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2014年1月26日 (日)

発想の転換

1月19日産経新聞コラム「小さな親切、大きなお世話」で、作家の曽野綾子さんが「高齢者も働ける社会を」という一文を寄せています。

【夫は先日、満88歳になった。
「昔は88歳なんて人、見たことがなかった。珍品だね」
と夫は言う。
「百年前だったら、『88年も生きてる人間』という珍獣として、サーカス小屋の見せ物になれたかもしれないわね」
と私もレトロなことを言う。
しかし今は「珍獣」どころか
元気な高齢者はどの町にもいる。しかしその生き方は必ずしも充分に議論されていない。高齢者という世代に対する、昔の概念を引きずったままだ。
その現状に、違和感をもつ世代もいるのだ。数日前に会った若い中年は言う。
「お年寄りがお元気なのはいいんですが、ご夫婦でせっせと歩いておられるのを見ると、歩く元気があるならもう少し働かれたらいいのに、と思います」

ほんとうは見かけでは人はわからないのだ。内臓の病気を抱えている人はかなりいる。外見は元気だが、実は痛風でいつも痛みに耐えていた人もいる。
若いときから貧しい家庭に育って働き通してきたから、せめて60歳を過ぎたら遊んで暮らすのを生涯の目的としてきた人もいる。一応元気なのだが、私のように怪我の後、関節が曲がりにくくなって畑仕事ができなくなったのもいるだろう。
日本は個人の希望を大切にする自由な国なのだ。だから、遊んで暮らしたければ、そしてそれが個人的・社会的に可能なら、遊んで生きればいい。

しかし年寄りの中には、2種類の精神的性向がある。遊んでいるのが好きな人と、どんなことでもいいから働いてその生産性によって社会と繋がることを望む人とである。後者が私の周囲には、絶対多数である。どうして政府は年寄りに、収入はある程度安くていいから、体力の許すだけの働く場を作らないのかと不思議に思う。

ある日、わが家の屋根の下に住む高齢者の平均年齢を調べたら、87歳だった。この3人はしかし3人ともまっとうに、肉体労働によって経済的収入を得ている。つまりまだ現役なのである。ただ椅子に座ってお茶を飲んで、時々居眠りをするような生活はしていない。

中国その他アジア諸国の労働賃金が安く太刀打ちできないというが、日本の老齢人口が、安い労賃を承認しながら、「日本社会のために働く」という意識を持てば社会はかなり変わると思うのだが、それは不可能なのだろうか。60歳や70歳で定年退職させるのは、その人が長年培った得難い特殊技能までをみすみす捨てさせるようなものだ。

その代わり、高齢者は、自分の年を考えて後進にポストと高額な給与の道を譲り、自分は「ほとんど道楽か趣味で」ただ日本社会の未来のために、自分の技術と残る体力をささげるという、新しい老後の生活目標の自覚があってもいいだろう。

遊んで生きられる老後は、既に社会の年齢上の人口比が急速に変化してきている以上、不可能になりつつあるが、遊んでいきたい人は遊び、働きたい人は働くという晩年の自由を、すべての老人が得られる社会を創出してほしい。】

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冷凍食品に農薬マラチオンを混入した容疑で49歳の男が逮捕されました。
動機はまだはっきりしませんが、給与に不満があったとも言われています。

中国毒餃子事件以来、冷凍食品の会社は工場を日本国内に移す傾向にあるそうなのですが、人件費を安く抑えなければならない事情がこういう事件の背景にあるのでしょうか。

働き盛りの人にはこれからの成長産業でより多く稼げるように、政府は対策を考えてもらうとして、一方でこういう食品工場で高齢者が働けないものでしょうか。短時間の交代制ならば高齢者にとってもそれほどキツイということはないと思います。 

曽野さんは「どうして政府は年寄りに、収入はある程度安くていいから、体力の許すだけの働く場を作らないのかと不思議に思う」と書いています。
こういった案は政府が作るものなのか、企業が提言するものなのかわかりません。新しい制度を作るのは面倒といえば面倒ですが、その気があればすぐにできることのように思えます。

年寄りをどうやって養うかということばかりじゃなく、どうやって協力してもらうか、という発想もこれからの社会には必要だと思います。社会保障費をどうするか、考えるだに恐ろしい、ならば固定観念からの脱却しかないのでは。

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2014年1月22日 (水)

