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2014年7月26日 (土)

右翼って呼ばないで

石原慎太郎という人は「極右で危険な人」と思われているようです。
でも石原のどういったところをもって「極右」というのか、具体的に説明できる人いるんでしょうか。 自分たちの認識と違うから何となく怖い、という程度のものじゃないのかなと思います。
東京裁判を否定し、「自主憲法制定」を主張しているところでしょうか。 そのことは特に右に偏りすぎているとは思えないのですが。
極右かどうかはともかく、最初、石原さんが維新の会に合流すると言って平沼さん、園田さん、片山さんなどの高齢政治家を引き連れてヨタヨタと出てきた時は「老害」と思ったものですが、お年は召しているものの、よく聞いてみると言ってることはそんなにエキセントリックではありません。
年齢だけで人を判断するのは、それこそ老害と同様、頭の硬直化だと思います。

オピニオン誌 月刊”WiLL”で「さらば、若き盟友 橋下徹」という手記を読みました。 ネットで探したら、掲載がみつかりました。→ http://matome-allstar.com/datapage.php?titid=861

その中で、これはたびたび石原氏が紹介する話ですが、戦後日本人が受けた屈辱的な扱いについて書いています。

≪僕は子供の頃、親父がどういうつもりか入手してきた東京裁判の傍聴券を握りしめて、近所の大学生のお兄さんと一緒に見に行った経験がある。

 _____中略____

あの雰囲気は忘れがたいものです。 傍聴席では同時通訳を聞くこともできませんでしたし、被告人たちも発言のすべてを理解できてはいなかったでしょう。
「この人たちはどんな思いで論告を聞いているんだろう」と思いましたし、非常に一方的、不公平な感じがしました。
判決が下されるときにも一所懸命ラジオに耳を傾け、淡々と
「The accused Hideki TOJO, Death by hanging......」
「The accused Hirota Kouki,Death by hanging.....」 と読み上げられるのを聞いて、
「ああ、みんな縛り首か」と思った時のことは、いまも強烈に印象に残っています。

そして絞首刑が執行されたあとも遺体は遺族に返還されず、すぐに横浜で焼かれて灰にされて、米軍によって東京湾に捨てられた。
弁護士の一人だった三文字正平が、秘かに七人分の遺骨が混ざった遺灰をかき集めたおかげでなんとか祀ることができたけれど、本当にひどい仕打ちだったと思う。

また戦後、村松剛が交換教授で行っていたカナダから帰国する際に思い立って、日独が降伏した日のNYタイムズの論調を知るべく、紙面をコピーしてきた。
それを僕と三島由紀夫さんにくれたことがありました。
これは非常に対照的で、ドイツが降伏した1945年5月8日のあとに出た紙面には、「ドイツは非常に優秀な民族だから、ナチスは道を間違ったけれど国を立派に再建できるし、我々も協力の手を差し伸べたい」と書いてある。
ところが、日本が降伏した際の論調は全く違っていました。
クジラぐらいの大きなナマズのような化け物がひっくり返った漫画が掲載されていて、そのあんぐりあいたロのなかに、鉄兜をかぶった米兵、三人くらいが入って行って牙を抜いている。
そして次のように書いてありました。
「この醜くて危険な怪物は、倒れはしたがまだ生きている。 我々はアメリカ、世界の安全平和のために、この怪物を徹底して解体しなければならない」
これは完全なるレイシズムです。
中世以降、特に近代、白人は産業革命で得た力を使って、日本以外の有色人種の土地を収奪してきた。
そして彼ら白人は日本人を化け物扱いし、その化け物を解体するために日本国を作ったわけです。
そういう経験が醸し出す情念を決して忘れてはならない。
憲法がどんな思想に基づき、どんな経緯で作られたものかを知れば、自主憲法制定を掲げざるを得ないはずなのです。≫


石原氏のようなこういった思いというのはもう手垢がついた古臭いものなのでしょうか。
日本がどんな理不尽な裁かれ方をしたか、などというのはもう遠い歴史上の単なる出来事であって、今を生きる日本人には関係のないことなのでしょうか。
たしかにあの時代、人種差別は普通にあったわけで、白人は有色人種を差別し、強い者は弱い者を屈服させ搾取し、日本人だってアジアの国々を低く見ていたでしょう。
今、人類は差別思想から抜け出す努力を続けていますし、70年も前に差別されたことを今でも根に持つのはまことに愚かしいことです。

