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2014年11月24日 (月)

腫れ物にさわってみる

スポーツ選手などが引退した後、男性でも女性でも報道番組のキャスターをやったり、バラエティ番組の「賑やかし要員」になったりする例が多いですね。

お金を稼ぐため、努力して得た仕事だと思います。

ただ、それは理解はできるものの、女性で若くて結婚もしているのに、子供を生むことなく華やかな仕事に励んでいる元スポーツ選手などの姿を見ていると、そんなことやってる場合じゃないんじゃないか、と思ってしまうのです。

たしかに、美しく装った綺麗な女性はテレビの華ですし、本人も生き生きと輝いて本当に楽しそうなんですが、喋りのプロであるアナウンサーも横に控えているのに、何もあの人がキャスターやることないのでは、と思える人もいます。

「子供を産んで育てること」の中に輝きを見つけることはできないのでしょうか。

仕事をしながら産み育てることが難しい社会だと言われますが、それなら産み育てることに専念したらどうかと思います。

経済的に無理だとか、不妊だという人は別として、そういう問題がないのに子供を欲しがらないカップルが増えているように感じるのです。

データとしてはわかりませんが、もしそうだとしたら、それは政治の責任とは言えません。

都議会で、女性議員に「早く結婚したほうがいいんじゃないの」というヤジがあって、セクハラとして大問題になりました。

女性に結婚してもらって子どもを産んでもらわなくては国が立ち行かないのを誰もがわかっていながら、世の中は「女性蔑視の発言だ。けしからん」の大合唱でした。子どもを産んでくれと言ってはいけないのです。

安倍内閣が「女性が輝く社会の実現」なんて言ってましたけど、労働力として女性を活用するより、女性にしかできないこと、つまり「産む」ということのほうに力を入れたほうがいいんじゃないでしょうか。

外でバリバリ仕事をするだけが輝くのでなく、子育てや家事に専念している女性だって輝くのです。子どもを3人ぐらい連れているお母さんなど見かけると、まぶしくて目を開けていられないほどです。

両方できたらそれは一番良いのでしょうし、立派に両立している頼もしい女性もたしかにいます。でもできない事情があるなら、子どもを産むことのほうにに重きを置いたほうが共同体の生き残り策としては有効なのではないでしょうか。

元アナウンサーの長谷川豊氏がこういう記事を書いたので支持しました。→ 「日本の景気は20年は絶対に回復しません!」 

本当は国も「産めよ増やせよ」というスローガンを揚げたいところでしょう。

政治でできることは、出産一時金や育児補助金を増額することでしょうが、出産適齢期の女性の意識も変えていただかなくては、というのが長年私が感じていることです。

こういうことを書くと、働きもせず所得税を納めてもいない専業主婦が偉そうに言うな、と思われる方も多いでしょうが、そういう無言の圧力に耐えつつ、長谷川豊氏の記事に共感して書いてしまいました。

まあ、何の疑いもなくお見合いして結婚していた時代には戻れないし、長谷川氏の言うように今から一所懸命産んでも少なくともあと20年は大きな労働力にはなりませんけどね。

≪働き手よりも金ばっかかかる連中が増えるんだから≫というのはあけすけな表現ながらまぎれもない事実です。

同時に≪子供ってのは「財産」であり、「労働力」であり、「笑顔」であり、「笑い声」であり、「希望」なのです≫は真実として胸に留め置きたい言葉です。

 

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関連記事: 「自虐なのか柔軟なのか」  

          「結婚という人生経験」  

                  「あかちゃん」  

                  「オリンピックが終わった」 

                  「子どもを生むということ」 

        「しあわせ」

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.「女性は子供を産む機械」について → http://robita-48.cocolog-nifty.com/blog/2007/01/post_8b84.html

                                            http://robita-48.cocolog-nifty.com/blog/2007/02/post_f835.html

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2014年11月21日 (金)

共有すべき「国の基礎」

総選挙が行われることになりましたが、「現政権に不満があっても、なぜ日本には交代できる野党がいないのか」と在英ジャーナリスト小林恭子氏は疑問を呈します。→ http://blogos.com/article/99110/