ホリエモン再び

2週間ほど前だったか、ITベンチャー企業ライブドアの社長だった堀江貴文氏を久しぶりにテレビで見ました。
「中居正広の金スマ」という番組で、離婚で2歳の時に別れたきりの息子さんの話をしていました。
結婚していたことも子供がいたことも知らなかったのでびっくりしましたが、2年ほどの懲役刑を受けたせいなのか、歳を重ねたからなのか、印象が変わったことにも少し驚きました。

どう変わったのか興味が湧いて、近著「ゼロ」を買いました。
育った家庭のこと、東大受験したいきさつ、出会った人々、会社を作ったことなど、面白くて一気に読めます。

時代の寵児などと言われ、マスコミを騒がせて評価が二分されていた頃に、面白い人だと思って私も記事を書きました。→「資本主義への脱皮」 「右や左の限界」 「富豪のつとめ」

「ゼロ」の中で「僕の主張はあの頃と変わっていない」と書いているのは本当だと思いました。
生意気で傲慢に見えたホリエモンが、特に中身が変わったわけではないけれど、やっぱり年月と経験が彼の外面の尖っていたものを削ぎ落したのでしょう。
「人間が丸くなった」ということなんでしょうかね。

本の内容は示唆に富んだものですが、中でも私がなるほどと思ったのは次のような記述です。

「やりがいのある仕事がしたい。
就活中の学生たち、また転職を考えている若者たちの相談を受けるとき、必ずと言っていいほど出てくるフレーズである。
・・・・
しかし、前々から疑問に思っていることがある。
そもそも、やりがいとは「見つける」ものなのだろうか?
どこか遠い場所に「やりがいのある仕事」が転がっていて、それを探し求める宝探しが、あるべき就職・転職活動なのだろうか?
僕の考えは違う。
やりがいとは「見つける」ものではなく、自らの手で「つくる」ものだ。そしてどんな仕事であってもそこにやりがいを見出すことはできるのだ。
・・・」

そして、収監中、課せられた単純作業や介護の仕事などを、効率良く進めるにはどうしたらいいか考え、より良い成果を出せるように作業に工夫をした様子が描かれています。

読んでいて、「大変なわりに退屈な仕事」と世間的に思われている主婦の仕事を、私が退屈と思わずにやり続けられるのは、きっとそういうことなのだと思い当たりました。

「栗原はるみさん」というずいぶん昔の記事のコメント欄で、私はこんなことを書きました。


「ちょっと前に朝日新聞の「ひととき」にこういう投稿がありました。

『結婚して専業主婦になり社会と隔絶されてむなしく思っていたが、夫のこの一言。【結婚してから毎日違うおかずだよね。これってすごいことじゃない?】
そういえば、情報収集(レシピを集める)、企画(献立を考える)、実行(調理する)、__何だ、私のしていることって、外でする仕事と変わらないじゃない』
そうしてこの主婦は、自分のペースで目の前の「仕事」に自信をとりもどせた、そうです。」

家事を任された者は自分の工夫でほぼ自由に家庭をプロデュースできます。
自分で仕事を作ることができる。これはまさに堀江さんが言っていることだと思います。

家事には賃金は出ないから「稼ぐ」というのではないけれど、私にとってたぶん一番面白くやりがいのある仕事なのです。

いやー、家事は家族で分担するもので、やっぱり仕事ではないでしょ、って言われてしまうかもしれませんがcoldsweats01

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2014年1月20日 (月)

恐怖

10年ぐらい前だったと思いますが、「K-19」というハリソン・フォード主演の映画を見ました。
旧ソ連の新型原子力潜水艦内で冷却システムが故障し、炉心溶融を食い止めるために乗組員たちが交代で修理にあたり、高濃度の放射線を浴び続けた8人が死亡した事故を映画化したものです。
被曝の恐怖と闘いながら炉心近くで作業する有様はまさに手に汗握る展開で、放射能の恐ろしさを思い知らされた映画でした。

東海村JCO臨界事故では、至近距離で放射線被曝した作業員3名のうち、2名が死亡、1名が重症となりました。
患者の容態の悲惨さ、必死の治療の様子を週刊誌などで読み、背筋も凍る恐ろしさを感じたものです。

だから私は反原発派でした。

たしかに放射能は危険です。
ソ連の原潜事故や東海村の事故のように強い放射線を至近距離で浴びれば死ぬこともあります。

こういった事例を見て、放射能はこの世で最も危険な毒物だと私たちは思ってしまいます。
放射能は他の毒物と違って薄まるのにものすごい時間がかかるから危険だ、だからこういうものを作り出してはいけないと大抵の人は思います。
そして原発は危険だ、原発は廃止だ、となります。

