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2014年3月17日 (月)

「深く静かに潜行せよ」

以前にも紹介しましたが、「嫌悪韓~韓国と紳士的に離れよう~」というブログがあります。 →  「韓国と日本について考えることからはじめよう!」

韓国を口汚く罵ることはやめて、穏やかに離れるのが最善の策であると、わかりやすい文章で書き続けておられます。

穏やかな意見というのは、えてしてあいまいで具体性に欠け、現実味がないものですが、この方の主張はそうではありません。

今まで、「首相は靖国参拝しないほうが良い」とか「河野談話は見直すべきでない」とかの意見は数多く見受けられましたが、それらの意見にはほとんどすべて、「日本が悪いのだから」というニュアンスを感じます。
平和を愛する諸国民の公正と信義に信頼して、日本は決して周辺諸国に逆らってはいけない、というものです。

でも紹介したブログは基本的なスタンスが違います。
韓国の理不尽さをよくわかった上で、付け入られるようなことはしないのが賢明、という主張です。

だから日本が国際社会に強く訴えるべきは「すでに条約で解決済みのことを韓国がいつまでも言い募る」ということであって、「河野談話の見直し」はしてはいけない、と仰います。

この点については、保守派のかたがたには納得のいかないところでしょうし、韓国に脅されるような形で作成された談話の検証は本当にしなくていいのだろうか、と私も思いますが、見直しすることによってどんな恐ろしいことが起きるのか恐怖も感じます。

私は事の経緯をきちんと国際社会に説明すべきだと思ってきました。
ブログ主さんは「談話の見直しをすればそりゃあスカッとするでしょうが」と仰っていますが、スカッとするためでも、韓国に「ざまーみろ」と言うためでもありません。
事実でないことが歴史となって残ってしまうことや国の名誉が傷つけられることを放置してはならないと思うからです。

けれども見直しをすることによって、今でも聞く耳を持たない韓国が激昂して今度こそ本当に手がつけられなくなるかもしれません。

そうなると、わかってもらうなどということは残念ながらほとんど不可能になるでしょう。

やはり国民一人ひとりの努力で深く静かに潜行しながら時間をかけて、理不尽なふるまいをやめさせていくしかないかもしれません。

そのためには日本人のできるだけ多くの人が関心を持つことが重要だと思います。

嘘を言いふらされてなぜ、日本はまっとうな抗議ができないのだろう、違うことは違うと言うことができないのだろう、なぜ少しでも毅然たる態度を取ろうとすると「右翼」だなんて言われてしまうのだろう、そういう疑問を持つ人は多いと思います。

今まで私はそれが戦後教育によるもの(日教組)だと思ってきましたが、もしかしたら、それだけではないのかもしれないと思うようになりました。

この国のあらゆる場に日本的な顔と名前を持った人々が入り込み、あちらこちらで層となって日本人の気持ちを押さえ込んでいるのかもしれません。
もしかしたらそれは意図的とか計画的というようなものでなく、誰も気づかないうちに水がだんだん浸みるように、少しずつ色が染まるように、じわじわと自然に広がっているのではないでしょうか。

例えば政治討論番組で慰安婦問題などが議論されているのを聞いていても、「捏造であった」という結論には絶対に至りません。相手を論破することができないのです。「ああいえばこう言う」といった、何を言ってるのかよくわからない論法で押されて結局うやむやになって終わりです。
なぜこうなってしまうのか。テレビ局がそういう風になるように論者を揃えているからではないかと思います。それも計画的というより、空気でなんとなーくそうなっているような気がします。

知らず知らずのうちに、マスコミ、芸能、教育、企業、政治、あらゆる世界で浸透が広がっているのかもしれません。

そうだとしたら、これは防ぐことができるものなのか、それともこうやって世界は「はびこる人々」によって侵食されていくものなのでしょうか。

文化の融合や経済のグローバル化は人類社会の当然の成り行きだと思いますが、心の侵食はそれとは違うと私は思うのです。

「民族」なんていう意識があるから同じ人類同士で軋轢が生じるのだ、と言う人がよくいますが、たとえ遠い将来、国境がなくなって世界がひとつになる日が来たとしても、なお最後まで残るのが民族の記憶というものじゃないでしょうか。これをパトリオティズムと私は理解しているのですが。

現に韓国は「民族の怒り」をもって日本を責めているわけですから、仮に日本人が「民族の違いなんて無意味ではありませんか」と提案したとしても受け入れてはくれないでしょう。

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2014年3月 1日 (土)

難解に見えて案外単純なことかも

集団的自衛権についての議論が盛んな今日この頃です。
世論調査など見ると、集団的自衛権行使容認の支持、不支持がだいたい40%台で拮抗しているような感じです。
国民は権力のやることを厳しい目で監視しなければならないそうなので、このことについて「わからない」と言うのは国民の義務を怠っているようで何か恥ずかしいような気もします。

でも、「集団的自衛権行使は断固反対」だとか「憲法改正して堂々と集団的自衛権を行使すればよい」とか「憲法改正には時間がかかる。事態は切迫しているので今は憲法解釈を変えるしかない」とかの議論について私たち国民がそんなこと判断できるものだろうか。現場の切迫状況もわからない、国際情勢や軍事の現実も外交交渉の裏も知らない私たち一般国民が決めることなんだろうか、と思いますが、やっぱり賛成とか反対とか意思表示しないといけないでしょうかね。

国民が選んだ政権に一任したいものだと思います。

野党やマスコミは横暴だとか右傾化だとか言って政権を非難しますが、支持率50%以上を保っているからには、結局政権が押し通すことになるんでしょう。

でも、安倍政権は何も日本を滅ぼしてやろうとか、自分たちがいい気持ちになりたいからとか、そんな理由で政治をやっているのではないでしょうから、これが国を守る最善の道だと判断したことならば、どんなに批判されても決断すればいいと思います。

もちろん国民も何を言ってもかまわないし、安部政権に批判的な学者や評論家の先生方もおおいに自論を展開したらいいと思います。
尤もどんなに立派な論を語ろうと、実際に事に対峙している政権担当者とは現実感や緊迫度が全然違うでしょうが。

因みに、集団的自衛権について検索していてこんな記事をみつけました。→ http://jbpress.ismedia.jp/articles/-/40018
日本はすでに集団的自衛権を行使していると指摘するこの論客は誰だろうと記事のtopを見てみたら、小さく「筆坂秀世」とありました。10年ほど前まで共産党の幹部だった人です。 

筆坂さんは「集団的自衛権を行使するケースについて議論するのはナンセンスだ。もっと真面目な議論をしてほしい」と言います。

どんな場合に集団的自衛権を行使するのか決めておくべきかおかなくてもいいのか、私にはよくわかりません。
議論しているポーズだけのためなら不必要だし、他国が絡むのではっきり言えないこともあるでしょうけど、「こうする」と決めたならできるだけ国民に説明する努力をしてほしいと思います。

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