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2014年12月31日 (水)

未の年へ

平成26年の大晦日です。来年は戦後70年を迎えます。

この70年の間、日本はどういう国だったでしょうか。


池田信夫氏が 「安倍晋三氏のユートピア」 という記事で、
「日本は日米同盟のおかげで平和でいられたし経済発展もした。そういう日本にとって憲法改正の必然性はなく、今回の選挙で「次世代の党」が惨敗したことや連立を組んでいる公明党が護憲政党であることを考えれば、憲法改正が実現する可能性はゼロに近い」とし、次のように書いています。

≪丸山眞男の主張した非武装国家が消え去ったように、福田恒存のとなえた「押しつけ憲法」の改正も、見果てぬ夢に終わるだろう≫

そして憲法改正の実現を「ユートピア」だと表現しています。ユートピアってなんでしょう。池田氏は「絵空事」という意味で使っていると思われます。

しかし、居心地の良い温室と定義するならばまさに日本は、世界の中で最もそれに近い国であろうと思います。


さらに池田氏は 「憲法改正は『大改革』ではない」 という記事の中でも、
≪日本はアメリカの世界戦略に組み込まれた「属国」だというのは、安倍氏も平和ボケの左翼も批判しているが、それは何と平和で豊かな属国だろうか。日本の「宗主国」がソ連だったら、どうなったか考えてみればいい。国家としてのプライドさえ捨てれば、これほど安上がりで快適な属国はない。≫と書いています。

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「国家としてのプライドさえ捨てれば安上がりで快適」

これこそ戦後の日本が選択してきた道であったのですが、それは本当の意味で快適だったのでしょうか。

人はよく、物質的な豊かさより心の豊かさが大事と言います。特に左翼思想を持つ人がそのように言う傾向があります。

でもプライドを捨ててしまっては、心の豊かさは育まれないと私は思うのです。豊かで強い心を育てるのはプライドなんじゃないでしょうか。

日本人は「国家としてのプライド」というごく単純な概念にさえも過剰に反応し、曲解する癖がついてしまいました。これを正そうというのが、安倍首相がたびたび口にする「日本を取り戻す」ということだと思います。

今までずっと「護憲護憲」と主張してきた人々が、安倍内閣が提起した集団的自衛権についての論議が活発になると、にわかに「曖昧な解釈で集団的自衛権を認めてはいけない。ちゃんと憲法を改正すべきだ」と、改憲論を唱えるようになりました。

論理的に考えるとそれはまことに正しいのですが、護憲派もようやくわかってくれたかと思うのは早計。70年で刷り込まれた戦後思想はそう簡単に変わるものではありません。彼らの本心は集団的自衛権も嫌だし、改憲だって嫌なのです。どっちもイヤ。


70年という歳月はあまりにも長く、このユートピアから出るのはいやだ、とおおかたの日本人が思っても不思議ではないでしょう。
しかし外界の現実に向かい合わずに国家は強くなれるのでしょうか。

「強い」というと、「強くなくても良い。寛容な精神こそが大切なのだ」と反応する人が多いですが、昔から言われているように強くなければ優しくも寛容にもなれません。

何も核武装して個別自衛に徹しようというのではない。日米同盟を解消するわけにはいきません。
けれども、独立国としての主権を確立し国家の矜持を保つためには、9条の変更のみならず自主憲法の制定は最低限必要なことだと国民が理解することが今の日本に最も必要なことだと私は思うのです。

独立総合研究所の青山繁晴氏は常に次のように言います。

 
≪集団的自衛権の問題がなぜ神学論争になるかというと、憲法9条に抵触するのではないかという不安があるからだ。
 「国の交戦権はこれを認めない」と憲法9条に書いてある。 
 交戦権のない国家はあり得ない。それは主権がないという意味だから。つまりこの憲法は日本は主権国家ではないという意味を持つ。
 主権回復した時に当然自主憲法を作るべきだった。≫


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来年の干支の羊は「臆病で主体性がない」のだそうです。
ひつじについて考える年にしたいですね!
    
   
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