to be or not to be......
作家の曽野綾子さんが産経新聞コラム「透明な歳月の光」で、「日本は労働移民を認めねばならない状況に追い込まれているが、文化や価値観の違いによる軋轢を避けるために、居住だけは民族ごとに分けたほうがいい」という趣旨の文章を寄せたら、非難の嵐が巻き起こっています。
BLOGOSでは、こちらなど→ 「曽野綾子のコラムが暗示する問題」
アパルトヘイトを肯定するのかとか、国際問題になるぞとか、普段から曽野さんの考え方を快く思わない人々(だろうと思うのですが)が、ここぞとばかりに批判のコメントを寄せています。
でも、コラムを読むと、そんなに責められなければならない考え方だろうかと思うのです。(こんなこというと、このブログが“炎上”とやらになってしまうかな)
少なくともアパルトヘイトと同一視するのはどうかと思います。
アパルトヘイトというのは、黒人が白人の居住区域に立ち入っただけで罰せられるという完全隔離で、労働環境も賃金の格差も酷いものだったそうです。人種差別そのものだったからこそ否定されたのではなかったんでしょうか。
曽野さんは居住区を分ける「制度」を作るべきなどとはどこにも書いていません。
「人間は事業も研究も運動も何もかも一緒にやれる。しかし居住だけは別にしたほうがいい」と書いていますが、これを「国の隔離政策が必要だ」とどうして読めるんでしょうか。
紹介している南アフリカのマンションの事情についても、文化や習慣の異なる人たちが一緒に住むと結局こういうことになる、という事例を挙げているに過ぎません。
同じ日本人でも、親兄弟であっても一緒に住まなければ仲良く付き合っていける、という例はいくらでもあります。
炎上したというツイッターを読んでみると、「ひどい、ひどい」と非難の言葉が並べられているだけで、欧州などで深刻な問題になっている移民問題と、異民族同士の共存の問題をどう考えるべきか、という議論にすらなっていません。
ドイツのメルケル首相やイギリスのキャメロン首相が「多文化主義は失敗した」と発言するに及んだのはいったいいかなる苦悩の末なのか、日本人には、治安悪化や異文化との軋轢がいかに深刻な事態であるかわからないのではないでしょうか。
かといって、移民は絶対受け入れないのか。しかし受け入れなければ労働力不足はどうするのか。
移民を受け入れるならば「住み分け」もひとつの方法ではないか。地域住民との摩擦が話し合いによって改善されないのであれば、自然に住み分けは進んでいくだろう。それがいい。
曽野さんはそういうことを言いたいのだと思います。
でも、ひとこと申し添えれば、日本人の気質その他から考えると、かの国々よりはもしかしたら何とかやっていけるかもしれない・・・と思ったりもします。
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コメント
曽野綾子さん、なんだか大層大胆なことをおっしゃったらしいですね~。
居住地域の分離を国策でするというのはタブーではないでしょうか。
その話(内容を読んでいない)は別として、移民を受け入れるべきか否かは、目前の課題になってきているのでしょうね。
アメリカは優秀な頭脳の活躍の場を提供することにより国力アップにつなげてきた国なのだろうと思っています。それが功を奏して数多くのノーベル賞受賞者がいたりするのだろう、と漠然と思っています。だから私たちのトップクラスの大学も、アジアの優秀な学生がアメリカを目指すのではなく、日本に来てほしいという趣旨で、優秀な学生の確保、卒業後の定着を目指しているところがあるのではないですか。
一方、労働力としては、フィリピンではそれなりのレベルの人たちに、海外で働く(外貨稼ぎ)ためのヘルパーさん教育をしているようです。家族の生活を支えなくてはならないこれらの人たちも、日本に来てもらえれば優秀な働き手でしょう。
とすると、ぬるま湯的に育てられた(キツイ仕事はしたくない等の)我が国の若者たちの出る幕が奪われる現象が想像できます。
ドイツなどで、移民反対運動が起こっているのは、この手の流れから来ているのでしょう。だとすると、私たちの国は、移民先進国の西ヨーロッパやアメリカの状況を学んで、よい選択をしたいものですね。
