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2014年5月 3日 (土)

憲法記念日に思ったⅡ

野党結集とか政界再編とか、どれだけ長い間叫ばれ続け、政党の離合集散が繰り返されてきたことでしょう。

単独政権とはいかないものの自民党はほとんどいつも日本の政治を担っているし、国民のほうもやっぱりベテラン自民党の安定感は他のどの政党にも優るとわかったのでしょう、自民党が大きく分裂することはありません。

自民党が壊れてしまってはこの国が立ち行かなくなるような気もします。

けれども、古いしがらみをがっちり抱え込んだ政治家や、引退してなお政界に強い影響力を及ぼす自民党守旧勢力はしっかりと残り続け、それが新産業の成長を阻害していると主張する「改革派」の言い分ももっともです。

 

先日BSフジ「プライムニュース」に「結いの党」代表江田憲司氏が出演し政界再編について語っていました。

江田氏は官僚出身で、その経験から脱しがらみ・脱官僚政治を唱え続けています。

国のしくみを変えなければならない、という維新の橋下代表と共通する方向性は間違っていないとは思うものの、何か今ひとつインパクトに欠けるように思います。

江田氏は歴史や領土や教育にあまり関心がないように見えます。

日本経済の発展のために今の枠組みを大きく変えなくてはならないという主張には同意しますが、実務的というのでしょうか、どこか機械的、もっと言えば無機質とさえ感じられるのです。

中国や韓国の誹謗中傷には逆らわなければ丸く収まる、靖国参拝なんかしなきゃいい、という風にも見える態度は何も江田氏にかぎりませんが、国の歴史はそんなに軽く扱うべき問題ではないと私は思うのです。

 

番組の中で江田氏は、自主憲法の制定(現憲法破棄)には反対、「誇りある国家」という文言には「手垢のついたイデオロギー」、などと切って捨てるような言い方をしました。

しかし、わずか1週間で仮設住宅のように占領軍に作ってもらった憲法を70年もの間きちんと作り直さないままで日本人は国際社会で堂々たる姿勢を保つことができるのでしょうか。

国家の根幹である憲法を自主的に作れていないことが、いじめられやすい国柄を作ってしまっているのではないでしょうか。

過去の記事で私は次のように書きました。

≪憲法9条を持っているだけで世界が平和になるわけでないことはわかるのですが、一方で、9条をそのまま持ち続けて、今までどおり自衛隊海外派遣に際してごたごたを未来にわたって続けていったとしても日本の国益としてはあまり変わらないのかな、という気はします。

しかし、問題はそういうあいまいな国家に生まれ育つ子供たちの精神の支柱のようなものがどうなるのかということだと思います。
国民一人々が国家という共同体の一員である、ということ、そして日本という国も国際社会という共同体の一員である、ということを自覚し、国際社会でそれなりの態度を取ることがこれからの子供たちに求められるのではないかと思います。

≪態度のはっきりしないふわふわした国に育つ子供たちというのはいったいどういうことになるのか。家庭内で、あるいは国内だけでありきたりの道徳だけ教えていれば人作りはそれで済む、という話ではないと思います。

つまり、国が自主性を持たないと、日本を担うことになる子供たちが大人になってもやっぱり防衛や国際協力に関して優柔不断の態度をとり続けるだけではないか、それは国際社会の一員として発言力を持たないというに等しい、ということではないでしょうか。≫

 

日本は間に合わせの土台を70年も使い続けているのです。
それでも平和で豊かになったんだからいいじゃないか、という考え方は日本人から大事なものを奪っているような気がしてなりません。

 

現状のように国のしくみが老朽化した時に、なぜ、なかなか建て直しをすることができないのか。

「改革しなければ」と言われ続けて20年以上たってもなぜそれができないのか。

決定的に欠けているものがあるのではないでしょうか。

 

国民に豊かさと安定を提供するのが政治の仕事ではありますが、そのことにのみ専念してきたこの70年の歳月が、老朽化した国のしくみを変えることができない原因となっているのではないでしょうか。

 

番組で「照らされて光る惑星ではなく自ら光を放つ恒星にならなければいけない」と評論家の伊藤惇夫氏にアドバイスされた江田氏は大きくうなずいていましたが「自ら光る恒星」とは、どういうものか。

 

「統治機構を変える」ということはたしかに日本の再生のために必要なことだと思います。

だから私は同様の主張をする維新の会と合流し、同じ志を持つ政治家が結集し、自民党も巻き込んで大きな改革への道が開かれることをぜひ応援したい。

しかし「統治機構を変える」「政治のしくみを変える」、そのことだけを言い募る政党が光り輝くのではないと思うのです。

国民の心を動かし、国を良く変えようという気持ちを喚起できる政治家こそが光りを放つのだと思います。

自国の歴史への理解や日本国民としての誇りこそ、「国の形を変える」ムーブメントになり得るのではないでしょうか。

それはイデオロギーなのでしょうか。私はそうは思わない。生まれ育った国への愛情や、公の精神が、イデオロギーによるものだなどとなぜ思うのでしょうか。

むしろ「手垢のついたイデオロギー」と決め付けるその頭の固さこそが問題なのではないでしょうか。

たしかに過激な右翼イデオロギーに凝り固まった人々はこの国にいます。しかしそういった困った人々の言動にとらわれないでほしいのです。

 