答えは簡単だと思うのです。

野党の幹部連中に国の土台となる思想がないからじゃないでしょうか。

そのため、政権を担っても外交・防衛面で迷走してしまい、国民の信頼を失ってしまうのです。

現政権の自民党の中にも国家観のない人はいます。それでも長年の経験があるため辛うじて体面を保つ形になっています。

日本の左派政党は、実は問題外なのです。他国(日本に敵対する国)を利するようなことを平気でやるし、軍事そのものを忌避する。これはそもそも政治家の体をなしていません。

日本国民は戦後ずっと「国家」という「悪い思想」を持たないよう教育されてきたので、政治家の中にも国家観のない人間が沢山います。それは与党の中にもいますが、野党にはとても多く、そのことを自覚していないのです。

マスコミは今なお国民をそのように教育し続けています。

本当は、まず国民がそのことを理解しないと何も変わっていかないと思うのですが、小林恭子さん、外から日本を眺めていてそういうことが見えてきませんか。

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関連記事: 「土台の上で二つに分かれる」  
        「健全な野党」 
        「健全な野党になりさえすれば」   

        「憲法記念日に思ったⅡ」 

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2014年11月19日 (水)

最高峰

俳優の高倉健さんはもう83歳で、それでも近頃は健康食品のコマーシャルなどで見かけることがあったので、まだまだお元気なのだろうと思っていましたが、突然の訃報でした。

健さんの映画はいくつか見ましたが、いつもだいたい似たような役柄が多かったと思います。強くて寡黙で律儀な昔気質の男。

年相応のお爺さんの役をやっても面白いんじゃないかと思っていましたが、脚本家の倉本聡さんによるとそういうつもりはなかったようです。→「強い男、貫いた最後のスター」 

≪もうお年なんだから老人の役をやりませんかと話しても、絶対に受けなかった。断固として老人役は嫌だという態度を最後まで貫いた。強い男のイメージを崩したくなかったんでしょうね。そのままお墓に持っていってしまいました。≫

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昨日、ニッポン放送「ザ・ボイス そこまで言うか」で評論家宮崎哲弥さんが明かしていました。

≪北野たけしさんが高倉健さんの映画を撮りたいと言った。死刑囚と高僧の対話を軸とした映画。高僧が高倉さんで、おそらくたけしさんが死刑囚を演じるという構想だったと思う。仏教徒である自分にベースとなるスクリプトを書いてほしいという依頼があった。喜んでお引き受けしたが、健さんがそれをやるにあたってもう少し時間がほしいと言ったこともあってそのままになってしまった。残念だ。≫

もう少し年を取ってから、という思いがあったのか、あるいは「前科者」ばかり演じてきた自分には重過ぎる役だというためらいがあったのでしょうか。

色々なエピソードを聞くまでもなく、その姿を見ているだけで、人間を突き抜けて神の域に達してるんじゃないかと思わせるような、有名人としては稀有な人物だったと思います。

北野監督が健さんにそういう役をやってもらいたいと思ったのもなるほどと頷けました。

ご冥福をお祈りします。

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 関連記事:「いよっ健さん」

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2014年11月18日 (火)

風に吹かれて

今日、安倍総理が衆議院解散を発表するそうです。

なんだか世間が勝手に「解散!」「解散!」って騒いで、もう抑えきれなくなったので、解散するしかなくなったみたいに見えます。

安倍総理は今まで「私は解散に言及したことは一度もない」と言っていました。

首相も官房長官も「ない」と言うのに、マスコミは「ある」と大々的に報道する。

そして、ワイドショーなどでは、「年末に解散するなんて」とか「何のために解散するのか。大義がない」とか「700億円もかけて選挙するのは無駄だ」と「選挙なんかやめろ」と批判のし放題です。

なんか自分たちで解散風を吹かしておきながら、「解散」を批判するマッチポンプみたいに見えます。

解散を煽るマスコミとそれをを止めようとするマスコミは別なんでしょうか?