しかし、石原氏の言う通り、現行憲法がどんな思想に基づき、どんな経緯で作られたものかを知れば、自主憲法制定の考えがそんなにひどく忌避されるほど、突飛なことではないと理解できるはずです。

それを理解する人と、70年も大事にしてきた憲法を破棄して今さら新しいものを作って何か今の日本人にメリットがあるのか、と考える人との違いはどこにあるのか。
そこにあるのは決してナチズムのような危険な右翼思想などではない。
プライドの問題です。

どんなに左翼的であろうと、日本の伝統をないがしろにして良いと思う人などいないと思います。

伝統とは国民自身で育んできた大事なものであるはずです。
我が国を弱体化する目的で戦勝国から押し付けられた今の憲法が、いくら70年経とうが、日本の伝統に基づくものであるはずがありません。
歪んだまま、というより、でき方そのものに不当性があるのになぜそれを我々の憲法としなければならないのでしょうか。

このように考えることは東京裁判を否定することにつながるから裁いた側のアメリカが反対している、といった意見を聞くことがありますが、そんなことはないでしょう。
実際アメリカ上層部は日本が主権回復した時にすぐ憲法改正を行うと思っていたというじゃありませんか。 理不尽なものであるということはアメリカ自身がわかっているんですよ。
どちらにしても、自主憲法を定めるのにアメリカにお伺いをたてる必要などないはずです。

・・・・・・と、一応「自主憲法」に対する私の見解を述べた上で言うのですが、新しいものを作るにしても、現行憲法に9条以外不都合なところはほとんどないのでしょうから、実質的には「改正」ということになるのではないでしょうか。

それでも、私はいいと思う。
現憲法には「憲法破棄」の場合にはどうするかの条項はないので、手続き上「破棄」は無理なんだそうです。
石原氏も今では「憲法改正手続きによる実質的な自主憲法制定」という形で譲歩しているそうです。
「次世代の党」の綱領や基本政策決定のニュースには、次のようにあります。  


≪綱領に基づく基本政策を8項目掲げ、最初に「国民の手による新しい憲法(自主憲法)の制定」と明記した。
桜内文城暫定政調会長は24日の記者会見で「独立した中で国民の手でつくるという意味だ。現行憲法の破棄との立場はとらない」と説明した。≫

党内で話し合った結果このようになったということですね。
石原さん柔軟じゃないですか。どこが極右なんでしょうか。

左翼的で自虐的な世の空気の中で何の疑いも持たぬまま戦後を生きてきた団塊世代あたりの人々にとっては、石原さんのような考え方がすごく右に傾いて見えてしまうのかもしれませんね。

ぜひ、頭を柔らかくして色々な意見を取り入れていただきたいと思います。

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 関連記事: 「言葉を怖がる日本人」 

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コメント

そもそも日本においては右翼左翼とか保守革新とか言う定義自体無意味と言うかわけわからない物になっておりますから。
政党にしても、保守を標榜する自民党の政策はリベラル革新だったり、革新を標榜する共産党の掲げる政策が保守そのものだったり、もう何がなにやら┐(´-`)┌

投稿: 仮)山田二郎 | 2014年7月29日 (火) 23時00分

★ 仮)山田二郎さん

たしかにもう何がなにやら、ですね

「保守」「革新」とか「右翼」「左翼」などひとくくりにできない時代になりました。
でも情緒的なサヨク思想というものを持っている人々がいて、「進歩的知識人」などと表現されることが多いです。

>保守を標榜する自民党の政策はリベラル革新<

自民党には元々社会主義者とも言える人たちが含まれています。
国会では激しく対立していた社会党とも裏ではちゃんと手を打っていたといいますし、社会政策的には与党野党を混ぜ合わせたようなやり方でうまくいっていた時代があったのですね。
共産党はものすごく保守的だし、安倍首相は改革を推し進めようとします。
だから「保守と革新」という言い方はとっくの昔に意味をなさなくなっています。
けれど、思想傾向として「こういう人は右、こういう人は左」というのは確かにあるわけで、他に呼び方がない以上、右翼・左翼という表現はなくならないでしょうね。

よろしければこちらも → 「保守と左翼」

投稿: robita | 2014年7月30日 (水) 10時39分

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