たまたま見ていたテレビに映った江田氏の言葉を聴いていて思ったことなので、別に江田氏がどうのという話ではありません。

そのタイプの政治家は党を問わずたくさんいると思います。

惜しい。実に惜しい。国を良くしようという気持ちがあるのに、その志が生き生きと私たちに迫って来ない。

 

独立自尊の気概を持ちながら現実的な政治を行うというのは決して不可能なことではないと思います。どこの国もやっていることじゃないでしょうか。

 

「自民党のやり方ではだめだ、しがらみがあるからだめなんだ」と、これまでもどれだけ多くの人々が政治を変えようと同じような試みを繰り返してきたか。

なぜことごとく失敗するのか。なぜ国民の共感を得られないのか。

 

なぜ安倍政権の支持率が高いのか。単に景気が少し上向いてきた、それだけではないと思います。

「ああ、やっと普通に物言う総理が出てきた」と、以前の記事にコメントをしてくださった方がいましたが、そのように思った国民は多いはずです。

「誇り」や「国を愛する心(公の精神)」はイデオロギーなどではありません。

国民自身に国を想う気持ちがなければ政界再編も改革も成功するはずがありません。

愛国心を何か悪いものであるかのように思い込んでいるかぎりは、どんなに政界再編工作に励んでもいつものように徒労に終わるでしょう。私はそう思います。

 

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    去年の「憲法記念日に思った」 

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コメント

憲法とは国家の統治システムと人権保護のあり方を定めたものです。そう考えれば「誇りある国家」という文言になどは手垢のついたイデオロギーだと思います。そもそも「誇りある国家」とは何者なのか?

世界の多くの国々では体制の変化を体験していますが、違った体制なりに自国に誇りを持っています。例えばイランの旧王制派あるいは民主化派は現体制を激しく批判しますが、イランという国を誇りに思い愛することにかけてはシーア派僧侶に引け劣りません。少しうがった見方をすれば「誇りある国家」など挿入したいと思う人達は現在の日本には何の誇りも感じていないのでしょうか?愛国心など憲法でことさら記すべきものではありません。

江田憲司氏は切れ者と見られるので、どうしても「冷酷」に切って捨てたように見えるのかも知れません。しかし、この問題は江田氏の人格とは何の関係もありません。

占領憲法と言われますが、元々はアメリカが日本側の識者に憲法草案を作らせていました。それが明治憲法と本質的に変わらなかったので、対案が出たまで。現憲法は帝国議会を通過して制定されています。これを占領軍の押しつけというのはおかしいです。

次いでに言えば、ドイツと日本の復興を支援した頃のアメリカは、マーシャル・プランを実施するなど世界秩序の構築に献身的でした。しかしながら冷戦後の旧ソ連・東欧諸国の体制移行支援は不充分でした。無邪気に資本主義の勝利を信じ込み、投機的なマネー・ゲームに明け暮れました。その結果、彼の地では民主主義と公正な市場経済の代わりに腐敗とマフィア経済が蔓延っています。ウクライナ危機など、「占領憲法」を作るほどアメリカとヨーロッパが旧ソ連・東欧の改革に指導力を発揮しなかったことが原因です。現憲法の変更には賛成ですが、私は日本国民として「占領憲法」には感謝すべきだと思っています。

ただし9条のように具体的な国防政策を縛る憲法は現状に即していません。そういった不合理を変えることに集中すべきと思われます。愛国心を煽ったり、「占領憲法」への情緒的な不満を叫ぶなど建設的とは思えません。

投稿: Σ・亜歴 | 2014年5月 4日 (日) 18時00分

★∑・亜歴さん

>世界の多くの国々では体制の変化を体験していますが、違った体制なりに自国に誇りを持っています<

私はまさにこのことを言ってるわけです。
∑・亜歴さんとはたびたびこのことで議論していますが、私は憲法に「国を愛せよ」と書くべきだなどと言っているのではないですよ。
世界中の人々はみな愛国心を持っていてそんなことはわざわざ言う必要もないほど当たり前のことだという。その中で日本人だけが愛国心は危険だと思い込んでいるというこの奇妙な事態を問題にしてます。
憲法というものは仰るように「国家の統治システムと人権保護のあり方」を定めたものですから、作り直した憲法が防衛に関する箇所を除き現行のものと大きく変わることはないでしょう。
しかし自主的に制作するということに大きな意味があると思います。

>愛国心を煽ったり、「占領憲法」への情緒的な不満を叫ぶなど建設的とは思えません<

煽ったり叫んだりは私嫌いです。

投稿: robita | 2014年5月 4日 (日) 22時34分

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