・・・・と思っていたら、元フジTVアナウンサーの長谷川豊さんの記事を見つけました。→解散「風」の正体  


政治記者さんたちの個人的都合によるものらしいです。そんなことで政治って動くんですね。

ま、驚くほどのことでもないか。だってマスコミの力が一番強いのは昔からわかっていますから。

でも、これで解散しなかったら、首相批判したマスコミがまた首相批判をするのかな。

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2014年11月16日 (日)

早よウィスキー造んなはれ

「マッサン」はつまらん。

最初の1週目ぐらいまでは、日本で最初にウィスキーを造った男とあの時代にあんな遠い国から嫁に来たスコットランド女性の話ということで興味が持てたけれど(「愛らしいエリー」)、いつまでたっても大阪のおばちゃんたちとのほのぼのエピソードばかりで少しも面白くないのです。 

先週の、近所の女の子が継母になつかないという家庭問題、あれはいったいなんでしょうか。とってつけたような芝居を延々と見せられてうんざりでした。

下町の近所づきあいの温かみやヒロインのエリーがいかに日本社会になじもうと努力しているかを表現したかったのかもしれませんが、あのわざとらしさはまさに学芸会レベルです。

近所の人々が集まって継母の誕生日を祝うバースデイパーティの場面があったのですが、これにも違和感を覚えました。

戦前の日本には、個人の誕生日を祝うという習慣はなかったんじゃないでしょうか。お正月にみんな揃って年が一つ増えたのだと親たちは言っていました。「数え年」という数え方ですね。

大正や昭和の時代のことを知っている人たちは、ああいうのを見てどう思うのでしょうか。

以前も同様の文章を書いたことがあります。

「華麗なる一族」 

「昔ばなし」 

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ところで、昨夜BSプレミアムで「“マッサン
の舞台裏」という番組がありました。

途中から見たのですが、主演のシャーロット・ケイト・フォックスさんの日本語苦労話、楽屋でのスタッフとのやり取り、台詞を間違えて何度も取り直す時の周りの反応、マンションでの一人暮らしの様子など、彼女が初めての異国で健気に頑張っている姿が映し出され、こっちのほうがドラマよりずっと感動的でした。
そりゃあドラマよりドキュメンタリーのほうが生き生きとしているのは当然ですが、ドラマだってもう少しましなもの作れるんじゃないでしょうか。

ま、NHK朝ドラって視聴率取れてるので、あれでいいんでしょうけど。

    
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2014年11月14日 (金)

下山の思想ですって

「日本人は幸せなのか不幸せなのか」・・・・・よく見かける議論ですね。例えばこちら→ http://blogos.com/article/98484/ とか http://blogos.com/article/98561/

これらに対するコメントもいろいろありますが、それらもだいたいいつも同じです。

集約すれば、昔や他国に比べれば豊かで便利な生活を享受している日本人は幸せと言えるが、未来への希望がないのは不幸なことである、ということになりましょうか。

そういう当然といえば当然のことを私たちは何度も繰り返し語ってきたように思います。

国の財政がとんでもないことになっているのは事実ですが、国民がとんでもない貧困にあえいでいるなどとということもありません。

賃金が上がらない。残業代も出ない。若者はブラック企業にこきつかわれるのを余儀なくされる。結婚もできない。子供も産めない。だから将来に希望が持てない。

たぶん、全てを政治のせいにするのも的外れで、豊かさが人の価値観を多様にし、それに伴って社会構造が変化したのも大きな理由でしょう。

先進国では事情は似たようなものだと思います。

それではいったん豊かになってしまえば、高みを目指して上って行く、その生活の中に喜びを見出すなんてことはもう期待できないのでしょうか?

世界戦争か地球規模の天変地異でも起きて、いったん焼け野原にでもならなければ、人間って希望に向って歩き出すことができないのでしょうか?