私は学者でも何でもないし、専門的な知識もありません。

ただ、放射能とは、強度が大きければ危険で、そうでなければそんなに恐れることはない、という極めて単純なことではないかと思っています。

そもそも反原発論の根拠は、「放射能は何が何でも危険である」ということです。

そうでないなら、なぜこんなに反原発論は強固なのでしょうか。

私の書いたことは、原発事故の周辺でがん患者が増えているという確かなデータがあれば完全に覆ります。

よく「福島で甲状腺癌患者が増えている」とか「今までにない大掛かりな検診をやれば発覚数は増えるに決まっている」とかいう言い分を見ますが、何年後かにどちらが現実なのかがわかるでしょうか。

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2014年1月15日 (水)

老兵は去らなくてもいいから賢くあるべし

私は東京都民ではありませんが、今回の都知事選挙に一言。

【細川&小泉両元首相の「脱原発タッグ」に九州の政財界から怒りの声】という記事がありました。 http://sankei.jp.msn.com/politics/news/140114/stt14011420520007-n1.htm

「今夏まで原発ゼロが続けば、九州にはブラックアウト(大規模停電)の危険が迫り、電気料金再値上げも現実味を帯びる。アベノミクスによる景気回復も腰折れしかねない。両元首相による無責任な「原発ゼロ」発言に九州の政財界から怒りの声が噴き出した。」

エネルギー問題は九州や東京だけの問題ではなく、日本全体の問題として国が取り組むべき問題です。原発だけを都知事選の争点にしようとする細川・小泉両氏の姿勢には疑問を感じます。

「原発がなくても日本は発展できるというグループと原発がなくては発展できないというグループの戦いだ」「東京から脱原発の大きなうねりを作って行く」という小泉さんには失礼ながら事の全体像が見えていないんじゃないかと思いますね。

だいたい「うねり」ってなんです?

原発事故の恐怖は国民誰もが既に知っていることです。
放射性物質が飛散すれば非常に厄介なことになるのも誰もが知っています。
高濃度の放射能が人体に危険だということもわかっています。
使用済み核燃料の最終処分場を建設しなければならないのもわかっています。

いまさら「うねり」を起こすって、それは放射能の恐ろしさをみんな知らないだろうから啓蒙活動をして目を覚まさせてあげようってことなんですかね?

なんか勘違いをしているんじゃなかろうか。もう今そんな段階ではないでしょう。

日本経済を停滞させないためのエネルギーをどのように安定的に確保するかは、ただ都知事が「脱原発!」と叫ぶだけで解決することではないですよね。
具体的な方策を提言しなければ意味がありません。

舛添要一候補は「原発依存はもちろん考え直さないといけないけれど、都知事として、オリンピック、防災、社会保障など取り組むべき問題は山ほどある」と言います。

舛添さんが猪瀬前知事の都独自のエネルギー構想を引き継ぐつもりかどうかわかりませんが、その立候補表明記者会見には「まともさ」を感じます。
細川・小泉両氏はどうでしょうか。人間、年を取ると子供に還ると言いますが・・・think

人物的に、舛添さんは何となく気に食わないけど、(細川さんの応援団長の)小泉さんには好感が持てる、という理由だけで判断しないほうがいいと思いますよ。

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2014年1月13日 (月)

意識の科学

録画してあったNHKBSプレミアムの「超常現象」という番組を見ました。
幽霊、臨死体験、生まれ変わりなどの不思議な現象を科学で解明するというものです。

幽霊と臨死体験については、人間の脳の働きによる幻影ということで、そういう説明は既に知られていることですが、生まれ変わりについての仮説はとても興味深く、私が持っている感覚に非常に近いものでした。

スチュワート・ハメロフ博士(アリゾナ大学意識研究センター):
【脳で生まれる意識は、この世界の最も小さい物質よりさらに小さな存在で、重力や時間や空間にとらわれない性質を持ち、人間の脳を出入りすることがある。
人が普通に生きている状態では意識は脳の中に収まっている。しかし心臓が止まると意識は宇宙に拡散する。
患者が蘇生した場合、それは体の中に戻り、臨死体験をした、と言うだろう。
蘇生しなければ、それは宇宙にあり続けるか別の生命体と結びついて生まれ変わるかもしれない。
私たちは皆、宇宙を通じてつながっている、と言える。】