ちなみに、外国人であっても、失業などで生活に困れば生活保護は受給できます。
投稿: 案山子 | 2015年2月15日 (日) 13時55分
もし仮に移民を受け入れるなら居住地域の分離よりも一定割合(5割超とか)を超えた地区に古くから住む人達への移転費用の補助とかの対策を進めるべきでしょうね。
実際、地方では誇張ではなく外国人だけのコロニーと化した市営住宅とかが実際にありますから。(民間では外国人さんはなかなかまともな所を貸してもらえませんので、自然と居住可能な所は集中する傾向にある)
ちなみに、今後憲法改正が行われないようですと、生活保護の増加(団塊世代や段階Jrが働いたら負けと開き直ると本当にまずい)でなし崩し的に外国人労働者に頼らないと社会保障や社会インフラの維持も出来ない状態に陥りかねないでしょうね。
投稿: 仮)山田二郎 | 2015年2月16日 (月) 01時03分
★案山子さん
曽野さんの言いたいことは「人間は事業も研究も運動も何もかも一緒にやれる。しかし居住だけは別にしたほうがいい」という文章に集約されます。別におかしなことでもないのですが、それを実行するとなると、移民を受け入れるにあたってあらかじめそのように居住区を分けて整備するのか、という疑問が出てきますよね。
曽野さんの真意としては「同じ文化、同じ生活習慣を持つもの同士でコミュニティを作ったほうが深刻なトラブルが避けられる」ということであり、「肌の色で分ける」ということではないのですが、でも摩擦の起こりにくい人間同士というとやっぱり人種だか民族だか同国人になってしまいますね。
コラムの文章は理解できる内容なのですが、「もう20~30年も前に南アフリカ共和国の実情を知って以来、私は、居住区だけは、白人、アジア人、黒人というふうに分けて住む方がいい、と思うようになった」と書いてあるところが問題になったのだと思います。
そしてそう思うに至った理由を述べています。
曽野さんとしては、単純に「価値観が違うのだから居住は距離を置いたほうがうまくいく」という「区別」の意味だったけれど、「人種差別だ」と感情的になった人たちが「海外に拡散しろ!」とまで騒ぎ出す始末です。
日本人と違って欧米の差別感情は根深いものがあります。だからこそ、「差別はいけない」という規律が強固にならざるを得ないのだと思います。
欧米的価値観とともに育った若い世代が曽野さんのような意見を聞いてびっくり仰天するのもわかりますが、世界中の最貧国の現場を実際に知っている人の意見はもう少し冷静に聞くべきだと思います。
「あり得ない」「とんでもない」という言葉だけが発せられますが、日本のこれからについてどうするのかという真摯な議論に発展すればいいですね。
案山子さんが指摘されるように、優秀な頭脳をさらに日本で育てることや、眠っている国内の人材をどう掘り起こすかを含めて介護労働者をどう確保するか、そういう話に持っていくべきだと思います。
投稿: robita | 2015年2月16日 (月) 10時56分
★ 仮)山田二郎さん
>もし仮に移民を受け入れるなら居住地域の分離よりも一定割合(5割超とか)を超えた地区に古くから住む人達への移転費用の補助とかの対策を進めるべきでしょうね。<
もうすでに母国ごとのコミュニティは自然発生しているわけですから、話し合いもうまくいかず居心地が悪くなった日本人に移転してもらうということですね。難しいでしょうが、こういう具体的な案を一つ一つ出していくのが建設的だと思います。
>ちなみに、今後憲法改正が行われないようですと、生活保護の増加(団塊世代や段階Jrが働いたら負けと開き直ると本当にまずい)でなし崩し的に外国人労働者に頼らないと社会保障や社会インフラの維持も出来ない状態に陥りかねないでしょうね。<
生活保護の適用の規定については(外国人についても)、まだまだ曖昧模糊としたものらしいですね。
憲法改正ではっきりとした国の姿勢が示されるのでしょうか。
怠け者とそうでない人を区別するのは難しいことだとは思いますが・・・・
投稿: robita | 2015年2月16日 (月) 11時02分