いやいや、そんな大それたことを想定しなくても、貧しくなる方法なんていくらでもあります。
たとえばこういった提言を素直に受け入れることはひとつの道であると思います。→    http://blogos.com/article/98606/ (内田樹)
ロングバージョンだそうです→ http://blog.tatsuru.com/2014/11/15_0857.php

貧しさの中から希望が生まれるのであるならば、そこに戻ってみるのもなかなか良い考えと言えます。

格差があるより、みんなで平等に貧しいほうを選ぶ、と言った大学教授もいました。→ 「平等に貧しい」

さて、内田樹氏や田中優子氏らのこういった思想をどれだけ多くの人が理解し、賛同するか、そしてれを政治家に託さなければこの人たちの思い通りの世の中にはならないでしょう。

政治グループはあれこれ主張をして批判し合いますが、「こうすればより豊かになる」「いや、このやり方のほうが豊かになる」という「豊かになる方法」を論じ合っているのですよね。

しかし、原発を使わずに再生エネルギーだけで日本を豊かに保つことができないのが明らかであるならば、「格差のある社会」と「平等に貧しい社会」のどちらに住みたいかが政治の争点になってもおかしくはないと思うのです。

全員が豊かな社会というものがもう望めないのであれば、そういうことになります。

まあ、選挙などで問わなくてもそのことはもう決着済みなのではありますが。

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似たような文章を書き続けているなと思いつつ、自分のブログ名とキーワードを検索にかければ、たちまち何年も前の類似の記事がいくつも出てきます。
過去記事の紹介ばかりしてしまいますが、年を取ればいつも同じようなことを考えているんでしょうし、世の中の出来事も結局は似たようなことの繰り返しなんでしょうね。未読の方がいらっしゃれば:

「そこそこの生活」 
「野心と努力に運がつく」  
「頓痴気」  
「悩み多き原発」 

とりあえずこんなところで。

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2014年11月 2日 (日)

身代金、いくらほしいの?

拉致問題の協議を終えた政府代表団が北朝鮮から帰国しましたが、「成果が何一つない」だとか「話し合いを続けることに意味がある」だとか色々言われます。

「必ず解決する」と約束した安倍政権は、本当にその公算があったのでしょうか。誘拐犯に莫大な身代金を払って、被害者全員を取り戻すつもりがあったのでしょうか?

これって、「話し合い」でなんとかなるものなのでしょうかねえ。

2004年に拉致被害者の家族が帰国し、世間がその問題で持ちきりだった頃に私はブログを始めました。

自分なりに思うことを書きましたが、当時の考えは今とあまり変わっていません。

    「茶番」 
  「6カ国協議」

でも、遅かれ早かれあの国は崩壊するだろうと書いたのは間違っていましたね。あれから10年、けっこう資源が豊富だったり、輸出できる武器製造技術があったり、支える国とかがあるからでしょうか、しぶとく持ちこたえています。
中韓が接近して北朝鮮に冷淡になったなどと言っても、やはり周辺国として北を崩壊させたくはないでしょう。

家族会のみなさんの苛立ちはよくわかります。「だらだらと話し合いばかり続けるのでなく、もっと強く言ってほしい」と仰るのはもっともです。
「強く言う」とは、「制裁解除を元に戻すぞ」とか「全員返すつもりがないなら交渉は終わりだ。経済援助も一切しない」と脅すことだと思うのですが、当然そのように迫っているはずです。でなければ交渉の名に値しない。

それに対して北朝鮮はどのように返しているのかわかりませんが、さぞ困っていることでしょう。

とことんまで困らせて向こうが音を上げるまで強い態度を保つ、ということが一番の近道になるような気がします。

ただ、音を上げるのは国の最高指導者でなければならないわけで、実際の交渉に当たっている人たちは板ばさみでさぞ苦しい立場であろうと思います。
「絶対に得を取れ」と命令されているはずですから、勝手に譲歩するわけにいかないでしょう。

金正恩が無理難題を命令するだけのノーテンキな指導者であれば、板ばさみに苦しむ家来たちの恨みは日本でなく、そっちに向うかもしれません。

日本はじっと辛抱の一念で踏ん張るしかないんじゃないでしょうか。


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