ひゃあ、これって、インド哲学のブラフマンの思想じゃないでしょうか。う~ん、面白い。

番組では案内役の俳優阿部寛氏の「とてもそんなこと信じられませんね~」という言葉に対し、ナレーターの「昔の人間にとって日食が摩訶不思議なものであったり、地動説が信じられなかったりするのと同じことですよ」という至言が流れました。

インドの哲人が古い昔に考えついたことが、科学的に証明される時がいつか来るかもしれないのですね。わくわく。

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2014年1月10日 (金)

今夜はお鍋

寒風の中、「プゥ~~プ~」と昔ながらのラッパの音をスピーカーで流しながら移動豆腐屋さんが通りました。
子供時代、買いにやらされた頃の癖が出て、ボゥルを持って飛び出しましたが、あ、そうか、近頃は個人商店でもパック詰めだったと思い出しました。

スーパーより高いけれど、お豆腐の他、厚揚げにがんもどき、それに「豆腐だけじゃやっていけないんで」というお豆腐屋さんの勧める豆乳ラーメンなどを買いました。

機械で作るスーパーのお豆腐はとても安くて、個人商店はとても太刀打ちできず、廃業が相次いでいると聞きます。
ぎりぎりまで価格を下げてもなお売れないので、このように車に積んで住宅街に売りに出るという努力をしているお豆腐屋さんもいますが、状況は厳しいようです。

個人商店のこのような窮状をもって、「規制緩和がいけない」などと言われますが、大型スーパーが人々にとって便利なものとして利用されているのは時代の流れ、人間社会の要請としてあるのですから、どうしようもない成り行きとも言えます。

安売り可能な大型店舗ができないような規制をかければ済む問題でもないのではないかと思います。
社会のあるべき姿は国が主導して決めるんだ、という考えであるならば、色々なところに規制をかけ、コントロールするのもありでしょうが、国民はそもそも国の干渉を嫌います。

安いものばかり求める消費者の意識の問題もあるでしょうが、少ない収入でやりくりしなければならない人々にとっては、商品が安く手に入るのは有難いことです。

「少々高くても手作りのおいしいお豆腐を食べたい」と考えるだけの余裕のある人が増えればいいのですね。
バブルのころはきっと大勢の人がそういう気持ちになったのでしょう。投機によってふくれあがったバブル経済という現象自体は異常ではありますが、好景気が人々に幸福をもたらすことは確かです。
お金を遣っておいしいものを食べたり、服を新調して出かけようとする意欲も出てくるし、ものが売れて給料も上がり、個人商店の職人技も守ることができる、みんなにとって良いことです。

去年、日本テレビ「世界一受けたい授業」という番組で、俳優の武田鉄矢氏が講師を務める授業を見たのですが、ある寓話を紹介してとても良いお話をしてくれました。

わりとよく知られた寓話ですが:
「あるところにたいそうけちんぼうの男がいました。この男は金(きん)が大好きで、金塊を土の中に埋め、毎日のように掘り返してそこに金塊があるのを確認するのを無上の喜びとしていました。ある日いつものように埋めた場所へ行くと、誰かに掘り起こされ、金塊は盗まれていました。男は当然怒りが収まりませんが、通りかかった人が『そこに石ころを入れて埋め戻せばいい。使わないで埋めておくだけなら同じことでしょう』と言いました。」
というものです。

キラキラ輝く金を眺めることで精神の安定が保たれる、ということなら、この男個人にとっては意味のあることかもしれませんが、社会全体にとっては何の意味もないどころか損失となります。

「お金持ちというのは、お金を持っている人ではなく、お金を遣う人のことなんです」と武田先生は結びました。

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資本主義の行き詰まりを予感し、「景気が良くなりさえすれば良い、という価値観はもう古い」と力説する人々も見られます。
私もこんな記事を書いたことがあります。→ 「価値観の転換は起こるか」  

たしかに、「物質的豊かさだけが人を幸せにするのではない」というのは事実ですが、そういうことはいつの時代にも何かにつけて言われてきたことであります。
それは人類の大きな転換点などというものでも何でもなく、歴史の流れの中で周期的にあらわれる単なる時代的現象なのだと思います。
どんなに年月が経とうが、人類の価値観が大きく転換して神への道を歩むようになることなどないでしょう。    参考記事: 「究極の愛」
 
生物はそもそも「生き残ろう」、加えて人類においては「より豊かになろう」という欲望を備えていることに生存の意義があるわけですから。

日本の景気が良くなりますように。

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