と言われる近頃よくメディアに登場する若い社会学者たちには共通する独特の雰囲気ありますね。

この古市さんや、宇野常寛、荻上チキ氏など、こんな言い方していいかな、なんか「ぬるん」とした感じで男っぽさが皆無。かといって女性的かといえばそんなこともなく、中性的というのかな、いや、もっと何か・・・昆虫・・・?(^^;)

彼らがまた弁が立つんですわ。頭の回転はいいんですね。だから納得させられちゃう人も多いんでしょうね。

でも私は彼らの発信する無機質な理論よりも、国を愛おしむ心を持つ山本みずきさんの人間らしい姿に魅力を感じます。

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2013年8月10日 (土)

東北に行ってきた

南三陸町と気仙沼市へ旅行しました。
海辺の高台にそびえ立つ観光ホテルに泊まり、海の大パノラマや、海鮮料理を堪能しました。
このあたりの津波は23・4メートルもの高さだったそうですが、このホテルが水に浸かったのは2階までで、建物は地震にもビクともしなかったそうです。

夏休みで子供連れも多く、食事をした巨大なダイニングルームは大勢の宿泊客でいっぱいでした。

ホテルが用意した「語り部ツアー」という町の被災地見学にも参加しました。
バス4台が満員になるほどの盛況ぶりで、ホテル側も「皆さんがこうやって来てくださることが復興につながります」と力説します。

とは言え、町を廻ると、草茫々の更地、ところどころに残る廃墟、鉄骨・鉄筋などを積み重ねた山、そんなものが広がっているだけで、何かの建設が始まっているようには見えません。

地元の要望と国の方針とが違うので復興がなかなか進まないという話を聞いていましたが、ツアーガイドもこんなことを言っていました。
「高い防潮堤を作る計画が進んでいるんですが、私たち地元の人間はそれを望んでいないのです。海が見えなくなったらもう元のふるさとではなくなります」
これも報道でよく見聞きする話です。

防潮堤建設は沢山の雇用を生み、地元の建設業が潤って波及効果もある、そういうメリットもあるから、単に一方の話だけを聞くわけにもいかないのでしょう。

長期的視野をもって取り組むのがいいと、第三者は思います。

海岸沿いはまだ鉄道が復旧していないので、移動はBRTという鉄道の軌道上を走る高速バスを乗り継ぎます。

鉄道は魅力的ですが、大変な赤字路線であったことや、また襲ってくるかもしれない津波のことを考えると、このBRTというシステムが定着していくのかなと思います。

バスの待ち時間に、仮設の商店街で買い物をしました。

私は観光地でお土産をあまり買わない人間ですが、今回は沢山買い、宅配便を頼みました。

普段節約して、たまにこうやってパーッと散財(それほどでもないか)すると気持ちがいいものですね。

漁港には、特に有名な観光施設はないし、津波にのまれた土地は荒野になってしまったけれど、ウニやイクラはすごくおいしいです。

帰りの新幹線で食べた駅弁もおいしかった!

       
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